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第115話

Author: 冷凍梨
八雲の言葉には、どこか含みがあるように思えた。

私の気のせいだろうか、彼が口にした時の調子には妙に皮肉めいた響きがあり、いつものように鋭い物言いとはまるで違っていた。

その質問の中に、どこか責め立てるような響きがあり、しかも鼻にかかったような声色が加わって、なぜか拗ねたような印象さえ残した。

浩賢も思わず面食らった様子で、二人は一瞬だけ視線を交わした。

その後、浩賢は頭をかきながら、弁解するように口を開いた。「いや、八雲。結局この件、うちの脳神経外科も巻き込まれてるんだ。だから少しでも早く真相を突き止めた方が、お互いの診療科の関係にもいいと思ってさ」

八雲は目を逸らし、軽く咳払いをしてから、またいつもの涼しい顔に戻り、淡々と告げた。「藤原先生の考えも一理ある。だが、水辺先生はさっきはっきり言っていた。麻酔科のことは麻酔科で処理する。我々が口を出すことではない、と」

そう言いながら、私をちらりと見やった。その眼差しにはあからさまな軽蔑が浮かんでいた。

そこでようやく昨日、彼のオフィスで言い争った場面が頭をよぎった。なるほど、さっきの回診のときに、まるで誰かに巨額の借金を返してもらえないかのような、あの態度のわけはこれか――根に持っていたのだ。

上下関係を考え、私は黙って受け流すことにした。

代わりに浩賢が場を和ませようと、口を挟んだ。「水辺先生だって君のことを思ってるんだよ。余計な――」

しかし言葉の最後は、八雲の鋭い視線に遮られた。

次の瞬間、彼の声が一段と厳しく響き渡った。「今回、穏便に収まったことを幸運だと思うな。たまたま相手が物分かりのいい患者と家族だっただけだ。だが次は?その次は?

東市協和病院の病棟には毎日、全国から患者が押し寄せる。誰が毎回、円満に終わると保証できる?肝に銘じるべきだ!」

その叱責に、私は思わずうつむき、言葉を失った。

確かに、もし今回の患者が唐沢夫人のように穏やかな性格でなければ、今ごろ事態はもっとこじれていただろう。

その点については、私も八雲の言葉を否定できなかった。

「それから――」彼は急に調子を変え、皮肉を込めて言い放った。「一部の医者は、ちょっとした小細工でうまくやった気になっているが、相手が黙っているだけだと心得ろ」

胸の奥がざわついた。視線を彼の顔へ向けると、彼の目線はすっと上がり、私の額
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