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捨てられ料理人は諦めない のすべてのチャプター: チャプター 121 - チャプター 130

168 チャプター

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 別の耐熱カップには、オレンジ色に輝くオマール海老のビスクスープが注がれる。 湯気とともに立ち昇る香りが、厨房のスタッフたちの胃袋まで刺激した。「よし。これで最後よ」 春菜が弁当箱のふたを閉めて、専用の紙帯を巻き付ける。 その頃になると、時計の針は午後5時を回っていた。 調理台の上には、予定していた数十個の特製弁当が山のように積まれている。「間に合ったわね、お疲れ様。さあ後はこれをしっかり売り切らないと」 春菜は額の汗をタオルで拭い、小さく息を吐き出した。 外からは、すでに人々のざわめきが聞こえていた。 ◇◇  夏の夕暮れ時は西日がビルの谷間から差し込み、アスファルトに長い影を落としている。 ハルナズ・キッチンの店舗前には、すでに50人近い行列ができていた。 スーツ姿のサラリーマンや、オフィスカジュアルの女性たち。皆、一様に期待に満ちた顔で店舗の入り口を見つめていた。 春菜と佐藤がガラスのドアを開けて、販売用のテーブルを外に持ち出した。「お待たせいたしました! 特製スペシャル弁当の販売を開始します!」 佐藤が声を張り上げると、待っていた客たちから「わあっ!」と歓声のような声が上がった。 先頭に並んでいた、白髪交じりのサラリーマンが進み出る。「SNSの投稿を見て、会社から走ってきたんだ。完売しないかヒヤヒヤしたよ」「ありがとうございます。おいくつにいたしましょうか」「3つ頼む。実は妻と娘が、この店にずっと行きたがっていてね。いつも予約いっぱいで取れなくて、残念がっていた。今日の夕飯にこれを出したら、絶対に喜ぶだろうな」 男性の顔には、家族の笑顔を思い浮かべているような温かい表情が浮かんでいた。 春菜も笑顔を返した。「そう言っていただけて光栄です。お肉のタレがご飯に染みて、冷めても美味しく召し上がれますよ。スープは温め直してどうぞ」「ありがとう。帰るのが楽しみだ」
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「2つお願い。彼氏へのサプライズにするんです」「5つください。部署の残業組でシェアします。匂いだけでお腹が鳴りそうですよ。これで残りの仕事も頑張れる」 客の多くは自分1人だけでなく、家族や同僚への手土産として複数個の弁当を購入していく。 高級フレンチ級の食材を使った弁当が驚くほど手頃な価格設定になっているため、誰もまとめ買いをためらう様子はない。 春菜は次々と弁当を袋に詰めて、笑顔で手渡していった。(みんな、なんていい笑顔なのかしら。お弁当1つで、こんなに喜んでもらえるなんて) 客の笑顔を見るたびに、春菜の胸の奥に温かいものが広がった。 食材を無駄にせずに済んだだけではない。 この料理で、多くの人々の日常に小さな幸せを届けることができている。(予約を大量にキャンセルされた時はどうなることかと思ったけど。でも……) 結果として、より多くの人にハルナズ・キッチンの味を知ってもらう機会になったのだ。 やがて、テーブルの上に積み上げられていた最後の弁当が売れた。「ありがとうございました! 本日の特製弁当は完売いたしました!」 佐藤が大きな声で告げると、まだ列の後方に並んでいた数人の客から「えーっ」という残念そうな声が漏れた。 ただし事前に『数量限定』と告知していたので、大きな不満は出ていない。「まあ、あんなにお買い得な弁当だもんね。仕方ないか」 そんな声が上がっている。「申し訳ありません。またの機会をお待ちしております。店舗の予約も随時受け付けておりますので、ぜひいらしてください」 春菜は深く頭を下げた。 列が解消し、夕暮れの通りに元の静けさが戻ってくる。 店舗のドアに『完売御礼』『ディナーは本日、臨時休業。予約のお客様はお声がけをどうぞ』と書かれた札を掛け、春菜と佐藤は店内へと戻った。 ◇◇  厨房に戻ると、木崎と田中が調理器具の洗浄を終えよ
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 店内の空気はトラブルを乗り越えた連帯感と、やり遂げた達成感に満ちていた。 春菜もエプロンの紐を解いて、深い息を吐き出した。「みんな、本当にありがとう。急なメニュー変更だったのに、完璧に対応してくれたわ。おかげで最高のお弁当が出せたわ」 と、その時だった。 店舗のガラスドアが勢いよく開かれた。 カランカランというドアベルの音が響き、革靴の足音がフロアに踏み込んでくる。「春菜さん!」 切羽詰まった低い声が店内に響いた。 現れたのは、ネイビーのスーツを着た御堂礼司だった。 いつもは完璧に整えられている髪が少し乱れており、ネクタイも緩んでいる。 彼の顔には、明らかな焦燥感が浮かんでいた。(御堂社長? 今日は地方の支社で出張会議だって聞いていたけれど) 春菜は目を瞬かせて、彼の方へ歩み寄った。「社長。どうされたんですか、そんなに急いで」 礼司は春菜の姿を確認すると、肩で大きく息をした。「出張先で会議が長引いてな。ようやく終わってシステムを確認したら、30人分のノーショウ(キャンセル)の履歴があった。通知に気づくのが遅れてしまった」 礼司の目が、周囲の状況を探るようにフロアと厨房を素早く動く。「食材のロスはどうなった。店は大丈夫なのか。なぜ私に連絡をしない……」 問い詰めるような口調で言いかけた礼司は、ハッと口を閉ざした。 彼の目に映ったのは、悲壮感の欠片もない店内の空気だった。 調理台の上は綺麗に片付けられ、スタッフたちはリラックスした様子で談笑している。 ドアには『完売御礼』の札が掛かっている。 礼司は呆気に取られたように言葉を失った。「……これは、どういう状況だ」 春菜は佐藤からタブレット端末を受け取り、礼司の前に差し出した。 画面にはSNSの告知と、先ほどの売上データが表示されている。「ご心配をおかけしました。キャンセルされた
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「普通であれば、あれだけの大口キャンセルを食らえば、絶望してしまうところだろうに。それを、わずかな時間で利益に変えてしまうとは」 礼司の視線が、春菜の顔をじっと捉える。 整った美貌に見つめられて、春菜はついどぎまぎとした。 やがて礼司はふと微笑むと、口を開いた。「……君を尊敬するよ」 その言葉には、普段の彼からは想像できないほどの素直な感嘆が込められていた。 春菜は少し照れくさくなり、タブレットを胸に抱えた。「このくらい、どうということはありませんよ。何よりも食材がもったいないじゃないですか」 春菜は厨房の方を振り返った。「生産者の方々が手間暇かけて育てた食材を、悪意のせいでロスするなんて絶対に嫌でしたから。それに」 春菜は再び礼司に向き直り、自然な笑みを浮かべた。「お弁当を買ってくれたお客さんたちが、みんなすごくいい笑顔だったんです。家族の夕飯にするんだって、嬉しそうに帰っていく姿を見たら、疲れなんて吹き飛びました。食材をしっかり活かすのと、お店に来てくれたお客さんを笑顔にするのが、私にとって一番大事なんです」 春菜が事もなげに言うと、礼司は言葉を失ったように彼女を見つめた。 店内の間接照明が、彼の端正な顔に柔らかな影を落としている。 その瞳の奥には、単なるビジネスパートナーに対する評価を超えた、何か熱を帯びた感情が揺らいでいるように見えた。(綺麗な目……。そんなに見つめられたら、私まで変に意識してしまいそう。私はただ、社長の出資を受けているだけの身なのに。新AIの検証のために、店を運営しているだけなのに。勘違いをしては駄目) 春菜は居心地の悪さを誤魔化すように、少しだけ視線を外した。 彼女の心の奥にあるのは、婚約者だった翔太に捨てられたあの日の光景だ。 愛し合い、信頼していたはずの人に裏切られた。 それが春菜の心に大きな傷跡を残している。 傷は時折、思い出したように痛んでいる……
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124:逆探知

 御堂ホールディングス本社のシステム管理室は、サーバーラックの冷却ファンの低い唸り声に満たされていた。 空調の効いた室内は少々肌寒く、奥に置かれたコーヒーメーカーからは深くローストされた豆の香りが漂っている。 時刻は午前9時。 朝一番の業務開始時間前から、既に作業は始まっていた。 礼司は腕を組み、システムエンジニアの背後からモニターの画面を見下ろしていた。 モニターの青白い光が、彼の端正な顔に鋭い影を落としている。「社長、解析が終わりました」 エンジニアのリーダー格である男性が、キーボードを叩く手を止めて振り返った。「報告を」「昨日のハルナズ・キッチンにおける大量キャンセルの件です。該当の予約フォームへのアクセスログを抽出し、経路を追跡しました」「送信元は割れたか」「はい。30人分の架空予約に使用されたIPアドレスは、全部で3件です。そのうちの2件は、店舗から数駅離れた場所にあるインターネットカフェを経由しています。フリーのプロキシサーバーを通していますが、足跡は辿れました」 エンジニアは画面のウィンドウを切り替えて、数字の羅列を示した。「残りの1件は?」「こちらです。プロキシを通さず、ダイレクトに固定IPからアクセスされています。プロバイダの情報を照会した結果、このIPアドレスはフレンチレストラン『一ノ瀬』のスタッフルームに設置されたルーターのものと完全に一致しました」「そうか……」 礼司は眉根を寄せた。 民間企業である以上、御堂ホールディングスとしては、ネットカフェに対して捜査や個人データの提出を要求することはできない。 警察が動かなければ、ネットカフェのパソコンを誰が操作したかまで特定するのは困難だ。 春菜の店は悪質な当日キャンセルの被害を受けている。 開示請求を行えば通る可能性は高い。 ただし開示請求の手続きは複雑で、時間がかかってしまう。 警察に被害届を出し、捜査を待つのも同様だ。 この件
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「使用されたフリーメールのアドレスが、すべて同じ英単語の末尾の数字を連番で変えただけのものです。自動化スクリプトを組む知恵もなく、手作業で1件ずつフォームに入力して送信したと思われます」「それはまた、ずいぶんとお粗末なことだ」 礼司は唇の端を歪めた。『一ノ瀬』からのアクセスログが一件でも残っていれば、法的に追及する材料としては十分すぎる。(春菜の元いた店のシェフの仕業か。元婚約者の……) 礼司は忌々しい事実を前に、不快感を露わにして舌打ちをした。 レストランの厨房で腕を磨くべき人間が、どこまでも短絡的でつまらない妨害工作をしてきた。 同じ料理人でも春菜はあんなにも誇り高いというのに。 強い怒りを覚える。「法務部へ連絡を回せ」 礼司は冷たい声で指示を出した。「偽計業務妨害での被害届の作成と、民事での損害賠償請求の手続きにすぐに入れ。一切の容赦は必要ない。徹底的に追い詰めろ」「承知いたしました」 エンジニアが素早く内線電話の受話器を取る。 礼司は踵を返し、システム管理室を後にした。春菜にこの事実を伝えなければならない。 ◇◇ 同日、午前十時半。ハルナズ・キッチンの厨房は、ランチ営業に向けた熱気で満たされている。 換気扇が低く唸る中、春菜はまな板に向かっていた。 玉ねぎを薄切りにする包丁の音が、トントントンとリズミカルに響いている。「春菜さん、和牛の端肉のロースト、いい色になりました」 コンロの前に立つ木崎が、大型のフライパンを揺すっている。 肉の焼ける香ばしい匂いが、厨房の空気を支配していた。「ありがとう。赤ワインを回し入れて、アルコールを飛ばしてから寸胴鍋に移して。ブイヨンのベースにするから」「了解です」 田中はシンクで大量のレタスやトマトを洗い、水気を切っている。 夏の熱気が籠る中、冷たい水が跳ねる音が涼しげだ
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「他の予約もネットカフェを経由しているが、手口の稚拙さから同一犯で間違いない。すでに御堂ホールディングスの法務部を動かしている。偽計業務妨害での被害届の提出と、民事での損害賠償請求の手続きを進めているところだ」 礼司の目は、相手を逃がさないという強い意志に満ちていた。 春菜はまな板の上の玉ねぎに視線を戻し、再び包丁を握り直した。「法的な対応はすべてお任せします。私は今日のランチの仕込みに集中しますので」 春菜は包丁を動かし始めた。 淡々とした手元に見えて、微かな震えがあるのを礼司は見逃さなかった。「とはいえ、君の元婚約者だ。もし君が望むのなら、穏便に示談で済ませてもいいと考えている」「…………」 春菜はさらに無言で包丁を動かし、ふと手を止めた。(私はどうしたいのだろう。翔太と梨沙を許してやるべき? 最近の彼らは、ひどく落ちぶれたと噂になっている。自業自得の罰はもう受けたのかも……) そう自分自身に問いかけた途端、意外なほどの強い思いが心に湧き上がった。(……いいえ!) 先ほどまでの呆れを吹き飛ばすような、強い怒りと悔しさだった。 婚約を一方的に破棄されて、店を追い出されたこと。 騙すようなグレーな契約書を作って、春菜に借金をかぶせたこと。 店のお金を横領したなどと、根拠のない悪評をばらまかれたこと。 どれもただ許すことはできそうにない。(今までの私はやられてばかりだった。けど、御堂社長が力になってくれるなら、やり返せる!) 春菜は礼司を正面から見据える。「いいえ、御堂社長。翔太と、彼と組んでいる九条不動産の梨沙には、正当な報いを受けさせてください。彼らはあまりに勝手をしすぎた。行いの責任を取るべきです」 春菜が望むのはあくまで『正当な報い』だ。 翔太と梨沙のような卑劣な手口ではない。 ただ、自分たちのやったことの責任を取って
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「ええ、平気よ。さあ、仕込みを急ぎましょう。今日のランチも予約でいっぱいなんだから」 思う所はたくさんある。 けれど、少なくとも今ここで口に出して言うことではない。 春菜はフライパンをコンロに置き、オリーブオイルを引いた。 にんにくのみじん切りを投入すると、食欲をそそる香りが一気に立ち昇った。 ◇◇  それから数日が経過した。 午後4時、ディナー営業前のスタッフルームは、昼営業の疲労感とコーヒーの香りが入り混じった独特の空気で満たされていた。 パイプ椅子に腰掛けた春菜は、お気に入りのマグカップでブラックコーヒーを飲んでいた。 強い苦味が、立ちっぱなしだった足腰の疲れをわずかに和らげてくれる。 今日のまかないは、余った野菜をじっくり煮込んだミネストローネと、バゲットだ。 旬の野菜で作ったミネストローネは甘く、少し濃いめの味付けが汗を流した体に染み渡るようだ。 そこへ、ホール担当の佐藤がスマートフォンの画面を見つめながら、スタッフルームのドアを開けて入ってきた。「春菜さん! これ、見てください!」 佐藤はスマホを春菜の顔の前に突き出した。 画面には地元のグルメ情報を扱う掲示板と、SNSの投稿が表示されている。「どうしたの、佐藤くん」「『一ノ瀬』が、今日付けで休業の貼り紙を出したそうです。同業者の間でちょっとした騒ぎになってますよ」 春菜が画面を覗き込むと、そこにはシャッターが半分下ろされた『一ノ瀬』の店舗画像があった。 ガラス戸には手書きで「都合により休業いたします」と書かれた紙が雑に貼られている。 木崎と田中も、自分のスマートフォンを取り出して情報を追い始めた。「僕が知り合いのギャルソンから聞いた話なんですけど」 佐藤が声を潜め、周囲を窺うように言う。「警察の事情聴取が入ったのと、御堂ホールディングスから内容証明郵便が届いたことで、翔太シェフがパニックになったらしい
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 佐藤の報告を聞き終えて、田中がパイプ椅子の背もたれに寄りかかった。「自業自得ですね。自分の料理に向き合わず、他人の足ばかり引っ張っているからそうなるんです」 春菜は、スマホの画面に映る『一ノ瀬』の休業の貼り紙をじっと見つめた。 かつて自分がメニューを考え、徹夜で仕込みをした場所。 人生のすべてを懸けるつもりだった店。 マグカップの温かさを手のひらで確かめながら、春菜は息を吐いた。(昔の翔太は、本気で夢を追っていた。料理を追求し続けて、店を大きくする夢を。お客様に満足してもらえる料理、素敵な時間を過ごしてもらうための店。私はそんな彼の情熱を好きになったんだった……) 過去に変わった思い出は、それでもまだ苦い味を春菜の胸に広げてくる。(裏切れられたショックは、まだ忘れられない。よりにもよって親友だった梨沙と組んで、私を追い落とそうとするなんて。今でも心のどこかで、悪い夢だったんじゃないかと思ってる) だが、一連の出来事は事実だ。 春菜は何度もそれを思い知らされている。 もう翔太への情は残っていない。 梨沙の本性もよく分かった。 何より春菜は、自分自身の手で運命を切り開く強さを持っている。 しかも今の彼女には、御堂礼司という誰よりも頼れるパートナーがいるのだ。 礼司は宣言通り、翔太と梨沙に対して正当な報いを与えてくれた。 春菜一人ではできなかったことだ。 その事実は、過去を引きずっていた春菜の心に光を差し入れてくれた。 であれば春菜も、精一杯の料理の仕事で応えるべきだろう。(ありがとう、御堂社長。私、これでようやく本当に、前を向けそうです) 春菜は目を上げた。 視界に入るのは、彼女自身の店。 礼司が用意してくれて、春菜が育て上げた大事な大事な店だった。 春菜の心にあるのは、既に過去ではなく未来。『ハルナズ・キッチン』をもっと大きくして、たくさんのお客様を笑顔にする夢がある。
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「ここのハンバーグ、肉汁がすごいな。ほら見てくれ、切った途端にあふれてきたぞ」 窓際のテーブルに座るスーツ姿の男性が、目を丸くして同僚に語りかけている。「先週のお弁当も美味しかったけど、やっぱりお店で出来立てを食べると格別ね」 中央のテーブルでは、子供連れの女性が笑顔でサラダを口に運んでいる。「すっごい美味しい! こんなに美味しいオムライス、初めて食べた」 子供たちはお子様ランチのオムライスに夢中だ。「このオマール海老のパスタ、ソースが濃厚でパンが進むわ。それでこのお手頃値段なんだもの、すごいの一言。……すみません、このバゲット、おかわりできますか?」「はい、ただいまお持ちしますね!」 佐藤がトレイを片手に、フロアを忙しく駆け回っている。 厨房では、フライパンがコンロと擦れる音や肉の焼ける匂いが充満している。「テーブル4、和牛ハンバーグ2つ、オマール海老のトマトクリームパスタ1つ!」「ハンバーグ、あがります!」 春菜、木崎、田中の3人は、流れるような連携で次々とオーダーをこなしていく。 木崎がパスタを茹でる。お湯が沸騰する音、パスタを投入する音が響く。 田中がサラダを盛り付ける。レタスのシャキシャキとした感触、ドレッシングの酸味のある香りが広がる。 春菜はハンバーグを熱した鉄板に乗せて、特製のデミグラスソースをたっぷりとかけた。ソースが弾け、芳醇な香りが一気に立ち昇った。 ◇◇  午後3時、ランチ営業を終えて最後の客を見送った後のことだ。 スタッフたちがフロアの掃除を始める中、春菜は厨房のステンレス台をアルコールで拭き上げていた。 すると店にやって来ていた礼司が、カウンター越しに春菜へ声をかけた。「先週の弁当販売が、予想以上の広告効果を生んだようだ。新規の予約数が跳ね上がっている。来月からの事業計画を上方修正し、食材の仕入れルートも見直す必要がある」
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