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第510話

作者: 藤原 白乃介
佳奈はその一言で、すべてを察した。

しかし、わざととぼけたように言う。

「えっ、ひどく噛まれたの?狂犬病のワクチン打ったほうがいいかもね。石井先生、どうしてそんなに油断してるの?知里が犬に噛まれるなんて」

誠健は奥歯をきしませ、悪びれずに笑った。

「その犬ってのは俺だよ」

佳奈はぱちくりと大きな目を瞬かせる。

「……なんであなたが知里を噛むのよ?うちの知里は肌がきれいで繊細なんだから、そんな荒っぽくしたら困るでしょ。ねえ、どこ噛まれたの?見せてよ」

誠健は思わず吹き出し、破顔して言った。

「妊娠すると3年はバカになるってよく言うけど、お前、本当だな。そんなことも見抜けないのかよ。俺が彼女のこと好きで、噛みたくてしょうがないってだけだよ」

「好きで噛むのと、好きだから噛むのは意味が違うの。もし本当に好きじゃないなら、次から勝手に噛んじゃダメよ。傷が残ったら、知里がお嫁に行けなくなるでしょ」

そこまで言われてようやく誠健も悟る。

舌で奥歯をなめながら、低く唸った。

「佳奈、お前まで智哉のあの性悪と同じになって……なんでよりによって、あいつの腹黒さを見習うんだよ」

佳奈はにっこり微笑んで返す。

「うちの旦那の策は全部仕事用。私に対しては、ただの一途なの。決めたら絶対に離さない。でもあなたは違う。心が一つしかないくせに、自分の本心がどこにあるかもわかってない。もったいない男ね」

そう言って、知里の手を取って屋敷の中へ。

背中を向けたまま、手を振って別れを告げる。

「石井先生、昨夜は徹夜手術でお疲れでしょ?お食事は遠慮してね。知里を送り届けてくれてありがとう。じゃあね」

誠健は立ち尽くし、二人の背中を見送りながら、懐から煙草を取り出し火を点けた。

知里の見合い話でイラついていた気持ちが、今また佳奈の言葉でぶり返す。

俺はこんなに軽く扱われる男か?

ポケットからスマホを取り出し、すぐさま智哉に電話をかける。

「佳奈、お前が妊婦じゃなかったら、今すぐにでも説教してやるところだ。でも代わりに、お前の旦那と決着つける!」

ちょうど記者会見を終えたばかりの智哉が電話に出る。

声は低く、落ち着いていた。

「何の用だ?」

誠健は思いっきり煙を吸い込み、苛立ちをぶつける。

「お前さ、自分の嫁ちゃんと管理しろよ!知里と組んで、俺を散々おちょ
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