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捨てられ料理人は諦めない のすべてのチャプター: チャプター 131 - チャプター 140

168 チャプター

130:帝王の怒り

 時は少しさかのぼる。 ある日の午後2時。御堂礼司がフレンチレストラン『一ノ瀬』の重い木製ドアを開けると、真鍮のドアベルが間延びした音を立てた。 ランチタイムの営業が終わったばかりだというのに、店内に客の気配はない。 それどころか、フロアには酸化した油と古い布巾のすえた匂いが滞留していた。(高級店を名乗るなら、最低限の清掃と換気くらいは徹底すべきだな。床のワックスも剥げかけている) 礼司は革靴の底が床を擦る感覚に不快感を覚えながら、内心で辛辣な皮肉を吐いた。 隣を歩く御堂ホールディングスの顧問弁護士が、黒いレザーの書類鞄を持ち直す。金属の留め具がカチャリと鳴った。 無人のフロアを抜け、厨房の入り口に立つ。「誰かいるか」 声に反応して奥から姿を現したのは、シェフコートの胸元をだらしなく開けた翔太と、派手なジェルネイルを施した梨沙だった。「誰だ、あんたたち。今はもう準備中だぞ」 翔太が不審げに声を荒げる。 しかしその直後、隣にいた梨沙が目を見開いて短く息を吐いた。「あなた……御堂ホールディングスの、御堂社長?」「御堂、だと?」 梨沙は父親の仕事柄、経済界の要人の顔を知っていたのだろう。 彼女の言葉に、翔太の顔が一瞬で強張る。 経済ニュースでしか見たことのない巨大企業のトップが、なぜ自分の店にいるのか。 翔太は礼司と弁護士を交互に見比べて、上ずった声を絞り出した。「み、御堂社長が何の用ですか……。うちには関係ないはずですが」「事後報告に来た。時間は取らせない」 礼司は内ポケットから薄型のタブレット端末を取り出し、画面をタップした。 英数字がびっしりと並んだアクセスログのリストを表示させ、ステンレスの調理台の上に置く。「システムのアクセスログ解析結果だ。ハルナズ・キッチンへの30人分の架空予約。その送信元の一つが、この厨房の奥にあるスタッフルームのルーターと完全に一致した。フ
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「警察と裁判所がその主張を信じるといいがな。偽計業務妨害罪による刑事告訴と、民事での損害賠償請求の手続きはすでに完了している。こちらが受理印の押された控えだ」 弁護士が書類鞄から分厚いファイルを取り出し、束になった書面を2人の前に突きつけた。「な、なんだと……!?」 翔太がひったくるように書面を手に取る。 書かれた文字をなぞる彼の眼球が、上下左右に激しく動いた。「ふざけるな! 損害賠償だと? 春菜の店は、余った食材を弁当にして全部売り切ったんだろうが! そっちに実害なんて1円も出ていないはずだ!」「勘違いをするなよ」 礼司は冷たい声で答えた。室内の温度を数度下げるような声だった。「弁当の売上で食材の廃棄は防いだが、本来提供する予定だったコース料金との差額は発生している。それに加えて、緊急対応に割いたスタッフの超過人件費、機会損失による逸失利益、さらに今回の法的対応に伴う弁護士費用。これらはすべて実損だ。1円の狂いもなく全額を請求する」 弁護士が事務的なトーンで金額を読み上げる。 その額は、300万円だった。「さ、さんびゃくまん……」 翔太の手から書面が滑り落ちる。バサバサと音を立てて、白い紙が油汚れの目立つ床に散らばった。(たかが300万円で、この世の終わりのような顔をするとは。レストランの経営者としては失格だな) 現在の客離れが深刻な『一ノ瀬』の売上では、たとえ300万円でも払いきれる額ではないのだろう。 それに、翔太は春菜に数千万円もの借金を押し付けようとしていた。 その借金は既に翔太に差し戻している。それなのに借金がさらに積み上がってしまった。「せいぜい、誠意ある対応を見せることだ。法廷で会おう」 全ては翔太と梨沙の自業自得だ。 礼司はタブレットを回収し、背を向けた。 これ以上、このみじめな空気の店内に留まる理由はどこにもない。 弁護士と共に店を出る直前、背後の厨房から金属が激しくぶつかる
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(ふざけるな。たかが30人分の予約をキャンセルしただけじゃないか。ちょっとしたイタズラだ。どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ!)「クソッ! クソォォォッ!!」 翔太は近くにあった大型の寸胴鍋を蹴り飛ばした。 鈍い金属音を立てて飛んだ鍋が、業務用の冷蔵庫に激突する。凹んだ鍋の底から、仕込みかけのドミグラスソースが飛び散った。 赤茶色のソースが白いタイルの壁を汚し、焦げたような匂いが充満する。「翔太、落ち着いてよ! みっともない!」 梨沙の金切り声が響くが、翔太の耳には届かない。 彼は調理台の上のバットやボウルを次々と床に叩きつけた。ガシャガシャと金属がぶつかる不快な音が連続する。「俺は天才シェフだぞ! 春菜みたいな女に、俺の才能が潰されてたまるか! あいつらは俺を陥れようとしてるんだ!」 口から唾液を飛ばし、目を血走らせて叫ぶ。 その狂態を、厨房の隅にいたスーシェフと数人のアルバイトたちが、氷のような目で見つめていた。「……やってられないな」 スーシェフがぽつりと呟いた。 彼は腰に巻いていた白いエプロンを無造作に解き、調理台の上に放り投げる。「お疲れ様でした。俺、今日で辞めさせてもらいます」「あ? 何言ってんだお前。明日の仕込みが残ってるだろうが」 翔太が血走った目で睨みつける。 スーシェフは鼻で笑った。「仕込み? 客も来ないのに何を作るんですか。それに、300万円の損害賠償を抱えた店から給料が出るわけないでしょう。泥船と一緒に沈む趣味はありませんよ。ほら、お前らも帰るぞ」「はい」 スーシェフの言葉に促されて、アルバイトたちも一斉にエプロンを外し始めた。 誰も翔太と目を合わせようとしない。 まるで汚物を前にしたような、徹底的な無関心がそこにあった。「待て! 逃げる気か! 俺を1人にするな!」 翔太の怒声は虚しく空を切る。 スタッフたちは足早に勝手口から出て
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 さらに数日後のこと。 九条不動産本社ビル、最上階の社長室にて、父である九条社長と娘の梨沙が向き合っていた。 毛足の長い絨毯が敷き詰められた室内には、高級な葉巻の煙が薄く漂っている。 梨沙は本革のソファに座り、重厚な造りのデスクの向こう側にいる父親の顔色をうかがっていた。(また呼び出されるなんて。まさか、あの件がもうバレたの……?) 梨沙の胸の奥で、冷たい不安が渦を巻いている。 つい先日、翔太と組んで春菜に不当な借金を負わせようとした件で、父親からは烈火のごとく怒られたばかりだ。 その罰として関連プロジェクトの責任者から外され、資金援助も凍結された。 今回、翔太の店からハルナズ・キッチンへ架空予約を送り込んだ件は、あくまで翔太が主導したことになっている。 しかし父親の耳に入ればタダでは済まない。 だから梨沙はこの件をひた隠しにしていたのだが……。「パパ、お話ってなに……?」 梨沙はなるべく殊勝な声を出して尋ねた。 九条社長の顔は険しいままだった。白髪交じりの眉をひそめ、デスクの上の灰皿に葉巻を強く押し付ける。「梨沙。お前、また御堂ホールディングスに喧嘩を売ったそうだな」 低い地鳴りのような声だった。 梨沙の心臓がドクンと跳ねる。「え、なに? 何の話?」「とぼけるな。御堂の法務部から、うちの顧問弁護士に直接連絡が入った。お前が入れ込んでいるあのフレンチレストランから、御堂が投資する店舗へ30人分もの架空予約をしたと。アクセスログという動かぬ証拠付きでな」 九条社長の目が、獲物を狙う鷹のように梨沙を射抜いた。 梨沙は顔色を青ざめさせながら、必死に言い訳を試みる。「わ、私は知らないわ! 翔太が勝手にやったのよ! 私は止めたのに……!」「梨沙……嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ。先日の件で痛い目を見たばかりだとい
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 九条社長はプライベートでは娘に甘い父親だ。 しかしビジネスの線引きとしては、決して妥協しない冷徹な経営者でもあった。 二度も同じ相手に致命的な不祥事を起こしたとなれば、いかに実の娘であろうと庇ってくれるものではない。 梨沙もそれは承知している。だから必死で謝った。翔太や他の人間には見せない、青ざめた表情だった。「パパ、ごめんなさい。もう二度としないから。だから怒らないで……」「謝って済む問題ではない。御堂の怒りを鎮めるために、こちらから誠意を見せる必要がある」 九条社長は冷ややかな目で娘を見下ろした。「レストラン『一ノ瀬』への支援は、先日の件で凍結したままだが、今回はさらに踏み込む。あの店舗の賃貸契約を来月で解除する。お前はあの店から完全に手を引け。これ以上、我が社に損害をもたらすなら、お前への個人的なカードもすべて止める」 梨沙の指先からスッと熱が奪われていく。 エアコンの冷気が直接肌に触れたように、全身に鳥肌が立った。「そ、そんな……。パパ、待ってよ。あの店は私が……」「話は終わりだ。出て行きなさい」 取り付く島もない拒絶だった。 梨沙は唇を噛み締め、立ち上がるしかなかった。 分厚い扉を開けて廊下に出る。 パタンと扉が閉まった瞬間、強すぎるまでの屈辱感が腹の底からマグマのように湧き上がってきた。(なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ! 全部、全部あの春菜のせいじゃない! あいつが大人しく私の前から消えてくれれば、こんなことにはならなかったのに!) ハイヒールの踵を床に強く打ち付けながら、梨沙は足早に廊下を歩く。 その瞳には、かつてないほどの暗く淀んだ怒りが渦巻いていた。(春菜、絶対に許さない……! ちょっと料理ができるからって、調子に乗って。あんたなんか、いつまでも私の足元に這いつくばっていれば良かったのよ。高校の時みたいにね!) 高校時代
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 あの日の春菜は恐縮しながら、でも夢を真っ直ぐに求めて輝いていた。 だから梨沙も悔しさと嫉妬を噛み殺して、明るい口調を演じたのだ。『いいのよ! 私は九条不動産の娘なんだから、大いに相談してちょうだい。親友から頼ってもらって嬉しいわ』 真っ赤な嘘だった。 梨沙は見下していた春菜が成功を掴み、愛する人と共に夢を追う姿を許せなかった。 梨沙自身は大手企業の社長令嬢で、十分すぎるほどに恵まれた立場なのに。  それでも、それだからこそ、旧友が夢に向かって羽ばたく姿をどうしても許せなかった。 ……梨沙自身に追い求める夢はなく、自分で叶えるだけの力がないのを知っていたからかもしれない。 だからこそ夢など持っていないような平凡な相手を友人にして、見下して安心していた。  空っぽな自分を直視したくなくて、嘘で塗り固めていた。(失敗すればいいのに。借金まみれになって、泣いて許しを乞えばいいのに) けれど梨沙の思惑は外れ、レストラン『一ノ瀬』は繁盛した。  ますます輝いていく春菜と、停滞したままの梨沙。 その差を見ていたくなくて、逃げ出そうとした矢先のこと。 ふと、身近に同類がいることに気づいた。 一ノ瀬翔太だった。 最初は春菜と一緒に夢を追っていた彼が、いつしか足を止めるようになっていたのだ。 梨沙にはすぐに分かった。 あれは、誰かの才能に嫉妬する人間の目だ。  自分自身で腕を磨くのではなく、相手を妬むことで自己正当化をする人間の眼差しだ。 だから梨沙は翔太に声をかけた。『ねえ、翔太さん。今の店に不満があるんじゃない? オーナーはあなたなのに、春菜ばかりが出しゃばっているから』 この瞬間から、春菜は2人の共通の敵になった。 敵は追い出さなければならない。  きっちりと叩きのめして、できるだけみじめに追い出してやらなければいけない。  二度と料理人を続けようと思わないように。 こうして裏で手を組んだ彼らは、ま
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『都合により、しばらく休業いたします』 ガラス戸に雑に白い紙が貼られている。 客のいない『一ノ瀬』の店内は、昼間だというのに薄暗く、空気が淀んでいた。 梨沙が厨房に入ると、電源を落とされた大型冷蔵庫が沈黙している。モーターの低い唸りが聞こえない空間は、まるで墓場のような違和感があった。 調理台の脇に、翔太が座り込んでいた。  無精髭を生やし、目の下には濃い隈ができている。シェフコートは汚れ、かつての自信に満ちた姿は見る影もない。(本当に見苦しい男。顔と才能だけが取り柄だったのに、今じゃただの負け犬ね。パパからの援助も打ち切られたし、こんな男、さっさと見捨てるのが大正解よ) 梨沙は冷めた目で翔太を見下ろした。 損切りするなら今だ。数千万円の借金に300万円の借金が上乗せされた男に関わっても、百害あって一利ない。  踵を返して店を出ようとした、その時。 数日前にスマートフォンで見たSNSのタイムラインが、不意に脳裏に蘇った。『ハルナズ・キッチン、今日も大繁盛!』という、楽しげな投稿写真。  そこにはオープンキッチンの奥で、客の称賛を浴びて得意げに笑う春菜の姿があった。 平凡で何の取り柄もなかったはずの女が、御堂礼司という完璧な後ろ盾を得て、今では自分よりも遥かに高い場所に立っている。(……許せない。あいつだけが幸せになるなんて、絶対に許せない!) 胃の奥が焼け付くように熱くなる。 春菜に対する強烈な嫉妬と憎悪が燃え盛る。  加えて、父親から見放され、御堂礼司から受けた屈辱が、梨沙の過剰なプライドを激しく刺激した。(ここで逃げたら、一生春菜の負け犬として生きることになる。それだけは死んでも御免よ) 梨沙はハイブランドのバッグを開けた。 クロコダイルレザーの内ポケットから、1枚の黒い名刺を取り出す。  そこには、金文字で裏社会の金融業者の名前が印字されていた。  父親の管理が及ばない、グレーな資金繰りのルートだった。 高利の融資と、名義貸しに
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137:深まる絆

 ハルナズ・キッチンのランチ営業は、今日も大勢の客で賑わっていた。  窓際の席では、若い女性の2人組が食後のコーヒーを楽しんでいる。「ここのオムライス、本当に卵がふわふわだよね」「うん。ケチャップライスも味がしっかりしてて、すごく美味しい。会社の近くにこういうお店ができてよかったよ」 中央のテーブルでは、スーツ姿の年配男性が満足げに口元をナプキンで拭っていた。「いやあ、このポークチャップは絶品だな。ソースの味が昔懐かしい洋食屋のようで、それでいて安っぽくない」「ええ、部長の言う通りですね。私も次はハンバーグを頼んでみようと思います」 部下らしき男性がメニューのタブレットを操作しながら相槌を打つ。 厨房では、春菜が次々と入るオーダーを処理していた。  フライパンの中でハンバーグが香ばしい音を立て、オーブンからは焼き上がったグラタンの熱気が漏れ出てくる。「木崎くん、テーブル4のオムライスあがったわ。佐藤くんにお願いして」「了解です! 佐藤、テーブル4お願い」「はい、お持ちします」 ホールと厨房の連携は、日を追うごとにスムーズになっていた。 AIシステムが各テーブルの滞在時間を計算し、次にオーダーが入りそうなメニューを予測して厨房のモニターに表示する。  木崎や田中はそれを見て下ごしらえを進めるため、注文が入ってから提供するまでの時間が非常に短く抑えられていた。 午後3時になり、ランチ営業の終了を知らせる札がドアに掛けられた。  最後の客を見送った佐藤が、軽く肩を回しながら厨房に戻ってくる。「お疲れ様でした。今日もよく出ましたね」 佐藤の言葉に、田中が同意する。「ああ、忙しかったな。でも、みんな動きが読めるから、バタバタした感じはしなかったよな」「そうね。みんなのおかげで、本当に助かってるわ」 春菜はエプロンの汚れを拭きながら、スタッフたちに声をかけた。 木崎が冷蔵庫の在庫を確認しながら、ふと思い出したように言った。
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 あの不当な借金は御堂ホールディングスの法務部によって解決された。 翔太たちからの嫌がらせも完全に止まっている。 当日キャンセルの事件は、礼司がしっかりと被害届を出し、賠償金の請求も行ったと聞いた。 ――翔太たちは報いを受けたのだ。 そう思えば、春菜の心の中にあった暗い重荷は消え去っていた。 苛烈な復讐がしたかったわけではない。 ただ、卑怯な手段で春菜を追いやった翔太と梨沙がのうのうとしているのは、さすがに許せなかった。 感情の行き場がなくて、抱え込んでしまっていたのだ。 礼司は翔太の悪事に正当な報復を行った。 それが思った以上に春菜の心を軽くしている。「……もう、私たちには関係のないことよ」 春菜は穏やかな声で言った。「彼らがどうなろうと、私たちは私たちの料理を作るだけ。今の私たちには、このお店と、来てくれるお客様がいるんだから」 春菜の言葉に、木崎たちも深く頷く。「そうですね。俺たちは、春菜さんの下で美味しい料理を作れればそれでいいんです」「明日もたくさんのお客様が来てくれますよ。仕込み、頑張りましょう」 スタッフたちの顔には、強い連帯感が浮かんでいた。 どんなトラブルが起きても、このチームなら乗り越えられる。春菜はそう確信している。 過去のトラウマから完全に解放された春菜の目は、これからの店のことだけを見据えていた。◇◇ 夜10時を過ぎ、ディナー営業を終えたハルナズ・キッチンは静寂に包まれていた。 木崎たちスタッフはすでに退勤済み。店内には春菜だけが残っている。 春菜はホールのテーブル席に座り、タブレット端末で今週の売上データと顧客アンケートを確認していた。 先日のゲリラ弁当販売をきっかけに、店を訪れる客層は大きく広がった。 弁当を食べて味を知った客が、今度は家族や同僚を連れてディナーに来店するケースが非常に多い。 プレオ
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 そんなことを考えていると、エントランスのドアが静かに開いた。「遅くまで残っているな」 落ち着いた声とともに現れたのは、御堂礼司だった。 今日はノーネクタイのシャツにジャケットを羽織った、少しラフなスタイルだ。  彼の手には、見慣れた薄型のタブレット端末が握られている。「御堂社長。お疲れ様です」 春菜は立ち上がって礼司を出迎えた。「こんな時間にどうされたんですか?」「今日の営業データと、AIの解析結果を持ってきた。システムの調整も兼ねてな」 礼司は春菜の向かいの席に腰を下ろした。「座ってくれ。少し話をしよう」 春菜が席に戻ると、礼司はタブレットをテーブルの中央に置いた。  画面には、様々なグラフや数値が表示されている。「結論から言うと、この店の経営は極めて順調だ。特にリピーターの定着率が、我々の事前の予測を大きく上回っている。先日のトラブルを逆手に取ったゲリラ販売が、見事に功を奏した形だな」 礼司の言葉には、確かな評価が含まれていた。「君の機転と、絶対に折れない強さには感服する。あの時、君が諦めて食材を廃棄していたら、今のこの数字はなかった」「私だけの力ではありません。スタッフの協力と、社長の用意してくださったシステムがあったからです」 春菜が謙遜すると、礼司はわずかに目を細めた。「システムはあくまで道具だ。それをどう使うかは、現場の人間次第。君の采配が優れていたという事実には変わりない」 礼司は画面のデータを切り替えた。「リピーターの増加は喜ばしいが、今後の課題も見えてきている。客の来店頻度が上がれば上がるほど、メニューに対する『飽き』のリスクが高まる。何か対策は考えているか?」 春菜は先ほど自分が考えていたことを口にした。「ちょうど私も同じことを考えていました。定番メニューに加えて、週替わりの限定メニューを導入したいと思っています。季節の食材を使った洋食アレンジや、旬のフルーツを使ったデザートなどです」「な
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