白石澪は、二十六年間の人生の中で、自分が『誰かに選ばれる人間』だと思ったことがない。「ごめんね、お姉ちゃん。私、ほんとダメでぇ……」 ソファに座った妹の美羽が、困ったように眉を下げる。 ふわふわに巻いたグレージュの髪。淡いピンクのネイル。思わず守ってあげたくなるような可愛らしい顔。「バイト先でも失敗ばっかりで……」「ううん。気にしないで。それよりも、美羽は早く休んで? 体に障るわ」 澪は笑った。美羽の代わりにノートパソコンの前に座って、大学の課題のレポートに向き合う。 澪が働く花屋は、比較的穏やかな客が多い、しかし今日は珍しくクレーム対応をして、頭も心も疲れ切っていた。 それでも、疲れたなんて言えない。 美羽は昔から身体が弱かったから。「ありがとう、お姉ちゃん。おやすみなさい」「おやすみ、美羽」 澪の部屋を出ていく美羽の背中を見送って、ドアが閉まったのを確認してから小さく息を吐き出す。澪ひとりきりになった静かな部屋に、静かにキーボードを叩く音と、参考資料をめくる紙が擦れる音だけが響いた。 父が亡くなってから、白石家はずっと苦しかった。だから澪は、高校を卒業してすぐ働いた。(そういえば、明日、家賃払っておいてってお母さんに言われていたんだった……忘れないようにしないと) 大学に進学した妹の美羽の学費も、家賃も、生活費も。全部澪が払ってきた。 ――お姉ちゃんだから。 その役割と言葉だけで。 翌朝、寝不足の目を瞬かせながら朝食を作っていると、母から声をかけられ澪は、いつも通り笑顔を作って顔を上げた。「澪、拓真さん、今夜来るんでしょ?」 母の声に、澪は小さく頷く。「うん。夕飯、一緒に食べるって」「あらぁ、よかったじゃない」 そう言いながらも、母が嬉しそうに見ているのは澪ではなく美羽だった。澪の婚約者である七瀬拓真は、昔から美羽を可愛がっていた。 妹だから。 家族だから。 そう思っていた。 ――今日までは。 ◇『ごめん、澪。仕事長引いて、今日は無理かも』 仕事終わり。スマートフォンに届いていたメッセージに、澪は小さく息を吐いた。 今日は交際記念日だった。 小さなケーキも買った。拓真の好きな煮込みハンバーグも作った。デパートで少し奮発して買っ
Last Updated : 2026-05-30 Read more