Short
3年悼んだ息子は、親友をママと呼んだ

3年悼んだ息子は、親友をママと呼んだ

By:  灰野Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
10Chapters
13views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

3年前、私は難産の末に子供を失った。高瀬直人(たかせ なおと)は分娩室の外で泣き崩れ、膝をついていた。 それから3年、彼は何くれとなく私を気遣ってくれた。 それなのに、出産ミッションの進捗は99%から動かない。 もう達成できないのだと思っていた。 子供の命日、墓参りの帰りにふと思い立って海辺へ向かった。気晴らしに歩いていると、小さな男の子が私の脚にぶつかってきた。 「大丈夫?パパとママはどこ?」 男の子は起き上がると、私の手を振り払って駆けていった。 その先を目で追い、私は凍りついた。 ヤシの木の下。ビーチチェアに寝そべった直人が、飛び込んできた男の子を笑顔で抱き留めていた。 「パパ!ママ!」 その子が笑ってママと呼んだ相手は、私の親友、藤代美緒(ふじしろ みお)だった。 隣には私の両親までいて、ココナッツジュースを手に男の子の相手をしている。 「悠真(ゆうま)、おいで。おばあちゃんが抱っこしてあげる!」 父はジュースをひと口飲むと、ため息をついた。 「紗季(さき)は、また墓参りか。あの子が知ったらなあ。悠真が実は……」 「お義父さん!」 直人は父を遮り、悠真の耳をふさいだ。 「この子は、紗季が美緒に償うための子なんです」 手のひらに爪を食い込ませた。信じられず、何度もまばたきをした。 久しく聞いていなかった、冷たい電子音が耳元に響いた。 (ユーザー様、確認が取れました。この子は、あなたが産んだ子供です…… 出産ミッションの達成を確認しました。この世界から離脱しますか?)

View More

Chapter 1

第1話

頭の奥がじんと鳴り、その場から動けなくなった。

「パパ、ママ。さっき助けてくれたの、このおばさんだよ」

悠真に手を引かれて、直人と美緒がやってくる。私を見るなり、2人の笑顔が消えた。

「紗季……」

直人は明らかに動揺し、とっさに悠真を自分の後ろへ隠そうとした。

涙がこみ上げた。

「隠さないでよ、直人。説明してくれないの?」

彼は大きく息を吸った。

「知られたからには、もう隠さない。そうだよ。悠真は君が産んだ子だ。あのとき、僕が嘘をついた」

美緒は唇を真っ白にして、悠真の手を握り締めていた。

「紗季、直人を責めないで。全部、私が悪いの」

そう言うなり、美緒は悠真の背中を押した。

「悠真、行って。あっちが本当のママなの」

悠真がわっと泣きだした。

「やだ!あのおばさんはやだ!ママだけが好きなの!ママ、悠真を捨てないで!」

悠真は美緒の手を離さず、美緒も彼を抱き締めて泣きじゃくっていた。

両親には、私が2人を無理やり引き離そうとしているように見えたらしい。

「紗季!」

母が駆け寄り、美緒をかばうように前に立った。

「この2人を引き離すなんて許さないわよ。お父さんも私も、これでいいって決めたんだから!」

声が震えた。

「じゃあ、みんな知ってたの?」

母は気まずそうにせきをして、視線をそらした。

「もとはといえば、あなたのせいでしょう。スキーで事故に遭ったあなたを助けて、美緒は体を冷やしてしまったの。そのせいで、もう一生子供を産めないのよ。あなたの子を育てるくらい、当然じゃない?」

当然?

でも、美緒が子供を産めなくなったのは、大学時代の中絶が原因だったはずなのに。

美緒は後ろめたそうに唇をかみ、私を見ようとしない。

私が黙っているのを、母は納得したのだと受け取った。

「もう3年もたつんだから、今さら言わないの。あなたと直人は、また子供を作ればいいでしょう。この3年、私たちは毎週悠真に会いに来てたのよ。美緒は優しいし、よく気がつくわ。泣いてばかりのあなたより、ずっと上手に育ててくれてる」

父も満足げにうなずいた。

「美緒は私たちにもよくしてくれる。もう娘だと思っているんだ。紗季も妹ができたと思えばいい。悠真のことは、どうしても諦められないなら、甥っ子としてかわいがればいいだろう」

幸せそうにまとまる家族を前に、体の芯まで冷え切っていく。

震える笑いが漏れ、涙がこぼれた。

「命がけで産んだ子は美緒の息子にして、私の夫は美緒を妻扱いして、実の両親まで美緒を娘にするの?

この3年、私のことを何だと思ってたの!どうして、もっと早く教えてくれなかったの?」

全身を震わせながら、美緒を指さした。

「私が毎日毎日、苦しくて壊れそうになってた間、さぞいい気分だったでしょうね!」

「紗季!」

直人が眉をひそめ、私をとがめるように見た。

「美緒は関係ない。責めるなら、僕だけを責めてくれ!」

喉に血の味がこみ上げる。壁に手をついてどうにか体を支え、心でシステムを呼び出した。

(離脱する。もう1秒だって、ここにいたくない!)

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
10 Chapters
第1話
頭の奥がじんと鳴り、その場から動けなくなった。「パパ、ママ。さっき助けてくれたの、このおばさんだよ」悠真に手を引かれて、直人と美緒がやってくる。私を見るなり、2人の笑顔が消えた。「紗季……」直人は明らかに動揺し、とっさに悠真を自分の後ろへ隠そうとした。涙がこみ上げた。「隠さないでよ、直人。説明してくれないの?」彼は大きく息を吸った。「知られたからには、もう隠さない。そうだよ。悠真は君が産んだ子だ。あのとき、僕が嘘をついた」美緒は唇を真っ白にして、悠真の手を握り締めていた。「紗季、直人を責めないで。全部、私が悪いの」そう言うなり、美緒は悠真の背中を押した。「悠真、行って。あっちが本当のママなの」悠真がわっと泣きだした。「やだ!あのおばさんはやだ!ママだけが好きなの!ママ、悠真を捨てないで!」悠真は美緒の手を離さず、美緒も彼を抱き締めて泣きじゃくっていた。両親には、私が2人を無理やり引き離そうとしているように見えたらしい。「紗季!」母が駆け寄り、美緒をかばうように前に立った。「この2人を引き離すなんて許さないわよ。お父さんも私も、これでいいって決めたんだから!」声が震えた。「じゃあ、みんな知ってたの?」母は気まずそうにせきをして、視線をそらした。「もとはといえば、あなたのせいでしょう。スキーで事故に遭ったあなたを助けて、美緒は体を冷やしてしまったの。そのせいで、もう一生子供を産めないのよ。あなたの子を育てるくらい、当然じゃない?」当然?でも、美緒が子供を産めなくなったのは、大学時代の中絶が原因だったはずなのに。美緒は後ろめたそうに唇をかみ、私を見ようとしない。私が黙っているのを、母は納得したのだと受け取った。「もう3年もたつんだから、今さら言わないの。あなたと直人は、また子供を作ればいいでしょう。この3年、私たちは毎週悠真に会いに来てたのよ。美緒は優しいし、よく気がつくわ。泣いてばかりのあなたより、ずっと上手に育ててくれてる」父も満足げにうなずいた。「美緒は私たちにもよくしてくれる。もう娘だと思っているんだ。紗季も妹ができたと思えばいい。悠真のことは、どうしても諦められないなら、甥っ子としてかわいがればいいだろう」幸せそうにまとまる家族を前に、体の
Read more
第2話
システムが点滅した。(離脱経路を開きました。72時間後、死亡してこの世界から離脱します)悠真の見覚えのある顔立ちを見つめていると、どうしても諦めきれなかった。しゃがんで手を差し出す。「悠真、私が本当のママなの。一緒に来てくれる?」悠真が小走りで近づいてきて、私は思わず笑顔になった。次の瞬間、彼はそばにあったおもちゃをつかみ、私の顔にたたきつけた。「パパを取るな!ママは1人だけだ!この悪い女、死んじゃえ!」頬が赤く腫れる。美緒は慌てて悠真を抱き上げた。「紗季、わざとじゃないの。たたかないであげて」母まで、悠真を守るように私を突き飛ばした。「まだ小さいのに、本当の母親だなんて、どうしてそんなことを言うの!」悠真は美緒の胸に顔を埋めて泣き叫び、なだめても泣きやまなかった。しびれを切らした直人が、私の手をつかんで引っ張っていく。「君を見ると泣くんだ。先に帰ってくれ!」直人は通りかかったタクシーを止め、私を押し込んだ。バックミラーに、2人で慣れた様子で悠真をあやす姿が映る。涙が頬を伝った。家に帰ると、もともと少ない荷物をまとめ始めた。クローゼットからアルバムが落ちてきて、開いてみる。悠真が生後1か月の頃、1歳の誕生日、その後の誕生日、お正月……どの写真でも直人と美緒が悠真を抱き、その両側に父と母が立っていた。裏には【家族写真】と書かれている。十数枚の写真に、四季折々の家族が収まっていた。この家で何も知らなかったのは、私だけだった。視界がかすみ、泣くまいと唇をかんだ。アルバムの奥に隠されていたUSBメモリーを、震える手でパソコンに挿し、動画を再生する。結婚行進曲が流れた。頭の中が真っ白になる。画面の中の直人は美緒の手を取り、私の実家の屋敷の前に立っていた。両親が壇上であいさつしている。「美緒が小さい頃から、私たちはずっと見守ってきました。これからは直人と、幸せになってほしいと思います」映像が控室に切り替わる。美緒が不安そうに尋ねた。「ねえ、直人。紗季、帰ってこないかな?」直人は優しくほほえみながら、美緒にベールをかけた。「帰ってこないよ。今日は墓地に行ってる。丸1日いるはずだから」私は慌てて一時停止した。画面に表示された式の日付は、去年の息子の命日だった。あの日、
Read more
第3話
直人は頬を押さえたまま、離婚、とつぶやいた。それから、鼻で笑った。「腹立ちまぎれにそんなこと言うなよ。美緒と僕は、本当に君が思ってるような関係じゃない」話しだしたところで、直人の携帯がけたたましく鳴った。「高瀬さんのお電話でしょうか。汐丘総合病院ですが、藤代美緒さんが今、こちらに……」最後まで聞きもせず、直人は家を飛び出した。その背中を、冷めた目で見送った。システムが反応する。(離脱まで、残り48時間です)……夜になっても、直人は帰ってこなかった。うとうとしていた私は、夜中、煙にむせて目を覚ました。部屋中に火が回っている。「助けて――!」ドアに飛びついたが、ノブを回しても開かない。必死に扉をたたいた。「お父さん!お母さん!悠真!みんな無事なの?」不意に、扉の向こうから悠真の声がした。「なんで僕を連れていこうとするんだよ!なんでママを悲しませるの!悪い女なんか、燃えて死んじゃえ!ママの仕返しだ!」ドアの隙間から、悠真が見えた。外に立ち、憎しみを込めた目でこちらを見ている。「火をつけたの、悠真なの?」目を見開いた。悠真は得意げだった。「どうせ、おばさんなんか誰も好きじゃないもん。燃えて死んじゃえばいい!おばさんが悪いんだから!」煙が喉の奥まで入り込む。私は床に膝をつき、激しくせき込んだ。システムが激しく点滅した。(ユーザー様、もう少し耐えてください。直人様が戻ってきました!)間もなく、ドアが蹴破られた。直人が飛び込んできて、消火器が床に転がる。私を抱き締める腕が震えていた。再び目を開けると、白一色の景色が広がっていた。ベッドのそばで、直人が眉間をもんでいる。ひどく疲れた顔をしていた。「気がついた?医者に診てもらったけど、大したことはないって」彼が水の入ったコップを差し出した。「悠真のことは責めないでやってくれ。わざとじゃないんだ。君に連れていかれるのが怖かっただけだよ」かすれた声を絞り出した。「わざとじゃない?私を焼き殺そうとしたのよ。こんな子に育てた美緒には、責任がないとでも言うの?」直人の顔がさっと険しくなった。「もういい!結局、美緒の育て方が悪いって言いたいんだろう?」彼は勢いよく立ち上がった。「今日、君が一緒に来るかなんて聞
Read more
第4話
私は手を振りほどき、信じられない思いで彼を見た。「私の結婚生活を壊した不倫相手を、私に救えって言うの?」直人はうつむき、前髪で目を隠したまま、かすれた声を出した。「君には悪かったと思ってる。でも、美緒はまだ若い。悠真からママを奪うわけにはいかないんだ。助けてくれるなら、何でもする!」涙がこみ上げた。直人がここまで頭を下げる姿なんて、見たことがない。それが、美緒のためだなんて。「出ていって。不倫なんかするから罰が当たったのよ!」パシン、と頬を打たれた。たちまち頬が熱を持つ。私はまばたきをし、直人もぼうぜんと立ち尽くした。「ごめん、紗季!わざとじゃないんだ!」彼が私の手をつかむ。私は我を忘れ、何度も彼の頬をたたいた。直人は抵抗しなかった。ようやく私の手が止まると、彼は唇を震わせた。「美緒は、不倫相手じゃない」携帯で写真を開き、私の前に放り出す。婚姻届受理証明書の隣に、離婚協議書が写っていた。そこには、私の署名まであった。「悠真の戸籍のために、3年前、君とは離婚したんだ。美緒との婚姻届も、もう受理されてる」喉が詰まった。「何を、言ってるの?」直人は私をまっすぐ見られなかった。「不倫相手というなら、君のほうだ」携帯を握る手が震えた。写真を何度も拡大しては戻す。直人から目を離せないまま、信じられずにベッドへ倒れ込んだ。涙が枕をぬらす。笑っていたはずなのに、いつの間にか泣いていた。「直人、絶対に後悔するから。こんなことをして、ただで済むと思わないで」手のひらに爪が食い込み、血がにじんだ。心の中でシステムに尋ねる。(どうやって死ぬか、自分で選べる?)できるという返事を聞き、私は直人を見た。「分かった。提供する」直人は勢いよく私の手を握った。目が赤くなっていた。「紗季、やっぱり僕を愛してくれてるんだね!安心して。美緒を助けるのは、これで最後にする。手術が終わったら、もう彼女とは会わない。これからは、2人だけだ」彼の目を見つめた。「ただし、条件があるの。子供をすり替えたのも、不倫したのも、全部あなたが悪かったんだって、自分の口で認めて。そうしたら、彼女を助ける」断ると思っていたのに、直人はためらいもせずうなずいた。「分かった!助けてくれるなら、何だってする!
Read more
第5話
直人がよろめき、みるみる顔から血の気が引いた。「何ですって?」看護師の袖をつかんだ。「紗季に何があったんですか?救命処置って、どうして!いったい何をしてるんです!」看護師も疲れ切り、額にはびっしょりと汗を浮かべていた。「落ち着いてください!どうして、事前に体の状態を教えてくださらなかったんですか。肺に重い感染症があったんです。まだ何もしていないのに、大量出血を起こされて……」直人が目を見開いた。「肺の感染症?」はっと顔を上げる。「火事のせいですか?」そのまま、ぼうぜんとして動かなくなった。「お願いします。どうか、助けてください」再び手術室のドアが開いた。執刀医がマスクを外し、息をついた。「申し訳ありません。力を尽くしたのですが……」後ろで母が息をのみ、胸を押さえて壁に寄りかかった。「うそ。そんなはずない……!」ほどなくして、全身に白い布をかけられた私が運ばれてきた。直人はその布を見つめたまま固まり、長い間、身じろぎひとつしなかった。母が泣きながら駆け寄った。「紗季!どうして、お母さんとお父さんを置いていくの!」母は看護師を見上げ、顔を涙でぐしゃぐしゃにしていた。医師が検査結果を直人に差し出した。「高瀬さん、肺の感染症が相当重かったことをご存じなかったんですか。なぜ事前にお知らせいただけなかったんです?」直人は立ち尽くし、途方に暮れたように首を振った。「知らなかったんです。大したことないって、聞いてたんですけど……」医師を見た。「その前に近所の診療所で診てもらったんです。問題ないって言われて、本人もつらそうにはしてなかったし!」医師は眼鏡を押し上げ、厳しい顔をした。「問題がないはずはありません。そのときの検査結果を見せてください。どう診断したのか、こちらから確認します」……直人は、あのときのことを思い出した。診療所で紗季が検査を受けた際、自分は電話に出ていた。戻ってくると、悠真が駆け寄ってきて、先生が大丈夫だと言っていたと伝えた。検査を担当した看護師も、紗季の体に異常はないと認めていた。けれど直人は、検査結果を一度も開いていなかった。……そのとき、トイレに行っていた悠真がどこからか戻ってきて、私の遺体のそばへ駆け寄った。「おばあち
Read more
第6話
ぴたりと、音が消えた。直人が目を見開き、悠真の頬を強くたたいた。「何を言ってるんだ!そんなことを言っていいと思ってるのか!」悠真の顔が腫れた。大声で泣きながらも、意地になって直人をにらみ返した。「だって、本当だもん!」小さな足をばたつかせ、直人を指さしたあと、父と母にも指を向けた。「みんな、あの人は嫌だって言ってたじゃん!あの人がいると困るって!なんで僕だけたたくんだよ!」母が口を覆った。頬を涙が伝い落ちる。「違うのよ、悠真。紗季はおばあちゃんの娘で、パパの奥さんなの。嫌いなわけないでしょう?」悠真は腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。「じゃあ、なんで怒ってたの?僕が火をつけたときも、見てたじゃん。おじいちゃんが『少し思い知ればいい』って言ってたの、聞いたよ!」その場が一瞬、静まり返った。宙に浮かぶ私も、反射的に手を握り締めた。けれど、痛みはやってこない。そうだった。私はもう、死んでいるのだ。父と母は息を詰まらせ、苦しげにあえぐばかりで、言葉を出せなかった。「違う、そうじゃない。私たちは、ただ……」直人が赤く充血した目で両親をにらんだ。「見ていながら、どうして止めなかったんですか!」正義の味方のように怒る直人が、ただおかしかった。私をこんな目に遭わせた張本人は、あなたじゃないの?そこへ、看護師の押す車椅子に乗った美緒が、エレベーターから出てきた。顔色がよくない。「直人、みんなここで何をしてるの?」悠真が泣きながら駆け寄り、美緒の胸に飛び込んだ。「ママ!パパがたたいた!あの悪い女のせいで!」美緒はすぐに悠真をなだめ、不思議そうに直人を見た。「いったい、どうしたの?」両親のほうへ目を向け、そばに横たわる、白い布をかけられた体に気づいた。美緒が落ち着かない様子を見せる。直人が声を絞り出した。「紗季が……大量出血で、助からなかった」美緒は自分の体を強くつねった。笑い出すのをこらえているようだった。「そうなの?それは、本当に残念ね」直人に抱きつき、ひどく悲しげに泣いてみせた。悠真はそんな美緒を見つめ、ふと口を開いた。「ママ、なんで泣くの?あの人が死んだら、パパの家にも、おじいちゃんたちの家にも住めるって言ってたじゃん。あの人の代わりになれるって!」
Read more
第7話
美緒の泣き声が、ぴたりとやんだ。すぐに目を潤ませ、悠真を押しやる。「何を言ってるの!ママがそんなこと、言うわけないでしょう?」けれど悠真は、甘やかされて育っていた。美緒が冗談を言っていると思ったらしく、手首のキッズウォッチを操作して録音を再生した。「だって録ってあるもん!ママ、聞いて!」小さな雑音に続いて、美緒の声がはっきりと流れた。「悠真、よく聞いてね。あの人はパパとおじいちゃん、おばあちゃんを奪いに来た悪い人なの。だからママと一緒に、いなくなるようにしてくれる?」「……僕は何をするの?」録音の中の美緒は、少し間を置いた。「今夜、あの人の部屋に火をつけるの。見つかったら、ふざけただけだって言えばいいわ。おじいちゃんもおばあちゃんも、悠真が大好きだから怒らない。あとはママがちゃんとやっておくから」悠真はスマートウォッチを掲げ、得意げに笑った。「ほら、ママ!忘れないように、ちゃんと録っておいたんだよ!」また、誰もが息を潜めたように静まり返った。美緒の顔は真っ青だった。「違う、私じゃない!そんな、私を陥れようとしてるのね!」悠真には、陥れるという言葉の意味さえ分からない。ただ、美緒の顔を見ておびえた。直人は血の気を失い、信じられないという目で美緒を見た。彼女を突き放すと、力が抜けたように数歩よろめいて下がった。「君だったのか。全部、君が仕組んだのか?」母が叫びながら駆け寄り、美緒の頬をたたいた。「娘を返して!紗季を返してよ!」車椅子から転げ落ちた美緒は、頬を押さえ、青ざめたまま言い返した。「私じゃない!悠真がでたらめを言ってるの。子供の言うことを信じるの?」そのとき、直人の携帯がけたたましく鳴った。震える手で触れた拍子に、スピーカーが入った。「汐丘警察署です。病院の看護師を名乗る詐欺師を逮捕したところ、奥様の美緒さんの偽造診療記録が見つかりました。一度お越しいただけますか?」直人は耳を疑うように聞き返した。「偽造した診療記録?何の記録ですか?」電話の向こうで紙をめくる音がして、警察官が低い声で答えた。「急性白血病です。この詐欺グループがよく使う手口ですが、何か被害に遭われていませんか?」携帯が床に落ちた。直人は激しく息をし、美緒を見据えた。「僕たちをだ
Read more
第8話
私の遺体は、そのとき霊安室に横たわっていた。自分たちの手で私を死なせたのだと、ようやく思い知ったのだろう。直人が通報し、美緒を警察に引き渡した。美緒は怒って叫んだ。「どうして私にこんなことするの!3年も、みんなの面倒を見てきたのよ。紗季なんか嫌だって、そっちが言ったんじゃない!」悠真が泣きながら美緒にしがみつき、連れていこうとする警察官を止めようとした。美緒も、悠真を頼みの綱にした。「直人、悠真には私が必要なの!悪かったと思ってる。あなたにも、紗季のお父さんとお母さんにも。でも、紗季はもういないのよ。悠真をまたママのいない子にするつもり?」美緒は悠真の腕を強くつかんだ。「悠真、ママのために何か言ってよ」悠真はつねられて泣き叫び、何も言えなかった。直人が悠真を抱き上げ、美緒をにらんだ。「まだ子供をそそのかすのか!美緒、きちんと法の裁きを受けてもらうからな!」美緒は連れていかれた。直人はゆっくり振り返り、私の両親を見た。その目には絶望と悲しみがにじんでいた。しばらくして、何も言わず、階下の霊安室へ向かった。霊安室は、骨まで冷えるほど寒かった。私を見つめていた直人が、顔を覆ってしゃがみ込んだ。肩が激しく震えている。「ごめん、紗季。全部、僕が悪かった。君に、何てことを……!」宙に浮いたまま、それを見ていた。心は少しも動かなかった。直人が私を火葬し、葬儀を営むのを見届けた。参列者は、ほとんど誰も直人にいい顔をしなかった。SNSの謝罪文を見て、彼のせいで私が死んだのだと、みんな知っていたからだ。直人は会社を解雇され、ネット上で身元や住所までさらされた。激しい誹謗中傷が押し寄せ、父と母もその標的になった。直人は何も言わず、ただ悠真を押さえつけるように、私の位牌の前に正座させた。「悠真、本当のママは紗季なんだ。美緒じゃない」悠真は分からないという顔をした。「じゃあ、どうして美緒ママが僕を育てたの?」直人は何も言えなかった。父親が不倫をして、母親から子供を奪ったのだと。そして紗季は自分のせいで死んだのだと、息子にどう伝えればいいのか分からないようだった。悠真はまだ納得せず、理解できないままだった。だから直人が警察署で美緒と向き合ったときも、ママ、と呼んで彼女に駆け寄った。
Read more
第9話
耳をふさいでも、その声は悠真に届いた。悠真はぼうぜんと立ち尽くした。3年間ママと呼んできた人だとは、信じられないようだった。泣きながら走り出し、直人が追いかけた。私は2人の後ろを漂い、悠真が泣きながら父親に尋ねるのを聞いた。「パパ。僕の本当のママは、あの悪い女なの?」直人の目に涙が浮かんだ。「悪い人じゃないよ。悠真を、とても愛してたんだ。本当のママだからね。10か月、おなかの中で大事に育てて、産んでくれたんだ。この世界で、誰よりも悠真を愛してた人なんだよ」悠真はまだよく分からないまま、直人を見上げた。「じゃあ、もう会えないの?」直人は涙をこぼし、声を詰まらせてうなずいた。それから悠真を連れ、私の祭壇の前へ戻った。初めて、悠真が私をママと呼んだ。「ママ、ごめんなさい」私の頬を、涙が伝った。遅すぎる謝罪だった。涙をぬぐうと、システムの声がした。(ユーザー様、滞在できる時間がもうすぐ終わります。離脱の準備をしてください)少しして、システムがまた尋ねた。(悠真様に会っていきますか?)私は少し考えた。(いい。もう全部終わったの。あの子を産んだことなんて、なかったと思うことにする)金色の光が走り、私は現実の世界へ戻った。システムと結びつく前、私はフードデリバリーの仕事をしていた。早くに両親を亡くし、妹を学校へ通わせるため、自分は学校を辞めて家計を支えてきた。狭い賃貸の部屋に帰り着いて、ようやく息がつけた。(ミッションの完全達成を確認しました。報酬として、1億円を支給します!)やっと、笑うことができた。すぐに小さな住まいを買い、妹を街に呼び寄せ、こちらの学校へ通わせた。「お姉ちゃん、この1か月、何してたの?電話しても、全然出てくれなかったじゃん」あの世界で過ごした5年は、現実ではたった1か月だった。笑って妹の髪をなでた。「ちょっと用事があって、話せなかったの。でも、ちゃんと帰ってきたでしょう?」報酬を元手に、花屋を開いた。このまま穏やかな毎日が続く。そう思っていた。ある夜、システムの切羽詰まった声に、眠りを破られるまでは。(ユーザー様、大変です!直人様に、あなたがあの世界から離脱したことを知られました!あちらが大変なことになっています!)久しぶりに聞
Read more
第10話
少しだけ、考えた。「じゃあ、行こう。私がきっかけになったことだもの。終わらせなきゃ」再び転送され、降り立ったのは、高瀬家の屋敷の浴室だった。浴室を出て、屋敷の広さに思わず口元が引きつる。さすが、選ばれた存在というだけある。たった5年で、財界の大物になったのだ。背後の階段から、せわしない足音が聞こえた。誰かに背中を押された。「新しい家政婦さん?早く下に行って!高瀬社長が来たよ!」よろめいた先で、こちらへ歩いてくる直人と目が合った。彼が足を止めた。よろめきながら2歩近づき、それでも私に触れようとはせず、声を震わせた。「紗季、本当に君なの?」5年ぶりに見る直人は、落ち着きが増し、大人びていた。その分、ずいぶん疲れても見えた。「よかった。やっと帰ってきてくれた!この5年、君が戻ってきたとき、もっといい暮らしをさせてあげたくて、必死に事業を広げてきたんだ!」私の手を握り締めた。目は赤く充血していた。「帰ってきてくれてよかった。もう、どこにも行かないで」私はその手を強く振り払った。「もうやめて、直人」静かに彼を見つめた。「あなたがこの世界をかき乱すから、来るしかなかったの。戻りたくて戻ったわけじゃない。もう5年でしょう。そろそろ、やめて」直人が信じられないという顔をした。「やめろって?どうすればいいんだよ。君がいなくなってから、毎日考えてた。どうして美緒を信じたのか、どうして君を傷つけたのか、ずっと後悔してる。紗季、もう行かないでくれないか。償う機会をくれよ。悠真もちゃんと育てたんだ。素直で、聞き分けのいい子になった。君もきっと、かわいく思ってくれる」上から足音がした。8歳になった悠真が、階段の上に立っていた。私の顔を見て、手にしていた本をばさりと落とした。「ママ……」目を潤ませて歩み寄ってくる。それでも、そばまでは来られない。ため息をついた。結局、返事をしてしまった。「うん」悠真はぱっと駆け寄り、私の腕に抱きついた。「ママ、帰ってきたんだよね?もう、どこにも行かないよね?」直人も私を見つめ、すがるように言った。「紗季、お願いだ」悠真の腕をほどき、2人から身を離した。「私はもともと、この世界の人間じゃない。紗季はもう死んだの。過去にしがみつかな
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status