こちらの作品は「私の夫をあなたに差し上げます」のSS(サイドストーリーです)違った角度からの物語をお楽しみください..........叶木蓮には双子の姉、睡蓮がいる。木蓮は快活で睡蓮は病弱で気弱、鏡のように瓜二つな二人だが性格は真逆だった。ある日、双子の姉妹に見合い話が持ち上がる。契約結婚の相手は和田雅樹、睡蓮は彼に一眼で惹かれた。けれど雅樹の心は妹の木蓮にあった。木蓮もまた雅樹に心揺れ........切ないラブストーリーはいかがですか?
View More妹の木蓮は快活で幼い頃は庭の大山木に登って両親を不安にさせた。
「お嬢さま、降りて来て下さい!」
「いやーだもーん!」 「あっ!」 「えへへ、落ちちゃった」姉の睡蓮は両親の背後に隠れる引っ込み思案で言葉少なく、これもまた心配の種だった。
「睡蓮、あなたどっちのお土産が良いの?」
「.......」 「睡蓮、早く決めないと私が貰っちゃうよ!良いの!?」 「.......」「二人を足して半分に割れたら良いのに」
母親はそう言って溜め息を吐いた。
「お見合いのお話があるの、良い方なのよ」年頃と言っても24歳の春、母親が見合い写真と釣り書きをテーブルに置いた。
「和田医療事務機器の息子さんだ」
「お父さんに都合が良いだけじゃない」 「木蓮!」木蓮は見合い写真を見る事もなく突っぱねたが、睡蓮は躊躇いながらも写真と釣り書きに目を通した。
「優しそうな方ね」
「そうだろう!しかも大学院卒業の秀才だ」 「どうせ裏金入学でしょう」 「木蓮!」「会社の都合もあるでしょうから、私、お会いしても良いわ」
「睡蓮!あなた馬鹿なの!一度でも会ったら次の日には結婚式場よ!」 「まさか、ねぇ、お父さん」父親の視線は宙を泳いだ。
「ほら、見て」
「本当だ」 「騙されちゃ駄目よそして木蓮の心配を他所に睡蓮は淡い桜色に撫子や桔梗が描かれた加賀友禅の振袖で見合いの席に着いた。その姿はたおやかで儚げだった。
「初めまして、和田雅樹です」
「初めまして、叶睡蓮です」雅樹は清潔感溢れる男性でグレーのスーツを上品に着こなし、緩いパーマの黒髪を程よく纏め襟足を短く刈り上げていた。上背もあり185cmと見栄えも良く胸板も厚かった。大学時代はセーリングサークルに所属していたと言う。
「セーリングですか」
「睡蓮さん、ヨットはご存知ですか」 「はい」 「あれと同じです。帆の表面を流れる風で水面を走る競技です」 「海のスポーツなんですね」 「はい」 「気持ちよさそう、とても楽しそうですね」 「今度睡蓮さんも見に来ませんか」 「はい、ありがとうございます」男性に免疫のない睡蓮にとって和田雅樹との出会いは衝撃的だと言った。両親としても睡蓮が乗り気ならばこのまま縁談を進めても良いと喜んでいた矢先、仲人から木蓮との見合いを希望する電話が掛かった。
「えっ、私もお見合いに行かなきゃならないの!?」
「先方が是非ともと仰るの」 「クソ雅樹、私たちは陳列棚のケーキじゃないのよ!」 「木蓮、クソはないだろう」 「クソはクソよ!」そこで驚きの言葉が睡蓮の口から転がり出た。
「木蓮、私の旦那さまにクソなんて言わないで」
これには家族一同驚いた。なんなら家政婦の田上さんも驚いた。睡蓮が生まれて初めて自分の意思を顕にした。
「睡蓮、目を覚まして!」
「だって素敵な人だったのよ」睡蓮の様子ではどうやら和田雅樹に一目で心を奪われたようだった。
「睡蓮が気に入った男の顔を見てやろうじゃないの!」
木蓮は反対する両親を尻目に白いカッターシャツにジーンズを履いて見合いの席に着いた。木蓮の装いを見るや否や仲人は目を丸くしたが、和田雅樹は腹を抱えて笑いタクシーを手配した。
「金沢駅西口の中央公園...和田コーポレーションまでお願いします」
「なにしてるの」 「着替えに行くんだよ、ほら、乗って!」木蓮は有無を言わさずタクシーの後部座席に押し込まれ、膨れっ面でサイドウィンドウに片肘を突いて車窓を眺めた。
「怒っているの」
「そうでもないけれど」 「君たちはどうやら正反対の性格みたいだね」 「やっぱりケーキだと思っているんだ!」 「ケーキってなんの事」木蓮は見合いで自分たちが比較される事が不快だと捲し立てた。
「私と睡蓮を比べて選んでいるんでしょう!」
「そりゃそうだよ、見合いなんだし」雅樹は悪びれる事なく即答した。
「...........なっ!」
「僕だって君たち二人に選ばれてるんだよ」
「そうね」 「状況としては同じだと思うけど」 「そうね」 「そうだろう」「あんた結婚しないって言う選択肢はないの」
「僕は和田の後継ぎだからそんな自由はないんだよ」 「それはお気の毒さま」 「お互いにね」そこで和田雅樹はヘアースタイリング剤でまとめた髪を片手で払うと紺色のネクタイを緩めた。その何気ない仕草に木蓮の心臓は跳ねた。
(..........なに、なによこれ!)
「木蓮、ここで待ってる?それとも家に入る?」
(..........いきなりの呼び捨てってどうなの!)
「誰があんたの家なんかに!」
「酷い言われようだな」 「公園で待ってるわ!10分よ、10分したら帰るから!」 「短っ」スーツを脱ぎ散らかして5分で戻って来た和田雅樹はダンガリーの白いシャツに黒いジーンズを履き、先程の好青年とはまるで別人だった。
「あんた、ルール違反だわ」
「なにが」 「ギャップ萌えってタイプでしょ」 「萌えた?」 「あーはい、はい、萌えた萌えた」和田雅樹と木蓮は金沢駅まで賑やかしく歩き、駅構内でラーメンを食べた。
「やっぱりこれよね」
「なんでか無性に8番ラーメン、食いたくなるんだよな」 「さすが県民のソウルフード、不思議よね」そして地酒の飲み比べをした。
「おまえ、酒強いんだな」
「水みたいなもんよ」その後は商業施設でカラオケを思う存分楽しんだ。
「ここの歌詞が良いのよ!」
「分かる、俺らに自由はないからな!」二人はカラオケで声が枯れるまで熱唱し、日々の鬱憤を晴らした。
「じゃあまたな」
「あぁ、あんたと私にまたな、はないわ」雅樹の眉間に皺が寄る。
「なんでだよ」
「睡蓮があんたに一目惚れしたのよ」 「...........え」「おやすみなさい、楽しかったわ」
カラオケでしゃがれた声の和田雅樹の表情は沈んで見えた。タクシーのリアウィンドウに立ち竦む姿から目を逸らし、木蓮は自宅の住所を告げた。
「太陽が丘までお願いします」
「はい」後日、和田の家から睡蓮に正式な婚約の申し出があった。
荘厳なパイプオルガンが響きマホガニーの扉が大きく開いた。蓮二の肘にウェディンググローブの指を添えた木蓮が深紅のバージンロードを静々と進んで来た。胸元が大きく開いた白銀のウェディングドレスは腰から裾に掛けてリボンが折り重なり、ヘッドドレスにカサブランカの白い花弁が咲き乱れた。「汝、和田 雅樹は、この女、叶 木蓮を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」「誓います」「汝、叶 木蓮は、この男、和田 雅樹を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻のもとに、誓いますか?」「誓います」 左の薬指に輝くプラチナの結婚指輪。荘厳なパイプオルガンが2人の門出を祝う。雅樹の離婚から3ヶ月という事もあり結婚式は近しい身内だけで挙げた。「返して」 木蓮が新居のマンションに移り住む荷造りをしていると部屋の扉が音を立てた。その声は睡蓮、扉を開けると仁王立ちでこちらを睨んでいる。木蓮が何事かと怯んでいると睡蓮は無言で手を差し出した。「な、なによ」 「返して」 「なにを」 睡蓮は段ボール箱から顔を出した焦茶のティディベアを指差した。「なに、あんたもう要らないって投げ付けたじゃない」 「九州に連れて行くから返して」 「分かったわよ、ちょっと待ってなさいよ」 木蓮が後ろを向いてしゃがみ込むと背中に温かいものを感じた。「ありがとう」 睡蓮が木蓮の背中を抱きしめていた。「ちょっ.......ちょっとやめてよ、恥ずかしい!」 「ありがとう」 「なんの事か分かんないけれど........どーいたしまして」 涙が背中を伝いしんみりしていると睡蓮は突然立ち上がった。「.......返して」 「なに、まだなんかあるの」 「そのくま、返して」 その指はベージュのティディベアを差していた。「なに、あんた執念深いわね」 「それは私のティディベアなの」 「はいはい、ベージュと焦茶抱えて九州に行きなさい」 木蓮はダンボールの奥からベージュのティディベアを取り出すとポンポンと形を
睡蓮と雅樹は菓子折りと離婚届を手に車を降りた。雅樹の顔は強張り無表情、足の動きも不自然で右手と右脚が同時に動いた。駐車スペースには伊月のBMWが駐車していた。「雅樹さん、そんなに緊張しないで」「そうだけど」「もうお父さんとお母さんには話してあるから」「そうなんだ」「さっきも言ったでしょう、聞いていなかったの!?」 離婚を決めた女は強い。すっかり形勢逆転で睡蓮は虎の威厳、雅樹は借りてきた猫状態だった。「ただいま!」「あらまぁ、睡蓮さんお久しぶりです。さぁさ、和田さんもお入り下さい」 お手伝いの田上さんがスリッパを並べてくれたが雅樹は緊張のあまり足を引っ掛け床に倒れ込んだ。その音に驚いた木蓮が顔を出した。「あんた、なにやってんの!」「お邪魔します」「雅樹さん、先に行きますね」 睡蓮は雅樹に手を貸す事も無く廊下を歩いて行った。玄関の上り口で膝を強打した雅樹は痛みに顔を顰めている。それを仁王立ちで見ていた木蓮は右手を差し出し「掴まって」と眉間に皺を寄せた。「ありがとう」「なにあんた、2ヶ月で離婚とか甲斐性無しね」「誰のせいだと」「誰のせいよ」「......俺のせいだよ」「ほら、行きなさいよ!」「お、おう」 立ち上がった雅樹はリビングに進み土下座をして「申し訳ございませんでした!」とペルシャ絨毯に頭を減り込ませた。「まぁまぁ、雅樹くん、顔を挙げてほら、座りなさい」 穏やかな声に安堵して見回すと、蓮二、美咲、木蓮、伊月がソファに座っていた。気が付くと睡蓮も雅樹の隣で正座し深々と頭を下げていた。「お父さん、お母さん、この度はご心配ご迷惑をお掛け致しました」「なにを言っているんだ」「そうよ、私たちが結婚を急かせたのが悪かったのよ」 蓮二と美咲は頷き、2人にソファに座るように手招きをした 雅樹はソファに腰掛けたもののその居心地の悪さに尻が落ち着かなかった。気配を察知した睡蓮がテーブルの下でその手
明日、和田家で離婚に至った経緯や財産分与について話し合う事になった。次に実家の両親に離婚の理由を納得して貰う為、なにひとつ隠す事なく洗いざらい打ち明けなければならない。(.......恥ずかしい) 確かに見合いの席で雅樹に心を奪われたが真剣に結婚を望んだ訳では無かった。(どうかしていたわ) 雅樹が木蓮を選んだと知った時、激しい嫉妬心が芽生えた。(愚かすぎるわ) 結婚前、いや結納前から雅樹とは性が合わない事を肌で感じていた。それにも関わらず木蓮に負けたくない一心で縁談を進めた。(馬鹿じゃないの) 雅樹は睡蓮を気遣い優しい言葉で話し掛けてくれた。ところが睡蓮はいつもそこに木蓮の気配を感じ刺々しい言葉遣いや態度を取ってばかりいた。(勝手よね) そして木蓮への当て付けの様に結ばれた雅樹との夫婦生活は2ヶ月程度で破綻、しかも離婚届を雅樹に叩き付けたのは睡蓮自身からだった。(都合良すぎるわ) ただそこに伊月が現れなければ睡蓮は苦虫を潰した様な面持ちで、雅樹と殺伐とした結婚生活を送っていたに違いなかった。(軽蔑されるわ) 伊月の背中を追って九州に行きたいと言い出したら両親は嘆き悲しみ、木蓮には蔑まれるに違いなかった。(最低だわ) 睡蓮は自分の身勝手さがどれ程の人間を傷付け、これからも傷付けてゆくのかと自分自身を責めながら夜明けを迎えた。 睡蓮と雅樹の名前が並んだ離婚届を見た雅次と百合は言葉を失った。睡蓮の左の薬指に結婚指輪は無く、目の前の出来事が事実である事を示していた。「雅樹、これは如何いう事なの」 「それが、俺も昨日突然」 「私たちが跡継ぎの事を言ったからか?」 睡蓮は深々と頭を下げ違うとだけ答えた。「雅樹.......睡蓮さんと.......あの」 「睡蓮さんと関係が無いというのは本当なのか」 雅樹は視線をテーブルに落とし小さく頷いた。「なんで、なんでこんな事に!叶さんとの約束が反故になるじ
睡蓮は出勤する伊月の車に同乗し金沢大学病院を受診した。ピンポーン 「115番の方6番診察室までお入り下さい」 睡蓮の足は震えていた。伊月の書いた紹介状は女医の手に渡った。「えーー、叶 睡蓮 さん」 「はい」 「呼吸器内科の田上医師からの紹介状を頂きました、産科婦人科の森田です。以降担当させて頂きます」 生まれて初めて座る産科婦人科の椅子には程よい硬さのドーナツ型クッションが置かれていた。「よろしくお願い致します」 「はい、よろしくお願い致します」 ベリーショートヘアの溌剌とした雰囲気は木蓮を連想させた。「今回はどうされましたか」 「難病性気管支喘息患者の妊娠出産についてです」 「叶さんも、あぁ.......そうですね」 「はい」 元町はパソコンモニターの前でマウスをクリックした。程なくして睡蓮の通院履歴と病状、処方箋の一覧が表示された。「通院歴は...........長いですね」 「大丈夫でしょうか」 「発作も頻繁に起きていますね」 「はい」 規則的にリズムを刻む機械音、白い壁、行き交う看護師、医師の白衣。睡蓮にとって見慣れたはずの光景が全く違って見えた。「そうですか」 「内診致します。専用の下着を履いてお掛け下さい」 「はい」 壁一枚隔てた隣の診察室からは胎児が順調に育っていると診断され安堵する妊婦の声が聞こえて来た。背後に感じていた待合室の音が消えた 何処までも青い空、白い雲、睡蓮は大きく息を吸い込み和田家母屋のインターフォンを鳴らした。睡蓮の目の前には職務を切り上げた雅次がソファーに浅く腰掛け、震える指でカップソーサーをテーブルに置く百合の姿があった。「ブライダルチェックを行わなかった私の不注意でした」 「そんな..........ちゃんと調べたの」 睡蓮は深々と頭を下げたまま微動だにしなかった。「うちの跡継ぎはどうなるんだ」 「申し訳ございません」 「この事は雅
暗闇でタクシーのハザードランプが点滅する。「ありがとう」 12階建のマンションを仰ぎ見る木蓮のショルダーバッグには810号室の鍵が入っていた。正面玄関エントランスで「8、1、0」のボタンを押すと雅樹の声がしてガラス扉が左右に開いた。(後悔はない) エレベーターホールに立つ木蓮の脚は震えていた。 街灯の灯りの下でタクシーのハザードランプが点滅する。「ありがとうございました」 山茶花の垣根を折れると5階建のマンションが小高い丘の上に建っていた。睡蓮の手には一泊分の旅行鞄、505号室のカーテンは開き逆光の中で伊月が睡蓮を待っていた。「5、0、5」のボタンを押すとガラスの扉が左右に開いた。(後悔はしない) エレベーターホールに立つ睡蓮はその箱の中に足を踏み入れた。 810号室、見上げたネームプレートにはWADAの4文字、最初に来た時には気付かなかったが木製のプレートにはヨットの模様が彫られていた。(.........セーリングが趣味だとか言っていたわね) 重い音が解錠を知らせ木蓮の心臓が跳ね上がった。「.......よう、久しぶり」「........よう、久しぶり」 雅樹の首元に残る柑橘系の爽やかな香りが木蓮を包み込み胸が締め付けられた。あの情熱的な夜を思い出す悲しさ。「入らないのか」「これ..........返しに来ただけだから」「そうか」 木蓮はショルダーバッグから810号室の鍵を取り出すと差し出された雅樹の手のひらに置いた。心許ない金属音が耳に残った。「じゃあ」「じゃあ」 木蓮は雅樹を振り返る事もなく背を向けた。愛おしい女性の後ろ姿を見送った雅樹は音もなく玄関扉を閉めた。力が抜けその場に座り込むとハタハタと涙が溢れて落ちた。カツカツカツと遠ざかるパンプスの足音。(..........木蓮) 耳を澄ませばエレベーターの扉が閉まるベルまで聞こえるような絶望感に襲われた。
白い部屋、眩しいLEDの蛍光灯、注射台の上に肘を着けた睡蓮は思わず顔を背けた。その苦々しい面持ちに注射針を腕に刺しながら看護師が笑った。「睡蓮ちゃんは本当に採血が苦手なのね」「血を見たく無いんです」「ほーら、どんどん採っちゃうわよ」「やめて下さい」「ほーら」「やめて下さい」 睡蓮と看護師が遠慮なく遣り取り出来るのは、睡蓮が如何に長期間この呼吸器内科に通院しているかを物語っていた。物心ついた頃にはこの部屋で吸入器を口に当て、レントゲン室の待合の椅子に座り、泣きながら採血を受けた。「あれ?おじいちゃん先生は?」 高齢の主治医は大学の教授になり目の前の椅子には幼馴染の《伊月ちゃん》が座り聴診器を胸に当てていた。「睡蓮さん、今日から私が睡蓮ちゃんの主治医ですよ」 伊月は喘息を患う睡蓮を助けたいが為に金沢大学医学部を目指し医師の資格を取得した。睡蓮が高等学校を卒業して以来の6年間を伊月は睡蓮の主治医、家庭医として寄り添って来た。「でも睡蓮ちゃん、残念よね」「......え、なにが残念なんですか」「田上先生、九州の大学に転勤になるんですよ」「.....転勤、転勤ですか!?」「そう、九州大学、栄転ね」 睡蓮は隣室で診察をしている伊月に向き直り、カーテンを思い切り開けてそれが事実なのかと問いただしたい感情に駆られた。「あっ!」 気が付けば椅子から立ち上がり、血管の壁を注射針が突いていた。「イタっ!」「あっ!駄目ですよ!動かないで!」「ごめんなさい」「痛かった?ごめんね、内出血するかもしれないわ、ごめんね」「いえ、私が悪いんです」 そしてこの突然の転勤については叶家でも頭痛の種となっていた。「まさかこんな早くに転勤になるなんて」「木蓮、伊月くんからなにか聞いていたのか?」「.......聞いて、ない」 木蓮も予想外の出来事に戸惑った。
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