時は少しさかのぼる。 ある日の午後2時。御堂礼司がフレンチレストラン『一ノ瀬』の重い木製ドアを開けると、真鍮のドアベルが間延びした音を立てた。 ランチタイムの営業が終わったばかりだというのに、店内に客の気配はない。 それどころか、フロアには酸化した油と古い布巾のすえた匂いが滞留していた。(高級店を名乗るなら、最低限の清掃と換気くらいは徹底すべきだな。床のワックスも剥げかけている) 礼司は革靴の底が床を擦る感覚に不快感を覚えながら、内心で辛辣な皮肉を吐いた。 隣を歩く御堂ホールディングスの顧問弁護士が、黒いレザーの書類鞄を持ち直す。金属の留め具がカチャリと鳴った。 無人のフロアを抜け、厨房の入り口に立つ。「誰かいるか」 声に反応して奥から姿を現したのは、シェフコートの胸元をだらしなく開けた翔太と、派手なジェルネイルを施した梨沙だった。「誰だ、あんたたち。今はもう準備中だぞ」 翔太が不審げに声を荒げる。 しかしその直後、隣にいた梨沙が目を見開いて短く息を吐いた。「あなた……御堂ホールディングスの、御堂社長?」「御堂、だと?」 梨沙は父親の仕事柄、経済界の要人の顔を知っていたのだろう。 彼女の言葉に、翔太の顔が一瞬で強張る。 経済ニュースでしか見たことのない巨大企業のトップが、なぜ自分の店にいるのか。 翔太は礼司と弁護士を交互に見比べて、上ずった声を絞り出した。「み、御堂社長が何の用ですか……。うちには関係ないはずですが」「事後報告に来た。時間は取らせない」 礼司は内ポケットから薄型のタブレット端末を取り出し、画面をタップした。 英数字がびっしりと並んだアクセスログのリストを表示させ、ステンレスの調理台の上に置く。「システムのアクセスログ解析結果だ。ハルナズ・キッチンへの30人分の架空予約。その送信元の一つが、この厨房の奥にあるスタッフルームのルーターと完全に一致した。フ
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