第1章 辻沢のこのごろ
◆主要登場人物
○藤野 夏波(フジノ ナツナミ)<主人公・語り手> 藤野家の養女。辻沢女子高校3年生。6月30日生まれの18才。 前園十六夜に運命を感じ園芸部の創部メンバーとなる。 入部後、作業用AIに学習させているうちに「偶然」庭師AIを生成する。 「日本庭園の辻女園芸部」の知名度を足がかりに 卒業後は十六夜とともにメタバース内へのディストリビューターでの起業を目指す。○藤野 冬凪(フジノ フユナギ)
藤野家の養女。辻沢女子高校3年生。12月31日生まれの17才。 幼い頃から藤野ミユキの薫陶を受け 将来フィールドワーカーを目指す 専門は過去に起きた事故、事件の社会的要因を探る アクシデント・インシデント・エスノグラフィー(シデント・エスノ) 現在の興味は20年前に辻沢で起った 辻沢要人連続爆死案件の調査。○前園 十六夜(マエゾノ イザヨイ)
ヤオマンホールディングス創業家のお嬢。 辻沢女子高校3年生。8月生まれの18才。 ヤオマンHD前会長爆死後に生まれた。 園芸部創部メンバー兼部長。○佐倉 鈴風(サクラ スズカゼ)
辻沢女子高校1年生。15才。 園芸部所属。 本当はゲーム部に入りたかったが十六夜からの強引な勧誘に屈して入部した。 ツール類の習得が早く、次期部長候補。 VRブースに火を入れるのはこの人の役目。○藤野 ミユキ
夏波と冬凪の養母。 N市立大学社会学部准教授。 フィールドワークが専門。○野太(ノタ)クロエ
藤野ミユキの大学時代からのパートナー。 N市で最も人気があるガールズバー「Reign♡In♡Blood」の経営者。 経営は他の人に任せ、所有するVRゲームチームに帯同して世界各地を 飛び回っている。○ユウ
血のつながりはないがクロエと瓜二つの顔を持つ謎の女性。 夏波の誕生日だけ藤野家に現れてカレーパンマンのミニぬいぐるみを置いてゆく。 夏波は産みの母でないかと思っているが、不明。◆辻沢女子高等学校
○川田校長先生 辻沢女子高等学校校長。 元バスケ部顧問だけあって、ゴミ捨てのコントロールはいい。 ○遊佐(ユサ)セイラ先生 夏波たちの担任(教科不明)。 以前ヤオマンHDの子会社YSSで働いていたらしい。 ○響(ヒビキ)カリン先生 保健室の先生。 以前ヤオマンHDで働いていたらしい。◆辻川市役所
○「帰って来た」辻川 ひまわり町長 高校3年生の時に失踪(女バス連続失踪事件)したが数年後突然帰って来た。 失踪していた間の記憶はない。 父親の辻沢町長の爆死後、しばらく他人が務めていた町長の座を奪い返し町長となる。 2期目。◆ヤオマンホールディングス
○前園 日香里(ヒカリ)会長 ヤオマンHDの会長、アントレプレナー(創業者)。 辻沢という小さな街の八百屋を一代で世界的なコングロマリットに成長させた大立て者。 あることがきっかけで10年以上表に出てきていない。爆死した前会長は元夫。 ○伊礼(イレイ)魁(カイ)社長 ヤオマンHDの社長。事実上の経営権限者。 六道園プロジェクトの受託者。 十六夜と夏波の園芸部を物資面でサポートしてくれている。 庭師AIからは大殿と呼ばれている ○Zen@mi(ゼンアミ) 夏波が作業用AIを学習させていたら突然生成された庭師AI。 六道園プロジェクトのプロジェクトマネージャー。◆遺跡踏査の人たち
・調査員(全員マスク着用) ○赤(アカ) 班長。語尾にでちゅと付けると受けると思っているおじさん。 ○佐々木 副班長。中年男性。 ○曽根 記録係。若い男性。・作業員
○ブクロ親方 痩せていて若く見えるが30代。 鞠野教頭から譲られたバモスホンダ360に乗る。 ○豆蔵(マメゾウ)くん(=ユンボくん) 2mを越える巨体の高校生。 何故かシャムシール(新月刀)を持っている。 ○定吉(サダキチ)くん(=ミニユンボくん) 筋トレマニアの髭面の高校生。 何故かシャムシール(新月刀)を持っている。 ○江本さん(=ティリ姉さん) 夏波たちにエグい苦労話をする人。◆その他
○高倉さん 前園家のお手伝いさん。 調由香里の首のありかの情報を夏波たちに教えてくれる。 ○千福 まゆまゆ 六道辻の爆心地近くの土蔵に住む謎の双子姉妹。 それぞれ白黒の市松人形のような格好をして 白黒市松人形の中から登場する。 ○夜野 まひる 伝説のVRゲームアイドル。鈴風の推し。 20数年前、冬のオホーツクに搭乗機が墜落して帰らぬ人となった。 ○チブクロ 元々は夜野まひるのファンクラブだったが、 今は、浄血というスローガンで血を集めて夜野まひるの復活を 祈念するカルト集団化している。 ◆辻沢要人連続爆死事案の犠牲者。 ○調(シラベ)由香里(ユカリ) 辻沢を裏で牛耳ると言われる六辻家筆頭(辻王)当主。 爆死はしなかったが自宅で首なし遺体で見つかった。 ヤオマンHD会長の前園日香里とは幼なじみで、 ユカ、ヒカと呼び合う仲だった。 ○辻川 雄一郎町長 辻川ひまわり町長の父親。 六辻家(辻まん)当主。 元は東京で反社をしていたらしい。 青物市場で野垂れ死にそうになっていたのを 前園萬太郎に拾われ辻川家の養子となる。 市役所の倒壊事故の前の町長室での爆発に巻き込まれて 亡くなったと言われているが遺体は発見されていない。 ○千福オーナー 辻沢不動産のオーナー。辻沢の長老。 六辻家(辻一)当主。 六道辻の爆心地で爆死した。遺体は発見されていない。 ○前園 萬太郎ヤオマンHD前会長 ヤオマンHD現会長の元夫。浮気者のサイコパスと噂されていた。 自宅爆発事故で死亡。◆鬼子△とその他の人外◇
△鬼子(オニコ) 人狼の一種で、満月新月の夜に自失して獣身の「ボク」に変化し、地下道や青墓にいる屍人、ヒダル、蛭人間や地縛霊等の人外を滅殺して回る。 △鬼子使い(オニコツカイ) 鬼子が自失している間に人を害さないよう監視する役を担うもの。満月新月でも「ボク」にはならない鬼子の亜種。 鬼子に自分が鬼子であることを悟らせないよう、明け方の自失から目覚める閾(しきい)の間に元の生活圏に連れ戻す。 鬼子とは、前世、現世、来世の永劫の時に渡って、赤い縁(エニシ)の糸で結ばれている。 △夕霧太夫(ユウギリダユウ) 鬼子使いの始祖。 街道一の楼閣、阿波の鳴門屋の名妓。 絶世、傾城、別品とはこの遊女のためにある言葉。 病に伏しているときに、焼き討ちに遭い焼亡した建屋の下敷きとなるが、 後に伊左衛門らよって掘り出され、故郷青墓への旅に出る。 △伊左衛門(イザエモン) 鬼子の始祖。 夕霧太夫付きの禿。海に身を投げ浜に打ち上げられたところを夕霧太夫に拾われた。 死を予感した夕霧より印(しるし)の薬指を授かり、死後、墓より掘り出して故郷の青墓へ連れ帰るように頼まれる。 ◇辻沢のヴァンパイア 妓鬼(ギキ)ともいう。 始祖の母宮木野から派生した吸血鬼の血統。 母宮木野が死後出産した双子の宮木野と志野婦の子孫。 吸血行為は必要だが、吸血行為でヴァンパイア化(V化)しない。 宮木野の血を引く者のうち双子として生まれた者はどちらかがヴァンパイアの因子を保有し 大量の血液成分を摂取するか浴びるかすると覚醒してV化する。 非保有者はV化した兄弟姉妹に死ぬまで血を提供し続ける。必ず先に死のでその役目は子供に引き継がれる。 双子の両方が因子の保有者で覚醒した場合は、他家から餌となる双子を調達する。 ◇屍人(シビト)(=ゾンビ) 辻沢のヴァンパイアに吸血されても感染しないが、失血死した場合は屍人(ゾンビ)となる。 辻沢の青墓の杜や地下道に生息し、滅殺してもしばらくすると青墓のどこかで 復活して未来永劫濁世をさ迷い歩くと言われる。 ◇蛭人間(ヒルニンゲン) 非合法バトルゲーム「スレイヤー・R」のエネミー。主に青墓の杜に生息する。 ヤオマンHDが屍人を人為的に改造したホムンクルス。 ハンプティーダンプティーのような体形で、両手の指が鋭利な鉤爪状に なっている。 男は、改・ドラキュラといい、坊主頭にセーラー服。 女は、カーミラ・亜種といい、三つ編みにセーラー服。 「スレイヤー・R」のプレイヤーのスレイヤーを見ると襲って来る。 通常一体二体ごとに出現するが、時に青墓中を埋め尽くすほど出現することがある。 ◇ヒダル ダル神のこと。「だるい」の語源という説もある。 行路死亡人、行き倒れた人の残留思念。 行路で弱った人に取り憑き人格を乗っ取ると言われる。 長い坂道などでひもじくなって歩けなくなった時はヒダルに取り憑かれているので、 掌に「米」の字を書いてそれを呑むふりをするとヒダルが騙されひもじさが直るという言い伝えがある。 辻沢の「ひだるい」は疲れたを意味する方言。第2章 辻沢のあのころ(20年前)
◆辻沢市役所 〇エリさん 町長室兼広報室秘書。 実質的な町長室の支配者。◆ヤオマンホールディングス
○前園 日香里社長 HDの実質的経営者。 〇響 カリン 経営戦略室付きのOL。◆辻沢女子高等学校
○鞠野教頭先生 ミユキ母さんの大学生時代の指導教授。 ミユキ母さんたちの神隠し事件後に大学を退官して辻女の教頭になる。 辻沢に来た夏波たちにまゆまゆさんからのミッションを授ける。 バモスホンダ360に乗る。 発進するとき「全速力で参りましょう」というが超のろい。◆辻女バスケ部員失踪事件関係者(24年前)
○川田先生 バスケ部顧問。 ○調 レイカ 元バスケ部マネージャー。 調由香里の娘。 ○響 カリン 元バスケ部シューティングガード。 高級国内スポーツカー、エクサスLFAに乗る。 ○遊佐 セイラ 元バスケ部サブ。 ○千福 ミワ 元バスケ部センター。副キャプテン。 千福まゆまゆの母親。 ○蘇芳 ナナミ 元バスケ部パワーフォワード。 辻沢一の山椒農園主。 ●辻川 ひまわり 元バスケ部ポイントガード。キャプテン。 連続失踪事件の最初の失踪者。 ●ココロ 元バスケ部サブ。 連続失踪事件の二番目の失踪者。 ●シオネ 元バスケ部スモールフォワード。 連続失踪事件の三番目の失踪者。◆その他
○高倉さん 調家のお手伝いさん。 ○作左衛門さん 蘇芳家に居候する青年。 人の目を覗き込む癖がある。 ○コミヤ ミユウ 夏波が鞠野フスキに名乗らされる名前。 ○サノ クミ 冬凪が鞠野フスキに名乗らされる名前。あたしが調レイカの心配をしていると、冬凪がヒソヒソ声で、「調レイカが要人死亡事案の鍵を握っているようなの」 と言ってきた。そうなんだ。あたしには関係なさそうと思ったのだけれど、さらに冬凪が調レイカについて教えてくれて考えが変わった。 長男さんの双子の妹、調レイカは辻女バスケ部連続失踪事件当時のマネージャーで、事件のショックから高校卒業後すぐに辻沢を出て行ったのだそう。なら被害者の辻川ひまわりとは知り合いってことになる。明日会ったらどんな人か聞いてみよう。 高倉さんは相変わらずあたしたちを置いてきぼりにして話したいことを話し続けていた。「出来れば、お嬢様がお戻りになる前に由香里奥様のご遺体を完全な形で取り戻したいのです。まだお母様のご遺体まで盗まれたことを申し上げられていなくて。お首のありどころは見当がついているのですが、お体の方はと言いますと、これが皆目」 頭は分かっているんだ。警察が管理しているとかなのかな?「いいえ。警察はすでに捜索を諦めています。以前に噂になった場所なのですが、きっとそこなのではと」「それはどこなんです?」 高倉さんは、その時初めてあたしの目をじっと見つめて、「雄蛇ヶ池です」 調由香里が亡くなってすぐ、雄蛇ヶ池の北端あたりの水底が光ているのが発見された。何か沈んでいると通報を受けた警察はダイバーを使って捜索を続けたが、池の底には何も見つからなかった。おそらく光の加減によっておこる自然現象ということで水底の捜索は打ち切られた。「でも、日が沈んでも消えないものが光の加減っておかしいでしょう? それどころか、深夜になってその光が水面に浮かび上がってきたのを見た者がいたそうで。その者が言うには、光に包まれて浮き上がってきたものは、それはそれは美しい女神様のお顔だったそうなんです。由香里奥様は辻沢始まって以来のお美しい方。由香里奥様のお首に間違いございません」 辻川ひまわりが指摘した人柱がある場所と高倉さんが思い込んでいる調由香里の首が沈んでいる場所が、同じ雄蛇ヶ池だという。これは偶然の一致なのか。人柱が何なのかさえ分からず、スケキヨなんて言っていた今のあたしたちにとってみれば、水
「ありがとうございました」 20年後と印象が全く変わらない高倉さんが言った。あたしたちが調邸に着いてすぐ業者さんが張り替え用の絨毯を届けに来た。それを二階の一番奥の部屋まで運んだついでに、敷くのをみんなで手伝ったのだった。「由香里奥様はここで亡くなりました」 冬凪が、調由香里は自宅で殺害され首なしで発見されたと言っていたのを思い出した。殺害現場か。この部屋に入って陰気な気分になったのは、やたらと多いドア鍵のせいばかりではなかったんだ。「奥様の首は未だに発見されていませんが」 廊下を歩きながらも高倉さんのお話が止まらない。「ご遺体も持ち去られてしまいました」 それは初耳だった。じゃあ、お葬式も挙げられなかったのかな。「いいえ、お葬式の時にはあったのですが、終わってみたら何者かによって」 そうだったんだ。だからさっきお線香あげた祭壇に写真立てしかなかったんだ。でも、写真のお顔、異次元の美しさだった。アルカイックスマイルに冬の月のような瞳。写真に吸い込まれそうになったもの。「犯人が憎うございます。捕まえたら私が一番に八つ裂きにしてこうしてああしてべしゃん、です」 このころの高倉さんのお話にはアクロバチックな動作が入るよう。「ここだよ。四宮浩太郎の隠し部屋」 冬凪が踊り場にある小扉を指して言った。「辻沢やヴァンパイア関連の書物やビデオがいっぱい置いてある」「そりゃ、冬凪にとっては宝の山だね」「そうなの。由香里さんはここを出入り自由にしてくれたんだ。ここなら安全だからって」 それを受けて高倉さんが、「この部屋だけはお坊ちゃまも入られませんので」 どういうこと? 冬凪を見ると、「ご長男さんがひきこもりで、たまに出て来ては問題起こすんだって」(小声) あー、DV的な感じだ。「中から鍵が掛かるしかけ?」「ううん。結界になってるからって」 ご長男さんって、いったい何者? リビングに戻って来た。先ほどもそうだったのだけれど、巨大なソファーには豆蔵くんも定吉くんも腰掛けないで立ったままだ
冬凪たちの所に戻って、 「用件、おわっちゃった」 「どういうこと?」 それで冬凪にヤオマン御殿で会った高倉さんのことを、宮司の奥様だと言ったことも含めて話した。 「調家のお手伝いさんしてる人も高倉って名前の人だった。年のころも同じくらいで、いつも和服とかもイメージ一緒」 「とっても綺麗な人なんだけど、どこかで見たことあるような」 「そうそう。あたしも会った時そう思った」 ということで、冬凪とあたしは調家に行ってみることになったのだった。 「これから調家に行くけど、豆蔵くんたちはどうする?」 「「うう」」 「行くって」 なんで冬凪には豆蔵くんと定吉くんの言葉が分かるのだろう。 調邸が建っているのは元廓の爆心地だ。もちろん今、目の前にあるのは白いコンクリ建ての美術館のようなお屋敷だけれど、5ヶ月後、この建物が隣の前園邸もろとも吹っ飛んでなくなるなど誰が想像できるだろう。 冬凪が真っ黒い鋼鉄製の門扉の横にあるインターフォンを押した。 〈♪ゴリゴリーン〉 少しの間があって、 「はい。どちら様でしょうか」 「いつもお世話になっています、フィールドワーカーのサノクミと申します。今日は高倉様にお話を伺いに参りました」 声が明るくなって、 「わざわざありがとうございます。いま、門扉を開けますね」 インターフォンを通してだけど高倉さんの声に似ている気がした。 重厚な響きをさせて門扉が開くと、青々とした芝生の中に白いスロープが続いていた。 「サノクミ?」 スロープを並んで歩きながら聞いてみた。 「鞠野フスキがつけてくれたこっち用の名前。これがとっても使い勝手がいい名前で、鞠野フスキの紹介で調由香里さんに初めて会った時、まるであたしを前から知ってるみたいに歓待してくれたんだよね。四ツ辻の紫子さんの時もそうで、不思議だった」 冬凪が調家をどうやって知ったかと思ったら、そういうことだったんだ。あたしのコミヤミユウはどうなんだろう。人に好かれる名前だといいけれど。 「何で鞠野フスキは別の名前を付けるんだろ?」
石段が濡れているせいか、それとも森閑とした杜の雰囲気のせいなのか、一歩一歩上るごとに静謐な気持ちになってゆく。こんな感覚は、辻沢再生プロジェクトで十六夜とVR内の宮木野神社にロックインしていた時には感じなかった。……十六夜。足を止めて後ろを振り返る。そこからは辻沢の町並みが見渡せた。N市のベッドタウンとしての新しい町並みの中に、戦国時代の前から続く古い町並みが取り込まれているのが見て取れた。その古い町並みが辻沢遊郭のあった場所で、そこからさらに南にあるのがお屋敷街の元廓(もとくるわ)だ。そこに、十六夜がいるヤオマン御殿があるはずなのに見当たらない。そうだった。20年前はまだないのだ。元廓で大爆発があった後に建てられたって高倉さん言ってたし。「元廓の爆心地が出来るのっていつだっけ?」 少し先を上っていく冬凪に聞くと、足を止めずに、「この時点から4ヶ月後の9月末。その前の7月末の深夜に役場倒壊事故があって、未明に六道辻の爆心地が出来る」 まるでスケジュール表を見ているかのように返してきた。要人死亡事案を調べている冬凪にしてみればその瞬間に立ち会いたいと思うはずなんだけれど、今のところ20年前以外関係なさそうだった。「どうして5月の辻沢にあたしを連れてきたの?」 冬凪は足を止めて振り返り、「実は、あたしにも分からないんだよ。千福まゆまゆさんに夏波を連れていらっしゃいって言われて着いたら今ここだっただけなんだ」「土蔵で日程三日って言ってたから」 てっきり冬凪が主導しているのだと思っていた。「あー、アレ? 荷物のせい。あの量だと三日がせいぜいと思ったから」 そういう事だったの?「じゃあ、千福まゆまゆさんに聞けば分かる?」 冬凪は顎に指を置くいつものポーズになってしばらく考えていたけれど、眉間に皺を寄せるばかりで何も思いつかないと言った風で黙ったままだった。そしてようやく口を開いて、「そうでもなさげなんだよね」 マジか。冬凪が感じてたふわふわ感って、そういう所からなんじゃ。 石段を登り切ると、目の前に武者髭男の真っ赤な顔が目に飛び込んで来た。それは石畳
ヤオマン・BPCで一番お肉を食べたのは豆蔵くんでも定吉くんでもなく、冬凪だった。こんな食べたっけと目を疑ったし、そもそもガテンは肉より麺が好きとか言ってた子はどこへ行ったのか?「次はどこへ行く?」 今日一日時間を持て余すと分かっていたから冬凪が提案した。あたしはそれに応えて、 「宮木野神社行きたい」 せっかくだからお参りしたかったのと、宮司の奥さんと言ってた高倉さんに会えるかもしれないからだった。豆蔵くんも定吉くんも異存はないよう。 あたしたちは再び、辻バスに乗ってバイパスを駅方面に向かった。ここでも豆蔵くんと定吉くんはルーティンを繰り返し、あたしはまたも切ない気持ちで二人を見る羽目になった。〈♪ゴリゴリーン 次は宮木野神社前です。宮木野と志野婦は双子の姉妹、昔なかよし今犬猿の仲。お降りの方は姉の機嫌を損ねぬようお気を付けください〉 宮木野神社前のバス停に降り立つと、すぐ目の前に大きな朱色の鳥居が立っている。この鳥居はよく見ると三本足で、二本の柱の真ん中にもう一本、横棒からすこし下がった所で切れた形である。これは志野婦神社も同じ。「辻沢の神社ってどこも三本柱なんでしょ」 冬凪に聞くと、「そうだよ。四ツ辻の山の中にある奥の院なんか、三本目も地面についてる」「なんで三本なの?」「夕霧太夫に関係あるって紫子さんが言ってた。知らんけど」(死語構文) 紫子さんは冬凪が親しくしている四ツ辻の山椒農家さんで、夏休み前に山椒摘みのお手伝いに行っていた。 鳥居をくぐると売店や駐車場のスペース、奥に石垣があって、そこから緑の生い茂った小山の最上部まで傾斜のキツい100段の石段が続いている。急に、それまで隊列を崩さなかった豆蔵くんと定吉くんが石段の袂まで進み出て身をかがめた。そして豆蔵くんが振り向いたので冬凪が、「スタート!」 合図をした途端、二人は怒濤のごとく石段を駆け上っていった。爆発的な脚力で石段が崩れるんじゃないかと思わせる勢いで、二人とも数十秒で踏破してしまった。「あたしたちが上がっていくまで何してる気かな」 冬凪が秒で、「筋トレ」
バス停につくと冬凪が、豆蔵くんと定吉くんにゴリゴリカードを渡した。そのうちの一枚に辻女の夏服バージョンがあったので見せてもらった。プリントされたモデルは辻川ひまわりだった。「これって、辻川ひまわりだよね」冬凪にゴリゴリカードを見せて言うと、「あたしはエリさんに似てると思った」 と返された。もともとエリさんと辻川ひまわりは同一人物なので特に問題はなさそうだけど、あたしには絶対にエリさんには見えないという点が引っ掛かった。もちろん冬凪は今の辻川ひまわりに会ったことがなさそうだ。だからエリさんと言っているとも考えられるけれど、もっと根本的な問題があるような気がした。つまり冬凪とあたしとでは人の見え方が違うということ。そしてそのことが、辻川ひまわりがあたしにだけ会いに来たことと何か関係があるんじゃないか。 バス停に並んでいても、辻バスに乗っても人の注目を集めるのは偉丈夫という言葉がぴったりな豆蔵くんと定吉くんだった。ただ、豆蔵くんはバスの天井の出っ張りに頭をぶつけて悶絶していたし、定吉くんは座らなきゃいいのに一人用の椅子に腰が挟まって藻掻いていた。二人を見ていると男性の生き辛さを体を張って表現しているようで切なくなった。〈♪ゴリゴリーン 辻バスをご利用いただき誠にありがとうございました。次は終点、辻沢駅です。『ゴマスリで町おこし』辻沢町へまたの御訪問よろしくお願いします〉「ゴマスリで町おこし」っていうのは、20年前の辻沢町のキャッチフレーズらしく町中あちこちにのぼりが立っている。ゴマすりに使う擂り粉木が特産の山椒の木っていうところからの発想らしいのだけれど、マジ、それでいいのかって思う。 ヤオマン・インに着くと、豆蔵くんと定吉くんにはロビーで待っていてもらって冬凪とあたしは部屋に戻った。とにかくシャワーを浴びたかったから。簔笠男たちが残していったのは歯形だけでなく、その周りについた涎、もう乾燥してカピカピになった粘液だった。それを取り除かなければ着替えをしただけでは気持ちが悪くてしかたなかったのだ。あたしよりかまれた箇所が断然多い冬凪が先で、次にあたし。シャンプー&トリートメントしてようやくゴワゴワ髪も元通り。下着も替えてお借りした制服をもう一度着ようとすると冬凪が、