洗い物を終えて、私はゴミをまとめた。 あとでゴミ出しの方法を聞かなくてはいけない。 その前にお風呂に入らせてもらって、ゆっくりしよう。 明日からは新しい職場だ。 朝の八時から夕方五時までの勤務だ。 はぁ、なんだか今日は疲れたなぁ……。 龍太郎は食事を終えると、自分の部屋に戻っていった。 食事が終わってから、あの病気がどうのこうの、呪文みたいな薬の名前を一人で言い出したから医学書でも見にいったのだろう。 ふぅ……。 湯船に浸かりながら、私は自分の身体を見た。 ……決して大きくもない胸に、張りのない小さなお尻……。 こ、こんな身体で、龍太郎と、そういうことすんの? 痩せたまんまで、体重はまだ戻っていないが、別にこれに関しては不満はない。 脚も細くなったし、問題はない。 問題は胸だ。どうしたら胸だけを戻せるんだ? 色々考えていたら、のぼせそうになり、私はお風呂から出た。 今日は有印の紺のストライプのパジャマを着ている。 こういう時のための可愛いパジャマを、私は一枚も持っていない。 「おれも風呂入ってくる」 龍太郎の声がして、私は「うん」とだけ返事をしたが、ずっとドキドキしている。 ……神様、イチャイチャってなんですか? 私は緊張したままソファに座り、適当にテレビをつけた。 ちょっと過激過ぎだと話題になっている恋愛ドラマが映し出された。 主演女優はこのドラマを体当たりで演じているらしい。 その女優がバスローブのまま、イケメンの恋人とじっと見つめ合い、やがて濃厚なキスを繰り返して、そのまま二人でベットに倒れ込むというシーンだった。 「うぉっ!」 これから自分たちのすることを予測されたようで、慌ててテレビを消した。 その時、ライムの通知音がした。びっくりして心臓が飛び跳ねた。 相手は日菜だった。 『あなたのおかげで、絢斗となんとかヨリが戻りました。子宮からの出血も止まり、今はひと安心です。ありがとう』 可愛い絵文字スタンプは猫がお辞儀をしているものだった。 『あなた、自分が思っているより、ずっと可愛いわよ。もっと笑ったほうがいいわよ』 日菜が笑顔スタンプを送ってきた。 笑うかぁ……。自分でもそうなりたいと思ってるよ。でもやり方がわからない……。 『赤
「ぶっはははは!! お、おまえ、これなんだよ!!!」 食卓に並んだ不格好なコロッケたちを見て、龍太郎がお腹を抱えて大笑いし出した。 「いや、これはあのその、コロッケです……」 私は下唇を噛みながら話す。真ん中から弾け飛んだ爆弾コロッケたち。 奇跡で成功した、たった一つのコロッケ……。 それは龍太郎の席に並べた。 「お、おまえ、これ新種の生物みたいになってんぞ⁉︎ 深海にいそうだぞ。はははは。ここまでひどいの、初めて見たぞ~!」 龍太郎はまだお腹を抱えて笑っている。 ひ、ひどくない~? そ、そこまで笑う!? 「あのですね、実は私、コロッケには挑戦したことがなくってですね、夕食までに一度きちんと試作品を作ろうと思ってはいたんですが、それが今日も色々ありすぎてね、作れなかったんです!!」 私は必死に言い訳をする。 急いで作ったためか、水分量が多かったのと、冷ます時間が足りなかったらしい……。 衣はきちんとムラなくつけたのに、ぐすん。 「はは。笑った笑った、まぁいいや。今日、おまえが頑張ってたのはおれが一番知ってるしな」 龍太郎が冷蔵庫から麦茶を取り出し、二つのコップに注ぐ。 「次は絶対に成功させるから!」 私は誰もまだ知らない謎の生物のようになったコロッケを眺め、龍太郎に宣言した。 「じゃあ、次は肉じゃがコロッケで頼むわ。おれ、あれ好きだから」 肉じゃがコロッケか……。難易度高そうだな。 「が、頑張ります」 拳を作る私を見て、龍太郎は優しい笑みを浮かべて、耳元でささやいた。 「……なぁ、あとでイチャイチャするか?」 え、今、そんなこと言う?? 「……ダメか?」 彼の息が耳にかかる。 そもそも、イチャイチャってなんだ? まさかさっきの続きか? 考えただけで、心臓がコロッケのように爆発しそうだ。 「す、少しだけなら……」 そう答えるので精一杯だった。顔も火照ってくる……。 夕飯のメニューはガス火で炊いたお米と、千切りキャベツにトマト、ほうれん草と豆腐のお味噌汁に、買ってきたお漬物を並べた。 本当に簡単な料理しか作れない……。勉強しなきゃ……やばい。 一応、これって仕事だからな~。 今日のお味噌汁の出汁は鰹節だ。この鰹節も産地にこだわり、買い物をしている。
龍太郎の舌が私の口の中で動いてとろけて、私は頭の中が真っ白になる。 ようやく長いキスが終わった頃には、私は力尽きて、顔も身体も甘い熱を感じていた。 ここが市役所の駐車場じゃなかったら、車の中じゃなかったら……、きっともう、なにをされても抵抗できない。 抗えない。 息が少し荒くなっている……。 「……ほらやっぱり昇天してんじゃん」 龍太郎のその一言で私はハッと我に返った。 「し、してないもん。昇天なんて……」 ウソ……ほんとはキスだけでいつも、そういう状態になってる……。 「おれさ、⚪︎※△%&#なんだけど、今夜試してみる?」 龍太郎がニヤリと笑った。 「!!!!!?」 なに、それ?? え? そんなの今まで見たこともないんだけど……。 えぇっ? それはつまり、想像するに相当立派なものをお持ちってこと、だよね……? それがそうしてああなって……。 ぎゃァァァァァ!! 想像するだけで無理無理無理!!! 「そしたら天界どころか、宇宙まで行けると思うぞ。きっとおまえの体感したことのない世界だ」 私の耳元で龍太郎の悪魔のささやきが聞こえた。それはおぞましい声だった。 「う、宇宙⁉︎ な、こんな場所で! なんてこと言うの!! 頭の中どうなってんの! 信じらんない、バカバカバカ!」 「なにがいけないんだよ。どうせ夫婦になったらすることだろ」 龍太郎は淡々と話している。 「もういい! は、早くスーパーに行こうよ!!」 もう! ムードぶっ壊しすぎだよ、龍太郎! 「ははは。おまえは面白いな」 龍太郎が屈託なく笑う。 「ねぇ、もしかして、こういうこと誰にでも言ってんの?」 私は龍太郎に冷ややかな視線を送った。 「言うわけねぇだろ、おまえにしか言わない。おれをすぐに変態にすんなよ。おまえは反応が面白いから言ってるだけだ」 「はいはい、そうですか。どうせ私は面白い女ですよ」 *** スーパーに着いて、コロッケの材料を買った。 「今夜は自分で払います!」 私は財布を出した。龍太郎にばかり甘えるのはイヤだ。 「……断る。未来の妻に金を出させるような甲斐なしにはなりたくはない。おれに恥をかかせるな。それに今、おまえがすべきことは結婚資金を貯めることだろ?」 龍太郎がカードで支払い
「は? え? な、ど、どうした急に」 彼は私の予想外の行動に、明らかに戸惑いを感じているようだった。何度も目を瞬かせる龍太郎。 龍太郎の胸にしばらく顔を埋めていた。彼の手が私の背中に回るが、その手は明らかに戸惑っている。 ……あったかいな。ずっとこうしていたい。このまま時が止まってしまえばいい。 お互い心臓の音が早いのがわかる。私自身、自分からこんなことをしたことがない。 私が顔を上げると、龍太郎の顔がすぐそこにあった。お互いの目が熱と潤いを帯びていた。 そこにあるものに触れたくてしかたがない、そんな自分がいた。 戸惑う龍太郎の頬を両手で囲い、その柔らかい唇に自分の唇を軽く重ねた。自分から龍太郎にキスをしたのは初めてだ。 しばらくして唇を離した。 そして龍太郎の顔をじっと見つめた。 「な、ななんだよ、急に!!」 龍太郎の焦りまくる声が車内に響く。 自分から攻める時は彼は余裕がありそうなのに、私から攻めるとこうなるのか……? 「だ、だって、龍太郎が自分ばかり好きみたいって言うから。きちんと自分の気持ちを伝えようって……。あのね、今日、沙絵子さんに会って思った。龍太郎のこと、幸せにできるのはきっと、こういう女性なんだって……」 沙絵子は変わってはいるが、きっと龍太郎の支えになれる理想の女性だ。 「……そうか」 赤い頬の龍太郎が真剣に話を聞いている。 「でもね、私ね、龍太郎が他の女性といるのはすごくイヤなの……、他の女性と結婚するのは、もっと、イヤ……。それが今日、初めてわかった。そんな自分に戸惑っていたっていうか……、結局自分がどうしたいのかなぁって、考えてた。こんな自分が釣り合うわけがないとか、そのいろいろ……。でも、もうそんなネガティブな考え方ばかりはイヤだなって……。ほんとの自分はどうしたいんだろうって……」 「……そんなこと考えてたのか」 龍太郎は鼻で笑い、私の頭に手を伸ばして抱き寄せた。龍太郎の胸板は案外厚い。 「よく出来ました……。おまえ、可愛すぎ」 龍太郎の声がおでこの上あたりで聞こえて、龍太郎の心臓がさらに早くなっているのも感じた。 私の心臓もずっと騒がしい。 「なら今すぐ、結婚するか? ちょうど婚姻届も取ってきたしな」 龍太郎の声には緊張が混じって
「じゃあ、まったね~。雪音ちゃんもまた遊びに来てねぇ~」 龍太郎の婚約者の沙絵子さんは、すこぶるいいひとだった。 なんていうか、憎めない。 あれだけの美人でありながら、ひとつもイヤミがない。かなり変わってはいるが、ある種、完璧なひとなのではないだろうか……。 それに彼女の龍太郎に対する愛は本物だ……。 歳はたしか三十だと言っていたな。龍太郎より三つ上か……。 私が三十になった時、彼女みたいに魅力的になれるだろうか……。 「どうした? おまえ、妙におとなしいな?」 私は今、龍太郎の車に乗っている。帰りはスーパーに寄る予定だ。 「……なんでもないよ」 自分の中に湧き上がってきた感情が、私を支配している。 「色々あって疲れたか? まぁ、沙絵子もあんなキャラだしな、初めて会ったら疲れるよな」 龍太郎がふぅと息を吐き出した。 「…………」 私は黙っていた。沙絵子さんは龍太郎を愛していると言っていた。 彼女みたいな女性なら、龍太郎を幸せにできるんだろうな……。 そのことが頭から離れない。 「沙絵子はな、地主の娘でお嬢様なんだよ。そこにうちの強欲親父が目をつけて、無理やり婚約の話を持ち込んだんだ。おれになんの許可もなく。だからあいつとの婚約をおれは認めてない。周りが勝手に騒いでいるだけだ」 「……そうなんだ」 このまま自分が引けば、龍太郎はきっと沙絵子さんと結婚するのだろう……。 そして病院も莫大な後ろ盾を得られるというわけか。 それはみんな願ったり叶ったりか……。 じゃあ私は……自分の中にできた、この新しい感情をどうすればいい? 「……なんだよ。おまえ、さっきからやけにおとなしいじゃん? 気持ち悪いぞ。ほら、着いたぞ、降りろ」 え、もうスーパーに着いたのか、なんだか早いな。考え事をしていたからか……。 私は脳がパンクしそうな状態で、車を降りた。 さっきから、とある感情が私の頭の中を、ずっと駆け巡っているからだ。 それはきっと止まない……。 「さっさと行くぞ」 龍太郎が私の手をつかんだ。そして龍太郎が私の顔を見つめた。 その顔は少し赤い。そして手を繋いだ。 恋人繋ぎか、スーパーの駐車場でこんなの恥ずかしいな……。 私と龍太郎はガッチリ恋人繋ぎで手を繋いできた
「おれはおまえのこと好きじゃない。おれが好きなのはこいつだけだ。まぁいいや。勝手に進めれば? おれはこいつと結婚するから。じゃあな」 龍太郎はまだりんごジュースを飲んでいる私の手をグイッと引っ張った。 「え? もう話終わりなの? いいの?」 私は戸惑った。 「いいんだよ。おまえを紹介するのが目的だからな」 私は沙絵子さんを見た。紅い口紅をつけた口元が品よく笑っている、その笑みには余裕が感じられる。 「龍太郎、結婚はお遊びじゃないのよ? わかってるの? 私とあなたが結婚すれば、小町さんにとっても理想の形になれるのよ?」 沙絵子さんの口から出た『小町』という名前を聞いて、龍太郎の足が止まった。 「……そんなの関係ないな。こいつのことも母親は知ってる。なんせ下着まで買いに行ってくれたぐらいだからな、母親もこいつのことを気に入ってるはずだ」 「下着? 小町さんがわざわざ? へぇ、あなた、龍太郎ともう、そういう関係なのね……。まぁここに連れてきた時点で、そうよね……」 沙絵子さんが目を大きくした。 私はなにも答えられなかった。こんなこと言われて「はい」と言える人間はすごいと思う。 「私は島田沙絵子。ここの薬剤師よ。そして龍太郎の婚約者。婚約してもう一年になるわ。あなたお名前は?」 穏やかな大人の女性の声だった。 「え? あ、私は鈴山雪音といいます」 「そう、雪音さん、仲良くしてね。よろしくね」 なんて優しい微笑みだ……。 「え、はい、こちらこそ、よろしくお願いします」 私はとりあえず軽くお辞儀する。 「おい! 馬鹿か、おまえは!! 仲良くしてどうする!?」 龍太郎に腕を引っ張られる。 「うふふ、可愛い子ね。ねぇ、あなた今度、お茶しない? 私、あなたと仲良くなりたいわ」 沙絵子の瞳は慈愛に満ちていた。 たとえ、龍太郎の婚約者でも、私はこのひとを憎めそうにない。 このひとは間違いなく女性からも好かれるタイプだ。 「ダメだ、ダメだ、ダメだ!! おまえはすぐにそうやって男女問わず、誰とでも仲良くなろうとする。いいか? 雪音に近づくなよ!」 「だって、龍太郎が最近、相手にしてくれないから私も寂しいのよ? ねぇ、あなた、龍太郎はすごく上手いでしょ?」 ……え、上手いってなにが?