三浦は少し思い出すように言った。「もうずいぶん前のことね。私が常盤家で働き始めたのは、まだ三十になる前だったのよ。今じゃもう四十五。あと五年もすれば定年だわ」「千代さんの方がもっと長いよね?」「そうよ。千代さんは元々おばあさまのお世話係だったの。時が経って奏さんと結菜ちゃんが生まれてからは、子どもたちの面倒を見るようになったのよ」三浦は懐かしそうに語った。「全部、千代さんから聞いた話だけどね」「昨日、奏が子どもの頃の話をしてくれたの」とわこは心が沈んでいた。誰かに話したくて仕方がなかった。「まさかあんなに辛い幼少期を過ごしてたなんて、思ってもなかった」「旦那様がそんな話までしてくれたの?」三浦は驚きを隠せなかった。「うん、何もかも包み隠さず話してくれた。誤解されたくないって」とわこは三浦の方を見て言った。三浦の目が潤んだ。「とわこ、旦那様が今になって話してくれたこと、責めないであげて。あの方が今のように立派になれたのは、本当に奇跡のようなことなのよ。神様が哀れんでくださったから、あの頃病気が治ったの。でももし治ってなかったら、結菜ちゃんと同じ運命だったわ」「!!!」その言葉一つ一つは、確かに耳に入った。でも、とわこには理解が追いつかなかった。「違うわ、旦那様と結菜ちゃんは状況が違うの。千代さんが言ってたの。亡くなったご主人は男尊女卑でね、旦那様のことも嫌ってはいたけど、手をあげることはなかった。でも結菜ちゃんには違った。女の子だからって、いつも殴られてた。泣いても許してもらえなかった」そう言って三浦の目から涙がこぼれ落ちた。「奏も子どもの頃、結菜と同じ病気だったってこと!?」とわこの目がまんまるに見開かれた。三浦の顔が一瞬こわばった。「とわこ、旦那様が何でも話したって言ってたけど、それって」「そこは話してくれなかったの!」とわこは深く息を吐き出す。「彼は、ただ父親を殺したのは結菜のためって、それだけ」「な、何ですって!旦那様がお父様を?」三浦はその衝撃に、思わず足元がふらついた。とわこは急いで蒼を腕から下ろしてベッドに寝かせ、三浦を支えてソファに座らせた。「このこと、知らなかったの?」とわこは顔が火照り、心臓がバクバクしていた。どうしよう?重大な秘密を漏らしてしまった。三浦が知らないなんて思ってもみ
子遠は裕之のメッセージを見て、すぐに電話をかけた。「裕之!そのメッセージ、今すぐ削除して!」「なんで?とわこの話はしてないよ。蓮とレラのことも話しちゃダメなの?」「違う!とわこは社長を招待するつもりがないんだ。だから、この話はグループでしないでくれ」子遠は深く息を吸い込んだ。「これ、信じられる?」「信じられないよ!ホントにさ。でも、とわこなりの理由があるんだろうな。とりあえずメッセージは削除するよ」裕之は通話を切り、グループチャットを開いた。一郎「蓮とレラの誕生日っていつ?とわこにパーティーでも開いてもらえばいいじゃん。面倒なら奏に任せてもいいし!」裕之は黙って自分のメッセージを削除した。もう遅いって分かってはいたけど。一郎が見たってことは、つまり奏も見たってことだ。一郎:なんで削除したの?@裕之裕之はメッセージを見つめたまま、返信できなかった。子遠「一郎兄、とわこがちゃんと誕生日パーティーするらしいから、心配しなくて大丈夫だよ」一郎「そう。で、裕之、なんでメッセージ削除したの?@裕之」適当にごまかしたかったけど、必死に考えても言い訳が思いつかない。結局、一郎の問いかけはスルーすることにした。......とわこは病院を出たとき、自分がパジャマ姿のままだと気づいた。今日は天気も良くて風もなく、昨日より暖かかった。道路脇でタクシーを拾い、自宅の住所を伝えた。車が走り出してからスマホを開いてニュースをチェックする。「信和株式会社の新社長である直美が初めて公の場に登場、奏とはただの友人と再度強調」とわこは記事を開き、マスク姿の直美の写真を見た。あの火傷後の顔を見て、昔の直美と全然違う。とわこは七年前、初めて直美に会った夜のことを思い出した。あの頃、彼女と奏は出会ったばかりで犬猿の仲だった。直美は奏と寄り添ってソファに座り、まるで恋人同士のようだった。初めて見たとき、直美はセクシーでクールな美女で、奏にぴったりだと思った。自分なんて到底敵わない、奏の妻にふさわしいのは直美だと感じていた。でも直美は美しいけれど、心は醜かった。その夜、直美は彼女に挑発的な態度を取り、威圧してきた。怖くなかったわけじゃないけど、どこかから湧いた勇気で瓶を叩きつけ、直美を後退させた。
子遠[なでなで]一郎[なでなで]奏[なでなで]裕之「みんな、話を聞いてくれてありがとう。ずいぶん気が楽になったよ。瞳、もう泣き止んだみたい。やっぱり、とわこってすごいな」その言葉に、みんな急に黙り込んだ。裕之「え、どうしたの?とわこの話題ってNGになったの?そんなことないだろ?たとえ奏兄と別れたとしても、僕たちは友達だろ?」子遠「おやすみ」一郎「おやすみ」奏「うん。@裕之」裕之「奏兄、僕ちょっと寝室見てくるよ。奏兄も早く休んで」そう送信すると、裕之はスマホを置いて主寝室へ向かった。部屋の中では、とわこと瞳がベッドに横になり、まるで姉妹のように並んで、小声で話していた。裕之はすぐに静かにドアを閉め、部屋を後にした。瞳ととわこの関係は特別だった。だから、たとえとわこが奏とどんなに喧嘩をしていても、裕之の中で彼女への好感が揺らぐことはなかった。瞳はわがままなところもあるが、根は優しい。そんな彼女と親しくなれるとわこも、きっと同じように優しい人なのだと、裕之は思っていた。翌朝。とわこは瞳を連れて病院へ行った。婦人科で診察を受けるため、瞳は中へ。とわこと裕之は外で待っていた。「とわこ、ありがとうな」裕之は水のボトルを手渡す。「瞳、やっぱりカウンセリング受けた方がいいかも」「まずは身体の状態を見てからね。彼女、自分が身体的に問題あるって思い込んでるみたい」とわこは水を受け取りながら言った。「退院の時、医者からしっかり養生するように言われてた。でも離婚してから、ちゃんとケアしてたかどうか」裕之は顔を曇らせた。「お酒は控えないとね。最近、結構飲んでたみたいだから。これからはあなたが見ててあげて。飲ませすぎちゃダメよ」「うん。ところで、今日って忙しい?無理なら先に帰っていいよ。瞳、今日はわりと元気そうだから、僕一人でも大丈夫。それか、母さん呼ぼうか?」「大丈夫、私も特に予定ないし。検査結果、いっしょに見ようと思って」瞳の診察が終わり、三人は待合室で結果を待つ。その時、とわこのスマホが鳴った。マイクからの電話だったが、とわこは避けることなく、普通に出た。「とわこ、つばさホテルの一番大きな宴会場を予約したよ」マイクは進捗を報告した。「メニューはそっちで決める?それとも俺が決めよ
とわこの胸がぎゅっと締めつけられた。電話の向こうの声は、瞳だった。彼女、裕之ともう仲直りしたはずじゃなかったの?「瞳、どうしたの?泣かないで、まずは落ち着いて、何があったか教えてくれる?」とわこはベッドから降り、急いで上着を羽織りながら訊いた。「とわこ、わたし、ダメなの......怖くて......」瞳の声は涙で途切れ途切れだった。「大丈夫、怖がらないで。今も裕之と住んでる家にいるの?迎えに行った方がいい?」とわこは不安を抑えながら問いかけた。彼女には、なぜ瞳が泣いているのか、察しがついていた。奏の辛い過去の出来事のように、瞳の心にも、あの誘拐事件が深く刻まれていた。その傷は、きっと長い時間、もしかすると一生をかけて癒やす必要があるものなのかもしれない。「来てほしい」瞳がそう絞り出すと、とわこはすぐに寝室を出た。玄関に向かう途中、物音に気づいた三浦が顔を出した。「とわこ、もう夜中の12時よ。どこかに行くの?」「ええ、今夜は帰れないかも。待たずに休んで」そう言い残して、とわこは夜の闇の中へと飛び出した。ヨーロッパ風の別荘。裕之は、水の入ったコップを手に、しゃがんで瞳の前にいた。「瞳、もう泣かないで。とりあえずこれを飲んで。とわこがもうすぐ来るから」裕之は頭を抱えていた。やっとすべての困難を乗り越えたと思っていたのに、まったく終わっていなかった。「ごめんね......」瞳は膝を抱え、真っ赤に腫れた目でつぶやく。「水はいらない......放っておいて......あなたは寝てて......」裕之は心底つらそうだった。「放っておけるわけないだろ?」「ううっ......あなたの顔を見ると、苦しくなるの......」涙は止まらず、嗚咽も大きくなっていく。「わかった。リビングに行くよ。泣かないで」裕之は水を置いて、主寝室を出た。ソファに腰を下ろしても、気持ちは重いままだった。この話を、誰かに相談するわけにもいかない。どうしたらいいのか、さっぱりわからない。しばらくして、インターホンが鳴った。玄関まで行ってドアを開けると、とわこが立っていた。裕之に挨拶する暇もなく、とわこはすぐに主寝室へ向かった。裕之はドアを閉め、ソファに戻るとスマホを取り出し、グループチャットにこうメッセ
蓮は言った。「クラスの皆とは、特に親しいわけじゃない」とわこは少し考えてから言った。「じゃあ、クラスのみんなを呼ぼうか?人数もそんなに多くないし」「いいね!人数多いほうが絶対楽しい!」レラは大喜びで答えた。蓮はそんな妹の様子を見て、無邪気な期待に水を差す気にはなれなかった。その後、涼太が帰ったあと、とわことマイクはゲストリストの仮案をまとめた。「とわこ、子遠は絶対呼ぶとして、裕之はどうしても招待しなきゃならないだろ?でもさ一郎も呼ぶとしたら、奏だけ呼ばないってことになるけど、それってまるでわざとハブったみたいに思われないか?」マイクは気にかかる点を口にした。「いっそ、一郎は呼ばないようにしない?」とわこはこめかみを押さえた。せっかく楽しいはずの誕生日パーティーが、奏との関係のせいで面倒で重たいものになっていた。「その件は、あなたに任せるわ」そう言って、とわこは子どもたちのもとへ向かった。マイクはすぐに子遠にメッセージを送り、事情を説明したうえで意見を求めた。子遠「社長が『もう関わらない』って言ったのは、とわこを困らせたくないからだよな?でも子どもとも縁を切るなんて一言も言ってないぞ?」マイク「だよな。俺もそう思ってる。でもあの涼太ってヤツ、とわこの耳元で『奏を呼ばないほうがいい』とか吹き込んでるんだよ」子遠「よく考えろよ。君と涼太が彼女の患者だろ?なのに彼女は、どうして君じゃなく涼太の言うことを聞くんだ?君の方が長い間ずっとそばにいるのにな」マイク「チクショウ!それ俺のせいかよ?!」子遠はしばらく既読のまま沈黙したが、落ち着いた後にこう返信してきた。子遠「とにかく、一郎さんはまだ招待しない方がいい。みんなを招いておいて、社長だけ呼ばなかったら、絶対に傷つく」マイク「了解!」子遠「この件、当分誰にも言うなよ。誕生日パーティーの直前に、とわこが気持ち変えるかもしれないから」マイク「まったく、奏にだけやけに気を使うよな。俺のことはそんなに心配しないくせに」子遠「うるせぇ、黙れ」夜十時、とわこは寝室に戻った。子どもたちはすでにぐっすり眠っていて、別荘全体がまるで時間が止まったかのように静まり返っていた。彼女は、自分の心臓の鼓動さえ聞こえるような気がした。夕方に少し眠っていたことも
とわこの胸は、まるで氷の中に沈んだように冷え切っていた。合わない?これは一郎の言葉?それとも奏の言葉?奏がもう自分に関わらないと決めたのなら、それはきっと「合わない」と思ったから、だから一郎にそう言ったのだろう。「とわこ、どうした?もしかしてまた俺、なんか変なこと言った?」マイクは慌てた様子で訊いた。「その時、子遠もいたし、子遠も証言できるよ。一郎は確かにそう言ったんだ」「信じてるよ」とわこは箸を手に取り、すぐに気持ちを切り替えた。「彼がそう思ってるなら、その考えを尊重するしかないね」「でもさ、なんか落ち込んでるように聞こえるぞ?アイツのこと嫌ってたんだろ?もう関わらないって決めたなら、喜ぶべきなんじゃないの?」マイクは思ったことをそのまま口にしてしまった。恋愛経験がある彼には、とわこがなぜ落ち込んでいるのか理解できた。とわこが奏を嫌っていたのは、奏がうまく彼女の怒りを解けなかったから。もし奏があきらめずに彼女をなだめ続けていたら、怒りが収まったあとでまた愛し合えたかもしれない。とわこにとって予想外だったのは、奏が「間違った恋」を完全に終わらせる決断をしたことだった。「彼女がどう感じようと、それは彼女の自由だ。君は自分のことを考えてればいい」涼太が口を開き、マイクの言葉を遮った。「だって、あとで後悔したらかわいそうじゃん」マイクはグラスを持ち上げて、一口飲んだ。「奏がもう関わらないと決めたんだ。とわこが後悔したところで何が変わる?皮肉を言う暇があるなら、奏と仲良くすればいい」涼太の一言は鋭く突き刺さった。マイクは返す言葉もなく黙ってしまった。「とわこ、男で気持ちを乱されちゃダメだよ」涼太は優しい目で彼女を見つめ、慰めた。「蓮とレラの誕生日が近いよ。今日レラに聞いたら、パーティーをしたいって」とわこは軽くうなずいた。「あなたの予定に合わせるよ。休みの日にしよう」「もうその日は休みにしてあるよ。誕生日当日、ちゃんと空けておいた」「涼太って、いつも完璧に準備してくれるね。言ってくれなかったら、誕生日のこと忘れてたかも」とわこは感動しながら言った。「前にレラが言ってたんだ。『もうすぐ誕生日』って。見た目は小さくても、ちゃんとわかってるよ。君と奏がケンカしてるのも、子どもたちは全部見てる」とわこは目を