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桜餅には関東型と関西型がありますが、長命寺発祥のものは薄いクレープ状の生地が特徴。桜葉の香りが際立つこのスタイルは、江戸前の美意識が反映されています。当時の町人は、花見の宴だけでなく、こうした季節の菓子を通しても桜を楽しんでいたのでしょう。菓子ひとつに江戸の美意識と生活の知恵が詰まっています。
長命寺桜餅の面白いところは、その誕生が完全なるリサイクル精神から始まったことです。隅田川の土手に植えられた桜の葉が大量に落ち、それを何とか活用できないかと考案されたのが始まり。江戸時代の町民文化が生んだアイデアが、300年経った今も受け継がれているのです。
桜葉の塩漬けは防腐効果もあり、当時としては実用的な保存食の側面もありました。甘い餡と塩気のある葉の組み合わせは、当時の人々にとっては斬新な味わいだったに違いありません。
江戸の風情が今に伝わる長命寺の桜餅は、実に1717年に誕生したと言われています。隅田川沿いの長命寺で門前菓子として売り出されたのが始まりで、当時は『道明寺』と呼ばれる餅菓子が主流だった中、桜の葉で包むという発想が新鮮でした。
面白いのは、この桜葉の塩漬けが関東独特の技法だということ。関西の桜餅が道明寺粉を使うのに対し、関東では小麦粉のクレープのような生地が特徴です。季節の移ろいを感じさせるこのお菓子は、今でも春の訪れを告げる風物詩として愛され続けています。
1717年、江戸・向島の長命寺門前で生まれた桜餅は、日本の食文化に
春を告げる風習を加えました。創始者の山本新六は、落ち葉問題を逆転の発想で解決したのです。桜の葉の芳香を活かす塩漬け技法は、和菓子の可能性を大きく広げました。今では全国区の春の味覚となったこのお菓子は、江戸の職人魂が生んだ傑作と言えるでしょう。
桜餅のルーツを辿ると、享保年間の江戸にたどり着きます。長命寺の守り人だった山本新六という人物が、境内に落ちる桜葉の有効活用を考えたのがきっかけ。桜葉を塩漬けにし、餅を包むことで香りを移すという発想は、当時としては画期的でした。
当初は『長命寺餅』と呼ばれていましたが、次第に『桜餅』として全国に広まりました。今では関東と関西で形が異なりますが、どちらも春を感じさせる和菓子として根強い人気があります。