*** 自宅に帰って涼一とふたり並んで、カレーの下ごしらえをし、仲良く料理を作った。そして食事中に今後のことについて話し合ったのだが、声色に元気がなく、沈んだままで心配になる。「涼一、仕事のことなんだけどさ。今回は急病ってことで、落とすことにしたから」「落とすなんて、そんな……僕は書けるよ、大丈夫だから」「そんな精神状態じゃ、いいのが書けないって。頼むから、俺の言うことを聞いてくれ」 涼一に向かって、丁寧に頭を下げた。 仕事に対してプライドのあるヤツだからこそ、締め切りギリギリでも意地で最後までやり遂げようとする。そんなガンコさが、今回は仇になってしまうな。「わかった。郁也さん、迷惑かけて本当にゴメンね……」「なに言ってんだ、今回は俺が人選ミスしたんだ。謝るのはこっちだろ?」「でも――」「連載続きで、正直なところ煮詰まってる感じもあったし、ちょうど良かったのかもしれないって。旅行に行ったらもっと、いいネタがあるかもしれないぞ?」 そんなふうに明るく誘ってみたが、涼一は首を縦には振ってくれなかった。 そしてその夜――一緒に寝ると疲れるだろうから、別々のベッドにて就寝。昼間のこともあり、なんとなく寝付けずにいたら。「ううっ…ひっ…ん……っ、くっ……」 苦しそうなうめき声が、涼一の部屋から聞こえてきた。慌てて駆け寄って傍に行き、顔を覗き込んで様子を見ると、夢を見て苦しそうにうなされてるみたいだった。「涼一っ、涼一……大丈夫か?」 抱き起こして身体をぎゅっと抱きしめてやると、ふっと目を覚ます。「……郁也さ……どうして?」「お前、夢を見てうなされていたぞ。怖いものを見たのか?」 落ち着かせるように背中を撫でてやると、俺に体重をかけて、ゆったりともたれかかってくれた。汗でくっついている額の前髪を、そっと撫でてやる。「……昼間の出来事がフラッシュバックして。鳴海さんのセリフが、いちいち頭にこびり付いているんだ。『小田桐センセの壊れて行く様も、ついでに見せてもらうよ。そのキレイな顔がどんなふうになるのか、じっくりと楽しませてもらうから』なぁんていうのも、あったっけ」「やめろよ、そんなの忘れろ……」「ねぇ僕って、フェロモンがだだ漏れしてる?」 自嘲的に笑って俺を見上げた涼一。そんな辛そうな笑み、見たくはない。「男を惑わすフェロモン、だ
*** 周防さんの病院からの帰り道は、気持ち的にはなんでもなかったのに。自宅に近づくにつれ、見えない不安がひしひしと僕を襲ってきた。 すぐ傍に郁也さんが、いるというのにだ。 不安を悟られないように俯きながら歩いていたら、そっと肩を抱き寄せられる。「今夜の晩御飯は涼一の大好きな、野菜のいっぱい入ったカレーにしてやるからな。楽しみにしてろよ」 抱きしめている手にぎゅっと力が入って、更に郁也さんとの距離が縮まった。いつもはこんなに敏感じゃない人なのに、どうして僕が不安がっているのがわかったんだろう? 俯いてた顔を郁也さんに向けると、柔らかく微笑んでくれる。その笑みを見ただけで不安だった気持ちが、すっと拭われていった。「――郁也さん、いろいろとありがとね」「なに、言ってんだ。これくらい、どうってことないだろ。しかもお相子だって」「お相子?」 僕が首を傾げると外だというのに、掠め取るようなキスをする、大胆な郁也さん。「俺が寝込んだとき、一生懸命に看病してくれたろ。実はすっげぇ、嬉しかったんだ。しばらく仕事が忙しくて、一緒にいられなかった分、涼一が付っきりで離れずに、傍にいてくれたから」「僕も、同じ気持ちだよ」「いつまで休めるかわかんねぇけど、家に帰ったらなにをするか話し合おうぜ」 うきうきしながら提案してくれたけど、正直したいことなど思い浮かばなかったので、家でのんびりすることになった。
***(点滴の管の中の滴る液体を見ている内に、眠ってしまったみたいだ……) ゆっくりと目を開け、周りを見渡してみたけど誰もいなくて、少し寂しかった。「……郁也さん、どこに行っちゃったんだろ。周防さんと喋ってるのかな」 僕が飲んでしまった薬について、詳しく説明を受けている最中なのかもしれない。薬のせいとはいえ――。「あんなに乱れた僕をイヤな顔ひとつせずに、最後まで付き合わせてしまって、本当に悪かったな……」 あんなこと心配しながら、辛そうな顔してすることじゃないのに。「涼一くん、目が覚めていたんだ、気分はどう?」「周防さん……はい、おかげさまで随分と楽になりました」 もう少しで無くなりそうだった点滴を見に来たのか、タイミングよく、周防さんが顔を出してくれた。「ここに来たときよりも、顔色が良くなってるね。他には、辛いところないかな?」 てきぱきと点滴の後始末をしながら、優しく訊ねてくる。「胸のドキドキも治ってますし、呼吸も普通にしていられるので大丈夫です。ありがとうございました」 腕から点滴の針を抜かれ、自由になったので起き上がり、しっかりと頭を下げた。「俺ができる治療は、ここまでだからね。精神的なショックが大きいと思うから、焦らないでゆっくり生活しなきゃダメだよ」 精神的なショック――?「ももちん、職場に休みを取ったみたいだから、これを機会にいっぱい甘えちゃいな」「え――? わざわざ、休みを取ったんですか?」「そりゃ、そうでしょうよ。大事な恋人が、寝込んでいるんだから。だけど休みの申請する前に編集長が休めって、粋な計らいをしてくれたみたい。恵まれた職場だよね」「みんなに迷惑を……かけてしまって――」 郁也さんだけじゃなく、三木編集長さんにも迷惑がかかってしまった。「なに、言ってんの! 涼一くんは被害者なんだよ。申し訳ないって思うの、絶対におかしいからね」「でも……」「今まで忙しく過ごしてた、ももちんと涼一くんに束の間の休息時間という、ご褒美ができたって考えたらどうかな? 医者の俺からみたら、ふたり揃ってオーバーワーク気味だったからさ」 端正な顔をにゅっと寄せてきたので、どぎまぎしてしまう。迫力のあるキレイな周防さんに見つめられ、NOと言える人がいるなら見てみたい。太郎くんなら間違いなく、喜んで飛びついているだろうな。
「なぁ、聞いていい?」「早速わからないトコが、出てきたのか?」 向かい合わせで座ったダイニングテーブル。神妙な顔をした太郎が、いきなり訊ねてきたので、ちょっとだけ身構える。「タケシ先生よりも頭が良かったのに、どうしてもっと、儲かりそうな職に就かなかったんだろうって」「儲かりそうな職?」「えっと銀行員とか官僚とか、頭が良ければ、選り取り見取りだろ?」「確かに――そういう選択肢もあったけど、俺は編集者になりたかったしな。大好きな本に携わりたかったから、この道に進んだんだ」 テーブルに頬杖をついて微笑んでやると、そっか。と一言呟いて、俯いてしまった。「どうした太郎、なにか不安でもあるのか?」 いきなり仕事のことを訊ねてきたあたり、関係あるのかもな。「――素直に、羨ましいって思った。頭がいいだけで選択肢が、無限に広がるもんな。どう転んだって今の俺じゃ、無理な話なんだ」「無理だと思うから、無理になるんじゃないのか?」「ああ、もう! ホント俺って、あったま悪いんだ。引っくり返ったって、医者にはなれねぇんだよ!」 言いながらテーブルをバンバン叩く。「医者、か。当然、周防繋がりだろ」 ニヤニヤしながら指摘してやると、唇を尖らせた。「だってこれが一番、傍にいられる位置だろうが」「そうだな、頑張らないのか?」「ぜってー無理。小学校からやり直すレベルだからさ。でさ、いろいろ考えたんだ、俺がなれそうなモノ」 見た目チャラいのに、しっかりしたヤツなんだな。コイツなら周防を、安心して任せられる――。「何かなれそうな職、あったのか?」「手っ取り早く看護師がなれる確率、あるかなぁって」「確率の問題じゃない、なりたいならなってみせろよ。周防の傍にいたいんだろ?」「そりゃ、まぁ……」 眉間にシワを寄せて、難しそうな表情を浮かべた太郎。人生の先輩として、いいトコみせてやろうか。「信念のあるヤツって、全然迷いがないから、それに向かって真っ直ぐに突き進む。だから叶うんだ。周防と付き合っていこうと考えたから、看護師になりたいって思ったんだろ?」「――うん。一緒にこの病院を、切り盛りしたいって想像した」 照れながら告げられた言葉に、思わず微笑んでしまう。「それなら勉強、うんとがんばらないとな。わからないところを教えてくれ」 太郎の初々しい発言が沈んでい
***「少し落ち着いたみたいだね、良かった――」 周防が、診察室の隣にある点滴室に顔を出し、涼一の様子を見てくれた。「混んでるときに、連れ込んで悪かったな」「なに言ってんの。急患を先に治療するのは、当然の行為だからね」 言いながら、俺の後頭部を遠慮なく殴りつける。 ばこんっ!「痛っ!!」「ももちん、そんな顔してたら涼一くんが悲しむよ」 ずばりと指摘されても、落ち込んだ気持ちが、簡単に浮上することは出来なかった。 周防の病院に、担ぎ込む前に――「辛そうだな、大丈夫か涼一」 体温が高いのか、抱きしめた身体からホカホカした熱が、じわじわと伝わってくる。「辛くないっていったら、ウソになるね。アレが痛いくらいに張り詰めていて」「そっか……なら俺が抜いてやる」 辛そうだからと買って出たのだが、途端に顔を赤らめて首をぶんぶん横に振った。「いっ、いやいや。自分でするからいいよ。やっぱりちょっと、恥ずかしいし……」「今更、恥ずかしがることないだろう?」「――見られたくないよ。薬のせいでおかしくなってる、僕の姿なんて……」 俺の視線を避けるように、そっと長い睫を伏せる。「……涼一、ごめんな」 こんなことになったのは、俺のせいだ。鳴海が俺の苦しむ顔を見たいがために、犠牲になったのだから。「謝らないで。郁也さん、いつも言ってたじゃないか。お前は可愛いんだから、注意しないとなって」「だけどな――」「一緒にいると幸せすぎて、注意力が散漫になってたみたい。これからは気をつける……」 言うなり大きな瞳から、涙を止めどなく溢れさせる。「ごめ…っ…安心したら急に、涙が止まらなく…なって…」 涙に濡れる顔を、胸に押しあててやった。「辛そうなお前の顔、見ていられない…っ、涼一」 普段、こんなふうに泣くヤツじゃないからこそ、胸の痛みが半端なかった。震えまくる身体を、ぎゅっと抱きしめる。「やっぱ俺がする。まかせてくれないか? 辛い状態をなんとかして、解放させてやりたいんだ」「……郁也さん」「愛してる、涼一……」 涙に濡れている頬に口づけしてから、いたわるようにそっと唇を重ねる。キスをしながら下着と一緒に、ジーパンを下ろしてやり、涼一自身を扱き始めた。「んんっ…はぁあはぁ……も、イきそぅ……」 いつもより早い――やっぱ、薬の影響だろうか
「なにやってんだ、テメェ……」 聞いたことのない唸るような声が、僕の耳に聞こえる。身をよじらせて床を這いつくばると、傍で郁也さんが鳴海さんの胸倉を掴んで睨んでいた。 怒りで釣りあがった瞳は白目が充血している上に、顔も真っ赤になっている。こんなに怒った郁也さん、今までに見たことがない。 その様子に、呆然とふたりを見るしかできなかったけれど、その後容赦なく何度も拳を振り下ろす郁也さんに、なんとか体当たりをした。「もう止めて! 僕は大丈夫だから、それ以上そんな人に、郁也さんが手を下すことなんてない!」「涼一……?」 郁也さんに体当たりをした勢いで、情けない格好のまま床に転がる僕を見て、慌てて駆け寄ってきた。「大丈夫か?」 そして拘束されてた、両腕を自由にしてくれる。「ありがと……ごめんね。油断して変な薬、飲まされちゃった」「変な薬?」 安心感を与えるように僕の体をぎゅっと抱きしめてから、視線を鳴海さんに向ける。郁也さんに殴られた鳴海さんは顔中、痣だらけになっていた。「エッチになる薬ですよ。だいたい、一時間くらい効く物です」「お前、よくも涼一に――」「ダメ! この人の目的は郁也さんなんだよ。苦しむ顔が見たいって言ってたんだ」 薬のせいで体が変な感じだけど、頭が妙にスッキリしていた。しかも郁也さんに支えられてるおかげで、正気を保つことができている。「鳴海さんもう、僕らの前に現れないでください。アナタの計画は頓挫したんです。郁也さんの苦しむ顔は、絶対に見られませんからね」「確かに……完璧だった計画は、破綻してしまった」 ガックリと肩を落として、ヨロヨロと立ち上がる。「なにが完璧だ。お前が職場に忘れ物をしていたから、スマホにコールしたのに出なかったからな。涼一に電話しても出ないもんだからおかしいと思って、慌てて駆けつけたんだぞ」「……はじめて、見たときから――」「え?」「いえ。すみませんでした、失礼します」 僕たちに頭を下げて、逃げるように出て行った鳴海さん。告げられた言葉の意味がわからないであろう郁也さんは首を傾げながら、僕に視線を注いだ。「鳴海さん、きっと……」「どうした?」「ううん、なんでもない。それよりも僕、体がかなりマズい状態なんだ」 困惑した表情をありありと浮かべて、苦笑いで郁也さんに現状を伝えたものの、どうした