観察していて気づくのは、観客の笑いが自然に出るかどうかで境界がわかるということ。たとえば『銀魂』のパロディは、対象をリスペクトしつつ笑いの角度を変えるから許容される一方で、対象の人格を踏みにじるだけの描写だと不快感が先に立つ。
自分の場合、笑いと感じるのは「距離感」が適切なときだ。笑いの標的が権力や状況、自己自身であれば安心して笑えるが、弱者や個人の痛みを
嘲るようなネタだとどうしても居心地が悪くなる。タイミングやリズムも重要で、オチが早すぎたり説明が長引くと空振りになる。
またユーモアには「共犯関係」が必要だと思う。作り手が観客を巻き込み、同じ視点で笑えるように仕向けると笑いが生まれる。単に下品な要素を並べるだけでは、その共犯関係が成立しないから野暮に感じられる。自分はいつもその共犯の有無を基準に判断している。