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【5】③

last update 最終更新日: 2025-08-02 16:00:40

「当直明けだったから、午後には帰って来てたんだ」

 兄はスマホに視線を注いだまま、声だけで淡々と返事をする。

「そうだったんだ。お疲れさま」

 兄がこの時間帯に家にいる理由は、だいたい当直明けか有休を取得したかのどちらかだ。

 キッチンで話を盗み聞きしたときに予測はついていたけれど、今知ったという体でうなずいてみせる。

「――さっきここでお母さんと話してたの、お兄ちゃんだったんだね」

 兄の存在を意識していたと思われたくなくて、私は兄が在宅していたことに気が付かなかったふりをした。

「ああ」

「もしかして、また縁談?」

「そんなところ」

 からかうように訊ねると、兄は声の調子を変えずに肯定する。

「今回はどうするの? 受けるの?」

 知りたくない気持ちと同じくらい、どうするのか確かめたい気持ちが急激に高まり、衝動的に訊ねてしまったのを、自分自身でも驚く。

「まさか」

「じゃあ、断ったんだ」

 わかりやすく声のトーンが明るくなってしまったに違いない。そうであってほしいと願っていたから。

「今はな。当たり前だ」

「……そっか」

 端的な返答を得て、ホッとしたのは一瞬だけ。すぐに胸にモヤモヤしたものが広がる。

 『今は』って言い方をするのは、そのうち受けるかもしれないから?

 それとも、よろこんでしまった私に期待を持たせないようにするため?

 いずれにしても、心底安心できるような答えではなさそうだ。 

 兄はずっと、手元のスマホを見つめていて、私には目もくれない。

 あのときからずっとそうだ。

 兄へ改めて想いを伝えたあの春の夜からずっと、彼は私と面と向かうのを避けるみたいに、私の視線に気が付かないふりをする。

 まるでそれが、揺るぎない自分の答えであると主張するように。

 ――すっかり警戒されちゃってるな。

 わかりやすい拒絶に傷つくけれど、自分

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