تسجيل الدخول「これって、十二年前の日付……だよな?」 何故そう思ったのはかは分からない。 ただ、その数字が十二年前の日付だと言うことは妙な確信がある。「でも……」 しかし、そうなってくると確かに不可解なことがあるのも事実だ。 もし仮に、このテープが十二年前からここにあるのだとしたら、この扉は十二年間開けられない状態だったことになる。この場合、傘の持ち主はここから出られないということになるの訳だが、202号室に居る母親は確かに『この部屋に居る娘に、傘を届けて欲しい』と電話を掛けてきた。ここで発生するのは明らかな矛盾で、目の前にある赤い傘と受け取ることの出来ない相手の関係が分からず益々混乱が強くなってしまう。「やっぱり、簡単には開けられそうに無いよなぁ」 気味が悪いと分かっていても、確かめなければ気が済まない。そう思ったからこそ、テープの向こう側にあるベニヤ板がどうなっているのかを注意深く観察してしまう。「バールが無いと無理だ」 しっかりと固定された板は軽く引っ張ったくらいではびくともしない。手足を使って思いっきり体重をかけてみても、打ち付けられた留め具が深く食い込んでいるのか、人力ではどうにもならなかった。「取りあえず、ノック……してみるか?」 無駄だと分かっていても、一応はと思い手を握ると、ベニヤ板を軽く叩いてみる。「…………まぁ、そうか」 これだけ厳重に封印されているのだから、きっとこの扉の向こう側は空っぽなのだろう。住人が住んでいる気配が無いことを確認すると、もう一度だけ子供用の赤い傘を見てからその場を後にする。 待機していたままのエレベーター。そこに乗り込みドアを閉めたとき、廊下を何かが横切った事に気付かないまま。管理事務室に戻ると事務椅子に腰掛けゆっくりと息を吐き出す。「朝まで後、二時間……」 とても密度の高い一日。これがあと数日続くのかと思うと少し嫌になってしまう。時給が良かったから辞めたくない。でも、この仕事を本当に続けても大丈夫なのだろうか。そんな不安はどうしても拭いきれない。 ジリリリーンッッ! 降りてくる瞼を完全に閉ざそうとした瞬間、管理事務室内に響く。今度は何だと受話器に手を伸ばしかけた時、偶然にも時計の文字盤に視線が止まり、無意識に伸ばした手を引っ込めた。「違う……今
「203号室に、ですか?」 女性の言葉を聞いて動揺したのは仕方が無い。先程電話で彼女は、『202号室に居る』と言っていたのだから当然だろう。『そうです。203号室です』 しかし、彼女が傘を届けて欲しいと指定してきた部屋番号は、その隣の203号室。何故自身の居る202ではなく、その隣の203をわざわざ指定してきたのか。その目的が分からず混乱してしまう。「でも、あなたは202号室に住んでるんですよね?」 その疑問がどうしても気になりそう尋ねると、彼女は何かに気が付いたように声を上げてから、隣の部屋を指定した理由を話し始めた。『202号室はわたしの職場なんです』「職場?」『はい』 詳しく聞いてみると、実際の住居は203号室らしい。 普段は202号室に彼女の母と娘と一緒に住んでいるそうで、彼女が仕事の時は母が子供の面倒を見ているのだという。『今日は納期の関係で家に戻れそうになかったので職場に泊まったのですが、娘が傘を無くして泣いていると母から電話があって……』「ああ。それで」 理由さえ分かれば何故そんな不可解な依頼なのかと言うことに納得はいく。「分かりました」 どちらにしても、子供がぐずってしまっているのなら、早めに対処した方が良いだろう。大声で泣かれたりしたら、他の階の住人から苦情が来る可能性も高いはずだ。「それじゃあ、急いで届けますね」 そう伝えてあげれば、依頼主の女性は、心底安心したように息を吐いた後、改めてお礼を告げ電話を切ってしまった。「…………はぁ」 受話口から聞こえてくる話中音から、相手が完全にこの機械の操作を追えてしまったことを理解すると、赤い傘を手に管理事務室の扉を開く。携帯するものは先ほどと同じく、懐中電灯に財布と携帯。しっかり施錠したことを確認してからエレベーターへ向かえば、一階で待機したままになっているそれに乗り込み二階へと向かう。「思ったより、頼み事が多いのは何でなんだ……?」 身体に残る疲労感に、無意識に下へ向
耳障りな音に気が付いたのは、本当に偶然だった。「っっっっ!!」 けたたましいベルの音に驚いて飛び起きると、その勢いで思い切り床に倒れ込んでしまう。「っっったぁ……」 身体を起こそうとすると感じる、左側に走る痛み。どうやら椅子から落ちた時、肩を軽く負傷したようだ。その痛みは少しずつ、腕を伝うようにして広がっていく。「……なん………おと……」 頭上から響くのは激しく主張を続けている騒音。この音に起こされたのだと言う事に気が付くと、無性に腹が立って仕方が無い。相変わらず痛みを訴える患部を庇いながらその発生源を探れば、机の上に置かれている黒電話が原因だという事に直ぐに気が付いた。「…………電話?」 そこで気になったのは現在の時刻である。「何時だ!?」 電話とベル。それに気付いた瞬間、一気に眠気が吹き飛んだ。 急いで伸ばした手が机にの足を捉えると、力を篭めて一気に身体を起こす。無理に引き上げせいで左肩は悲鳴を上げたが、今はとにかく時刻が分かるものを探す方が先だ。動揺しながら視線を彷徨わせ探す時計。幸いにもその情報を得る事が出来るアイテムは直ぐ傍にったため、表示された数字から現在が午前四時を過ぎたばかりだと言う事を理解する。 ということは、つまり。 この電話は謎のルールにあった毎正時の時に掛かってくる依頼の電話。と言う事になるのだろう。 そのことに気が付いた瞬間、急いで受話器を取り上げた。「もしもし!?」 相当焦っていたのだろう。自分でも驚くほど大きな声が送話口付近で響く。『あ、あの……』 その気迫はどうやら電話の向こう側にも届いてしまっていたようで。受話口から聞こえてくる戸惑った女性の声。それが耳に届いた瞬間、頭が冷静になり恥ずかしくなってしまった。「あ。その……」 感じた気まずさを誤魔化すように咳払いをすると、改めて落ち着いた声で、声の主に電話を掛けた目的を尋ねてみる。「先程は、大変失礼しました」 まずは
「ひぃっ……!!」 細くなっていくドアの隙間。 向こう側に広がる闇の中で蠢く何かが、こちらに向かって手を伸ばしている。その事に気が付き逃げるようにエレベーターの奥へと後ずさると、背中に弱い衝撃が走った。「そん……な……」『あそぼう……よ……』 それは、確実にこちらとの距離を詰めてくる。 もう逃げ場が無い。 そう感じた瞬間、自分でも驚くほど、素早く行動を開始していた。「絶対無理だっっっっっっ!?」 白い光が前方を照らす。ほんの小さな光の筋ではあるが、向けた懐中電灯の先に浮かび上がる【ソレ】のシルエット。「遊ぶなんて絶対に無理だからっっっ!!」 それは確かに【ヒト】の様な形をしていた。「だからこっち来んな!!!!」 ただ、【ソレ】は酷く曖昧で。「大体なんで、こんな時間に遊んでんだよ!!」 シルエットがヒトの形をしている以外、どうなっているのかが分からない。「時間を考えろ! 非常機だろ!?」 言いながら素早く操作盤へ駆け寄ると、閉じかけていた扉を急かすように同じボタンをひたすら叩き続ける。 「他の住人からも苦情が来てるんだからな!?」 そんなことを言ったって意味が無いのかもしれない。そう思ったとしても、手に持った懐中電灯を向け【ソレ】に向かってひたすら叫び続ける。「こっちは迷惑してんだよ!!」 一度怒鳴ると歯止めが効かない。追い込まれた鼠のように身構えながら、手にした懐中電灯を突き出して狂ったように吠える。「こんな風にからかって面白いか!? クソがっっっ!!」 できるだけ平静を装っても、どうしても隠せない怯えは気持ちを焦らせるばかり。 相手を挑発することは自身の危険に繋がる可能性が高いと分かっているのに、それでも限界まで引き上げられた恐怖心から、精一杯の虚勢で威嚇を続けないと己が保てない。「早く閉じろよ!! クソエレベーターがっっっっっ!!」 端から見るとこの光景は実に滑稽に見えることだろう。それでも本当に必死なのだ。声を張り上げ、ひたすらボタンを叩き、不安定に光を揺らしながら此方に来るなと訴える。「頼むから早くっっ!」 最後はもう神頼みに近かった。たった一枚の扉が閉まることが、何故こんなにも遅いと感じてしまうのだろう。 非常にゆっくりと閉まる鉄の扉が憎らしくて仕方が無い。 あと、数センチ。この隙間が完全に閉
「いい加減にしてくれっっっっ!!!!」 遂に耐えきれなくなりそう叫べば、奇妙なことにあれほど五月蠅かったボールの音がピタリと止まった。「……はぁ……はぁ……」 額に滲む脂汗。緊張から乾いた喉が引き攣り痛みを訴える。まとわりつく湿度は依然として高く、嫌な意味で気持ち悪さに拍車をかけている状態で。そこに重なるようにして感じたのは、なんとも言えない程の吐き気を覚える強烈な臭いだった。「うっ……」 一体この臭いは何なのだろう。余りの臭気に思わず口元を押さえ吐き気を必死に堪える。逆流する胃酸が食道を焼き、痛みに滲むのは涙だ。 早くこの場を離れたいと願っても、中々上手く身体を動かすことが出来ない。それでも必死にドアにしがみつき、漸く建物の中へと移動したときだった。『どうしたの?』 直ぐ背後から聞こえてきた声。反射的に強張る身体が動きを止めてしまう。『もしかして、遊びにきたの?』 何も答えられず黙っていると、声の主が少しずつ此方へと近付く気配を感じ悲鳴が上がる。『もしそうだったら、うれしいなぁ』 気配が動く度、鼻を突く異臭も強くなる。それがまとわりつく湿度と混ざり合い、独特の臭気を放ち目眩がしそうだ。『だれも来ないから、つまんなかった。ねぇ、いっしょに遊んでくれる?』 そしてそれは、いつの間にか直ぐ後ろに立って返事を待っていた。『ねぇ。いっしょに遊ぼうよ』 遊ぼうよと言われても、そうだねなんてとてもじゃないが言えるはずが無い。背後のそれが期待している返事は分かり切っているが、その言葉を意地でも言いたくないと見せるのは必死の抵抗で。左手で口を覆い、絶対に振り返らないように注意しながら、少しずつ足を動かして前へ、前へと歩き出す。『ねぇ。遊ぼうよぉ』 此方が動く度、それも後を追うようにして一緒に付いてくるのが分かる。『ねぇ。遊ばないの?』 話しかけられる度、それが顔を覗き込もうとしているのが分かるのが恐ろしくて、徐々に視界が滲んでしまう。『ねぇ。聞こえてないの?』 指の間から零れる嗚咽は、非常に情けなくか細いものだ。『ねぇ。聞こえてるんだよね?』 それでも【ソレ】は、諦める事無く此方に話しかけ続けてきた。『ねぇ。聞こえているんだよね?』 足を動かす度にここに来た目的について考えてしまう。『ねぇ。聞こえているんだよね?』 受けた
見つかって欲しいと願ったわけじゃ無い。だからこそ、簡単に鍵が見つかってしまったことは非常に残念に感じ気が重くなってしまう。 鍵穴に吸い込まれていく銀色。それを眺めながら、口に溜まった唾を飲み込む。カラカラに乾いた喉を湿り気が通ると直ぐに感じるのは痛みだ。そこに混ざる鉄の味に自然と額に汗が滲んでしまう。 自分の鼓動の音がこれほど大きく感じることなど、生きている内にどれくらい在るのだろうか。この緊張感は決して心地好いものなどではなく、どちらかというと不必要なもので。 怖い。 ただそれだけが頭を占拠し思考を掻き乱す。「…………」 小さな音を立てて外れる錠。これで、こちら側と向こう側を遮る障害が一つ、消えたこととなる。「…………はぁ」 震える手でノブに触れると、ざらついた不快感に思わずそれを離してしまいそうになった。「うぅ……」 触れた感触が消えていかない。対して特徴の無い己の手を懐中電灯で照らしながら付いた汚れを確かめる。朽ちて剥がれやすくなった朱い鉄屑。それが汗に吸い付くようにして皮膚の上に留まり続け、まるで、細かく付けられた傷跡のように見えたことで、幻の中に棲まう痛みを感じてしまう。 今すぐここから逃げ出したい。 誰も助けてくれないという事実が、より一層心細さを引き立てる。 それでも仕事はしなければならない。 何故そう思うのかは分からないが、強い義務感がここから逃げ出す事を許さない。「……よし」 いつまでもここで留まっていたって仕方が無い。未だに扉に触れる事が怖いが、軽く確認さえしてしまえば【仕事をしなかった】ことにはならないはずだ、と。そう自らに言い聞かせゆっくりと扉を開く。 …………ギィ。 建て付けの悪いドアは、不快な音を立てて向こう側へと開けていく。それはもう、ゆっくりと、ゆっくりと。 そして、完全に完全と屋上の境界がなくなった瞬間、頬を撫でるようにして生温い風が通り過ぎていった。「……すいません」 まずは一声。灯りを向けながら声を掛ける。「誰か、居ますか?」 この時点で人の存在を確認出来るのならば、こちら側に来るように促し注意をすることが可能だろう。「誰か」 しかし、目の前に広がる闇の向こう側から帰ってくるのは、耳が痛むほどの静寂だけだ。「…………はぁ」 どうやらこれで問題は解決。とは、ならないようで、