ぐらりと、本宮さんが前に倒れそうになる。
僕は、慌てて本宮さんの前に移動して彼を抱きとめた。
「本宮さん、しっかり!」
「……優樹……無事、だったか」
「うん。本宮さんのおかげだよ」
「よかっ……た」
「本宮さん!?」
「ははっ……ちょっと、しくじっちまった……」
そう言って、薄っすらと笑みを浮かべる本宮さん。
けれど、額には汗がにじんでいて、僕を心配させないための強がりだということは明白だった。
どうしてと言おうとして、僕は彼の腹部が赤黒く変色していることに気づいた。もしかしなくても、先ほどの男性に刺されたのだろう。
「止血っ! 止血しなきゃ!」
「ごめん、な……こんな、情けねえとこ……」
と、眉間にしわを寄せて、本宮さんが弱々しくつぶやく。
「そんなことない! 僕を助けてくれたじゃん!」
言いながら、僕は本宮さんをその場に横たわらせて傷口を右手で押さえる。生温かい感触がじわじわと溢(あふ)れてくる。
焦りながら、震える左手でスマホを操作し、救急車を呼んだ。
「もう少しで、救急車来るから!」
必死に声をかける。
本宮さんの返事を待たずに、僕は両親が営む喫茶店に電話をした。この時間なら、必ず店にいるはずだ。
『お電話ありがとうございます。カフェ、ムーンリバーです』
数回の呼び出し音の後、母さんが電話に出た。
「母さん、本宮さんが刺された!」
時間が惜しくて、自分の名前も言わずに要件を言った。
母さんは、電話の相手が僕本人だと確信したようだった。
『何だって!? 救急車は?』
「さっき呼んだ。止血してるけど、血が止まんなくて……」
『場所は?』
「学校の校門前」
『わかった。すぐ行く』
そう言って、母さんが電話を切った。
僕はスマホをポケットにしまって、両手で本宮さんの傷口を強く押さえる。
「本宮さん、しっかりして!」
「ごめんなさい、いきなり泣いちゃって」しばらくして、落ち着きを取り戻した僕は、本宮さんと森脇刑事に謝った。「謝らなくていいよ、それだけ安心したんだろうから。ですよね、本宮さん?」と、森脇刑事が本宮さんに同意を求める。「ええ。それに、謝らなきゃいけないのは、俺の方だしな。ごめんな、心配かけて」と、本宮さんが優しく僕の頭をなでる。久しぶりの感覚に、止まったはずの涙がにじんでくる。僕は、乱暴に涙を拭って、「本当だよ! めっちゃ心配したんだからな!」と、強い口調で言った。本宮さんは、真面目な声音でもう一度謝って頭を下げる。「でも、本当に無事でよかった」そう言って僕が微笑むと、本宮さんも優しい笑顔を見せた。「優樹君、あのことはいいのかい?」状況を見守っていた森脇刑事に言われて、僕は本来の目的を思い出した。「そうだった! 本宮さんを刺した犯人、捕まったよ!」「本当か!? それにしても早いな……」と、本宮さんは目を丸くしている。「優樹君のおかげです。彼の最大限の協力で、容疑者を逮捕できました」と、森脇刑事が告げる。「優樹が……。そうですか、ありがとうございました」本宮さんが森脇刑事にお礼を言うと、「いえ。お礼なら、優樹君に言ってあげてください。今回の功労者ですから」と、森脇刑事が言った。本宮さんはうなずいて、「ありがとな、優樹」と、僕の頭をなでる。それがとてもうれしくて、僕は思わずにやけてしまった。「それはそうと、本宮さん、いつ退院できるの?」本宮さんのぬくもりを感じながら、僕はそうたずねた。「いつになるかな? とりあえず、傷口が塞(ふさ)がって、体力がある程度戻ってからになると思うけど」と、答える本宮さん。彼の焦げ茶色の瞳には、なぜそんなことを聞くのかという疑問が浮かんでいた。「実は、ちょっと計画してることがあってさ。それには、本宮さんの参加が絶対条件なんだよね」僕は、具体的なことは伏せてそう言った。勘のいい本宮さんのことだから、すぐに気づいてしまうだろう。だとしても、それはそれでよかった。多少なりとも楽しみにしてもらっていた方が、僕としてもうれしかったりする。「それは、楽しみだな。じゃあ、退院日が決まったら連絡するよ」「うん! 森脇刑事も来てくださいね!」「え、俺も? いいのかい?」「もちろん! 主
「本条刑事! あの……僕、何でも協力しますんで、犯人捕まえてください! お願いします!」僕はそう言って頭を下げた。「そう言ってもらえるのはうれしいわ。でもね、危険だから一般人を捜査に加えることはできないの。ごめんね」本条刑事がきっぱりと言った。彼女の言葉はもっともだし、僕にできることなんてないのかもしれない。それでも、このままじっとなんてしていられない。「でも……!」と、僕は食い下がった。「君が通う高校周辺の巡回は強化するし、捜査はきちんとします。それと、君の登下校時に部下を護衛につけましょう」だから、ここは引いてほしいと、本条刑事が真面目な声音で言った。ここまで言われてしまっては、引き下がるしかなくて。僕は、渋々ながらもうなずいた。「情報提供、ありがとうございました。それじゃあ、これで」と、本条刑事は伝票を持って立ち上がる。「あ、先輩! 支払いはあたしが!」母さんが慌てて言うと、「ここは私が払うわ。また今度、お茶しましょう」と、本条さんは笑顔で去って行った。「何だか、かっこいい人だね」本条刑事のスマートさに、僕はそうつぶやいた。「そうだね」と、母さんがまぶしそうに目を細めながら言った。きっと、学生時代に彼女に憧れた人は大勢いただろう。たぶん、母さんもその1人なのだと思う。出入口を眺める母さんのまなざしを見て、僕はそう思った。「さてと、あたしたちも帰ろうか」母さんにうながされ、僕はうなずいた。帰宅して夕食を終えた僕は、バッグからブレスレットを取り出す。(どうか、本宮さんの意識が戻りますように)ブレスレットを握りしめて祈った。* * * *翌日。僕が家を出る時間に合わせて、スーツに黒いジャケットを着た男性がやってきた。その男性は、森脇(もりわき)謙吾(けんご)と名乗り、出迎えた僕と母さんに警察手帳を見せる。昨日、本条刑事が言っていた彼女の
ぐらりと、本宮さんが前に倒れそうになる。僕は、慌てて本宮さんの前に移動して彼を抱きとめた。「本宮さん、しっかり!」「……優樹……無事、だったか」「うん。本宮さんのおかげだよ」「よかっ……た」「本宮さん!?」「ははっ……ちょっと、しくじっちまった……」そう言って、薄っすらと笑みを浮かべる本宮さん。けれど、額には汗がにじんでいて、僕を心配させないための強がりだということは明白だった。どうしてと言おうとして、僕は彼の腹部が赤黒く変色していることに気づいた。もしかしなくても、先ほどの男性に刺されたのだろう。「止血っ! 止血しなきゃ!」「ごめん、な……こんな、情けねえとこ……」と、眉間にしわを寄せて、本宮さんが弱々しくつぶやく。「そんなことない! 僕を助けてくれたじゃん!」言いながら、僕は本宮さんをその場に横たわらせて傷口を右手で押さえる。生温かい感触がじわじわと溢(あふ)れてくる。焦りながら、震える左手でスマホを操作し、救急車を呼んだ。「もう少しで、救急車来るから!」必死に声をかける。本宮さんの返事を待たずに、僕は両親が営む喫茶店に電話をした。この時間なら、必ず店にいるはずだ。『お電話ありがとうございます。カフェ、ムーンリバーです』数回の呼び出し音の後、母さんが電話に出た。「母さん、本宮さんが刺された!」時間が惜しくて、自分の名前も言わずに要件を言った。母さんは、電話の相手が僕本人だと確信したようだった。『何だって!? 救急車は?』「さっき呼んだ。止血してるけど、血が止まんなくて……」『場所は?』「学校の校門前」『わかった。すぐ行く』そう言って、母さんが電話を切った。僕はスマホをポケットにしまって、両手で本宮さんの傷口を強く押さえる。「本宮さん、しっかりして!」
「しばらくなんて言わずに、卒業するまで送迎してもらったら?」なんて、母さんが言う。「そんな! 本宮さんに迷惑かかるじゃん!」僕がそう言うと、「それなら、2人が一緒になればいいんじゃないか?」と、父さんが本気とも冗談ともつかないことを口にした。突然のことに、僕は言葉が出ない。それどころか、顔が熱い。まさか、実の父親にそんなことを言われるとは思ってもみなかった。「いいじゃない! そうすれば、2人にもお店手伝ってもらえるし。そうしなさいよ!」母さんが話を飛躍させて喜んでいる。「ちょっと、2人とも! そういう話じゃないって!」と、僕が言っても、たぶん2人の耳には入っていないだろう。それだけ話が盛り上がっていた。僕は小さくため息をついた。でも、話を飛躍させてくれて、正直なところ助かった。僕が深刻に考えすぎないように、気を遣ってくれたのだと思う。「ありがとう」僕は小声でそう言った。話に花が咲いているから、2人に届いているかどうかはわからない。今は、照れくさくてこんな形でしか言えないけれど、いつかはちゃんと伝えようと思った。翌日から、本宮さんの送迎が始まった。車で登校する生徒はほとんどいないから少し恥ずかしいけれど、背に腹は代えられない。教室に行くと、遼が僕の席に駆け寄ってきた。「遼、おはよう」「おはよう。本宮さんの車で来たんだって?」あいさつもそこそこに、遼がそうたずねてくる。遼には、本宮さんの送迎のことは話していない。にもかかわらず、なぜか知っている。どこから情報を仕入れてくるのだろう。「うん。でも、何で知ってるの?」「優樹を見かけた女子が、うわさしてたんだよ。車で登校した人がいるって」「あ、なるほど……」もううわさされているなんて驚きだ。「香川君、ちょっといい?」と、珍しくクラスメイトの女子生徒が、僕の席にやってきた。クラス委員長だ。「委員長、どうしたの?」「登校途中に、貴方の親戚のお兄さんという人から預かったの」と、委員長は真っ白な封筒を僕に差し出した。レターセットでよく見るようなサイズだ。「親戚のお兄さん?」言いながら、僕はそれを受け取る。「どんな感じの人だった?」遼がたずねると、「そうね……けっこう、かっこいい感じのお兄さんだったわ。たぶん、20代くらいじゃないかしら?」それじゃあと言って、委員長は自
「遼君が? どうして、俺の交友関係を……?」わからないと言うように、本宮さんは首をかしげる。「昨日、3人でカラオケ行ったじゃん? で、本宮さんみたいな大人の人が恋人だったらって思ったんだって」「それで、俺に異性の友人がいないか聞いてくれって?」と、察したようにたずねられて、僕はうなずいた。「なるほどな。ったく、まだ焦る必要ねえってのに……まあいいや。女性の知り合い、ねえ? まあ、いるにはいるけど、相手がいる人がほとんどだな」本宮さんは、思い出すように虚空(こくう)を見つめてそう言った。本宮さんの友達や知り合いとなると、だいたい彼と同年代だろう。そうなると、完全にフリーの人は、あまりいないのかもしれない。彼の今の言葉だけしか判断材料がないから何とも言えないけれど、こればかりはしかたがない。遼には、そのまま伝えることにした。「よし! じゃあ、勉強を始めるぞ!」再度、仕事モードに切り替えた本宮さんが、空気を変えるように言った。「はい!」元気よく返事をした僕は、すぐにノート類を準備する。2人だけの勉強会が始まった。* * * *火曜日。いつも通り、何ごともなく授業が進んで昼休みになった。教室には、何人かの生徒が友達と一緒に昼食を楽しんでいる。もちろん、僕も遼とともに弁当を食べていた。「そうそう、昨日、本宮さんに聞いてみたよ」思い出したように僕が言うと、遼は目の色を変えて身を乗りだす。「どうだった?」「友達に女の人はいるけど、ほとんどの人が相手いるってさ」「マジかー」と、遼は残念そうに言ってうなだれる。「そう、気を落としなさんな。単純に、今はそのタイミングじゃないってだけじゃん?」「かもな。しゃーねー、今はバスケ頑張るかー」そう宣言すると、遼は弁当の残りをかき込む。まだ昼休みは終わらないというのに。でも、これが遼なりの決意表明なのかもしれない。「優樹、ありがとな」弁当を食べ終わった遼は、すっきりした顔でそう言った。「いいって。いつも、こっちが相談に乗ってもらってるんだし」お安い御用だと僕が言うと、遼は照れくさそうに笑った。遼との何気ない会話に、僕は心底ホッとしていた。もしかしたら、遼と絶交していたかもしれないのだ。本当に、そんなことにならなくてよかった。その後も、僕たちは他愛もない話に花を咲かせて、昼休みをすごした。
3人でのカラオケと遼の爆弾発言があった翌日。僕は、少し緊張しながら登校した。いつものように遼と話せるのかわからなかったからだ。いつも通りに接したい気持ちはあるけれど、どうしても昨日の遼の言葉がちらついてしまう。それを脳裏から追い出そうと、僕は頭を振った。(本宮さん言ってたじゃん。ちゃんと聞かなきゃ、またもやもやするって)だから、きちんと本人に確かめると決めたのではなかったか。不安と緊張が胸の中に渦巻いている中、僕は教室のドアを開いた。「優樹!」先に登校していた遼が、僕のところにすっ飛んできた。「お、おはよう……」遼のあまりの勢いと少しの気まずさに、僕はそれしか言えなかった。「優樹! 昨日はごめん!」あいさつもそこそこに、遼は深々と頭を下げる。突然のことに、周囲にいたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。その状況に、僕は息をのむ。もともと、自分が注目されることに慣れていないということもあるけれど、その場にいた全員が僕たちの方を見るのは、さすがに怖いものがあった。「遼、顔上げて。とりあえず、場所変えよう」僕は、クラスメイトたちの視線に耐えかねて遼にそう言った。頭を上げた遼が、素直にうなずく。何だか凹んでいるようにも見えた。僕は、遼を引き連れて教室棟2階の非常階段へと向かう。その間、僕たちはお互いに無言だった。気まずい空気が、僕たちを包んでいる。非常階段に通じるドアの前に到着した僕たちは、ひとまず外に出ることにした。他の人に聞かれて、妙なうわさを広められるのは嫌だった。「それで? ごめんってどういうこと?」と、僕は単刀直入にたずねた。ホームルームが始まるまで、そんなに時間がないからだ。「昨日、優樹を傷つけちまったから……」遼は、しょんぼりとしながらそんなことを口にする。その言葉に、思考が急激に冷めていくのを感じた。(……自覚あったんだ)