結局その日は気まずくそのまま通話を終え、俺はそのまま夕食が運ばれてくるまでベッドに潜り込んでいた。
看護師の有本さんが夕食を運んでくるまでベッドの中に潜り込んでいたのだけれど、物音と気配で被っていた掛け布団を跳ねのけて起き上がったら有本さんがぎょっとした目で俺を見ている。
「……ごめんなさい、起こしちゃいましたね」
「いや、別に……」「ご飯、ここに置いておきますけど……食べられそうですか?」
「え? あ、はい……」
無理しなくていいですからね、と心配そうに言われて夕食の病院食の載ったトレイを有本さんは置いていったのだけれど、その表情はひどく心配そうにしていた。
そんなに俺のいまの顔ヘンなんだろうか……そう思いながら部屋に備え付けの洗面所まで手を洗いに行った時にふと覗き込んだ鏡を見て愕然とした。あまりにひどい顔をしていたからだ。髪はぼさぼさで目許は泣き腫らして赤くなり、いかにも泣きまくっていたことが丸わかりな姿だった。
朋拓との電話の後、俺はベッドの中に潜り込んで泣いている内に泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。心なしか声も嗄れ気味で、これでは心配されても無理はない。むしろ心配してくれと言わんばかりだ。
この姿を写真にとって朋拓に送りつけてやろうかなんて一瞬考えもしたけれど、あまりにバカらしくて溜め息も出なかった。それじゃあ構ってくれと駄々をこねる子どもと一緒じゃないか、と。
そんなことをしたところで朋拓が俺の子どもを産みたいということを理解してくれるとは思えないし、むしろ逆効果だ。
「だからって、あんなに反対されるなんて思わなかったな……。俺が大事なことはわかるけど、あんなに頑なに反対しなくてもいいのに……」
朋拓には俺に家族がいなかったことや施設育ちであることはなんとなく言って
「最近すごくお疲れみたいですけど、何かありました?」 朋拓と通話した日の翌々朝、いつもの検温をしてもらっていたら有本さんが不意にそんなことを訊いて来た。 今朝は泣き腫らしてもいないし、昨日の夕食だってその前だってちゃんと全て食べたのに、有本さんは俺の曇っている胸中を見透かすようなことを言ってくるのだ。「え、別に何も……。なんでそんなこと訊くんです?」「んー、看護師の勘、って言うと|胡散臭《うさんくさ》いですけど、患者さんの心が上の空な時ってなんとなくわかるんですよね。表情がいつもより晴れていないとか、逆に妙に明るいとか。ご本人は無意識なんでしょうけれど、平静を装うとしているのがわかるんです」 なんて、胡散臭いですよね、やっぱり……と、有本さんは苦笑しながら検温や血圧測定の道具を片付け始めたのだけれど、俺はその鋭さに言葉が出なかった。 唖然としている俺をよそに、有本さんは更にこうも言う。「独島さん、いつも素っ気なくはあるけど私の処置とかちゃんと見てるし、お薬の説明もちゃんと聴いてるのに、なんか一昨日くらいからちょっとぼーっとしてる感じがして、大丈夫かなぁって思ってるんですよ」 俺としてはいつも通りを装いきれていると思っていたのに、プロの目というのはごまかしが効かないんだなと改めて痛感させられる。 衝撃を受けてうつむく俺に、有本さんがいつもと変わらない明るさでこう言ってくれた。「パートナーの方と、何かあったんですか?」「え……」「踏み込んだこと訊いてしまってごめんなさい。でも、患者さんの体調とかメンタルに影響するような方なら先生に相談した方がいい気がしたんで」 あの日以来、一番理解してもらいたい朋拓と連絡を取り合えていない。正確に言えば、俺からテキストで、だけれどメッセージを送っても返
結局その日は気まずくそのまま通話を終え、俺はそのまま夕食が運ばれてくるまでベッドに潜り込んでいた。 看護師の有本さんが夕食を運んでくるまでベッドの中に潜り込んでいたのだけれど、物音と気配で被っていた掛け布団を跳ねのけて起き上がったら有本さんがぎょっとした目で俺を見ている。「……ごめんなさい、起こしちゃいましたね」「いや、別に……」「ご飯、ここに置いておきますけど……食べられそうですか?」「え? あ、はい……」 無理しなくていいですからね、と心配そうに言われて夕食の病院食の載ったトレイを有本さんは置いていったのだけれど、その表情はひどく心配そうにしていた。 そんなに俺のいまの顔ヘンなんだろうか……そう思いながら部屋に備え付けの洗面所まで手を洗いに行った時にふと覗き込んだ鏡を見て愕然とした。あまりにひどい顔をしていたからだ。髪はぼさぼさで目許は泣き腫らして赤くなり、いかにも泣きまくっていたことが丸わかりな姿だった。 朋拓との電話の後、俺はベッドの中に潜り込んで泣いている内に泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。心なしか声も嗄れ気味で、これでは心配されても無理はない。むしろ心配してくれと言わんばかりだ。 この姿を写真にとって朋拓に送りつけてやろうかなんて一瞬考えもしたけれど、あまりにバカらしくて溜め息も出なかった。それじゃあ構ってくれと駄々をこねる子どもと一緒じゃないか、と。 そんなことをしたところで朋拓が俺の子どもを産みたいということを理解してくれるとは思えないし、むしろ逆効果だ。「だからって、あんなに反対されるなんて思わなかったな……。俺が大事なことはわかるけど、あんなに頑なに反対しなくてもいいのに……」 朋拓には俺に家族がいなかったことや施設育ちであることはなんとなく言って
入院してから体調が格段に安定してきたのですぐに点滴も取れ、行動範囲がだいぶ広がった。 毎日のように平川さんは見舞いに来てくれて、今後の話をしていく。 朋拓とは、一応毎日メッセージをやり取りしたり、時々ホログラムでの通話をしたりしている。 感情が高ぶってしまってまともに話せなかったあの日のことをお互いに謝り合いはしたのでとりあえずの和解はしたけれど、なんとなくあれから今までのようになんでも腹を割って話せているような感じがしない。ホログラム越しだからというだけでなく、なんとなく俺と朋拓の間には見えない膜のようなものがある気がする。『この前の絵、正式にジャケットに採用されたよ』「そうらしいね。昨日平川さんから聞いた。おめでとう」『ありがと、唯人』 本当ならば俺と直接会って喜びを分かち合いたいだろうに、何か遠慮しているのか、朋拓はあの日以来見舞いに来ていない。 ふたりの間に膜が張っている気がするのは、やっぱりあの治療のことを明かしたことが原因なんじゃないだろうかと思っているし、それしか考えられない。そうでないなら、一体何が俺らの間を濁してしまっているというのだろうか。 ディーヴァの新曲の限定アナログ盤ジャケットに採用されたことで朋拓はより一層有名になり、SNSやメタバースの管理もそろそろ自分一人では限界が来そうだと苦笑している。「じゃあ、個人事務所でも立ち上げたりするの?」『うーん……そうするほどなのかなぁと思ってて。だってまだ今はたまたま世間に知られてるだけかもしれないし、この先も続くかわからないし』「案外慎重だね、朋拓」『フリーランスだからね。それに、人を雇うと色々お金もかかるから……やるならAIに管理してもらうかもな』 とは言え、そろそろお金のことは人間の専門家に頼むかもという話をしたり、ディーヴァきっかけでまた新たに音楽関係の仕事が入ったりしているという話をしたり、一見する
「……平川さんから聞いたの?」 俺に意見を言ってくるのではと思わせる気配をまとった朋拓の言葉に震えそうな声で訊ねたけれど、朋拓はゆるゆると首を横に振り、「平川さんからじゃないよ」と小さく答えた。 平川さんからでないなら誰が――焦りと不安が渦巻く俺の胸中を見透かすように、朋拓は答えを口にする。「蒼介から、聞いたんだ」「蒼介、って……あの、よくディーヴァのチケットを取ってくれたりとかって言う?」「そう、あいつ。あいつがね、この帝都大病院に通院してるんだよ。知ってるでしょ、あいつが昔大きな事故に巻き込まれた話。あの治療と言うかリハビリの一環でね、月一くらいで通院してるんだよ。で、その時に――唯人が産科の外来から出てくるのを見たって言うんだ」 産科の外来は基本、女性の利用が多くて、男性がいたとしても健診や診察の付き添いが殆どで、見舞いの場合は入り口が別になっている。そうなると男性一人で産科の外来から出てくるのはコウノトリプロジェクトの対象者だろうとわかる人にはわかってしまうし、知った顔であればなおさら目に付くだろう。 そこでその蒼介が不思議に思ったらしくて、朋拓に連絡したらしいんだ。お前らコウノトリプロジェクトの対象者なんだな、って。もちろん言い方はもっとオブラートだったと思うけれど、要はそういう内容のことを訊かれたらしく、朋拓は寝耳に水で驚いたらしい。 代理出産でゲイのカップルが子どもを持つこともあるし、最近は一層国がコウノトリプロジェクトを後押ししているから、そうなのかと訊かれたのかもしれないし、蒼介もこの病院の別のプロジェクトの対象者らしく、何かあれば相談に乗るとも言われたんだそうだ。 でも、そもそも朋拓は俺が帝都大病院の産科に通院するよう話――コウノトリプロジェクトの対象者なんて全く知らなかったから、戸惑いの方が大きかったのだ。「蒼介には違うよとは言ったけれど、改めてこの病院のこと調べたらコウノトリプロジェクト
それからどれくらい意識を失っていたかわからない。ただひたすらにじんわりとお腹が痛くて気持ちが悪くて仕方なかった。 搬送されている間も何回か吐いてしまったらしく、そのせいで脱水の恐れがあるとかで点滴もされていた。 目が覚めたのは薄明るい病室の中で、起き上がれない程に体がだるくてしかたない。「気が付いた? どう、気分は」 目覚めた俺の顔を、傍についていたらしい平川さんが覗き込む。最悪、と答えようにも喉がカラカラで変な声しか出ない。何回か咳をして何とか喋ろうとする俺に、「無理に喋らなくていいよ」と平川さんは言って額を撫でてくれた。「唯人のコウノトリノートのアプリだっけ、あれがあったから帝都大病院に運んでもらったの。幸い主治医の蓮本先生もいらっしゃったから診て頂いたよ。薬の副作用と、過労じゃないか、って」「……そっか」「唯人、なんであんたもう妊娠できる段階になっているって言わなかったの? 蓮本先生にもそろそろ無理したらダメって言われてたそうじゃない」「つい何日か前に言われたばっかりだったんだよ。報告も今日するつもりだったし」「でも、まだ朋拓くんに話出来てないんだって? もうそろそろ精子提供者の登録しなきゃなのに、アプリ見たら空欄じゃないの」「何で勝手に中を見たんだよ……」「容体知らせる時に目に入ったのよ。見ちゃったのは悪かったけど、空欄のままなのは話が違うじゃない。ちゃんと話合うから朋拓くんと、って言うから社長だっていいよって言ってくれたのに」「それは……」 呆れた様子で平川さんから矢継ぎ早に言われて俺が黙っていると、更に言葉を重ねられる。「唯人はね、ちょっと物事軽く考えすぎ。自分がディーヴァであることも、子どもを欲しいと思っていることも、その治療に対しても」「そんなことない!」
結局俺は朋拓の赤の絵と青の絵をどちらが良いのかとは言い切れなかった。それは正直な気持ちで、決して平川さん達に秘密裏にされていたことに腹が立っていたからと言うわけではない。「赤も青もどっちも俺好きだよ。もしできるんだったら、裏と表で変えてもらったらいいんじゃないかな。どっちもすごく良いし」 朋拓は俺の言葉にホントに?! と、嬉しそうに俺を抱きしめてキスをしてきた。きっといま彼は最高にしあわせな気分なんだろう。恋人に作品の出来を認めてもらえて、しかもそれは自分の恋人であり推しでもあるアーティストの俺から受けた大きな仕事でもあって、これ以上にない喜ばしい気分なんだろう。だからこそ余計に、俺はもっと純粋に彼の作品と対面したかったのに。 その日はアトリエを出てから近くの繁華街に夕食を食べに出かけたのだけれど、正直ショックが大きすぎて食べる気が起きなかった。 それでも朋拓の大きな仕事の完成を祝いたい気持ちはあったから、どうにか笑顔を作ってビールの注がれたグラスを交わした。「ああー、俺もう最高にしあわせだよ、唯人。本当にありがとう」「べつに俺は何もしてないよ、知らなかったし」「そうだけどさ、一緒に仕事できそうなのが嬉しいんだよ、すごく」 帰り道、めちゃくちゃに酔っぱらった朋拓の姿を見つめながら、俺は曖昧にうなずく。そりゃ朋拓は最高にしあわせなんだろうけれど俺は素直に喜べないよ、なんてとても言えない。そんなことしたらきっと朋拓の気分は悪くなるだろうし、彼の前途を喜べない心の狭い奴だとも思われかねないし、実際そうなんだろう。結局自分の事しか考えていないんだから。 複雑な思いを抱えたまま、俺はその日朋拓から見送られて帰った。「なんで知ってて黙ってたんだよ。俺、どう言えばいいかわかんなくてすごく気まずかったんだよ?!」 次の日もまた昨日と同じ現場なので、そこまでの道すがら車に乗り込むなりさっそく俺が昨日の文句を言う