『ここでおっぱじめるなよ?』その言葉が耳へ飛び込んできた瞬間だった。実花は、はっと我に返る。まるで頭から冷水を浴びせられたようだった。ぼんやり熱を帯びていた思考が、一気に現実へ引き戻される。泣いた顔を隠された。慰められた。優しくされた。そこまでは理解していた。けれど、改めて状況を整理すると―――おかしい。いや、おかしいどころではない。ジャケットを被せられて、抱き上げられて運ばれたまではいい。でも、誰もいない駐車場に停まる高級車へ直行。それも男に抱え上げられたまま。どこをどう切り取っても、どう見ても、完全に“お持ち帰り”だった。「……っ!?」実花の顔が一気に熱くなる。羞恥と混乱で、心臓が爆発しそうだった。その隣で「……あの馬鹿」と東国光也が呆れたように呟いていたが、実花の耳にはほとんど入っていなかった。それどころではない。何をしているの、自分は。なぜ大人しく運ばれていた。なぜ途中で止めなかった。いや、気づいていた。駐車場へ向かっていることも、車に乗せられようとしていることも、薄々分かっていたのに。強引な男だと思いながら、どこかで「この人なら危険なことはしない」と安心してしまっていた。その事実が実花にはひどく恥ずかしかった。(ち、違うのよ!?)誰に向けた弁解なのかも分からないまま頭の中がぐちゃぐちゃになる。前世の記憶が不意に脳裏を掠めた。恒一から漂う嗅ぎなれた女物の香水の匂い、シャツについた見覚えのある赤い口紅。美鈴の痕跡を咎めれば嫉妬と思われ、仕方なさを隠さない態度の恒一に抱かれた。愛情のない触れ方、義務みたいに向けられた体温。それを思い出した瞬間、実花の背筋にぞわりと嫌悪感が走った。男と女。そういう空気。そういう関係。全てがそうではないと分かっていても、実花にとってそれは甘いものではなかった。むしろどこか気持ち悪くて、積極的になれない実花に恒一は嫌気がさし、恒一が実花を求めることはなくなった。(いえ、元からあったのかも分からない)愛がなくても、心がなくても性行為はできる。前世の十八歳の実花はそれを知らなかったが、今の実花は知っている。今の実花にとって男女の関係はもう純粋なものではない。夢みるようなことでもない。「あ……」今の状況が急激に恐ろしくなった。もし、このまま流されていたら。
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