「そいつは男だ」
今まで黙っていた神威が突然口を開いた。
皆驚いて神威へと視線を向ける。山本は神威のことが苦手なのか、少し怖気づきながら問いかける。
「な、なんでそう言い切れるんだ?」
「俺は見た」 「な、何を」 「斎藤の裸」皆が目を丸くして神威を見つめる。
「どういうことだよ! いつ見たんだっ?」
突然いきり立った宇随が、神威に迫りながら問いただす。
それに動じず、神威は冷静に言い返した。「おまえだって見たんじゃないのか? 一緒に風呂に入っていただろう」
そう言われ、そういえばと宇随は考えた。
「でも待てよ、俺」
そこで神威が宇随の口に手を当て、それ以上の発言を止める。
神威は宇随の耳元でそっと囁いた。「斎藤を救いたければ、俺に話を合わせろ」
神威は山本に向き直る。
「俺は銭湯に行ったとき、斎藤の裸を見た。
宇随も見たはずだ、斎藤と一緒に風呂に入っていたからな。なあ宇随」神威が宇随をじっと見つめる。
「あ、ああ……ああ! 俺も見たぜ、こいつは正真正銘の男だ!」
二人の発言により、山本の頭は混乱した。
せっかく斎藤をぎゃふんと言わせてやれると思ったのに、これでは形勢逆転じゃないか。 このままでは済まさない。「そんなの信用できない!
二人は斎藤と仲がいい。口裏合わせてるんじゃないのか!」 「そこまで! もうやめないか」伊藤がしびれを切らして口を出した。
山本に鋭い眼光を向ける。「山本、いろいろ思うところがあるのはわかる。だが、これは隊にとって最善を考え決めたことだ。
これ以上斎藤を責めることは、私が許さない」伊藤の強い口調と眼差しに、山本は悔しそうに黙り込む。
さすがの山本も、伊藤に睨まれると何も言えなかった。「……わかりました。すみませんでした」
山本は伊藤
雛たちの手によって大名は葬られた。 黒川は自分の領土と平行し、亡くなった大名が所有していた土地の大名となった。 これで黒川の統治する領土は格段に広まったことになる。 雛たちに大名暗殺を命じた黒川は、その領地で先に後ろ盾をつくっていた。 大名が死んだのち、自分が大名の座につけるように先に手を回していたのだった。 その日、神威は雛のもとへ向かっていた。 大名を殺したあの日。 血だらけの刀を手に戻ってきた雛を見て、神威の胸はひどく痛んだ。 覚悟はしていた、こうなることもわかっていた。 しかし、実際目の当たりにすると、神威の胸は締め付けられた。 あんなに心優しい雛が人を殺める。 それは、彼女にとってどんなに辛く苦しいことだったろう。どれだけ葛藤しただろう。 あの日、雛は屋敷へ戻った後、伊藤に報告するとそのまま何事もなかったように姿を消した。 何も言わず、感情も出さず、ただすべてを淡々とこなしていることが、余計に神威の心をざわつかせた。 雛は感情を殺している。 自分を殺し、任務を遂行することだけに集中しているように見えた。 こんなことが続けば雛の心が壊れてしまう。 こんなことになるんだったら、止めておくべきだったかもしれない。 雛が決めたことだ、彼女の志を邪魔してはいけないと思い、見守ったのが間違いだったのだろうか。 考え事をしている神威の目に、雛の姿が飛び込んできた。 そちらへ足を踏み出そうとした神威だったが、やめた。 その隣には、宇随の姿があった。 神威は物陰に隠れ、二人の様子を観察することにした。 「なあ、雛……胸を張れ! おまえは人に誇れる立派なことをしたんだ」 宇随が必死に話しかけるが、雛はただ何も言わず、空虚な瞳を向け続けている。「あの大名は悪党だったんだ。 民から多くの税を巻き上げ、自分だけが贅沢してた。身分制度を強化し、貧富の差を大きくしようともして
「私に、欲しいものなどありません」 淡々と言うその声音に、底冷えするような恐怖を感じた大名の顔は青ざめていく。「では……どうすればいいのだ?」 大名は慄きつつ、雛の表情を必死に汲み取ろうとする。 しかし、返ってきた言葉は期待を裏切るものだった。「……死んでください」 大名の瞳が大きく開く。 何か言おうとしたが、そのときにはもう既に雛の刃が大名を貫いていた。 一瞬の出来事に何が起きたのか把握できない大名だったが、じわじわとやってくる痛みで事態を把握する。 大名を貫く刃の先から、血がポタポタと滴り落ちていく。「くっ……き、きさま――ゆる、さ……ん。 この、ままで……すむと、おも……う……なっ」 雛が刀をすばやく抜くと、大名はズルズルゆっくり倒れていく。 そのとき、ようやく宇随が姿を現した。「雛!」 声に反応し、雛はゆっくりと振り返る。 その雛の様子に宇随は愕然とした。いつもの、雛じゃない。 感情のない虚ろな表情で、今意識がしっかりあるのかないのかも判別できない。 しかし、目だけは鋭く、しっかりと獲物を捕らえようと光を放っている。 ――今の雛に狙われたら、きっと誰も生きて帰れない。 そう感じるほど、雛は殺気と狂気を孕んでそこに立っていた。 見つめられた宇随は、初めて雛に恐怖を感じた。「おい……大丈夫、か?」 一歩踏み出した宇随は、近くで倒れている男に蹴躓いた。 その男が小さく呻く。「生きて、る……?」 どうやらここに倒れている男たちは大名を除き、皆生きているようだった。 雛が情けをかけて生かしたのだろうか。 宇随が雛を見つめる。 雛は血に染まった刀を持ったまま、ただ立ち尽くしている。 こちらを見てはいるが、焦点は定まっていない。 宇随は近づいていき、雛の正面に立った。「雛、もう終わった! 終わったんだ。
目的の部屋の前で、雛は息を整えながら胸を押さえた。 逸る心に合わせ、心臓の音がやけにうるさく聞こえる。「ここだ……」 屋敷の見取り図や部屋の位置は事前に確認済みなので、間違えることはない。 緊張しながら、雛は目の前にある障子をそっと開いた。 部屋の真ん中で、布団に眠る男が目に飛び込んできた。 雛は音を立てないように慎重に近づいていき、男の側で佇む。 そっと刀を抜き、男の胸に切っ先を向けた。 手が小刻みに震える。 初めて人を殺すのだ、無理もない。 それに、雛にはまだ迷いがあった。 本当にこれしか道はないのだろうか……人を殺めない別の道があるのではないか、と。 しかし、伊藤の言葉を思い出した雛は、決意を固める。 これは大義のため。 平和で皆が笑って暮らせる世をつくる為なのだと、自分に言い聞かせる。 そのとき、男の目が突然開いた。その瞳が雛を捉える。「貴様っ、何者だ!」 雛は目が合ったことに動揺し、少し動作が遅れてしまった。 その間に男は雛のもとから逃げ出した。「であえ! であえ!」 男の掛け声に、四方八方から護衛たちが姿を現した。 あっという間に雛は取り囲まれてしまった。 もうやるしかない! 雛の目つきが鋭く変わった。「……何奴? 貴様、大名の命を狙ってただで済むと思うのか? 皆の者かかれ!」 剣士たちが一斉に雛に飛びかかる。 はじめに斬りかかってきた三人を、目にも留まらぬスピードと鮮やかな剣さばきで風の如く斬り倒していく雛。 その様子を目の当たりにし、後に続こうと構えていた男たちがたじろぐ。「な、なんなんだ!」 「こいつ、ただ者ではないぞっ」 雛を警戒し、皆が一歩下がる。「ええい! 何をしている! かかれ!」 大名が怒鳴り散らすと、男たちは勢いよく雛に襲いかかってきた。 一人
山本のあの一件以来、隊の中ではわずかな不協和音が続いていた。 しかし、伊藤と神威を筆頭に、隊は訓練を重ね、確実に実力をつけていた。 そして、とうとう雛たちに初めての任務が与えられることとなった。 伊藤に呼び出された隊員たちは整列し、話に耳を傾ける。「皆、よく頑張ってくれた。黒川様も認めてくださり、初めての命を下さった」 文書を読み上げていく伊藤の話を聞いていた雛は、ある“言葉”を聞いた途端愕然とした。「暗殺……」 その文書には、『これからつくる世に、邪魔となる者たちを暗殺すること』という内容が記されていた。 当たり前だが、雛は今まで人を殺したことなどない。 大義名分の為とはいえ、人殺しなど―― 雛の動揺は誰から見ても明らかだった。 青ざめた顔で視線が挙動に動いている。呼吸まで少し浅くなっていた。 何を考えているのか想像ができる。 伊藤は雛に言い聞かせるようにゆっくりと話す。「いいか? 黒川様が描く、皆が幸せに暮らせる世をつくるため。それを邪魔する者を排除しなくてはならない。 誰かがやらなければいけないんだ。 国のため、民のためなのだ。わかってくれ」 本当にそうなのだろうか……。 国のため、民のためなら、人を殺めることは許されることなのか? 困惑している雛の肩に、伊藤の手がそっと置かれる。「斎藤、おまえはこの国の未来のため、人々の幸せのためにその力を使いたいと言ったな? 世の中には、おまえが考えられないような悪い奴が存在している。死んでも仕方ないくらいの。 そういう悪い奴らが善良な人々を苦しめている。 斎藤、おまえは優しいから放っておけないだろう? 誰にも裁くことができないのなら、私たちが裁くしかない。おまえが必要なんだ、力を貸してくれ」 伊藤のその真摯な想いや態度は、雛の心を揺れ動かす。 きっと伊藤に付いていけば、たくさんの人が助かる。 そう自分に言い聞かせ、雛は伊藤に
「そいつは男だ」 今まで黙っていた神威が突然口を開いた。 皆驚いて神威へと視線を向ける。 山本は神威のことが苦手なのか、少し怖気づきながら問いかける。「な、なんでそう言い切れるんだ?」 「俺は見た」 「な、何を」 「斎藤の裸」 皆が目を丸くして神威を見つめる。「どういうことだよ! いつ見たんだっ?」 突然いきり立った宇随が、神威に迫りながら問いただす。 それに動じず、神威は冷静に言い返した。「おまえだって見たんじゃないのか? 一緒に風呂に入っていただろう」 そう言われ、そういえばと宇随は考えた。「でも待てよ、俺」 そこで神威が宇随の口に手を当て、それ以上の発言を止める。 神威は宇随の耳元でそっと囁いた。「斎藤を救いたければ、俺に話を合わせろ」 神威は山本に向き直る。「俺は銭湯に行ったとき、斎藤の裸を見た。 宇随も見たはずだ、斎藤と一緒に風呂に入っていたからな。なあ宇随」 神威が宇随をじっと見つめる。「あ、ああ……ああ! 俺も見たぜ、こいつは正真正銘の男だ!」 二人の発言により、山本の頭は混乱した。 せっかく斎藤をぎゃふんと言わせてやれると思ったのに、これでは形勢逆転じゃないか。 このままでは済まさない。「そんなの信用できない! 二人は斎藤と仲がいい。口裏合わせてるんじゃないのか!」 「そこまで! もうやめないか」 伊藤がしびれを切らして口を出した。 山本に鋭い眼光を向ける。「山本、いろいろ思うところがあるのはわかる。だが、これは隊にとって最善を考え決めたことだ。 これ以上斎藤を責めることは、私が許さない」 伊藤の強い口調と眼差しに、山本は悔しそうに黙り込む。 さすがの山本も、伊藤に睨まれると何も言えなかった。「……わかりました。すみませんでした」 山本は伊藤
次の日から、さっそく訓練が始まった。 持久力、筋力、素早さを上げるトレーニングと共に、実践形式で二人一組になり試合を展開していく。 それを六人がローテーションで回っていくという仕組みだ。 全員が一度は手合わせできるようになっていた。 雛、神威、宇随は最強トリオの名のもとに、好成績を残していく。 もちろん宇随は、雛と神威以外には負けなかった。 しかし、どうしても二人には敵わない。 そんな中、注目されたのは雛と神威の勝負だった。 これには伊藤も驚きを隠せず、食い入るように二人の試合を見物する。 雛と神威は一歩も引かず、人知を超えた試合を繰り広げていた。 目に留まらぬ速さで二人はぶつかり合う。激しくぶつかる音だけが辺りに響き渡っていた。 誰も二人の姿を追っていける者などいない。「あいつら、バケモンかよ」 宇随の目を持ってしても、二人のわずかな軌道しか見えなかった。 悔しそうに唇を噛みつつ、宇随は眩しそうに二人を見つめる。 他の隊員たちは何も言えず、ただ呆然と突っ立て二人の試合を見守るしかない。 彼らの目にはもう、何も映っていないのだ。 そんな中、伊藤は静かに二人の試合を見届けようと懸命に二人の軌道を追っていた。「これほどとは……」 満足そうに頷き、伊藤は口の端を持ち上げ嬉しそうに微笑んだ。 雛と神威の激闘は、いつ終わるのか先が読めない。 二人の集中力は素晴らしく、いつまでも続くような予感をさせていた。 皆は二人を放っておき、それぞれの修行に集中することにした。「そこまで、やめ!」 伊藤が皆に向かって叫んだ。 全員、戦いを中断し、伊藤のもとへ集まる。「これから、この隊の副隊長とリーダーを発表する」 突然の発表に、皆は驚き顔を見合わせる。「副隊長には私の補佐をしてもらう。これから隊をまとめていく重要な役割だ。 ――中村神