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第587話
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桜華、戦場に舞う 第1337話
さくらは怒りで胸が張り裂けそうだった。額に白髪が生えてきそうな気分だ。朝廷の官僚たちが皆年より老けて見えるのも無理はない。穂村宰相だって六十代なのに、髪はすでに半分以上白くなっている。彼女は憂鬱な気持ちで穂村宰相を訪ね、天皇の前で一言添えてもらえないかと相談した。「もう怒っておられるのか？」穂村宰相は目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。「怒るなどとは……」さくらは言いかけて言葉を飲み込んだ。「ですが確かに進展が遅れます。敵に警戒されれば先手を打たれかねません。陛下は結局、私を信じていないのです」穂村宰相は逆に問いかけた。「彼がお前を完全に信用しないのは当然だろう。お前だって、部下が証拠もなく何かを報告してきたら、調査もせずに全面的に信じるか？」「でも陛下だって、玄武様に野心があるという証拠はないのに、警戒されているではありませんか」さくらは反論した。穂村宰相は緩やかに首を振った。「証拠がないからこそ警戒するのだ。証拠があれば、とうに行動に出ていただろう」宰相はかすかに溜息をついた。その顔には長年の政治経験から来る疲れが刻まれていた。「実のところ、多くの事柄はお前が思うほど単純ではない。特に朝廷が一つの決断を下すには、朝臣たちが何度も議論を重ねる必要がある。一年や半年かけても進展しないこともある」宰相は机の上の書類を整えながら続けた。「それに、河道工事はこれまで進められてきて、年末には完成するはずだ。この時期に工事を中止し、河道司の全官員を逮捕するなどという重大決断を、単にお前が彼らを謀反人と疑っているだけで、実質的な証拠もなく行うことは、たとえお前が天皇を説得できたとしても、文武百官を納得させることはできないだろう」さくらは顔を曇らせ、眉間に皺を寄せた。「でも金川昌明が土地を囲い込んでいるのは事実です。誰かに調査させれば、すぐにわかることです」「囲い込みとは言えん。あの場所は朝廷が簡素な家屋の建設を許可した土地だ。河道の掘削や基礎工事を行う労役夫の仮住まいとして。いつでも取り上げることができる」さくらは宰相をじっと見つめた。「宰相様も、私が大げさに言っていると思っているのですね？」宰相はさくらを見返し、穏やかに答えた。「私個人はお前の推論を信じている。確かに不自然な点もある。だが朝廷や民に関わる決断となれば、やはり証拠を見なけれ
桜華、戦場に舞う 第1336話
ここ数年、河道工事に徴用された者たちは都の内外から集められた労役夫で、常に同じ集団が作業に当たっていた。河道司全体が金川昌明を筆頭に、河川修繕や排水灌漑工事を名目に、かなりの山地や土地を不正に占拠していたのだ。「これらの場所に点在する形で小規模な家屋が建てられています。規模は大きくありませんが、河川工夫や一部の労役夫がそこに住んでいるようです」有田先生が広げた地図には、占拠地が赤い点で示されていた。さくらはそれを見つめ、眉を寄せた。「東西南北に散らばっているわね……」「はい。これらの点を線で結ぶと……」有田先生が筆を走らせると、皇城を取り囲むように一つの網が浮かび上がった。まるで天の網のように都を包み込む形だった。「もし彼らが『黒幕』の私兵だとしたら……」さくらは息を呑んだ。「城門を守っても無意味ということに…」「彼らは最初から都の中にいるのです。仕事のない日には街中を歩き回り、地形を把握している。御城番や禁衛府よりも都の地理に詳しいかもしれません」さくらは地図を見つめ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。しかし同時に疑問も浮かんだ。「彼らがこれだけの土地を征用するには、宮内省や天皇陛下の許可が必要だったはずよ」「その通りです。ですが、河川工事や排水設備のための用地に家屋を建てるのは本来許されていません。しかも、そこに住まわせている人々の多くは戸籍に登録されていないのです」「労役夫もそこに住んでいるの？」「大部分は。特に都の外から徴用された者たちはほぼ全員がそこに住んでいます。日頃から重労働をしている彼らは並外れた力を持っています。数十斤の大槌や大刀を振り回すのも容易いことです」さくらは眉を寄せた。河川工事では、基礎工事や堰を築くため、時に石を砕く必要がある。彼らは大槌や斧、大刀といった鉄製の道具を常に手元に持っている。しかも、それらは朝廷から支給されたものだ。今判明しているのはほんの一部かもしれない。さくらはもはや時間を無駄にできないと感じ、翌朝早くに宮中へ向かった。清和天皇は彼女の報告を聞き終えると、眉をひそめた。「そのような烏合の衆が謀反人だというのか？」「陛下、彼らは単なる烏合の衆ではありません。長年重労働に従事し、屈強な肉体と並外れた力を持つ者たちです」清和天皇は首を横に振り、表情が徐々に厳しさを増した
桜華、戦場に舞う 第1335話
それは暗赤色の錦の箱で、埃がたくさん積もっていた。萬谷内侍は箱に息を吹きかけ、袖で拭うと、カチリと音を立てて隠れた留め金を開け、中から一枚の佩玉を取り出した。彼は佩玉を穂村宰相に渡すよう合図した。宰相は不審そうに受け取り、一目見た。環状の佩玉には龍の模様が彫られており、明らかに先帝の持ち物だった。「宰相様、裏面をご覧ください」と萬谷が言った。宰相が裏面を見ると、完全に凍りついたように動かなくなった。裏面にも龍の模様が一周彫られていたが、龍は一枚の楓の葉を包み込んでいた。さらに楓の葉の横には、非常に小さな「時」の文字が彫られていた。楓の葉と「時」の文字は左右に分かれ、一方は大きく、もう一方は小さかった。さくらもそれを見たが、意味が分からなかった。穂村宰相は溜息をつき、静かに説明した。「時明は先帝の雅号です。秋本は若い頃、剣の道を極める旅に出て、『鉄楓の剣士』という異名で知られていました」「この佩玉は先帝が秋本統領に下賜されたものです」萬谷が続けた。彼の声は弱々しかったが、記憶は鮮明だった。「元々の裏面には龍の模様だけがありました。楓の葉と『時』の字は、彼自身が彫り加えたものです。秋本統領はこの佩玉を常に錦の袋に入れて身につけていましたが、どういうわけか先帝にそれを見つかってしまった。先帝は激怒し、佩玉を隅に投げつけました。私がそれを拾い、秋本統領にお返しするつもりでしたが、適切な機会がなく、彼が都を離れるまでこの佩玉は私の手元に残ったままでした」さくらは唖然とした。これは……どういう意味なのか？彼女が理解した通りの意味なのだろうか？しかし秋本は斎藤帝師との間に何かあったのではなかったか？なぜここに先帝が関わっているのか？さくらはずっと、先帝が秋本と斎藤帝師の間の問題を発見したか、あるいは秋本が何か過激な行動をとったために、先帝が彼を都から追い出したのだと思っていた。結局のところ、先帝は男色を最も嫌っていた。秋本は御前の人間だったから、先帝は彼が故意に禁を犯したと考えたのだろう。「萬谷様、秋本はこのことで爵位を奪われたのですか？」さくらは尋ねるのは余計かもしれないと思いつつも、抑えられなかった。萬谷はしばらく黙った。「おそらくそうでしょう。この一件の後、先帝は激怒され、爵位を奪われました。その後、昔の君
桜華、戦場に舞う 第1334話
「実は……」穂村宰相はお茶を二口ほど飲み、言葉を選びながら続けた。「真相は私自身もはっきりとは知らないのだ。当時の公式発表では、秋本が大不敬の罪を犯し、先帝が怒りのあまり爵位を剥奪したということになっている。後に平安伯爵の位が与えられたが……」宰相は声を落とした。「御前から漏れ伝わる断片的な話によれば、彼と斎藤帝師の間には、言葉にできない感情があったのだという。それを先帝が知り、激怒したのだ。先帝はそういったことに対して最も寛容でなかった。怒りに任せて秋本を厳しく叱責し、爵位まで下げたことで、秋本の心は完全に冷え切ってしまった。それで都を離れたというわけだ」さくらはこの理由について以前から推測していた。しかし、御前で仕える者たちが自分の心情をさらけ出すとは考えにくい。先帝の性格を知っていれば、なおさら慎重になるはずだ。それに、そんなことで爵位を下げるのは、大げさに思えた。今聞くと、おそらく秋本は本当に先帝を友人だと思っていたからこそ、あまり隠し立てをしなかったのだろう。あるいは、そういった出来事が重なり、先帝の不快感が募った結果かもしれない。「宰相様は、秋本が都を離れる前、先帝に恨みを抱いていたとお考えですか？」さくらは静かに尋ねた。宰相はさくらが少しも驚いた様子を見せないのに気づき、彼女がすでにこの方面の推測をしていたことを悟った。彼の表情も少し楽になった。「表向きはもちろん何もなかった。だが心の中でどう思っていたかは、本人にしかわからん。あるいは、斎藤帝師なら知っているかもしれないがな」さくらは斎藤帝師に知られたくないと思っていた。こんな重要な局面で、感情に流される事態は避けたかった。小さな変数でも全体の結果を変えてしまう可能性がある。「帝師以外に、この件を知る者はいるとお考えですか？」さくらは問いかけた。宰相は眉間に皺を寄せ、考え込んだ。「吉田内侍の師である萬谷内侍は知っているはずだ。彼は先帝に長年仕え、崩御後、現陛下の特別な許しを得て都で隠居している。吉田内侍が彼のために家を買い与えたほどだ。高齢ではあるが、まだ健在で、当時の出来事はよく覚えているだろう。ただ、あまり人に会おうとしない。吉田内侍に案内してもらうのが良いだろう」さくらは清和天皇に知られたくなかった。天皇は吉田内侍と北冥親王家の交流を快く思っていないことも分か
桜華、戦場に舞う 第1333話
斎藤帝師がさくらに探すよう頼んだ人物は、秋本蒙雨という名だった。秋本家の先祖は建国の際に初代天皇に従い、世襲の定国侯爵に封じられた。しかし後に秋本蒙雨が何らかの理由で先帝の怒りを買い、爵位は平安伯爵に降格された。それを機に彼は都を離れ、関西地方に隠棲した。都で彼のことを覚えている者はもう多くないだろう。「彼は生涯独身を通し、秋本家商号は彼のものです」さくらは驚いた。「彼が秋本家商号の裏の主だったの？」秋本家商号は関西地方でも屈指の富豪だった。財力は沢村家には及ばないものの、様々な業種に手を広げ、人脉も広かった。大和国には秋本姓の者は少なくなく、加えて蒙雨は隠棲して客を拒んでいたため、誰も彼が秋本家商号の主だとは思わなかった。しかし、秋本家商号は創業から百年以上経つ老舗だ。蒙雨が都を離れる前、彼の家が商売をしていたという話は聞いたことがなかった。紅竹はすぐに謎を解いた。「元々の秋本家商号は蒙雨のものではなかったのです。彼が関西に移った後、秋本家商号が大きな困難に直面し、資金が枯渇して経営が立ち行かなくなった際、蒙雨に売却されたのです」「本当に深く隠れていたのね」さくらは溜息をついた。紅竹は首を傾げた。「彼は何を求めているのでしょう？子も妻もなく、兄弟姉妹とも絶縁し、自分はもう片足を棺桶に入れているような年齢なのに。先帝に爵位を下げられた恨みを晴らしたいのでしょうか？」さくらはその可能性を否定しなかった。世の中には、一つの恨みを胸に抱えて生きている者もいる。しかし、そもそも先帝が彼の爵位を奪った理由を知る必要がある。それを知る者は、斎藤帝師か穂村宰相くらいだろう。さくらは穂村宰相と斎藤帝師のどちらに会うべきか考えた。結局、穂村宰相に会うことに決めた。斎藤帝師は体が弱く、蒙雨が謀反に関わっていると知れば、衝撃で命を落としかねない。それ以上に恐ろしいのは、斎藤帝師が蒙雨に対して負い目を感じ、彼を助けてしまう可能性だった。そうなれば天下は大乱に陥るだろう。その夜、さくらは宰相邸を訪れた。宰相邸内は灯りが控えめだった。穂村宰相は一生を質素に過ごし、書斎の机上だけは明るく照らすという習慣があった。秋本蒙雨について尋ねたいと告げると、宰相は書斎へと案内した。秋本蒙雨の名を聞いた宰相は、しばらく黙り込んだ。や
桜華、戦場に舞う 第1332話
彼らが酒を酌み交わす頃、金川昌明についての全情報が有田先生の手元に届いていた。金川昌明、燕良州出身、四十七歳。十三歳で秀才に合格し、十八歳で科挙の郷試に合格した。当時、燕良州では「神童」と呼ばれるほどの才能を持っていた。しかし、郷試合格後、母の病気のため都での会試に参加できず、燕良州府の書記官として地元の役所に勤めることになった。彼の昇進過程に不審な点はなく、燕良州でも宮内省でも「決断力があり、実務能力が高い」と評価されていた。式部の三年ごとの評価でも「優」を取得していた。実際、現在の河道司という役職は彼の才能を埋もれさせているとも言える。もっとも、人脈がなければ昇進も難しい。そうでなければ、とっくに宮内少輔になっていたはずだ。大和国には金川昌明のような官吏が多く存在していた。地位は高くないが、任された仕事は確実にこなし、野心を見せず、控えめで実務に長けている。目立たず、話題にもならない。妻一人、妾一人、子どもは男女一人ずつ、使用人が三人。以前は借家住まいで、ここ二年ほど前にようやく小さな中庭付きの家を購入し、何とか家族が住める程度だった。河道司は実入りの良い役職のはずなのに、ようやく家を買えるようになったということは、清廉潔白な官吏と言えるだろう。しかし、完全に疑惑がないわけではなかった。有田先生は指摘した。彼の手下の官吏たちは、彼よりも良い暮らしをしている。手下の俸給は彼より少ないはずなのに、あれほど贅沢な暮らしができるのは、河道工事の資金に手を付けているに違いない。金川昌明の目の前で横領が行われているのに、彼が知らないはずがない。不可能だ。だから奇妙なのは、彼は知っていながら黙認し、自分は貪らないことだった。本当に清廉な人なら、目の前で横領が行われるのを許すはずがない。二つの可能性がある。一つは彼自身が大きな不正を働き、それを隠している場合。もう一つは、彼は不正をせず、部下の不正を黙認することで人心を掌握し、命令に従わせている可能性。こうして何年も目立たず発展させてきた。労役夫も河川工夫も、彼の思うままに配置できる。誰も気づかない。有田先生は苦笑いを浮かべた。「私どもはこれまで勲爵や権貴ばかりを調査しておりました。以前、影森茨子も彼らと交流が多かったから、何人かは引き込まれているだろうと思って
