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2.誰もいない部屋と豪華なマンション

last update Last Updated: 2025-10-09 11:47:32

仕事が終わり、颯のアパートに行ったがまだ帰ってきていないようで部屋の電気は点いていなかった。このままじゃ終われない。二人だけで会って颯の口からしっかりと話を聞きたかった。

仕方なくアパートが見える近くのカフェでコーヒーとサンドイッチを食べながら、颯の帰宅を待っていたが、いつまで経っても颯は姿をあらわさない。ホットコーヒーはすっかり冷めきってしまい、時計の針が二十二時を指そうとしていた時に、店員が閉店を告げに来て店から出されてしまった。

(もう仕事終わっているはずなのに、もしかして七條さんと一緒なのかな……)

朝、颯の腕に手を添えている七條さんの姿を思い出すと胸が切なくて苦しかった。緊張した様子で微笑んでいる颯は、付き合ったばかりの笑顔とそっくりだった。だけど、それは私がこの四年間二股を掛けられていたと認めたくないからそう見えるのかもしれない。

外に出ると辺りはすっかり暗くなり夜風が冷たい。颯のアパートをもう一度見て、諦めて家に帰ろうとした時のことだった。私服姿の颯がアパートに向かって歩いてきた。

「颯……。」 

「佐奈?こんなところで何しているんだ。」 

私がいるとは思っていなかった颯は驚いて後ずさりをしたが、すぐに表情を元に戻し昼間話しかけたような冷酷な顔になった。

「何って颯と話がしたくて。なんで私服なの?スーツは?会社帰りじゃないの?」 

「もうここには住んでいない。それに昼間、璃子以外の女性とは仕事以外の話はしないって言ったのを忘れたのか。こういうことはもうやめてくれ」

颯は私の顔を見ようともせずに通り過ぎようとしたので、思わず腕を掴んで引き留めた。

「それならちゃんと話してよ。プロポーズされたのに突然別れを告げられて納得できると思うの?」 

「気安く触るな。お前には飽きたんだよ。結婚しようだなんてどうかしていた。そう思ったからやめることにしたんだ。」 

「何それ……最低」 

「そうか。でも璃子はそんな事言わないぞ。璃子は、俺のことを愛してくれている。それに、将来も約束してあの会社の跡継ぎになって欲しいと言われて。何でも分け与えてくれるんだ。」

颯は、嘲笑うように乾いた声で「ふっ」と口元を緩めていた。

「ああ、そうだ。渡していた合鍵を返してもらえるか。もうこの部屋は引っ越して返却が必要なんだ。社長が今後の璃子との生活のためにマンションを用意してくれたから、そっちで暮らしているんだ。」

颯と一緒にご飯を食べたり一緒にテレビを見た思い出の場所が、いとも簡単になくなってしまったことへの悲しさで胸が苦しくなった。別れの現実味が一気に増して、ただただ大粒の涙が溢れてきて頬を濡らした。

(もうあの部屋に入ることはないんだ。しかも、もう七條さんと一緒に暮らしていると言うの?)

「あと会社で誤解を生むようなことはやめてくれよ。まあ変なことをしたところで危害が及ぶのは俺じゃなくてお前だけど」

目の前にいるのは、私の知っている颯じゃない。顔も声も一緒だけれど、颯はこんな冷酷な人間じゃない。これは何かの間違いだ―――――。

朝、噂を聞いた時から自分に言い聞かせていたが、颯が口を開けば開くほど、その幻想を残酷に切り裂いていく。

私が鞄からキーケースを取り出して颯の部屋の鍵だけを抜き取った。顔や手が裏切られた憎しみとこんな悲しい結末にぷるぷると震えている。

(最低な結末だけど、こんな表情や態度の颯と一緒にはいれない――――。屈辱的な別れだけど、これが颯の本性だったならこちらから願い下げよ)

手が触れ合わないように鍵を上から落として、私はすぐに背中を向けて夜の街へと駆けて行った。外の煌びやかな照明が涙で滲む。

受け入れることも完全に忘れることもすぐには出来ないけれど、この状況が何か変わるかもと願うだけの受け身ではいたくなかった。

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