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「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋
「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋
작가: 中岡 始

エレベーターの軽口

작가: 中岡 始
last update 최신 업데이트: 2025-06-25 17:28:32

午前九時十二分、心斎橋の雑居ビル群の中でも一際目立つ高層オフィスビルの自動ドアが音もなく開いた。ガラス張りのエントランスには、雨上がりの湿り気を残した空気がわずかに漂い、床に映る照明の光がどこか濁って見えた。

「おはようさんでーす…て、また俺だけ遅い? ほんますんません、葉山さん睨まんといてぇな」

エレベーターが開いた瞬間、軽やかな関西弁が響いた。河内拓真は、グレーのジャケットを肩に引っかけたまま、ゆったりとした足取りでフロアに現れた。ネイビーのシャツは第一ボタンが外され、わずかに鎖骨が覗く。ネクタイは手に持ったまま、まだ結ぶ気配はない。濡れていない髪と、整った無精ひげ。そのラフさが、かえって洗練されて見えるのは、本人の確信によるものだった。

受付の女性が苦笑いで「またですか」と言うと、河内は右手をひらひらと振って受け流した。

「今日ちょっと、電車混んどってん。信じてや」

「信じられません」

「うわ、そこまで言う? 泣くで、俺」

冗談めかしたやりとりに、横を通りかかった女性社員たちが笑いながら「タクちゃん、おはよー」と声をかけていく。河内はその一人ひとりに名前を添えて軽く手を振った。「おはよう、美紀ちゃん。あ、メイク変えた? 似合ってるわ」と、どこまでも自然に。

けれど、笑っているその口元とは裏腹に、目の奥には温度がなかった。鏡のようにきれいに整えられた笑顔。仕事におけるそれは、武器であり、鎧だった。相手の懐に入りやすくするための愛想と、近づかせないための境界線。その二つを器用に使い分けることは、もはや彼にとって日常の一部だった。

挨拶を終え、社内ゲートを通り抜けるとき、河内はほんの一瞬だけ、無意識に深く息を吐いた。表情は崩さず、声の調子も変えず、それでも身体の内側に微かな重さが沈んでいる。今朝もまた、何かを演じながら一日が始まるのだという自覚が、胸の奥にじわりと広がっていた。

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최신 챕터

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   濡れる前の沈黙

    〈夜色〉の扉を押し、夜の外気が身体を包んだ瞬間、微かに冷たい風が頬を撫でた。雨はもう止んでいたが、湿った空気はまだ街のそこかしこに残っていて、アスファルトに落ちた街灯の光が、水たまりの輪郭をかすかに揺らしていた。河内は無言のまま、背中をまっすぐにして歩き出す。先ほどまであれだけ沈黙を重ねた相手と、今さら何を話す必要があるだろうか。会話の代わりに、歩幅が語る。肩の角度、息の速さ、そして足音。そういう無音のやりとりに、すでにふたりは慣れかけていた。数歩遅れて、小阪が続く。足音は硬質ではなく、しかし確かな輪郭を持って舗道に響く。湿ったコンクリートの上を、靴底が淡く擦る音が重なり、ふたりの距離を埋めていく。街はまだ眠っていない。だが、ここには音がない。コンビニの自動ドアが開く音も、タクシーのタイヤが水を切る音も、このふたりのまわりには届いていないかのようだった。ただ、互いの気配だけが近づいてはまた遠ざかり、呼吸の合間を縫うように交錯していた。ホテル街はすぐそこだった。入り組んだ路地のなかに、いくつもの小さな明かりが点在し、仄暗い光が壁面に滲んでいた。どれも似たような造りで、どこか無機質で、けれど今夜はその匿名性すらも必要に感じられた。信号のない横断歩道の前で、河内は足を止める。すぐ横に、小阪が並んだ。何も言わず、ただ立っている。その肩がほんの少しだけ、河内の肩より低い位置にあることに気づく。風が止み、空気がふたたび静かになる。そのときだった。歩道の端で、ふたりの手がわずかに触れた。指先と指先。ほんの一瞬の出来事。普通なら、誰でも逃げるように手を引くだろう。だが小阪は、逃げなかった。指がそこに留まった。微かに触れたまま、動かない。それが偶然だったのか、あるいは意図だったのかはわからない。だが、河内にははっきりと伝わった。——これは、肯定だと。目を合わせなくてもいい。言葉もいらない。ただこの触れ合いが、すでに充分な合図だった。河内は一度だけ、喉を鳴らすように息を整え、視線を正面に戻す。そのまま、角を曲がっていく。背後から、小阪の足音がついてくる。歩幅は少しだけ河内より短いが、歩調はずれていなかった。小さな水

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   その眼に潜る夜

    グラスの底に残った氷が、静かに形を変えていく音が聞こえた。ピアノの旋律は終わりを迎え、最後の音だけが空気にじんわりと染み込んでいく。店内はさらに静かになっていた。香の匂いが少しだけ強まった気がして、河内は浅く息を吸った。伽羅の深く湿った香りが、胸の奥に染み込んでくるようだった。隣にいる小阪は、何も話さず、何も求めず、ただ静かに座っている。その沈黙が自然すぎて、むしろ河内の中のどこかがざわめいた。目を合わせることはしないのに、存在を確実に意識させる距離。言葉がなくても、こうして横にいることが成立してしまう夜の重みが、じわじわと喉元を締めつけてくる。酒が身体を少しずつ緩めていた。アルコールのせいなのか、それとも沈黙に慣れすぎたせいなのか、思考がゆっくりと溶けていく。グラスを傾けながら、河内は視線だけで小阪の横顔をなぞった。照明に浮かぶその顔は、いつもより淡く見えた。まるで実体がないような、輪郭の曖昧さ。だけどそこに確かに存在する皮膚の温度を、河内の感覚は読み取っていた。睫毛が動く。瞬きをしたのだと気づくのに、少し間があった。目元に揺れるそのまつげの影が、グラスの縁をなぞるように伸びていた。濡れた唇が軽く開いて、閉じる。何かを言いかけたのか、それとも呼吸を調整しただけなのかはわからない。そのどちらにも見えるところが、小阪という男の不透明さであり、同時に惹きつけられてしまう理由でもあった。河内はゆっくりと身体を預けるようにカウンターに寄った。グラスの底を指でなぞりながら、声を落として言う。「……職場の人間に、こういうとこで会うって、妙な気ぃするな」つぶやくような声だった。問いではなかったが、すぐ隣にいる人間が、その言葉を拾うかどうかを意識せずにはいられなかった。小阪はすぐには反応しなかった。視線はまだ前を向いていて、指先だけがグラスを動かしている。けれど、数秒ののち、やや低く、かすれるような声が返ってきた。「……職場やない。今は、ただの夜やろ」その言葉が、河内の内側をすっと撫でた。肯定でも否定でもない。ただ“今”という時間にだけ触れたその声に、河内

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   音のない会話

    静寂が続いていた。互いに背を向けるでもなく、正面を向くでもなく、ただ隣にいる。その奇妙な並び方のまま、ふたりはグラスを手にしていた。照明は控えめで、輪郭よりも影が際立つ。店の奥にかすかに流れるピアノの旋律は、もはや背景の呼吸のように意識の端を撫でるだけだった。河内は氷の溶けかけたウイスキーを少しだけ傾けた。舌に残るアルコールの苦味が、じわじわと輪郭を描いていく。隣からは、わずかにグラスを置く音。その仕草だけで、小阪が酒を飲み干したことがわかった。「……飲むん、早いな」言葉をかけるのに、それほど大きな意味はなかった。ただ音がほしかった。そうでなければ、この沈黙の中で、己の鼓動すら聞こえそうだったから。小阪はすぐには返さなかった。ほんの数秒、グラスの底をじっと見つめるようにしてから、低く答えた。「……疲れてるから」その声は、誰にも聞かれたくない秘密を扱うような静かさだった。言葉の一つひとつが空気に沈み、輪郭を保ったまま広がっていく。河内はグラスを唇に当てたまま、小さく息を吐いた。言葉が返ってきたことに少しだけ安堵し、それ以上の返答を探すのはやめた。沈黙がまた戻る。けれど、もうさっきまでのような鋭さはない。代わりに、重さが残る。何かを測るような、距離を確かめるような時間が、ゆっくりと流れていく。小阪は身体を少しずらし、足を組み替えた。その動きは滑らかで、誰に見せるわけでもないのに、どこか研ぎ澄まされていた。河内は、その膝の角度や指先の落ち着きに、ふと目を奪われた。グラスを持つ指が細く長く、爪は短く整えられている。決して装飾的ではないが、整いすぎているその手元に、妙な色気があった。小阪が再びグラスを持ち上げた。中はもう空だったが、その仕草に迷いはない。唇に触れる動きが静かで、喉を鳴らさないまま、酒が身体に流し込まれる。あまりにも滑らかで、まるで飲むという動作そのものが嘘のようにすら見えた。河内は息を詰めてその様子を見ていた。無言で、人と関わらず、表情も変えずにただ飲む。それが演技でないのなら、これは一種の“技術”なのだろう。人を寄せ

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   知らんふりの距離

    視線を合わせたのは、ほんの一瞬だった。その瞬間に、河内の内側がすっと冷える感覚があった。向こうも気づいたとわかる、だが、小阪はまるで何もなかったかのように顔を背けた。真正面から目を逸らすのではなく、あくまで自然な流れのなかでグラスに視線を戻す。演技ではない。そういうふうに人と関わることを、彼は日常としているのだと、河内は妙に納得してしまう。自分もそれに倣うように、視線をカウンターの奥へ流し、グラスを軽く揺らす。氷がからんと音を立てる。静かな店内には、その音さえもやけに大きく感じられた。「…知り合いなんやろ」低く囁くような声が、カウンター越しから滑り込んできた。香月だった。片方の眉を上げ、口元にだけ笑みを浮かべている。「さあな。似てる人やっただけかもしれん」河内は軽く肩をすくめて返したが、その嘘を見抜かれているのは明白だった。香月の目は、客の仕草ひとつで心の温度を読み取る。ここ〈夜色〉という空間は、そういう場所だった。言葉のない会話が飛び交い、目線や指先が感情を語る場所。「タク、こっち来。今日はあんた、端っこやない方がええと思うわ」香月が言ったときには、すでに隣の椅子を軽く引いていた。その声はあくまで柔らかく、けれど断る余地はなかった。河内が目を動かすと、そこにいたのはやはり、小阪だった。横顔の輪郭が、照明の影に溶け込むように沈んでいる。「……ママ、俺、あいつと…」「なあに。黙って隣に座るくらい、別に誰も死なへんわ」そう言い放ちながら、香月はウイスキーの瓶を拭いていた布でそっと押さえ、カウンターに静かに置いた。河内は一呼吸置いて、仕方なく椅子に腰を下ろした。椅子の脚が床をかすめて軋む音がした。音を立てまいとするほど、音は際立つ。そのわずかな軋みにさえ、小阪の肩が少しだけ動いた。だが顔は動かない。視線も変わらず、グラスの中に留まっていた。ふたりの距離は、身体ひとつ分しかなかった。けれど、その間に流れる空気はずいぶん遠い。話しかけるには微妙に近すぎるし、沈黙を貫くには互いの存在が強すぎる。沈黙が、重く、そして生

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   夜の香りに紛れる

    木曜の夜、心斎橋の裏通りは、雨上がりの湿気とネオンの滲みが混じり合っていた。大通りの喧噪から一本外れただけで、空気が変わる。濡れたアスファルトの匂いに混じって、どこからともなく香の煙が流れてくる。この通りにある〈夜色(やしき)〉は、そんな空気に溶け込むように、ひっそりと佇んでいた。看板もない木製の扉を押すと、鈍い音がして、薄暗い照明の中に一歩足を踏み入れる。外よりもさらに湿度を孕んだ空気が、身体にまとわりつく。天井近くから吊るされた古いランプが、ぼんやりと黄色い光を落とし、空間の輪郭を曖昧にしていた。「……あんた、また疲れた顔して」カウンターの奥から、ゆったりとした声が飛んでくる。香月だった。グラスを拭きながら、河内にだけ向ける独特の笑いを浮かべている。細身の身体にゆるやかな着物。髪は銀に近いブロンドでまとめられ、襟元から覗く喉仏がその性をさりげなく主張していた。「そんなに顔に出てもうてる? まあ、たしかに今日の会議、地味に消耗したわ」河内はジャケットを軽く脱ぎ、カウンターの椅子に腰を下ろした。肩が少し下がっているのは、油断ではなく、素の姿に戻った証だった。「雨、降ってたん?」「さっきまでな。今は上がってる。けど、空気が湿気っぽくてな。なんか、気が抜けるわ」「よう似合うで。あんたの、そういう気の抜け方」香月はそう言って、ウイスキーの瓶を棚から一本抜き、いつもの銘柄であることを聞くまでもなくグラスに注いでくれる。アンバーの液体が、氷に触れて音を立てる。その小さな響きが、店内の静けさを余計に引き立てていた。店内には他に、客がふたりだけ。奥のテーブルに中年の男が一人、カウンターの端に若い子がうつむいてスマートフォンを触っている。どちらも会話はなく、音楽と香だけが空間を満たしていた。ピアノの旋律は終わりかけで、鍵盤を撫でるような残響が、耳の奥にかすかに残る。「……あれ?」ふと、河内は氷の溶ける音に紛れて視線を動かした。店の奥、ちょうど暗がりに沈みかけているテーブル席。そこに座るひとりの人影が、どこか見覚えのあるシルエットをしていた。背筋の伸びた座り方、手首の細さ、グラスの持ち方。無意識に記憶が繋がりかけた瞬間、男が顔を横に向けた。喉が微かに鳴った。ぼんやりと照らされた光のなかで、その男の横顔がはっきりとした。白く整った輪郭、影を落とす睫毛の長さ

  • 「好き」って言えなかったあの夜を、超えて~壊れた心と身体を、少しずつ繋ぎ直す恋   ふたつの背中、すれ違う出口

    会議が終わると同時に、ざわつきが静かに広がり始めた。椅子を引く音、資料をまとめる紙の擦れる音、隣の席同士で交わされる小声の確認事項。午前中いっぱいの集中から解放された空気は、一斉にゆるんでいく。プロジェクトAの進行は概ね順調だった。要点の整理もできたし、修正点も見えた。それぞれが次にやるべき仕事を把握し、淡々と動き出す。河内は誰よりもゆっくりと席を立った。資料を持ち上げながら、ちらりと反対側の席を見たときには、すでに小阪の姿はなかった。彼は最初に立ち上がり、黙って資料だけを抱えて先に会議室を出ていった。背中を向けたその動きに、迷いやためらいはなかった。静かに扉を出たあと、河内も後を追うように部屋を出る。彼の足取りは急ぐでもなく、緩めるでもなく、どこまでも自然体だった。フロアの廊下に出ると、冷たい空調の風が一瞬頬を撫でた。エレベーターホールまで続く無機質な白い廊下の途中、右手には給湯室と自販機のスペースがある。会議明けには何人かが集まる場所だが、今は誰の姿もなかった。河内はそのまま自販機の前に立ち、ボタンを一つ押す。低く唸るような機械音のあと、缶コーヒーが落ちてきた。それを取り出してプルタブを開け、一口飲む。微糖の刺激が舌の奥に広がる感覚が、妙に鈍く感じられた。そのとき、足音が聞こえた。廊下の奥、会議室側とは反対方向から、ゆっくりと歩いてくる足音が一つ。誰かと会話しているわけでもない、靴音だけが床を叩く。河内がその方向へ顔を向けると、視線の先に小阪がいた。モノトーンのシャツにスリムな黒のパンツ。ファッションに主張はないが、その整った身体の線に自然に馴染んでいる。細身の体格が余計な装飾を必要とせず、ただそれだけで存在感を放っていた。無言のまま、真正面から歩いてくるその気配に、河内は少しだけ缶コーヒーを持つ手の力を抜いた。視線が交錯するのは、すれ違う直前だった。小阪は何も言わない。けれど、まっすぐこちらを見た。河内も目を逸らさなかった。互いに何の感情も表さず、言葉を交わすこともなく、ほんの数歩の距離ですれ違っていく。沈黙のなかで、ただ視線だけがふたりのあいだに残された。その一瞬の交差に、何かがあった。目の奥にある温度、無表情の下に隠れた微かなゆらぎ。河内は、缶を唇にあてたまま、無意識にひとつ息を吐いた。お前、ほんまに何も感じてへんのか。問いのような

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