医乃は敷居の向こうで、歩みを止めなかった。止めれば振り向くこととなり、振り向けば、眼を見られることとなる。 背後から、花の笑い声が響いた。 「母上もさように見えまするか。わらわも初めて見し折、誰かに似ておると申しました。骸の脇にて首をまっすぐ立てる眼にございます」 「誰に似ておった」 「……亡き姉上にございます」 「中宮は、未だ姉の思いを捨てぬのう」 皇太后の笑いが、低く続いた。閉まる戸が、その笑いを半ばで断った。 女院御所の塀を出るまで、医乃は後を振り返らなかった。池風が入って却って涼しい広縁であったはずが、小袖の内は、しっとりと湿っていた。 未の刻の茶の席にて、医乃は膏を替える手を止めた。魚市場の路地で開(あ)いた箇所のひと端が、糸の結び目の間からなお新しい血を出していた。 「糸を抜く日が、3日は遅うなりました」 「路地に参った値じゃ」 「どなたが、ついて参れと申し上げました」 煌仁が茶碗を取り上げては下ろした。 「ひとりで参るなと申したのじゃ。朕を伴わず参るな、とは申さなんだ。此度より、さよう改めて伝えよう」 返事もせず、巻き直す無名の最後の結び目を、わざと固く締めると、頭上で呻き声が洩れた。それでも顔は上げなかった。 「女院御所にて、何を下されたか」 「薬菓を下されましたが、口に入れてはおりませぬ。池には鯉がまたひとつ浮き、石の縁ごとに灰色の澱が乾きついてございました」&
Zuletzt aktualisiert : 2026-11-06 Mehr lesen