改めて考えると、翻案版の“忠実さ”という語は簡単に使えるけれど、中身を見ると実に複雑だと感じる。僕が追っている例で言えば、原作が描いた
疚しい描写をそのまま画面に置くかどうかは、監督や制作側の倫理観、放送枠、法律や配信プラットフォームの規定に大きく左右される。例えば『ベルセルク』の映像化では、原作の暴力や性的描写の一部が省略・ぼかし・演出変更され、結果として「忠実だけど雰囲気が違う」という評価を受けたことがある。
個人的には、原作の意図や文脈をどう扱うかが肝心だと思っている。単にショッキングな描写を丸写しにすれば忠実とは言えるが、元の意味やキャラクターの心理を損なえば別物になる。制作側が改変を選ぶ理由が明確なら、それは忠実さを放棄したというより別の解釈を提示したという見方もできる。
結局、映像版が原作の疚しい描写を「忠実に再現しているか」は一概に判定できない。再現の度合いだけでなく、描写が作品全体にどう寄与しているかを見ると、より正確な評価ができると感じている。