瑛介の母は結局、自分の母に押し切られて、大きな錠前を買って取り付けるしかなかった。普通の人では簡単に開けられないものだ。門が開かれているのを見て、きっと家にいるのだろうと思った。瑛介の母は横のインターホンを押し、二人の孫と一緒に門の前で待った。少し待つと、中から軽い足音が聞こえ、その直後に老婦人の声が響いた。「どなた?」二人の子どもはその声を聞いて興奮し、顔を上げて尋ねた。「おばあちゃん、これって曾おばあちゃんの声?」瑛介の母は笑いながら二人にうなずき、同時に声を張った。「お母さん、私だよ」その馴染みのある声に、中の足音が一瞬止まり、次に響いたときには急ぎ足になっていた。瑛介の母はその音を聞いて、微笑ましく言った。「お母さん、ゆっくりでいい。気をつけて」やがて門が開き、白髪が混じった髪に、上品な部屋着をまとった優雅な老婦人が姿を現した。ひなのと陽平は、弥生に礼儀正しく育てられていたため、瑛介の母が何も言わずとも、顔をそろえて声を上げた。「曾おばあちゃん!」渡部和紀子(わたべ わきこ)は、長い間会っていなかった娘のことをずっと案じていた。だが迷惑をかけたくなくて電話も控えていた。まさか娘が突然訪ねてくるとは思わなかった。胸を弾ませて門を開けると、目に飛び込んできたのは笑顔の娘。そして、その隣で自分を「曾おばあちゃん」と呼ぶ二つの子供がいた。曾おばあちゃん?自分を呼んでいるのか?それとも耳が老いて幻聴でも聞いたのか?声のする方へ視線を落とすと、二人の愛らしい子どもが並んで自分を見上げていた。そして衝撃を受けた。その顔立ちが瑛介にそっくりだった。和紀子は驚きに目を見開き、二人の顔を交互に見つめ、次に娘の顔を見た。瑛介の母は微笑み、眉を少し上げてみせた。その表情はまるで、「ほら、お母さん。曾孫を連れてきましたよ」と言っているかのようだった。「これは......」和紀子は長い間、言葉が出なかった。やっと我に返り、二人の顔に触れようと手を伸ばした。だが、その手は頬に届く前に、左右から小さな手に握られた。柔らかく温かな感触が指先に伝わり、あまりに現実的で、和紀子はしばし呆然とした。「これは瑛介の......」瑛介の母は静かにうなずいた。「そう。同じ年に生まれた双子よ」
車を降りるとき、瑛介の母の足はまだ震えていた。二人の子どもたちは支えようとしたが、背が届かず役に立てず、慌てて彼女の足を押さえながら言った。「おばあちゃん、気分が悪いなら、しばらく車で休んでていいよ。あとで一緒に降りればいいから」瑛介の母は自分の様子を見て、うなずくしかなかった。車内に座って休み、陽平が差し出してくれた飲み物を口にした。甘酸っぱい味が、吐き気を和らげてくれた。飲みながら、彼女は心の中で思った。まさか何年も経ったのに、この道がまだ整備されていないとは。帰ったら瑛介の父に話してみよう。寄付で道が直せるなら、そうしてもいい。「おばあちゃん、少しは楽になった?」瑛介の母は我に返り、笑って答えた。「ええ、もう大丈夫。さあ、行きましょう。この先は車が入れないから、歩いていくわよ」迷惑をかけまいと、ついてきたのは運転手一人だけ。車を降りた後、彼が大きな荷物をえて後ろからついてきた。村の道は狭く曲がりくねっていて、車では不便だった。対向車が来ればすぐに詰まり、後続車も動けなくなる。瑛介の母が初めて来たときは実際にそうした事態に遭ったため、今では村の入口で車を止め、歩いて入ることにしていた。その方がずっと楽なのだ。二人の子どもにとっては初めての場所。好奇心旺盛な年頃でもあり、歩きながらあちこちをきょろきょろ見回していた。道端には村の子どもたちもいて、見知らぬ来客に興味深そうな視線を向けてきた。互いに対照的な光景だった。ひなのは相手の子が着ている花柄のワンピースを見て、自分の洋服と比べるように眺め、顔を上げて瑛介の母に聞いた。「おばあちゃん、ああいうワンピース、私も持ってないんだけど、買ってくれる?」瑛介の母もそちらを見た。ひなのと同じくらいの年頃の女の子が、青い花柄のワンピースを着ていた。布地は少し古びていたが、きれいに洗ってあって、その子が可愛らしいからこそ、服も一層映えていた。周りには数人の子どもがいて、どうやら遊び仲間らしい。瑛介の母は立ち止まり、彼女たちに数粒の飴を分けてから、ひなのに言った。「もちろんよ。ひなのがそのワンピースを気に入ったなら、明日、曾おばあちゃんに一緒に市場へ行ってもらいましょう」ひなのにとって「スーパー」や「デパート」は聞き慣れた言葉だったが、「市場」とい
「行きたいなら、さあ早く起きて歯を磨きなさい。朝ご飯を食べたら、一緒に行くわよ」さっきまで元気がなかったひなのも、このときばかりは勢いよく立ち上がり、小走りで洗面所に向かった。陽平もそれに続いた。洗面所には瑛介の母が用意しておいた歯ブラシとコップが並んでおり、歯ブラシにはすでに歯磨き粉までつけられていた。それを見たひなのが陽平と目を見合わせ、やがて瑛介の母が入ってくると、声をそろえて言った。「おばあちゃん、ママが自分のことは自分でやりなさいって言ってたの。だから歯磨き粉は自分たちでつけるから大丈夫だよ」その言葉に、瑛介の母はふと手を止め、二人の頬を見つめた。孫たちに少しでも良くしてあげたい一心で、つい歯磨き粉まで用意してしまった。長年待ち望んだ、たった二人の孫だからこそ、知らず知らずのうちに甘やかしていたのだ。「そうね......おばあちゃんが間違っていたわ。便利にしてあげたつもりだったけど、ママの言う通り、自分のことは自分でやらなきゃね」「でも今日はおばあちゃんがしてくれたんだから、お礼を言わなきゃ」陽平がすぐに言い直した。「ありがとう、おばあちゃん!」ひなのが元気よく続けた。瑛介の母はこの二人の愛らしさにすっかり心を溶かされてしまった。身支度を整え、朝食を済ませると、瑛介の母は使用人を呼び寄せ、車が用意できているか確認した。必要な荷物もすでに積み込まれていると聞き、二人を連れて家を出た。出発は早かった。屋敷に残された使用人たちは、去っていく車を見送りながら口を開いた。「奥様がいないなら、この一週間は手を抜いてもいいんじゃない?」「そんな馬鹿なこと言うな。ここの給料は破格だぞ。他の場所で何倍も働いても、この半分も稼げないんだから」主人の不在をいいことに怠けようとしていた者も、その一言に頭を冷やされ、余計な考えを抱くのをやめた。車が大通りに出たとき、向かいから黒いワンボックスカーが近づいてきた。すれ違う一瞬、互いに何にも気づくことなく通り過ぎていった。その頃、瑛介の母は車内で用意してきた飴を取り出していた。「今日は田舎に行くから、途中ちょっと揺れるかもしれないわ。飴を舐めれば酔わずに済むでしょう」二人は一つずつ受け取り、瑛介の母は袋をしまった。「おばあちゃん、なんで田舎に
そう思った瑛介の母は立ち上がり、二人の子どもたちの部屋へ向かった。小さな布団を抱きしめてぐっすり眠っている二人を見て、さらには寝相まで変わっている姿に、忙しく心を痛めた一日の疲れも和らぎ、思わず胸が温かくなった。なんて可愛い子たちだろう。弥生は本当にすごい。一度の出産で二人も授かり、しかもこんなに愛らしく育って。しかも彼女は五年間も一人で二人を育ててきた。どれほど大変だっただろう。それでもしっかりと育ててきたのだ。瑛介の母はさらに二人を見つめ、瑛介の顔立ちを思わせる陽平の眉目に気づくと、不意に幼い頃の瑛介を思い出した。似ている。あまりにも似ている。瑛介が小さかった頃、おばあちゃんが彼を抱くのをとても好んで「小さな瑛介は本当に可愛い」と言っていたことを、彼女は今でも覚えている。もし今、おばあちゃんが瑛介と瓜二つの陽平を見たら、きっと同じように愛してくれるだろう。そう考えたとき、瑛介の母は自分が母と長らく会っていないことに気づいた。彼女の両親は一緒に暮らしておらず、しかもこの街にもいない。退職した後は都市の賑やかさを嫌い、田舎に庭付きの家を買い、花や木を植え、隅には野菜や果物も育てて、穏やかで仲睦まじい日々を過ごしていた。瑛介の母は一度訪ねたことがあるが、二人が幸せそうに暮らしているのを見て、それ以上は邪魔をしないようにした。ただ、そのとき両親が瑛介の結婚について尋ね、離婚したと聞いては長く嘆息していた。それ以来、瑛介の母もあまり足を運ばなくなった。今になって、彼女はふと、二人の子どもを連れて田舎へ行こうと思い立った。どうせ両親はすぐには戻らない。二人には学校をしばらく休ませて、一週間ほど遊びに行けばいい。そう決心すると、瑛介の母は一気に元気を取り戻し、荷造りを始めた。翌朝、二人の子どもが目を覚ましたばかりで、まだぼんやりと布団に座っていると、瑛介の母がやってきて着替えを手伝いながら言った。「おばあちゃんが学校にお休みをお願いしておいたから、今日は一緒に出かけるのよ」ひなのはまだ眠そうな目をこすりながらも、“学校を休んで遊びに行ける”と聞いた瞬間、ぱっと目を輝かせて眠気も吹き飛んだ。「おばあちゃん、今日は学校に行かなくていいの?」子どもは誰でも学校をそれほど好きではない。ひな
家に戻る途中で、瑛介の父は妻からの電話を受けた。「どうだった?出てからもう随分経たけど、健司は見つかったの?」その言葉を聞いて、瑛介の父は沈黙した。ふと、車の中で健司が言っていたことを思い出した。「このことを知ったら、奥様に話しますか?」そう尋ねられたのだ。そのときすでに答えに迷いを感じていたが、いざ本当に選択を迫られると、やはり妻には話したくないと思った。重大すぎるのだ。彼女に話せば、すぐにでも顔を曇らせ、思い悩む姿が目に浮かぶだろう。それを想像しただけで胸が痛んだ。瑛介や健司が自分に隠していたのも、きっと同じ理由なのだろう。心の中で深くため息をつき、瑛介の父は妻にも知らせることにした。ただし、すべてを語るのではなく、こう告げた。「ちょっとしたことがあってね、処理しないといけないんだ。この数日......君は体に気をつけて」しかし、妻の勘は鋭かった。「小さなことで数日もかけて対応する必要があるの?何が起きたの?」最後の言葉はすでに焦りを帯びていた。「いいか、落ち着いて聞いてくれ。確かに厄介な件だが、俺が対処できる。処理が済んだら全部話す。いい?」瑛介の母は疑わしげに尋ねた。「いったいどんな件なの?なぜ今は言ってくれないの?」「今は処理に追われていて、経緯を説明している時間がないんだ」この答えには、妻も納得せざるを得なかった。もし本当に急ぎなら、彼が対処を優先して説明に割く暇がないのも理解できる。「分かったわ。じゃあまず処理をして。ただ、ひと段落したら必ず教えて。私にもできることがあるかもしれないでしょ?」「分かったよ、ありがとう。助かるよ」電話を切ると、瑛介の父は長く息を吐いた。ようやく最も難しい関門を切り抜けた。健司も電話を切ったとき、こんな気持ちだったのだろうか、とふと思った。夜は更けていたが、宮崎家の人脈があれば人を動かすのは容易い。車中で彼は次々と電話をかけ始めた。一方、電話を切った瑛介の母も、夫の言葉を思い返しては長い息を漏らした。長年連れ添った夫だからこそ、彼が言わない理由をよく理解していた。ひとつは彼の言葉通り、説明するには話が長く、今は時間がないという点。もうひとつは、事が深刻すぎるため、自分を心配させまいとして口を閉ざしている。
それから一年、また一年と時が過ぎ、弘次は弥生や瑛介のそばに二度と現れなかった。そのため、瑛介の父もほとんど存在を忘れかけていた。少年時代には確かに仲良く遊んでいたが、大人になればそれぞれ進む道があり、抱えねばならないものもある。当然、少年の頃のように無邪気ではいられない。彼は、そうしたものは年を重ねるにつれて自然に消え去ったのだと思っていた。ところが......まさか今になって、こんな事態になるとは。そう思うと、瑛介の父は長いため息をついた。まさかこの件に後日談があったとは。しかもここまで深刻で見苦しい騒ぎになるとは想像もしなかった。思案の末、唇を引き結んで言った。「この件については、僕が説明しよう。お前と弥生が最後に会ったのはどこだ?」健司はその日空港へ行ったことや待ち伏せしていたことを細かく話し、場所を確認した。瑛介の父はおおよその位置を把握すると、決断を下した。健司はその表情を見て、思わず言った。「そういえば、ひとつお伝えしなければならないことがあります」「言ってみろ」「当時、僕たちが彼と取引したとき、霧島さんは『警察に通報しないでほしい』と言っていたんです」瑛介の父は黙り込んだ。「だから社長もその言葉を尊重して、通報せずに解決しようとしたんです。ただ、まさかここまで......」「馬鹿なやつだ」瑛介の父は歯ぎしりした。「あの小娘め!」健司は言葉を継いだ。「ただ......僕にも分かるんです。あの弘次という男は、社長には冷淡な態度を取っていますが、霧島さんにはよくしていました。以前、彼女を助けたことがあるので、霧島さんが同情を抱くのも無理はないと思います」しかし瑛介の父はそうは考えなかった。彼はもともと商人であり、商人にとって利益の次に大切なのは家族だ。いまや、その家族を傷つけられた以上、絶対に許すわけにはいかない。健司がそう言っても、彼は返事をしなかった。その沈黙に気づいた健司は、恐る恐る視線を上げて小声で尋ねた。「宮崎様......やはり警察には届けない方がいいのでは?」「ふん」瑛介の父は冷ややかに睨んだ。「お前たちのように常に周りを気にしていては、物事など何ひとつ成し遂げられん」その言葉に、健司は反論の余地もなかった。何か言いたかったが