事務所にてパソコンを起動して旦那デスノートの管理人へ問い合わせのメールを出した。貴方はチャットのコミュニティに入って利用者と会話をしましたかという内容だ。コミュニティ内で貴方と会話したという人物が事件に巻き込まれている内容も躊躇したが書いた。その際死神の発言もスクショして添付した。メールを送信後、入院していた病院へ向かった。由樹に会いに行く目的だ。由樹にもリモートで成子を操っていた人物がいると伝えて、明美のように命を狙われる可能性がある危険を警告しに行くつもりだった。事件が解決するまで一人での行動を避けるようにと呼びかけるつもりだった。だが、由樹の見舞いは許されなかった。大輔は入院中に顔見知りになった看護師を訪ねて、彼女に身に何か起きたのかを聞いてみた。「すみません、大内さん、お久しぶりです水川です」受付で男性看護師の大内さんを呼んでもらった。由樹さんに伝えてほしい内容があると言伝をしたところすぐに来てくれた。「どうも水川さん。お変わりはないでしょうか」「おかげさまで。ところで柴崎由樹さんにお会いできないと伺ったのですが、どうかされたのでしょうか」大内の顔に迷いの色が浮かんだ。言って良いのかどうか迷っているのだろう。「実は、ここの病院に成子さんが来たと言ってずっと騒いでいるんです」「成子さんは死んだはずでは」「ですから幻覚の一種だと思われます。相当錯乱しているらしく、病室内にある物を投げ飛ばしたりするほどらしいのです。旦那さんに来てもらって、ようやく少し落ち着いてもらっているような状態なのです」この病院で会話した時の由樹は狂乱するような精神状態に見えなかった。元の生活に戻るための心の準備をしっかりしているように見えた。大輔の前では意地でも弱みを見せないようにしていたのか。それとも、大輔が退院してから何かあったのか。もしかしたら死神の手が伸びて来ているのかもしれない。「隆広さんの方にお伝えしてもらいたいことがあります。今回の事件が解決するまで、由樹さんを一人で行動させないように気を付けて下さいと言って下さい。この事件の親玉の存在に由樹さんの顔が見られていた可能性が高いためです。実際、同じ部屋にいた人が殺されて山に例の殺され方をしていたらしいので」「分かりました。柴崎さんの耳
この点に関してはすぐに解決できた。大輔は成子が常に赤い細縁の眼鏡をかけていたことを伝えた。「なるほど、そこにカメラとマイクが装着してあったんだろうな。それで撮影した映像や音声を使って、成子の旦那が成子に指示をしていたのだろう。成子のようにイヤホンと眼鏡をかけた女性が全国に派遣されて、成子の旦那が全員に指示を与えているのだろう。そうすれば全員がマインドコントロールの手法を身に着ける必要はない。」興奮が止まらない。日本国民を絶望に陥れた事件の全貌が解明されつつある。だが、一つ恐ろしいことも気付いた。「明美さんが殺されたのって、成子さんのカメラ越しに顔を見られていたからでしょう。今のところ、彼女も無目的で殺されたことになる。じゃあ、アンジェラも」「見られていたし、無目的で殺されることも考えられる」「アンジェラはアパートに戻して店に出勤しているんだよね」「そのはずだ。様子を見に行っているわけではないから知らないが」悠長にしている場合ではない。彼女は夜働きに行って早朝帰宅する生活を送っている。暗がりから手を伸ばすのは悪魔にとっては容易な作業だろう。彼女は夜の七時には家を出る。六時にはアパートに行って止めなければいけない。もう彼女を二度と危険な目に逢わせたくない。アンジェラを守るのが自分の役目だと大輔は改めて、自身に言い聞かせた。三時間後に事務所からアンジェラの住むアパートに向かい、最善を尽くす決意をした。十八時になった。大輔は鶴見にあるアンジェラのアパートに到着していた。部屋のインターフォンを押すと、懐かしい声が聞こえた。アンジェラは生きていた。「俺だ。大輔だ」すぐにドアが開いた。ドアの隙間からアンジェラの顔が見えた。「大輔、お帰り!」溌剌な声を発して彼の首に両腕を回した。部屋の中に引っ張り込まれた。玄関の三和土に立って二人で見つめ合った。アンジェラの後ろにはナコという源氏名で働いていたフィリピン人の子が立ってニヤニヤしていた。「大輔、ホントにホントに戻って来た。良かった、ホントに良かった」彼女の顔は嬉し涙でグシャグシャになっていた。再び抱き付いて唇にキスをしてくれた。ココナッツのトロピカルな甘い香りが口と鼻に広がった。アンジェラが使っているリップバームの香りだ。
三日後、無事に退院することになった。父の治が病院まで迎えに来てくれた。 「とりあえず今は大輔が担当する依頼はないから、じっくり話し合おうじゃないか」 治の運転するナビは午前十一時と表示していた。アンジェラは眠っている時間なので、一旦事務所に戻った。久しぶりに事務所の中に入った。コーヒーグッズで装飾されたお洒落な喫茶店のような空間に入ると虚脱感に襲われた。成子の部屋にはもう死んでも戻りたくない。一秒でもあの部屋に足を踏み入れたくない。大輔は治と向かい合って座った。父に今までに知った事実を全て話した。どうやって女性全員がマインドコントロールできたのかについては解決できていないとも伝えた。「なるほど。マインドコントロールか」キリマンジャロのコーヒーを一口飲んで治は思考の世界に没頭し始めたようだ。「どうかな、やっぱあの部屋でも全員成子にマインドコントロールされているようにしか思えないんだよね」「マインドコントロールされやすい環境として、閉鎖的空間に閉じ込められていることがある。その成子の部屋はまさしく閉鎖的空間だ。そこに何日間もいた者は最良か最悪の二分法的な思考になる。他からの情報が一切遮断されるため、その成子という女の発言のみが情報と化し、教祖の言葉のようになる。それに反する者は裏切り者と見做され、攻撃の対象となる。標的にされることこそが最悪と考えられ、みんな成子に背反することを嫌がる。北九州一家殺人事件でも同じだ。家族全員がある一室で生活を共にして、外の情報が入って来ることがなかった。主犯の男に反することこそが最悪と見做されていた。尼崎事件でも、主犯の女は度々家族会議を開くなどして狭い空間に人を閉じ込めたそうだ。寝ることも許されずに連日会議に参加させられている被害者たちは思考力を失い、いつの間にか狭い空間で女と共棲することになった。北九州の事件と同じ状況になったそうだな」治の言葉を聞きながら、今回の事件もやはりマインドコントロールに関する事件だと確信できるようになった。「そしてもう一つ考えられることは、旦那デスノートに投稿している女性をターゲットにした点だ。マインドコントロールを受けやすい人の特徴として、弱点があるということだ。そのサイトを利用している女性は当て嵌まる確率が高
「関係ないかもしれないんですけど」由樹のひっそりとした声が大輔の耳には、はっきりと輪郭を持って聞こえる。「部屋の中でディルドを見ましたか」急に何を言うのかと思ったが、確かに洗面所で明美がディルドを由樹の口の中に突っ込んでいるシーンを思い出した。「見ました」「あれは成子さんの旦那さんが作った物だと成子さんが言っていました。だけど、何か変な感じがしたんです。明美さんの旦那を殺害する場で聞いたのですが、その場に成子さんの旦那役の人もいたのです。彼は成子の発言に対して何の反応もしなかったのです。もし、旦那役の男が作っていたら彼自身が何か言うか、成子さんが彼が作ったのと言うと思います。それに、旦那役の男は半グレみたいな男でとてもそんな物を作れるようには見えなかったのです」「つまり旦那役の男以外に、本物の旦那がいるってことですね」由樹はしっかりした声で肯定した。他にもう一人成子の旦那が隠れている。もしかしたらと大輔は一つの可能性にぶつかった。「もしかしたら、成子の本当の旦那が犯人かもしれません」声にした瞬間、大輔の視界から霧が払われた。陽光が差して進むべき道が見えた気がした。「どういうことですか」大輔の言葉を聞いた由樹が驚いた顔をした。大輔は違和感の正体が分かったような気がした。「冷静に考えてみれば、どうして管理人の男が個別のチャットに入って来るのでしょうか」「それは私も思いましたが、作ったばかりだったので、正常に機能しているか確認しに来たとか言っていましたよ」「それでも会話に参加するのは不自然だと思いませんか。それに旦那デスノートの存在価値は何でしょうか。日頃の鬱憤を晴らすことが目的でしょう。それなのに、どうして鬱憤を溜めこんだまま旦那の殺害を勧めるのでしょうか。明らかに目的に反しています」由樹は固まって動かなくなっていた。「つまり、その死神というのは管理人のふりをした者です。もしかしたら、成子とグルである彼女の旦那かもしれません」隣から喉が鳴る音が聞こえた。全て成子と彼女の旦那が仕込んだ犯罪だった。だから、成子は死神の主張に賛成をしたに違いない。「役割分担をしていたのですよ。成子と旦那が。旦那は成子に命じて由樹さんたちを動かして殺人を犯させたのです。旦那は隠れて」そ
ある日、公園のベンチに並んで座っていた時に男は由樹に詰問したようだ。由樹は特に責められるような行動はしていないつもりだったようだが、男は疑いをやめずに由樹を尾行していたようだ。「この前の縁日に男と一緒にいたんでしょ」「あれは親戚の子だよ」事実だった。お盆に遊びに来た叔父さんの一人息子で由樹よりも二つ年下の男の子だったそうだ。「何で。俺がいるのに他の男と一緒になるんだよ」「別にそんなんじゃないじゃん」「許せない」男はキャンキャカ叫んでベンチから立ち上がった。砂利の音を立てて寄って来て、由樹の目の前に腕を組んで立ったそうだ。「お前は俺の女だ」由樹は所有物扱いされたことにプライドが傷付けられたと言っていた。「お前の物じゃねえし」「うるせえ。お前は俺の言うことだけ聞いていろ」男の拳が由樹の頬を弾き、ベンチから落ちて雑草の生える地面に全身を打ち付けた。こんな男と一緒にいたら自分の価値まで下がりそうだ。もう一緒にいられないと思ったそうだ。「よくも俺を裏切りやがって」男が再び殴りそうだったので、急いで起き上がって家まで全力疾走で逃げた。「この時の恐怖は二度と忘れないの。背後でずっと男の足音が聞こえるの。本当に怖い。その足音から一生懸命、息が切れて苦しいけど、走って逃げ続けた。バス通りから住宅街の道まで、ずっと全力で地面を蹴ったの。ジワジワと男の跫音が大きくなるから距離が縮められているって分かるの。本気で殺されると思った」その時の恐怖は男である大輔には経験できないが、心中は察せられた。「家に着くとね、門からすぐのところにあるインターフォンを鳴らしたの。でも、すぐに男も門を勝手に開けて来て、私の襟首を掴んだの。父の声が聞こえたから、私は助けてって叫んだ。父はすぐに家から出て来てくれた。男は私を連れ去ろうと夢中になって逃げられなかったみたい。父はサンダルを履いた足で男の体を蹴って怒鳴ってくれた。父が恫喝すると男はすぐに逃げ去ったの。そのおかげで、二度と男は私の前に現れなくなった」大輔は思わず父の治のことを思い出した。今回も病院に運ばれて目を覚ました当日に見舞いに来てくれた。アンジェラを保護してアパートに帰したのも治の判断だろう。捕らえられた際も助け出してくれた。何だかんだで父は
驚愕で口が利けなくなった。黒幕は成子ではないということか。だが、分からないことが多々ある。「成子さんも死神という管理人とは初めて会話するような感じでしたか」由樹は首を傾げた。先程まで死神の存在すらも忘れていたのだから、当然分からないだろう。退院したらアンジェラに見せてもらおう。「旦那を殺し合うようにと言ったのは死神ですか」「死神だったと思います」大輔は呻った。死神が提案した殺し合いを実行するための集団で、どうして成子が全員をマインドコントロールできるまで圧倒的な立場になれたのだろうか。成子が自発的に行っていないとしたら、死神が成子とグルだったことになるのではないか。考え込んでいると、由樹に声をかけられた。白目を真っ赤にして両目から涙が溢れている。肌が綺麗なのでまっすぐ涙が落ちて行く。「まだお礼を言えなかったですね。本当にありがとうございます」「何がですか」怒られることはしたが、感謝されるようなことをしたつもりはなかった。何に対してありがとうと言っているのだろうか。「隆広さんが生きているって伝えてくれたことです。先日、夫が見舞いに来てくれたんです。あの時の大輔さんの発言は本当だったんだって嬉しくて。本当に彩花を殺さなくて良かったって」最後の方は喉を詰まらせながら喋っていた。大輔が浴室で拘束されていた時、由樹が彩花を殺そうとしていた。その時に娘を殺すことを防ぐために隆広が生きていることを伝えて希望を与えた。あの時の判断は結果的に良い方に転んだ。「そのことですか。いえいえ、当然のことですよ。親が子供を泣く泣く殺す瞬間なんて見たくなかったからですよ」「本当に、私は親失格だなって冷静になった今、心から思うのですよ。どうして彩花を殺すだなんて常軌を逸した行動に出たのか」「成子にマインドコントロールされていたのですよ、恐らく」確証はないがマインドコントロールについて話した。由樹も納得したようで、自分の身の上話を始めて自身の弱さについて語った。「私、自分が子供の時に親から本当に大事にされていたんだなって実感しちゃって。私の親は本当に凄いんだなって。私なんか親向いていないのかなって」由樹は泣き続けながら、学生時代の話を語り始めた。「私、昔は本当に酷い子供だったのです。小学