その後も、啓介は何度か私の会社を訪れた。しかし、彼はいつも私に個人的な興味を示すような素振りは一切見せなかった。他の来訪者の中には、私に名刺を渡すためだけに担当者の連絡先を知っているにも関わらず、わざと私に声をかけてくる人もいるくらいなのに、啓介は全くと言っていいほど私になびかなかった。
最初は少し悔しかったが、彼の誠実な人柄が垣間見えた気がして、私は逆に安心感を覚えた。軽い気持ちで女性に声をかけるような男性ではない。彼は、仕事に真剣で女性関係にも真面目なタイプなのだ。
私は、彼から貰った名刺に書かれた会社名をインターネットで検索し、彼の会社の規模や取引先などを調べた。彼の会社は大手の会社ともパートナーシップを結んでおり間違いなく高所得者だった。
私は、社内の人間と親しくなり啓介のことを聞いた。仕事熱心で人柄も温厚で理解力も高く文句の言いようがないと太鼓判を押していて、さらに興味を持った。彼との距離を縮めるために受付嬢の同僚を二人誘い、取引先の人間も交えた3対3の飲み会をセッティングしてもらったのだ。
飲み会当日、啓介は少し戸惑っているようだったが大人の対応で穏やかに会話に加わっていた。
私はできるだけ自然を装いながらも積極的に彼に話しかけた。彼の趣味や休日の過ごし方、好きな音楽など、彼のプライベートな部分を探ろうとした。啓介は、質問に丁寧に答えてくれたが、やはりどこか仕事の付き合いというスタンスを崩さず、私との距離を縮めようとはしなかった。
しかし、私は諦めなかった。この飲み会で何としても彼の連絡先を手に入れると強く心に決めていた。
結婚しても仕事を続け出世にも意欲を示す目の前の女性に私は不信感を露わにしていた。「…そう。女性が活躍する時代ですものね」明らかに沈んだ冷たい声で言った。「でも、結婚となると家庭も大切になってきますわ。啓介も、会社を経営していて大変だと思うの。それに結婚したら夫を支えるのも妻の役目でしょう? お仕事が忙しくて家庭を放っておくことになるのはどうかしら」「仕事への情熱」に水を差そうとする発言に息子がたまらず口を開こうとしていたのを佳奈はそっと手で制した。「もちろん家庭も大切にします。啓介さんとは、お互いの人生を尊重し支え合っていくと決めております。彼の仕事に支障をきたすようなことは決してございませんし、私も、彼がいるからこそ一層仕事に打ち込めると思っております。」佳奈は穏やかに微笑んだが、私は面白くなくて表情は険しくなるばかりだった。先ほどから佳奈の言葉がひどく耳障りに聞こえている。自身のキャリアを優先し輝くことを目的とする佳奈の言葉からは、啓介を「支える」「尽くす」という言葉が一切出てこない。(結婚して妻になるということは、夫を支え、家庭を守り、子育てに励むことなのに……この子まるで分かってない!)「啓介は、昔から本当に頑張り屋でね。私も、啓介
「ねえ変じゃない?なんか慣れなくてムズムズする」啓介の実家へ向かう途中、そわそわと落ち着かなかった。啓介からお母さんの好みと聞いて、清楚で落着いた雰囲気のネイビーのAラインワンピースを選んだのだ。普段はパンツスーツや鮮やかな色のワンピースを好むため、控えめな色で丈の長いワンピースは新鮮だがどこか落ち着かない。ここまで清楚な装いは自分ではないようだった。「そんなことないよ。すごく似合っている。いつもとは違う雰囲気でこれはこれで俺は好きだけどな」「お母様に気に入ってもらえるかな?何か聞かれたら好かれるように話した方がいい?」「大丈夫。俺が隣にいるし助けるから。ありのままの佳奈でいてくれればいいよ。」啓介は優しく微笑み私の手を握りしめた。隣にいる啓介の存在が何よりも心強かった。☆高柳家の玄関では、啓介の母がそわそわしながら到着を待っていた。一週間前、啓介からの「紹介したい人がいる」という連絡に最初は凛のことだと思い喜んだが、佳奈という名を聞いた時の衝撃は大きかった。啓介から電話をもらう
数日後、啓介から電話がかかってきた。「もしもし、母さん?この前の話なんだけど来週の土曜日どうかな?二人で行くから」「大丈夫よ。今一人?食べたいもののリクエストがあったら教えてね。作っておくわ。」「あ、隣にいるよ。ちょっと待ってて。佳奈、食べたいものあるって母さんが。」息子の言葉に一瞬、固まった。(今、「カナ」と言ったような……。)瞬時に嫌な予感がよぎる。凛が、啓介がまだ好きだと涙ながらに語っていたこと。そして、応援すると息子が好きなレシピを教えてしまったことに罪悪感が芽生えた。(私は啓介が連れてくる人はてっきり凛ちゃんだと思っていた。明るくて勉強熱心で、なによりも啓介のことを大事に思う凜ちゃんなら啓介にピッタリだと思っていたのに……。)「カナ…?連れてくる方はカナさんと言うの?」聞き間違いであることを祈りながら、息子に確認をした。「初めまして。坂本佳奈と申します。突然、お邪魔してすみません。土曜日楽しみにしています。」啓介に聞いたのだが、返ってきたのは女性
数日後、啓介から電話がかかってきた。「もしもし、母さん?この前の話なんだけど来週末の土曜日どうかな?二人で行くから」「大丈夫よ。今一人?食べたいもののリクエストがあったら教えてね。作っておくわ。」「あ、隣にいるよ。ちょっと待ってて。佳奈、食べたいものあるって母さんが。」息子の言葉に一瞬、固まった。(今、「カナ」という女性の名前を言ったような……。)瞬時に嫌な予感がよぎる。凛が、啓介がまだ好きだと涙ながらに語っていたこと。そして、応援すると息子が好きなレシピを教えてしまったことに罪悪感が芽生えた。(私は啓介が連れてくる人はてっきり凛ちゃんだと思っていた。明るくて勉強熱心で、なによりも啓介のことを大事に思う凜ちゃんなら啓介にピッタリだと思っていたのに……。)「カナ…?連れてくる方はカナさんと言うの?」聞き間違いであることを祈りながら、息子に確認をした。「初めまして。坂本佳奈と申します。突然、お邪魔してすみません。土曜日楽しみにしています。」啓介に聞いたのだが、
「啓介、元カノの凛さんと啓介のお母さんに交流があるなら私も早めに顔を出して、挨拶にいった方が良くない?凛さんの言うことを鵜呑みにされる前に、私たちが先に会ってきちんとご挨拶した方がいいと思うの。」佳介の冷静な判断に俺は目を見張った。「確かに。母さん、凛を熱心な生徒と言っていて印象はいいんだよな」「それなら尚更だよ。凛さんの印象が良くなればなるほど、私たちの話は聞いてもらえなくなる。凛さんは負けず嫌いな計算高い女性みたいだし。これで終わるような女性ではないと思うの。」別れた男の母親に近付き、偶然を装って再会、そして俺の彼女の前でキスをし挑発してくるような女性だ。佳奈の言う通り、凛がこれで終わるとは思えなかった。「分かった。すぐに連絡する」翌日、俺は覚悟を決めて母に電話をかけた。「母さん、都合いい日ある?今度、紹介したい人がいるんだ」「え?なによ、突然! 誰なの?」「大切な人なんだ。大事な話もあるから、一度、時間を作ってくれないか?」「ええ! もちろんよ! 楽しみにしているわ! 私はいつでもいいから!」
『啓介さんとお付き合いしていた。まだ好きで忘れられない』私の言葉を聞いて、驚きの表情を滲ませていた。「そうだったの?啓介は自分のことをあまり話したがらないから聞いても教えてくれなくて。ずっと恋愛に消極的で交際している女性はいないと思っていたの。それが……凜さんみたいな素敵な方と付き合っていたなんて」「啓介さんはとても素敵な人です。実際に啓介さんとお付き合いしたいと言う女性はたくさんいました。」(啓介が凜さんと付き合っていた?結婚に消極的だから交際している女性はいないと思っていた。前から息子の口から付き合っている女性の話は出てきたことはなかったから、ずっと彼女がいないと思っていたけれどこんな可愛らしいお嬢さんとお付き合いしていたんて……。)「結婚の話も少しは出たんですけれど……私の至らなさのせいで別れることになってしまって本当に後悔しています。別れてから啓介さんがどれだけ私にとって大切な存在だったか分かって、今でも啓介さん以上の人はいないと痛感する毎日で……」今にも泣き出しそうな震える声で告白した。瞳は潤み、本当に啓介を愛し別れを後悔している女性を演じきった。啓介への深い愛情と、失ってしまったことへの後悔がにじみ出るよう考えに考え抜いた言葉を絞り出した。全て計算された演技だったが啓介の母の心には響いたようだった。「啓介さん、いつもお仕事でお忙しいから……。出来ることなら、 私、本当は啓介さんを支えたいんです。啓介さんの大変さを少しでも和らげてあげたい。そ