綾人は、掌に乗せた白い花のお守りを静かに見つめていた。 もう何年も使い込まれた布は少し色褪せ、それでも丁寧に手入れされてきたことが分かる。 隣には、古びた写真。 幼い少年と少女が並んで笑っている。 綾人はその写真を指先でそっとなぞった。 すると、ゆっくりと遠い記憶が蘇ってくる。 ◇ ――十数年前。 夏の日だった。 蝉の鳴き声が耳いっぱいに響いている。 幼い綾人は、大きな屋敷を抜け出し、一人、公園のベンチに座っていた。 膝の上には分厚い本。花について書いてある本だ。 けれど、一文字も頭に入ってこない。「綾人さま」「姿勢を正してください」「神宮寺の跡取りなのですから」 今日も朝から何度も聞いた言葉だった。 勉強。 稽古。 礼儀。 毎日同じことの繰り返し。 誰も「疲れたか」とは聞かない。 誰も「楽しいか」とは聞かない。 綾人は本を閉じ、小さく息を吐いた。「……つまらない」 ぽつりと漏れた、その時だった。「いたーーっ!」 元気な声が公園中へ響く。 綾人が顔を上げる。 小さな女の子が、こちらへ向かって一生懸命走ってきていた。 肩で揺れる髪。汗で少し赤くなった頬。 そして両手には、小さな白い花。 彼女は、綾人の祖父が講師を務めている華道教室に最近入ったばかりの生徒だった。「はい! 綾人くんにあげる!」 息を切らしながら、その花を綾人へ差し出す。 綾人は丸い瞳を瞬かせた。「……俺に?」「うん!」 少女は満面の笑みで頷く。「元気ないから!」 あまりにも真っ直ぐな答えだった。 綾人は思わず自分の顔へ手を当てる。 そんなことを言われたのは初めてだった。「なんで……そう思った」「だって、綾人くん。ぜーんぜん笑ってないもん!」 少女は首を傾げながら笑う。 その一言に、綾人は言葉を失った。 屋敷では誰もそんなことを言わない。 笑う必要なんてない。 そう思って生きてきた。「だからね、これ、あげる。本当は綾人くんも、お花大好きなんだもんね」 少女は白い花を綾人の手へ乗せた。「お花見ると元気になるよね」 そう言って、にこっと笑った。 太陽みたいな笑顔だった。 綾人は掌の花を見る。 小さくて、白くて。 風に揺れるその花を見ていると、不思議と胸の奥の重たさが少しだけ軽くなる気が
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