LOGIN霊を見る力を持つ高校生・櫻井悠斗は、春の廃病院で、千年の巫術を受け継ぐ少女・月瀬美琴と出会う。 美琴は、怨霊をただ祓うべき怪異とは考えていなかった。怒りや憎しみの奥に取り残された声へ耳を傾け、その未練を解き、魂をあるべき場所へ送り届ける。 そんな彼女の姿に母の面影を感じた悠斗は、美琴とともに各地の怪異へ立ち向かうようになる。 風鳴トンネルに響き続ける、二十年越しの後悔。 温泉郷に語り継がれる、花守巫女の伝説。 二人を結ぶ数々の怪異は、やがて千年前に封じられた呪いと、忘れ去られた巫女たちの悲劇へと繋がっていく。
View More────────────────
『私は……何のために生まれてきたんだろう』 「……君にしか、成し得ないことがあったからだ」 『でも、そこに私の気持ちが入り込む隙間なんて、どこにもなかった』 「それでも君は、その命を燃やし続けた。春に咲き、やがて散ってゆく桜のように――どこまでも鮮やかに」 「君が成し遂げたことは、決して無駄ではない。君が払った代償は、あまりにも大きかった。けれど、私は知っている」 「……私こそが、君がここにいた証だ」 返事はない。 あるのは、遠い春から届く彼女の声だけだった。 風が吹き、ひとひらの桜が僕の傍らを通り過ぎていく。 あの日も、こうして桜が舞っていた。 ──────────────── 桜が、ひらひらと舞っていた。 春風にさらわれた淡い花びらが、古い町並みの間を縫うように流れていく。瓦屋根をかすめ、石畳の上を転がり、ときには道行く人の肩へ、いたずらのように舞い降りる。 町じゅうが、春特有のどこか甘い匂いに包まれていた。 僕の生まれ育った桜織市は、風穂県の平野部にある古都だ。 町の至るところに桜が植えられ、春になれば、通りも、川沿いも、家々の庭先も、枝いっぱいの花で彩られる。古い町並みは薄紅色をまとい、散った花びらまでが道を華やかに染めていく。 桜とともに歳月を重ね、歴史を織りなしてきた町――だから、桜織市と名づけられたのだという。 僕は緩やかな坂道を上りながら、目の前を横切った一枚の花びらをぼんやりと追っていた。 花びらが風に持ち上げられ、青い空へ紛れようとした、そのとき。 「あら、悠斗ちゃん!」 横から明るい声が飛んできた。 振り向くと、古びた木造の店先から、店番のおばさんが顔を覗かせていた。頭上には、色褪せた「たばこ」の看板が掲げられている。 「おはようございます」 僕は足を止め、ぺこりと頭を下げた。 「おはよう。今日から新学期だねえ」 「はい。今日から高校二年生です」 「そうかい、もう二年生か。早いもんだねえ」 おばさんは目尻の皺を深くすると、通りに並ぶ桜を見渡した。 「今年もそこらじゅうに立派な桜が咲いて、いい門出じゃないか。悠斗ちゃんはいい子だからね。今年もきっと、いい一年になるよ」 期待をそのまま手渡されたようで、少しくすぐったい。僕は返事に困り、曖昧な笑いを漏らした。 「あはは……そうだといいんですけど。それじゃあ、おばさん。行ってきます」 「気をつけて行くのよ」 「はい」 もう一度頭を下げ、僕は坂道を上り始めた。 町の人に挨拶をして、毎朝同じ道を通って学校へ向かう。勉強も運動も人並みで、これといって目立つところもない。 僕は自分を、どこにでもいる何の変哲もない高校生だと思っている。 ――ひとつだけ、人には言えない秘密を除けば。 僕には、霊が見える。 道の隅に立ち尽くす人影も、人のいない路地へ消えていく背中も、ふとした瞬間に当たり前のように視界へ入り込んでくる。 けれど、見えても目を合わせず、足を止めず、何も気づかなかったふりをして通り過ぎる。 見えることと、関わることは別だ。 それが僕なりに身につけた、普通でいるためのやり方だった。 再び吹いた春風が、足元に落ちていた花びらを連れ去っていった。 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 教室の扉を開けた途端、新学期特有の浮き立った空気が押し寄せてきた。 「おっ、またお前と一緒か!」 「ええっ、勘弁してくれよ!」 教室のあちこちで、再会を喜ぶ声と、それを茶化す笑い声が飛び交っている。新しい席を探して歩き回る者もいれば、さっそく机を囲んで春休みの話を始めている者もいた。 まだ朝だというのに、教室の熱気は随分と高い。 僕はその喧騒を横目に、自分の席へ向かった。 窓際のいちばん後ろ。 通学鞄を机の上へ置いたところで、隣の席にいた男子がこちらを振り向いた。 「おはよう、櫻井。今年はよろしくな」 「おはよう。こちらこそ、よろしくね」 挨拶を返し、鞄から取り出した教材を机の中へ収める。そのまま椅子に腰を下ろして、何となく窓の外へ目を向けた。 校舎の向こう、町を見下ろす丘の上に、一本の大きな桜が立っている。 枝いっぱいに薄紅色の花を抱えた大桜は、春の日差しを浴びながら、吹き抜ける風にゆったりと身を任せていた。遠くから眺めているだけなのに、なんだか心地よさそうに見える。 その姿をしばらく眺めていると、始業を知らせるチャイムが鳴った。 ほとんど同時に、教室の前方の扉ががらりと開く。 「よっしゃー、ホームルームやるぞー。ほら、座れ座れー」 気怠そうな声とともに、担任が出席簿を片手に入ってきた。言葉の勢いに反して、その足取りはひどく重い。新学期の朝だというのに、もう一日分働き終えたような顔をしている。 誰かが小さく笑い、教室に散らばっていたクラスメイトたちは、それぞれの席へ戻っていった。椅子を引く音が重なり、先ほどまでの喧騒が少しずつ静まっていく。 僕も窓から視線を戻し、教室の前へ向き直った。 窓の外では、またひとひら、桜が風にさらわれていた。「竹本さん?」 街灯の下に立つ男の姿を見て、僕は思わずその名を呼んだ。 竹本さんは、僕たちと静江さんを見比べている。仕事帰りなのだろうか。片手には鞄を提げ、シャツの袖を肘までまくっていた。 けれど、こちらへ歩み寄るより先に、静江さんが血相を変えて叫んだ。「典行! やっぱりあんたの差し金だったんだね! この子たちは、あんたが寄越したんだろう!」「静江さん?」 突然責め立てられた竹本さんは、困惑を隠せない様子で足を止めた。「何のことですか。彼らとは確かに面識がありますが、私がここへ来るよう頼んだわけではありません」「しらばっくれるんじゃないよ! 詩織のことを持ち出して、二人してあたしを追い詰めようとしてるんだろう!」「待ってください。本当に、私は何も――」 竹本さんは言いかけ、僕たちへ視線を向けた。 その表情に浮かんだ戸惑いが、やがて不安へ変わっていく。「君たち、これはどういうことなんだい?」 少し声を落とし、確かめるように尋ねてくる。「詩織の霊が、どうとか……途中から聞こえてきたけれど」「竹本さん」 美琴が一歩、前へ出た。 胸元で握られた小さな手には、わずかに力が込められている。「これから、すべてお話しします。お二人にとって、とてもおつらい内容になると思います。それでも、どうか最後まで聞いてください」 夜風が、美琴のポニーテールを揺らした。 静江さんは警戒を露わにしたまま、美琴を睨んでいる。竹本さんも何かを言おうとしたが、彼女の真剣な面差しを見て、黙って口を閉じた。 そして美琴は、語り始めた。 僕たちが風鳴トンネルで詩織さんと出会ったこと。 彼女が二十年前に亡くなってからも、帰れないまま、あの場所を彷徨い続けていること。 僕が詩織さんと目を合わせ、彼女の記憶と強く共鳴したこと。 母親と分かり合えないまま家を飛び出した夜のことも、竹本さんと共に生きたいと願っていたことも。そして、事故に遭った最期の瞬間まで。 僕が見たものを、ひとつずつ。 静かに、けれど曖昧な言葉で逃げることなく伝えていく。 そのほとんどは、美琴自身が見たものではない。 僕が彼女へ話したことだ。 それなのに美琴は、一度も「先輩がそう言っているだけです」とは言わなかった。僕が見たものを疑う余地のある話としてではなく、確かに起きたこととして語ってく
夕暮れはいつの間にか夜へと呑み込まれていた。 集落の家々にはぽつぽつと灯りがともり、風に乗って味噌汁や煮物、焼き魚らしき匂いが漂ってくる。どこかの家からは食器の触れ合う音が聞こえ、遠くで子供の笑い声もした。 きっと今頃、それぞれの家で家族が食卓を囲んでいるのだろう。 そんな温かな気配に包まれた集落の中で、松田家だけが時の流れから取り残されているように見えた。 庭を埋め尽くした雑草も、閉ざされたカーテンも、昼間に見たときより一層暗く沈んでいる。 僕と美琴は、再びその玄関前に並んで立っていた。「美琴……行くよ」 乾いた喉を鳴らし、唾を飲み込む。 公園では、もう一度向き合うと決めた。 それでも、あれほど激しく拒絶された扉を前にすると、指先まで冷たくなっていく。「ええ」 隣から返ってきた声は、変わらず落ち着いていた。 僕は意を決し、インターホンを押した。 ──ピンポーン。 少しくぐもった、どこか寂しげな電子音が家の中へ吸い込まれていく。 しばらく待っていると、奥から荒々しい足音が聞こえた。「ったく……今度は誰だい……!」 扉越しに、静江さんの苛立った声が響く。 反射的に手を握り締めた。 爪が掌へ食い込む。その直後、強張っていた僕の手を、柔らかな温もりが包み込んだ。「……美琴?」 見ると、美琴が僕の手を両手でそっと握っていた。「大丈夫ですよ」 こちらを見上げた顔には、少しの迷いもない。「今度は、私に任せてください」 その眼差しに、胸の奥で暴れていたものがわずかに静まった。 玄関の向こうで鍵の回る音がする。 美琴は僕の手を一度だけ強く握ると、静かに離した。 直後、扉が勢いよく開かれた。「誰かと思えば……!」 現れた静江さんは、乱れた髪を苛立たしげに掻いた。僕たちの顔を認めた途端、深く刻まれた眉間の皺がさらに険しくなる。「またあんたたちかい! いい加減にしておくれよ!」「し、静江さん!」 僕は咄嗟に一歩前へ出た。「お願いします。今度こそ、一度だけ僕たちの話を──」「嫌だね!」 言葉を最後まで口にすることすら許されなかった。「あたしゃ、あんたたちみたいな怪しい連中の話に耳なんか貸さないよ! 昼間あれだけ言っただろう!」「でも、詩織さんは今も──」「その名前を口にするんじゃないよ!」 怒声に身体が強張
「はぁ……」 肺の奥に溜まっていたものが、深いため息になって零れた。 僕は、かつて詩織さんの記憶の中で見た公園にいた。 夕暮れに染まった空の下、古びたブランコへ腰を下ろしている。鎖がわずかに軋み、足元の砂を靴先で擦るたび、乾いた音がした。 隣のブランコには、美琴が座っている。 ずっとそばにいてくれている。 それでも、僕の心は重く沈んだままだった。 僕は焦った。 せっかく静江さんに会えたのに、言葉を選ぶこともできず、自分からその機会を壊してしまった。「はぁ……」 また、ため息が勝手に出る。「……自分が情けないよ」 夕日の橙色が、美琴の横顔を柔らかく照らしていた。「仕方ありませんよ」 美琴は前を向いたまま、静かに答える。「静江さんの警戒心も、疲弊したお心も、私の想定を大きく上回っていました。あの状態では、たとえ私が話していたとしても、説得するのは難しかったでしょう」「でも、君ならもっと上手く立ち回れたはずだ」 後悔しているわけではない。 詩織さんを救いたいと思ったことを、間違いだったとは思いたくなかった。 ただ、僕が自分でやらなければならないと意地を張らず、美琴に任せていれば。 もっと慎重に言葉を選べていたなら。 こんな結果にはならなかったかもしれない。「先輩」 美琴の声が、沈み込んでいた僕の思考を止めた。「そのように考えてしまうお気持ちは分かります。ですが、詩織さんを救いたいと願ったのは、紛れもなく先輩です」 彼女は僕へ顔を向ける。「それは、決して独りよがりなどではありません。誰かの苦しみを知り、放っておけないと思えた。そのお気持ちまで否定しないでください」「……ごめん」「謝る必要もありませんよ」 美琴は困ったように目を細め、それから柔らかく微笑んだ。「生きている方と、亡くなった方をもう一度繋ぐというのは、私であっても容易なことではありませんから」「そう、なんだ」「ええ」 小さく頷いたあと、美琴はブランコの上で身体をこちらへ向けた。 鎖が、かすかに揺れる。「ところで、先輩」「うん?」「先輩は、このあとどうしたいですか?」「どうしたいって……」 そんなのは決まっている。 詩織さんを救いたい。 けれど、その願いを口にする資格が、まだ自分にあるのだろうか。 僕が余計なことをしたせいで、静江
そして、数日後。 僕たちは、ある一軒家の前へ立っていた。 集落の奥に建つ、大きな二階建ての家。 かつては立派だったのだろう外壁は長い年月で色褪せ、庭には膝ほどまで伸びた雑草が好き放題に生い茂っている。人の手が行き届いているとは、とても思えなかった。 門柱に掛けられた表札へ目を向ける。 そこには、はっきりと──『松田』の二文字が刻まれていた。 僕たちは、賭けに勝った。 記憶の中で見たあの家が、今、現実として目の前にある。 綺麗だった外壁は薄汚れ、庭も荒れ果ててしまっている。それでも間違えるはずがない。 詩織さんが帰りたかった家だ。 ……いや。 まだ勝ったなんて言えない。 家が残っていたことには安堵した。でも、本当に会いたい相手がここにいるとは限らない。 静江さんが、まだ生きている保証はどこにもないのだから。 家全体から漂う重苦しい空気に、自然と喉が渇いた。 インターホンへ伸ばした指先が止まる。「先輩、代わりましょうか?」 隣から、美琴が静かに声を掛けてくれた。 僕は首を横へ振る。 ……だめだ。 ここで「お願い」なんて言ったら、僕は一生後悔する。 ここへ来ると決めたのは僕だ。 だったら、最初の一歩くらい、自分で踏み出さなくちゃいけない。「大丈夫。少し……緊張してるだけだから」 口ではそう言ったものの、心臓は暴れるように脈打っていた。 本当に、このまま口から飛び出してしまうんじゃないかと思うほどだ。 僕は一度、大きく息を吸う。 ゆっくり吐いて、もう一度吸う。 そして、小さく自分へ言い聞かせた。「よしっ……行こう、美琴」「はい」 その返事に背中を押されるように、僕はインターホンを押した。 ……が。「……あれ?」 何も鳴らない。 押した感触すらなかった。「も、もう一回……」 少し焦りながら押し直す。 今度は、 ──ピンポーン。 乾いた電子音が静かな住宅街へ響いた。 ほどなくして、家の奥から床を軋ませるような足音が聞こえてくる。 一歩。 また一歩。 ゆっくりと近づいてきて──。 ガチャリ、と玄関の扉が開いた。「はい……。松田ですけど」「っ……」 息を呑んだ。 目の前に立っていた女性は、記憶の中にいた静江さんとは、まるで別人だった。 頬は痩せこけ、目の下には深く濃い隈が刻まれて