ふと振り返ると、
デウスエクスマキナへの反応は本当に雑多だと感じる。私は物語の筋道やキャラクターの積み重ねを重視するタイプなので、唐突に現れて全てを片付ける解決には素直に腹が立つことが多い。たとえば『ゲーム・オブ・スローンズ』の終盤で感じた失望は、キャラクターの内的変化や伏線の回収が十分に積み上げられなかった結果だと思う。読者は「作劇としての納得感」を求めるから、そこが欠けると反発が大きくなる。
別の側面では、デウスエクスマキナを受け入れる人も多い。私は時折、作品が伝えたいテーマや感情表現が強ければ、形式的な不自然さを許容することがある。つまり「偶然の救済」が物語全体のメッセージと響き合うなら、それはアートとして成立する。だが重要なのは、その偶然が読者にとって裏切りにならないよう、ある程度の準備や心理的な橋渡しがされているかどうかだ。
最後に、ジャンルや期待値の問題も無視できない。ミステリーで突然の解決が来れば怒る人が多いが、寓話や神話的な作品では超自然的な介入が自然に受け入れられる場合がある。私は作品を見るとき、作者がどのような約束(=ジャンルのルールや伏線)を観客と交わしているかを常に意識する。約束が守られていれば、たとえ奇跡的であっても胸に響くことがあるからだ。