Alle Kapitel von 主上、今度はわたくしがあなたを捨てます: Kapitel 41 – Kapitel 44

44 Kapitel

41話. 生きた骸

医乃は敷居の向こうで、歩みを止めなかった。止めれば振り向くこととなり、振り向けば、眼を見られることとなる。 背後から、花の笑い声が響いた。 「母上もさように見えまするか。わらわも初めて見し折、誰かに似ておると申しました。骸の脇にて首をまっすぐ立てる眼にございます」 「誰に似ておった」 「……亡き姉上にございます」 「中宮は、未だ姉の思いを捨てぬのう」 皇太后の笑いが、低く続いた。閉まる戸が、その笑いを半ばで断った。 女院御所の塀を出るまで、医乃は後を振り返らなかった。池風が入って却って涼しい広縁であったはずが、小袖の内は、しっとりと湿っていた。 未の刻の茶の席にて、医乃は膏を替える手を止めた。魚市場の路地で開(あ)いた箇所のひと端が、糸の結び目の間からなお新しい血を出していた。 「糸を抜く日が、3日は遅うなりました」 「路地に参った値じゃ」 「どなたが、ついて参れと申し上げました」 煌仁が茶碗を取り上げては下ろした。 「ひとりで参るなと申したのじゃ。朕を伴わず参るな、とは申さなんだ。此度より、さよう改めて伝えよう」 返事もせず、巻き直す無名の最後の結び目を、わざと固く締めると、頭上で呻き声が洩れた。それでも顔は上げなかった。 「女院御所にて、何を下されたか」 「薬菓を下されましたが、口に入れてはおりませぬ。池には鯉がまたひとつ浮き、石の縁ごとに灰色の澱が乾きついてございました」&
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-11-06
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42話. 死ぬ前に記された死

庭に満ちて平伏した女房たちの間から、悲鳴が破れた。 「め、眼を……!」「骸が眼を開いた!」「物の怪じゃ、物の怪!」 女房ひとりが後ずさって尻餅を突く間も、医乃は小珠の顔より眼を離さなかった。開いた二つの瞳は、何も見ぬまま、虚空に懸かっていた。 女房が鏡を捧げて駆け出てくると、医乃は鏡を受け、小珠の鼻の下に近く寄せた。 庭が、息をひそめた。 磨き上げた銅の鏡の真ん中に、爪ほどの霧が結び、そして消えた。また、結んだ。 「息をしておりまする」 医乃は鏡を持ち上げ、広縁の上へ示した。 「息は未だ、この身を去ってございませぬ」 皇太后が膝の上の手を袖の内に納めた。南原 道玄の口の端に懸かった笑みが、初めて片側だけに残った。 「御厨子所(みずしどころ)へ人を遣わしてくださりませ。甘草と緑豆をひと掴みずつ、水二杯を一杯に濃く煎じまするよう。それと、生温い塩水をひと鉢」 煌仁が首を巡らすこともせずに伏見へ合図をすると、老蔵人は腰を押さえたまま回廊の方へ駆け出した。 濡らした無名で小珠の顔を拭ってやると、白粉(おしろい)の落ちた跡の下から、熱の差したごとき紅(あか)い頬が現れた。 唇を拭うと、無名の端に青き色が移った。蓼藍(たであい)の染料であった。誰かが生きた顔の上に、死者の顔の色を塗り置いていたのである。 開いた口の内の舌は、ひからびて裂け、鼻を近づけると、口の内より甘ったるく生臭い草の匂いが昇った。 「曼陀羅華(まん
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-11-07
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43話. 油紙の唐傘(からかさ)

医乃が口元に耳をさらに近づけてみても、小珠からは息がゆき交うのみで、次の言葉は出なかった。袖口を掴んでいた指がほどけ、瞼がふたたび下りた。 再び取った首筋には、先刻よりも確かに指先を押し上げる脈があった。眠りに落ちたのであった。 顔を上げれば、広縁の上の煌仁が彼女を見ていた。何も問わぬ顔で、ただ彼女の口が開くのを待つ眼であった。医乃はその眼に短く頭を垂れ、薦ごと小珠を担架に移せと言いつけた。 日の落つる頃、女医所の検屍の間の板の上でふたたび眼を開いた小珠に、蓮が温めた重湯を匙で含ませた。戸の外は、堀川が残していった下人がふたり、守っていた。 「夜ごとに灰を運んでおりました」 小珠は夜着の襟を顎の下まで引き上げ、震えていた。 「別堂(べつどう)の裏の焚き口より出る灰を、桶に入れて池の水口(みなくち)に流しておりました。灰より、鉄の生臭が立っておりました。半年ほど経ちましたら、歯茎より血が出て、歯が揺らぎ……」 「水銀、煉丹という言葉は、どこで聞いた」 「別堂の戸の隙より……。灰を運び出せと申された御方が、今宵は煉丹がまだ足らぬ、水銀が未だ澄まぬと、独り言を仰せでした。わたくしは、それが何のことやら知りもせなんだ」 「その御方は、誰じゃ」 小珠の唇が、白く閉ざされた。瞳が戸の方へひとたび彷徨い、そのまま夜着の内へ逃げ込んだ。 それ以上は問わず、医乃は小珠の爪の下より掻き出した灰色の澱を、銭ひとつに擦りつけた。黄なる銅の光が、擦られた箇所だけ、銀のごとく白く照った。 蓮が口を大きく開いた。&
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-11-07
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44話. ゆくな

医乃は額より手を離さぬまま、もう一方の手で傘の柄を握った。彼の手のちょうど上であった。 「何時(いつ)より、熱(ねつ)がおありなさいました」 「知らぬ」 「お知りにならぬのではなく、お申しにならぬのでございます」 柄を彼の方へ押して立て直そうとすれど、柄は微動だにしなかった。 「そなたの懐の鉢が濡れるよりましじゃ」 「鉢は、油紙に包んでございます」 「ならば、そなたが濡れるよりましじゃ」 医乃は柄を離さなかった。彼もまた、離さなかった。終いに唐傘はふたりのちょうど中ほどにまっすぐ立ち、宮の塀に至るまで、ふたりは並んで片の肩ずつ濡れた。 脇門の敷居を越えつつ振り返った彼の横顔の上、雨か汗か知れぬものが、こめかみを伝うて流れた。唇の色が、闇の内にても白かった。  ***  夜明け前より女医所の部屋の戸を叩いた伏見は、烏帽子の紐も結んでおらぬ顔をしていた。 「主上が火の塊にあられまする。典薬(てんやく)を呼ばんとしたれば退けなさり、薬師寮の者は敷居も越えさせるなと仰せられ……。女医のみ参れとの仰せにございます」 寝所の褥(しとね)の上で、煌仁は衾(ふすま)を首まで引き上げたまま、臥していた。昨夜塀の下にて取った額は、その間に、さらに燃え上がっていた。それなのに、彼は衾の内にて肩を縮めて震えていた。 乾いた咳が破(は)ぜて脇を揺らすたび、彼の眉間が、刃にふたたび斬られる者のごとく狭まった。子の刻、雨中に
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-11-07
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