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没落した薔薇は、碧夜の星になる のすべてのチャプター: チャプター 51 - チャプター 60

69 チャプター

聖女

 上着もはおらず軽装のまま姿を見せた皇太子は、リゼルの怪我を聞きつけて見舞いに来たらしい。「ベル、侍女の怪我の具合はどうだ?」「殿下、恐れ入ります。本人は大丈夫だと……」「こちらの通達が遅れたばっかりに、すまなかった」「いえ……」 ラヴェルは殊勝な皇太子の態度に、反論も出来ずただやり過ごそうとした。 傍に立って首を垂れるリゼルは、きっとまだ痛いままだというのに……。「少し、話せるか?」 そう言った皇太子は、こちらではなくランベルトとリゼルの方へと視線をやる。 暗に“出て行け”と言いたいのだ。「では、我々は外で待機しております」 こちらの返答も聞かずにランベルトはリゼルを連れて部屋を出る。 仕方ない。 この状況では、皇太子を拒否する事は出来ない。「何のお話でしょうか? 殿下」「まぁ、そう急くな」 皇太子はソファに腰掛け、足を組み、対面に座れと促す。 若い後継者ではあるが、ラヴェルはこの男を侮るほど世間知らずにもなれなかった。 夜会では礼儀的に声を掛け合う程度、仲良く話した記憶もあまりない。「侍女には悪い事をした。後で詫びを贈ろう」 詫び、といいながら表情が詫びているように見えない。 でも彼にはそれが許されるだけの権力がある。「いえ、その様なお心遣いは無用です」「その内、私の婚約者が城内に招かれていると噂になるだろう」「左様でございますか」「ベル」 名を呼ばれて顔を上げると、皇太子が前のめりに肘をつき見つめている。 嫌な予感がした。「何でございましょう?」「君はとても美しいな」「はぁ……恐
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火種

「ベル様、今日はいかがしましょうか?」 リゼルがいつものように支度を手伝いながらそう聞いて来る。 あの晩以来、何もする事が無く部屋で軟禁されているようなものだった。 許可されているのは部屋のテラスから出られる庭と、近くにある書庫だけ。 皇太子に言われた言葉たちは日増しに重みを増していく。「書庫に行って借りて来た本をお庭で読みましょうか」 ラヴェルの脳内は皇太子との婚約話をどう回避するかでいっぱいだが、リゼルにそれを悟らせたくなかった。 自分が皇太子妃になれば、全ては丸く収まる。 ジェイドも、デルメール領の民も、何も失わずにいられるのかもしれない。 自分がジェイドを手放せば――そこまで考えて、また振出しに戻る。 ラヴェルは首につけた夜境石のネックレスを無意識に握った。 支度の間、部屋の外で待たせていたランベルトは「どちらへ?」と短く問う。「書庫に本を取りに行くだけよ。貴方はお茶の用意を誰かに頼んでくれないかしら?」「かしこまりました」 本来なら護衛に頼む事でもない。 だが、先日のリゼルの件があってラヴェルは彼女をむやみに一人で歩かせたくなかった。 部屋から書庫へ行く途中、人の声が聞こえてラヴェルは足を止める。 後ろから付いて来ていたリゼルがすかさず一歩前に出て、様子を窺う。「お父様、勝手に入っては叱られてしまいますわ」「何、迷ったと言えば良い」 若い女性と、低い男性の声だ。 部屋に引き返すか、否か、迷っている内に彼らが突き当りの角から姿を現した。「……ここは皇太子殿下の居城だというのに、どこのご令嬢かな?」 体格のいい軍服を纏った男は、そう言ってこちらを不躾に舐めるように見る。 その隣には可憐を絵に描いたような少女が、似合わない赤いドレスを着せ
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決心

 ジェイドは物言わぬネロを連れてバロー領へと入った。 港はかつてのデルメール領のように賑わい、国軍は国境付近に大きな砦を構えている。 他国からの移民も多く、紛れるには苦労しない土地ではあるが、ジェイドはローブを被ったまま歩いた。「ネロ、先に宿場へ行こう」 ただ頷き返すネロは、右手で行き先を指して歩き出す。 彼はこの土地に詳しく、道案内兼護衛として連れて来た。「東の風は乾いているな……」 南に位置するデルメールとは違い、湿度がなく乾燥している。 色とりどりのテントやはためく輸入物の反物が、賑やかさに拍車をかけていた。 宿場へと荷を下ろし、ジェイドはすぐさま地図を広げる。 目的はバロー領で密かに“生産”されているアンドールの子供達だ。 証言して貰えれば一番良いが、彼らを保護する事が出来ればやりようはいくらでもある。 ネロが地図の一か所を指してこちらを見た。「ここから入るのか?」 ネロは頷き、地図上を指で辿りながらある一点で止める。 そこはバロー領の玄関口とは違う、裏手の小さな海岸だった。「ここから船を?」 ネロは頷き、唇をゆっくりと動かして見せる。 彼がリゼルとレヴィンを連れて屋敷に現れた時から、数年。 彼の為にジェイドは読唇術を覚え、彼との会話を可能にして来た。「船をつけてあるのか」――こちらから脱出します「分かった。夜を待って向かおう」 ネロはコクリと頷いて、しっかりとこちらを見る。 元々、彼はバロー伯爵の部下として従軍していた軍人の一人だった。 だがバロー伯爵に迎合しなかった事で、アンドール達の監視員として地位を剥奪され地下へ送られた。「早く帰ら
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問答

 バロー伯爵と顔を合わせて数日が経つ頃、その声は切り裂くように飛び込んで来た。「ベル様っ、侍女殿がっ!」 毎日書庫へ行き、与えられた部屋で本を読むふりをしながら、皇太子に言われた事を延々と考えている。 その思考に終止符を打ったのはランベルトだ。 ラヴェルは驚き、一瞬瞳を瞬かせる。「ど……どうしたの? ランベルト」 いつもは寡黙な彼が、息を荒げて飛び込んで来た。 それだけで緊張が走る。 リゼルはお茶を淹れて来ると部屋を出て行き、しばらく経っていた。「何者かに刺されてっ……」「刺されたっ⁉」 ラヴェルは読んでいた本を閉じ、思わず立ち上がる。「リゼルはどこにいるのっ?」 ドレスの裾を持ち上げ、部屋を出ようとして、ドアの前に立ったランベルトに制された。「いけません、ベル様。何があるか分からない」「いいえ、リゼルは私の侍女よ。そこをどきなさい」「承服しかねますッ!」 ランベルトはそう言い切って、こちらをジッと見ていた。 彼には彼の責務がある。 皇太子に護衛を頼まれている以上、敬語対象に何かあれば、罰則では済まないだろう。 そこまで考えてラヴェルはふぅっと深く息を吐いた。「ランベルト、リゼルはどこにいるの?」「今は医務室で手当てを受けているはずです」 ラヴェルは治療を受けていると聞いて、ホッと胸を撫でる。「大丈夫なの?」「分かりませんが、呼吸は確認できております。背後から刺されたようです」「一体誰が&hel
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問答 Ⅱ

 ランベルトの言葉に耳を疑い、ラヴェルは振り返る。 ダフィーニアを庇うように立っているランベルトを見て、気付いてしまった。 よく見ると、彼の制服の裾には目立たない程度の血が滲んでいる。「あ! そうだわ。あの侍女が運ばれたのはオルレイン医師の所ですの。今頃、どうなっているかしら?」 オルレイン――その名を聞いて、ラヴェルは息を飲む。 彼はアンドールの検体を探していると聞いている。 リゼルの体を見られたら……「今頃、人の形をしていないかも」 明らかにこちらを挑発している。 でもここで心を乱せば、この娘の思う壺だ。 ラヴェルは奥歯を噛み締め、怒りを腹の底へと押し込める。 上位貴族の腹の探り合いに比べたら、まだ可愛いものだ。「オルレイン医師というのは、良識のない方なのですか?」「どういう意味ですの? オルレイン医師はとても博識で素晴らしい人よ」「なら、王宮医の彼が皇太子殿下の賓客である私の侍女に、そんな手荒な事はなさるはずがありませんわ」「殿下の威光を翳すなんて、なんて品がないのかしら!」「そのお言葉、そのままお返しします。ダフィーニア様」「なっ……何てことっ!」 彼女との会話は、まるで子供を相手にしているような錯覚を覚える。 ラヴェルは彼女を憐れむ様に見て、ランベルトへ向き直った。「ランベルト」「はっ」「もう一度言います。お帰り頂いて」 ラヴェルは低くて冷たい声で、ランベルトにそう告げた。 視線を逸らすことなく、無言の圧で彼の選択を待つ。「ランベルトッ! この人を拘束して! 私の言う事を聞かないと、妹がどうなっても知らないわよッ!」 妹――その言葉にランベルトは痛みを堪えるような顔をする。
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傷付いた獣

 分厚い木の扉が大きな音を立てて閉じられ、小さな物置のようなその部屋は薄暗く埃臭い。 床の上に放り出されたラヴェルは身を起こして、入り口付近に佇むランベルトを睨む。「ランベルトッ! こんな事をしたら妹が悲しむって分からないのっ?」「ベル様……もう、そんな次元の話ではないのです」 ランベルトの表情はこんなこと望んでいないのに、彼の行動はそれに反している。 ラヴェルは一歩一歩距離を詰めて来るランベルトから、後ずさりした。「私に手を出せば、貴方は極刑よ」「存じております」 もう言葉での脅しには何の意味もないのかもしれない。 ランベルトの目はこちらを見ている様で見ていない気がした。「皇太子殿下の側近である俺が貴女を汚し、貴女は皇太子殿下の婚約者の座を失う。そして俺を側近へと抜擢した皇太子殿下の評判も地に落ちる。そう言う筋書きなのです」 冷静に淡々とそう述べるランベルトは、跪き身を寄せる。「それでは貴方の妹は誰が助けるって言うの?」「俺がこの役目を果たせたなら、地下から出られる約束です。俺はそれでいい」 ラヴェルはそれを聞いて「そんなバカな……」と漏らす。 妹が地下から解放される確約なんて無い。 しかも、本人は首をはねられる事も厭わない覚悟で、そんな曖昧な約束を信じるなんて――。 ランベルトの手が肩を掴み、石床に縫い留められる。「ちょっ……触らないでっ!」「俺にはもう、この方法しか残っていません」 ラヴェルは頬に滴って来た水滴を感じて、ハッとランベルトを見た。 ボタボタと涙を流しながらも笑っているランベルトは、もう正常な判断が出来ている様には見えなかった。「やめなさいっ! ランベルトッ! 離してっ!」 ラヴェルは力の限り
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筆を持つ者

 扉の開いた隙間にラヴェルは固まる。 視線は扉から外せず、ごくりと息を飲んだ。 逸る鼓動を、ドレスを握り締めた拳で押さえる。 乱れた自分の姿を整える間もなく飛び込んで来たのは、リゼルだった。「ベル様ッ!!」「……リゼルッ⁉」 駆け寄って来たリゼルに抱きしめられる。 その後ろからセルジオが姿を現した。「大丈夫ですか? ベル嬢」「セルジオ……」 リゼルは乱れた着衣を気にして直しながら「すみません」と零す。「リゼルは大丈夫なの? 怪我は?」「私は大丈夫です」 そう言ったリゼルは珍しく悲壮な顔をして見せた。「ひとまずここを出ましょう」 そう言ったセルジオの視線は、気を失って倒れているランベルトへと落とされている。「立てますか? ベル様」「大丈夫よ、リゼル」「急ぎましょう。誰かに見つかるとマズい」 ラヴェルはリゼルに付き添われるようにして部屋を出た。 セルジオは倒れているランベルトを担ぎ上げ、そっと人の気配のない通路を無言のまま歩く。 誰にも会わずに自室まで戻れたのはセルジオの導きがあったからだ。 彼はこの時間の衛兵の配置と、城内の動きを把握している。  彼がいなければ、こんな簡単に戻れなかっただろう。「俺はこのまま殿下の所に報告に行って来ます」 伸びたランベルトを担いだままのセルジオが、そう言って部屋を出ようとする。「待って……殿下は今どこに?」「侍女殿の事を聞いてバロー親子を引き付ける為に面会なさっています。だから、そっちに護衛が固まっているんです」 ラヴェルは少し思案し、セルジオへと向き直った。
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裏切者

 バロー家との面会を終えた皇太子は、虫でも見るような視線でランベルトを見る。「裏切者を引き取りに来た」「殿下……」「カルアン、連れて行け」「はっ」 命を受けたフォルツ少佐がランベルトへと手をかけ、ラヴェルは「お待ち下さい」と静かに止めた。「何だ? ベル」「彼がバロー家からの手先だと、ご存知だったのでは?」 ラヴェルはしっかりと向き直り、皇太子を見据える。「何故だ?」「殿下の周りには優秀な方がたくさんいらっしゃるのに、彼の潜入に気付けないはずがない。もしそうだとしたら、側近の方々は間抜けなのでは?」 ラヴェルは挑発するように態とけしかけ、皇太子の様子を窺う。「口を慎め、ベル」「あら、本当にお気付きでなかったのですね。ならば……」「この男がバロー家の息のかかった者だと分かっていて、君の護衛につけた事を怒っているのか?」「私の体が暴かれようと、このように助かろうと、どっちでも良かったのですよね?」 ランベルトが自分を汚していたら、それを理由にバロー家を追求できる。 今回のように未遂に終わってもランベルトを利用できると踏んでいた。 ようは意図的に護衛という立場を与え、ランベルトが動くように仕向けたのだ。「だからすぐにナハトを向かわせただろう? 侍女も君も無事だ。何が問題だ?」 そう言われてラヴェルは失笑を漏らした。 これが次代の王になる男なのだ――掲げている目標はジェイドと同じでも、まるで人を駒としか見ていない。 隣に立っているリゼルの拳が震えている。 ラヴェルはそれに気付いてリゼルを宥めるように肩に手を置いた。「バロー家はどうなりましたか?」「お前が言うとおりにして来たぞ。この男に襲われた事にしておい
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御伽噺

 長い沈黙。 デルメール家で初めて見た時、ベル・デルメールはまるで言葉を覚えただけの人形のようだった。 少し疑惑をちらつかせれば動揺し、成人したばかりの若い令嬢のような幼稚さがあったのに――。 今は毅然とこちらを見て立っている。「どういう意味です?」「上級大尉で皇太子の側近、ナハト家にそんなご子息がいると聞いた事はないわ」「そりゃ、裏で動く事が多いですから。これでも一応、軍では顔が知れているんですが」「ナハト家は先々代の王女を輩出した上位貴族。そのナハト家の子息が、裏家業なんてあり得ないわ」 セルジオは淡々と詰め寄るラヴェルを見て、何か気付いているのか、と疑い始めた。 皇太子でさえ気付かなかったというのに。「仕方ないじゃないですか。俺ってほら、顔が良いから」「上級大尉と言う地位を与えられているのに、顔で仕事をさせられるなんて、もっとあり得ないのではなくて?」「俺はベル嬢の味方ですよ? 何をそんなに……」「本当にそうでしょうか?」 そう口を挟んだのはリゼルだった。「君の事だって助けてあげたでしょう? しかも二度も」「ですが、貴方はあのオルレイン医師と繋がっていますよね? あの時の会話……」「あーあー、まぁ、そうねぇ。聞かれちゃってたの? あれ」 セルジオは何処まで開示すべきか、脳内で忙しなく情報精査する。「貴方はあのオルレイン医師に“仕事をしろ”と言われていた」 自分の立場を隠蔽する事には慣れている。 昔から本当の自分というものが分からずに生きて来た。 だが今、目の前に立っているラヴェル・ローゼンは自分の意思でベル・デルメールへと変貌を遂げ、強い眼差しでこちらを見ている。 その視線が余りにも美しくて、やはりただの人形ではないのだと思い知る。 結局自分が何者なの
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流行のお菓子

 ランベルトの一件から数日が経つ頃、城内には二つの噂が流れていた。 一つは皇太子の婚約者候補が不義を働いたという噂。 もう一つは、バロー家のダフィーニアが皇太子の婚約者として夜会で紹介されるという噂だった。 今、皇太子の婚約者を決定できるのはヴェルモナ王。  彼を廃位させなければ、バロー家の思惑通りになってしまう。 だがラヴェルの心配は別の所にあった。 もう夜会まで時間がないというのに、ジェイドが戻らないのだ。 何かトラブルがあったのではないか。 そう皇太子に再三聞いてみるものの、そんな連絡は来ていないの一点張り。 連絡出来ない事情があるのではないか? そんな事ばかりがラヴェルの胸中を渦巻いていた。「大丈夫でしょ、男爵なら」 セルジオはいたって他人事のようにそう答える。「でも……」「じゃあ、ベル嬢。お使い頼んでくれません? 俺はベル嬢から頼まれないと、どこにも行けないんで」 そう言ったセルジオに、ラヴェルはキョトンと目を丸くした。「その代わり、俺がいない間にどこかに連れ去られたりしないで下さいよ」「そんな事させません」 リゼルは嫌そうな顔でキッパリとそう告げた。 そう言いながらもリゼルはセルジオへの警戒を緩めているようだった。「ふふっ……じゃあ、城下で流行りのお菓子が食べたいわ。セルジオ」「レディの我儘を聞くのは紳士の務め。すぐに調達して参りましょう」 セルジオは右手を胸に当て大袈裟に腰を折って見せる。◇◇◇ 夕刻になっても戻らないセルジオを心配して、ラヴェルは窓の外を何度も見遣る。 彼に限って何かあったと言うことはないだろうが、外はもう薄暗くなる一方で、晩餐も済ませた。
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