All Chapters of しおさいの街で、人狼と天使は恋をした: Chapter 11 - Chapter 20

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第1章・第11話:満月の予感、夏の終わりの長い橋

 夏の午後の山道って、こんなに蒸し暑いものだっけ。 原付のエンジンがだんだん苦しそうな音を立て始めたころ、私は背中の汗が制服に張り付く感覚に、半分うんざりしながら空を見上げていた。 さっきまで青かった空は、いつの間にか薄く霞んでいて、雲の切れ間から白い月がのぞいている。「ねえ、カミヤ」「なんだ」「今日って……」 言いかけたところで、彼が先に言った。「……満月だ」 低い声。 原付のハンドルを握る手に、いつもより少し力がこもっているのがわかった。「やっぱり」 夜のニュースが流れたあの日から、もう何日も経っていた。 海辺の町を出て、スーパーの裏でバイトしていたカミヤの知り合いに会ったり、山奥の廃工場で一晩過ごしたり、誰もいない公園でカップラーメンを分け合ったり。 その全部が、楽しかった。 怖さと楽しさが紙一重で隣り合っていて、「修学旅行の夜」がずっと続いているみたいだった。 でも今、胸の奥で小さな警報が鳴っている。 満月。「ねえ、平気?」 背中ごしに、そっと問いかける。「なにが」「満月」「平気じゃねえよ」 あっさり返されて、思わず苦笑する。「そのわりに、いつも通りに見えるけど」「まだ昼だからな」「夜になったら?」 少しだけ、間が空いた。「……あんまり見られたくねえ」 ぽつり、と落とされた言葉。「変身、見られたくないの?」「そういう、単純な話じゃねえ」 ハンドルを切る音。 山道が終わって、少し開けた場所に出る。そこには、川にかかった大きな橋があった。 古いコンクリートの橋。下を流れる川は思ったより深そうで、水面が太陽の光をぎらぎらと反射している。「ここ、なに?」「山の向こうの市街地に抜ける幹線道路。ここの橋、構造が古い
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第1章・第12話:怪物と呼ばれる英雄と、止まらない少女の足

 橋の真ん中に近づくにつれて、空気が変わっていくのが、肌でわかった。 遠くで、ヘリコプターのプロペラ音がする。まだ姿は見えないけれど、風の震え方がいつもと違う。 橋の欄干の向こう、川の流れはゆっくりとしていて、水面が鈍く光っていた。「ナギ」「ん」「ここから先は、走ってもらう」「え?」「俺が合図したら、全力で向こう側のたもとまで走れ。振り向くな。止まるな。泣くな」「三つも条件つけないで」「守れそうなやつだけ守れ」「泣かないのは、ちょっと自信ない」「泣きながらでも走れ」「わかった」 うなずいた瞬間、橋の向こうからサイレンの音が聞こえはじめた。 赤と青の点滅が、遠くに小さく揺れている。「警察……」「だけじゃねえな」 カミヤの声が低くなる。 そのすぐあと、橋のこちら側——私たちが来たほうからも、同じようなサイレンの音がした。 振り返ると、白と黒のパトカーが数台と、その後ろに黒いワゴン車が連なっているのが見えた。「挟み撃ち……」 呟いた私の背後で、カミヤが小さく笑った。「わかりやすいな」「笑ってる場合じゃなくない?」「笑ってねえよ」 橋の両端に、車が並ぶ。 拡声器を通した声が、風に乗って響いてきた。「そこにいる二人、聞こえるか! ゆっくり手を挙げて、こちらに歩いてきなさい!」 よくドラマで聞く台詞。でも、実際に自分が向けられると、胃がきゅっと縮む。「少女は、保護する! 抵抗はするな!」 私のことだ。「カミヤ……」「落ち着け」 彼は、私の肩に手を置いた。 その手は、驚くほど冷静で、安定していた。「俺がやることは、ひとつだけだ」「なにを——」 最後まで聞く前に、世界が変わった。
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第1章・第13話:『生きろ』という呪いと、銀色の粒子が消える川

 橋の中央付近が、限界に近づいているのがわかった。 コンクリートに走るひび割れが、どんどん広がっていく。欄干の一部は、すでに川に落ちていた。 影の狼たちが、そのひび割れを踏み越えて走るたび、橋全体がゆらゆらと揺れる。「……やば」 思わず声が漏れる。 向こう側にいる警官たちも、危険を感じたのか、一時的に引き下がっていた。 その隙に、私は橋のたもとまであと数メートル、というところまで辿り着いていた。「ナギ!」 また、名前を呼ばれる。 振り返ると、カミヤが、橋の真ん中でこちらを見ていた。 狼の姿のまま。血まみれのはずなのに、銀色の光がそれを全部覆い隠して、まるで月の化身みたいに見えた。「行け!」 彼が、叫ぶ。「ここで止まったら、全部意味ねえ!」「でも——!」 涙が、視界をぼやけさせる。「一緒に——」「無理だ!」 鋭い声。「俺は、こっから先、行けねえ!」「なんで!」「見ろよ!」 彼が、足元を指さす。 橋の中央付近。大きなひび割れ。コンクリート片が、ぽろぽろと川に落ちていく。「ここは、俺みたいなもんが暴れりゃ、崩れるようにできてんだよ!」「カミヤが、壊したんじゃないの?」「きっかけにはなったかもな。でも、もともとギリギリだった」 彼は、息を切らしながら笑った。「橋ってのは、いつか落ちるもんだ。設計したやつらは、『何十年先』って数字を見てたかもしれねえけど……」「今じゃん!」「そうだよ。今だ」 彼は、ひとつ深呼吸をして、続けた。「だったら、その『いつか』を、お前を逃がすために使う」「……っ」 胸の奥で、なにかがはじけた。「やだ」 子どもみたいな言葉が、口からこぼれる。「そんなの、いやだよ」
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第2章・第7話:港に降る黒い刃、殺し屋・時雨と不死の人狼が初めて牙を交える夜

 夜の港は、昼とは別の顔を見せる。 昼間はトラックとフォークリフトが走り回る埠頭も、深夜が近づくと、急に静かになる。代わりに、遠くのタンカーの汽笛と、街のネオンの反射だけが、ゆらゆらと揺れていた。 カミヤは、その境界線を一人で歩いていた。 《月下美人》にリオを預けた後、昼間は少し眠り、夕方からまた動き出した。港湾労働の仕事は、とりあえずバックレた形になるが、源に文句を言われる頃には、どうせこの街にはいないだろう。 足元の影が、黒く伸びる。『主人』 クロが顔を出す。「なんだ」『あの女のところに残る、とは言わんのか?』「俺がいたら、かえって目立つ」 カミヤは、無造作に答えた。「堂前の奴らは、もう俺の顔を別枠で記憶してる。あいつらの中で、リオは消せる駒で、俺は警戒すべき獣だ」『獣、か』「まあ、間違っちゃいねえ」 自嘲気味に笑いながらも、視線は暗闇から目を離さない。 この街に着いてから、何度か耳にした噂を繋げていく。 ——「賀茂海運」の倉庫の一つに、警察もまだ場所を特定できていない「特別な倉庫」がある。 ——そこに、外から入ってきた「腕のいいやり手」が出入りしている。 ——そいつは、組織の人間じゃない。だが、賀茂に雇われている。 腕のいいやり手。 裏社会でそういう言葉を聞いた時、カミヤは本能的に「嫌な予感」がした。(ただのチンピラなら、影狼を出すまでもねえ。けど——) 風が、ふいに止まった。 海面を撫でていたはずの風が、ぴたりと凪いだ。「——やあ」 背中の皮膚が、一瞬で総毛立った。 声と同時に、風が裂ける。 カミヤは、反射で身体をひねった。 それでも、完全には避けきれない。 左腕に、鋭い痛みが走
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第1章・第14話:『犯人死亡』の裏側に、たった一つの真実を隠して

 そのあと、どうやって橋から引きずり降ろされたのか、あまり覚えていない。 警官たちの怒鳴り声と、救急車のサイレンと、ヘリのプロペラ音が、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。 誰かが「少女確保!」と叫んだ。「大丈夫か」「怪我はないか」と、矢継ぎ早に質問される。 私は、ただひとつの言葉しか、口にできなかった。「……カミヤは?」 誰も、答えてくれなかった。 代わりに、テレビが答えを出した。『橋崩落、犯人の男死亡か』『少女保護、誘拐事件は解決へ』 画面の中でアナウンサーが、淡々と言葉を紡いでいく。「犯人死亡」 そのテロップが、頭の中で何度も点滅した。 *** 季節は、冬になっていた。 あの夏の日から、何度も何度も、朝が来て、夜が来て。 私は、あの家には戻らなかった。 保護されたあと、事情を話した。 父親に殴られていたこと。母親が止めなかったこと。夜、逃げ出したこと。 全部本当のことなのに、「盛ってない?」と疑う視線も、確かにあった。 でも、病院の診断書や、近所の人の証言や、学校での担任の話で、どうにか「虐待」は認められた。 父は、いなくなった。どこに行ったのか、誰も教えてくれない。 母は、テレビに映らなくなった。 代わりに、私は「保護された被害者」として、児童相談所やカウンセラーのところを何度も回った。「怖かったでしょう」「でも、もう大丈夫よ」 その言葉に、私は笑ってうなずいた。「はい。もう、大丈夫です」 そう言うたびに、胸の奥で、なにかがちくりと痛んだ。 怖いのは、あの家じゃない。 怖いのは、「犯人死亡」という、軽いテロップ一行で、あの人の存在が片付けられてしまったことだ。 あの橋の上で、銀色の粒子を撒き散らしながら、私を逃がすために戦っていた人が。「犯人」の一言で、全部
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第2章・第1話:橋の崩れた夜から三ヶ月、優しい狼は潮見市の路地裏を南へ走る

 橋が落ちてから、三ヶ月が経った。 原付のエンジンは、もう何時間も同じ唸りを続けている。海沿いの国道を、黒い影が一つ、ひたすら南へと流れていく。 ヘルメットの隙間から、潮の匂いが入り込んだ。塩と、海藻と、遠くの漁港の油の匂い。風はまだ冷たく、頬を刺す感触が心地よい。 ——ニュースでは、一週間も騒がれた。「女子高生誘拐事件、容疑者と少女を乗せた車両、橋崩落とともに消息不明」「容疑者の男は死亡、少女は川下で救助」 その後、「橋の老朽化ガー」「行政の責任ガー」と、テーマがすり替わっていくのに、そう時間はかからなかった。世間は忙しい。昨日の悲劇は、今日のワイドショーの飯のタネで、明日には次のネタに上書きされる。 人狼一匹の生死なんて、なおのこと。 ハーフヘルメットの下、カミヤは口元だけで笑った。「……ま、慣れたもんだな」 誰に聞かせるでもない、独り言だ。 三百年も生きてりゃ、いろんなもんを見送ってきた。主も、仲間も、時代も、町も、国も。隣で笑ってた奴が、次の瞬間にはいなくなることも、珍しくない。 置いていかれる痛みなんて、とっくの昔に擦り切れた——はず、だった。 それでも、胸の奥のどこかが、ときどきうずく。 あの橋の上で、自分のパーカーを引きちぎって少女に被せ、影狼を全部解き放ち、警察とヤクザとをまとめて薙ぎ払った夜。満月の下、少女の背中を、光の方へ押し出した時のこと。 琥珀色の瞳に映っていた、泣きそうで、でも泣かないように噛みしめていた強情な顔。「ナギは、ちゃんと光の下で生きてるかねぇ」 ぽつりと呟き、アクセルを少しだけ開く。 原付は、排気量のわりにはよく走る。中古で買った時にはボロだったが、簡単にバラして全部整備し直した。エンジンもタイヤも、もうしばらくは保つ。 ガソリンメーターは、まだ半分。財布の中身は、千円札が二枚と、くしゃくしゃのレシート、小銭が少し。(仕事探さねえとな) 橋から落ちたあの日から、三ヶ月。二つの町を転々とし、それ
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第2章・第2話:「ふざけんな」と震える声──再び、光か闇かを選ぶ路地裏の岐路

 港の朝は、早い。 まだ東の空がうっすらと白んでいるうちから、トラックのエンジン音が低く唸り始める。フォークリフトが倉庫の間を縫い、コンテナとパレットが行き交う。 カミヤは、指定された倉庫に行くと、無言で軍手を受け取った。「新顔か?」「源さんの紹介だ」「なら大丈夫だろ。荷物はこれだ。壊すなよ」 中型コンテナに積まれているのは、主に食品と雑貨。たまに、妙にやけに頑丈な木箱もあるが、そういうのには指示がない限り触らない。 一つのパレットを四人で運ぶ仕事を、カミヤは一人でこなした。「おい兄ちゃん、それ二人分だぞ」「大丈夫だ」 腰を落とし、膝で持ち上げる。百キロ超の荷重がかかるはずだが、カミヤの筋肉は、さほどの負荷には感じていない。 十階建てのビルから飛び降りても骨一本折れない身体にとっては、これくらいは準備運動だ。「……あいつ、ヤベえだろ」「クレーンかよ……」 ささやき声が、あちこちから聞こえてくる。 仕事の手を抜くわけにはいかない。だが、目立ちすぎてもいけない。そのギリギリの線を探りながら、カミヤは黙々と荷物を運び続けた。 昼休憩には、コンビニのおにぎりを二つと、味噌汁のカップを一つ。 倉庫の外で座っていると、カモメが頭上をかすめて飛んでいく。鳴き声が、遠く、うるさい。「よく食うな、兄ちゃん」 同じ班の中年男が、笑いながら缶コーヒーを差し出してきた。「よく働く男には、よく食わせないとな」「悪いな」 缶を受け取り、一口。砂糖の多い缶コーヒーの甘さが、乾いた喉を滑り落ちる。(こういう、どうってことない時間が、一番人間っぽいのかもしれねえな) ふと、そんなことを思う。 ——夜。 仕事を終えたカミヤは、倉庫の二階の空き部屋に上がった。 畳がところどころ剥がれ、窓のサッシ
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第2章・第3話:「どこに行けばいいのか、わかんない」迷子の蘭と、一晩だけの寝床

 その瞬間、空気が変わった。 蘭が、男の腕を払いのけ、一歩踏み込む。 肩の線が沈み、腰が落ちる。重心が、床に吸い込まれるような綺麗な「構え」だった。(おいおい) カミヤが思わず口の端を上げた次の瞬間、蘭の右足がしなやかな弧を描いた。 ヒールのつま先が、金髪崩れの側頭部を正確に捉える。 乾いた音がした。「——っ」 叫び声を上げる暇もなく、金髪崩れが横に吹き飛ぶ。コンクリートの地面に頭を打ちつけ、そのまま動かなくなった。「なっ……」 残りの二人が、間抜けな声を漏らした。 蘭は、その隙に一瞬だけ深く息を吸い、次の動きを選ぼうとして—— 掴まれた。 後ろから伸びた腕が、彼女の片腕をねじり上げる。もう一人が前から体を押さえ、自由を奪う。「このアマ……!」「調子乗んなよ!」 蘭は、悔しそうに歯を食いしばった。「離しなさい……っ」 足をばたつかせ、膝で相手の股間を狙うように動くが、うまくいかない。男たちの体格差と数の前に、技術が追いつかない。 路地の出口に、黒塗りのワンボックスが停まっているのが見えた。 ドアが半分開き、中から誰かが覗いている。(あそこまで連れてくつもりか) カミヤの尾てい骨あたりが、ひやりとした。(——面倒くせえ) 胸の中で、クロが吠える。『主人』 声が、骨に響く。『見捨てるのか』「黙ってろ」『あの娘の目、さっきのふざけんなの声。お前、好きだろう、ああいうの』「好き嫌いの問題じゃねえ」『じゃあ、なんだ』 橋の上で、ナギが震える声で「助けて」と言った時のことが、頭の片隅でよぎる。 あの時と、同じ匂いだ。「——チッ」 舌打ちが、路地に響いた。 気がつけば、もう歩き出していた。「お
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第2章・第4話:ベッドも風呂もない寝床で、居場所のないニューハーフが見つけた一夜の避難所

 ——潮の匂いが、鼻の奥を刺していた。「ここ」 男——名前は、まだ聞いていない。私は、彼の後ろ姿だけを見つめながら、使い古された鉄の階段を上がった。 ギシギシと、頼りない音がする。ヒールが階段の隙間にはまらないように、慎重に足を運んだ。「一応言っとくけど」 彼が、鍵を開けながら、ぼそりと言う。「ベッドも風呂もねえぞ。文句言うなら、今のうちに帰れ」「帰る場所がないから、困ってるの」 自分でも、ちょっと意地の悪い言い方だと思った。 でも、口から出てしまった言葉は、戻せない。 男は、鍵を回す手を止めて、振り返った。 フードの影から覗いた眼は、琥珀色だった。街のネオンを映して、金色に揺れている。綺麗だ、と思った瞬間、その目がわずかに細くなる。「……そうか」 それだけ言って、鍵を開けた。 中は、想像以上に「何もなかった」。 六畳くらいの、がらんとした空間。畳はところどころめくれ上がり、壁紙は黄ばんでいる。窓は一つ。そこから、港のライトが見えた。 床の隅に、ダンボールと、薄い毛布が一枚。「ここで寝てるの?」 気づいたら、聞いていた。「他にねえからな」 男は、ジャケットを脱いで壁に掛け、ポケットからタバコとライターを取り出した。 火をつけようとして -一瞬、私の方を見た。 そして、タバコを箱に戻す。「……ごめん」「ううん、いいの。……タバコ、実はちょっと苦手だから。助かるわ」 煙草の煙が苦手だ。店では笑顔で受け流すけれど、肺が痛くなる。 この人は、それを察してやめたのか、それともたまたまなのか。 どちらにせよ、その小さな「やめる」に、少し救われた気がした。「座れ」 男が、ダンボールの向かい
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第2章・第5話:五人まとめて十秒足らず、静かな港の朝に露わになる人ならざる強さ

 朝の光は、倉庫の汚れた窓ガラスを、容赦なく白く曇らせていた。 細長い矩形の光が床に落ち、その端に、丸くなって眠るリオの姿がある。 膝を抱え、壁にもたれて。昨夜あれほど気丈に笑っていた顔が、今は少しだけ緩んでいる。長い睫毛が頬に影を落とし、唇はすこし尖っていた。 子どもみたいだ、とカミヤは思う。 二十歳と言えば、人間の尺度ではもう大人だろう。だが、三百年の時間から見れば、まだ生まれたてに等しい。(面倒なことになった) 胸の中で呟く。 昨日の夜、路地で助けただけなら、まだ切り捨てることもできた。だが、こうして自分の寝床に入れ、一晩一緒に過ごしてしまえば、簡単には「他人です」と言い切れない。「……」 カミヤは静かに立ち上がった。 毛布の端を、リオの肩に少し掛け直す。身体を冷やせば風邪をひく——そういう、人間としてのクセが抜けない。 倉庫の外に出ると、港の一日がもう始まっていた。 トラックのエンジン音が重なり合い、フォークリフトのバックブザーが短く鳴る。カモメがうるさく啼き、潮の匂いが、冷たく鼻腔を抜けていく。 足元で、影がざわりと蠢いた。『主人』 クロの声だ。 荒っぽく、だが芯の通った声が、骨の髄に響く。「なんだ」『昨夜から、こっちを窺う気配がある』 カミヤは、倉庫の角からそっと身を乗り出した。 湾岸道路の向こう側。倉庫群の間に、黒いワンボックスが一台、さりげなく停まっている。フロントガラスは反射で中が見えないが、ボディには昨夜嗅いだのと同じ、嫌な匂いがまとわりついていた。(……昨夜の連れ戻し要員か) ルーフには、うっすらと潮の塩が白く積もっている。だが、タイヤは冷えていない。さっきここに来たばかりだ。「思ったより、足が早えな」『どうする』「どうもしねえ」 即答すると、クロがわずかに唸る。『どうもしねえで済む相手じゃないぞ』
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