Share

Nox.0 『帝国のはぐれ狼』III

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-07 15:47:20

◆◇◆◇

姉弟を乗せた車が、夕日に照らされる石畳の道を走ってゆく――。

「学校はどうかしら、楽しめてる?」

「別にどうってこともねぇよ。普通に授業を受けて、シャソネをして帰るだけだ」

レイフは、スカディが買ってきたマドレーヌの残りを口にパクパクと運んでゆく。

そんな弟の顔をスカディは、少し困ったような微笑を口元に浮かべながら愛おしげに見つめる。

「こら、私は〝楽しめてるかどうか〝〟を質問してるのよ? 楽しかったのならば、どう楽しかったのか。悲しいことがあったのならば、どうしてそれが悲しかったのか――それをちゃんと言葉にしないと」

まるで、学校の教師のように人差し指を立てて、わざとらしく怒った表情を作るスカディ。

マドレーヌを食べる手を止めたレイフは、顔を露骨にしかめて嘆息した。

「……別に悲しいわけじゃねぇよ。退屈なだけだ。保身ばかり考えてる上に帝国人嫌いの教師、陰でコソコソ言ってばかりでまともに喧嘩もできねぇ同級生。こんなんで毎日、楽しいわけねぇだろ」

「そう、よくわかったわ」

「子供扱いすんな」

レイフはスカディの慈愛に満ちた視線から逃げるように目を背け、窓の外の流れゆく景色を見つめた。

スカディもそれ以上の追求はせず、気まずさとはどこか異なる、|緩慢《かんまん》な静寂が車内を包んでいた。

レイフ達の視線の先に、街の人々の憩いの場でもある巨大な噴水のある公園が見えてきた。

夕焼けが公園に咲く赤、白、ピンク、紫と様々な色の花々を照らしていた。

この景色をレイフ達は、この街で何度も見ながら年月を過ごしてきた。

不思議と胸を締め付けられ、言い表し難い感傷的な想いを、胸の内から湧き起こさせる景色だ。

「ねぇ、レイフ——。今の生活もあなたにとっては、つまらないものかしら?」

「そりゃ学校はこんなんだし、家に帰れば、あの親父や母親が居るからな」

レイフ達の父――ヴィーダル・ヘーデンストローム。

祖父シグヴァルド・ヘーデンストロームと二代に渡って、国際的銀行グループを作りあげた腕利きの実業家だ。

だが、そのあまりにも合理主義的な考え方は、家族を道具のように扱うことにさえも躊躇いがない。

それに反発するレイフと父の溝は年々深くなっていき、親子らしい会話などというものは、とっくの昔に無くなっていた。

「まぁ、それでも姉貴やフランといる時間は悪くはねぇよ……」

いつものような語気の強さはなく、彼の言葉は外の景色と同様に風に流されるように消えてゆく。

「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるのね。それじゃあレイフ――あなたのそのつまらない時間、これから変えてみることは、できないかしら?」

「あぁっ? あのビビリでコソコソしてる連中と、どう仲良くしろってんだよ。そんなの無理に決まってんだろ」

彼女の方へと振り返ったレイフの表情には、呆れとわずかな苛立ちの色が滲んでいる。

「そうかしら、ダニエルさん、ごめんなさい。車を少し停めていただけるかしら?」

「かしこまりました」

「急にどうしたんだよ?」

「一度、降りましょうか。ねぇ、外に何が見えるかしら?」

「何って……」

姉の指示を受けて停車した車から降りたレイフは、外の景色を見渡した——。

気がつけば、車は既に公園の間近にまで来ていたようだ。

秋の夕暮れは風が心地よい。

年季を感じさせる街灯の下では、白いベンチに腰掛ける高齢の女性が本を読んでいた。

本の|題名《タイトル》を見ると、それは数年前に話題になった作品のもので、大学生の恋愛ものだ。

読書好きの男性と音楽の道を志す女性。

両想いでも一歩を踏み出す勇気を出せない彼のもとに、彼の尊敬する文豪の霊が現れて、恋愛の指南をするという娯楽恋愛小説だ。

そこから少しの距離を空けて、ほのかに神聖な空気を纏う二人の子供が遊んでいた。

夕焼けを受けて輝く、さらさらの金色の髪を風に|靡《なび》かせ、穢れを知らない天使のように微笑む少年。

彼は自身と同様、この世の全てに祝福されたような|儚《はかな》く、愛らしい顔立ちの少女の頭へと、自らの手で編んだ花冠を載せていた。

さらに遠くへと視線を向ければ、素人目でも一目で高級品とわかるスーツに身を包む小綺麗な身なりの青年が、同年代の小柄で愛嬌を感じさせる女性と腕を組み散歩をしている。

「この街も人々の暮らしも変わったわよね」

「そうだな」

陽が少しずつ沈んできたことを察知した街灯に〝自動〟で|灯《あか》りが|灯《とも》り、本に視線を落とす女性の手元を照らした。

女性は少しの間、|憂《うれ》いを帯びた瞳で街灯を見上げると、切なげな微笑みをこぼしながら、視線を再び本へと戻した。

「俺が小さい頃までは点灯夫達が、わざわざ|灯《あか》りを|灯《とも》してまわってたよな……」

「えぇ。彼女は、その点灯夫の方と親しかったのかもしれないわね」

レイフ達が女性の人生へと思い馳せていると、近くに停められていた深紅の高級車へと先ほどの身なりの良いカップルが乗り込んで行った。

「〝奏力車〟も前より、見ること増えたよな。今のは王国のサンジェルマン社製か」

「|福音石《ゴスペル》から発生する〝|奏力《ディーヴァ》〟を利用する|文明遺産《オーパーツ》の技術を、ユハ・ライトネンが現代に蘇らせてからすでに60年——。

|奏力《ディーヴァ》は日常的な暖房器具のようなものから、戦車や戦闘機のような兵器にまで幅広く利用されている。確かに私達の世界は激変したわ。それでも一般人の受けてる恩恵は一部に過ぎなかった」

「それでも少しずつ、時代は進んでいるってことだな」

また、レイフが視線を先ほどの少年達の方へと向ければ、彼らを見守る金髪の女性が、耳に小型の端末を押し当てて笑顔で誰かと会話しているのが見えた。

「ラムダ社の小型奏力通話機通称〝|Kronos《クロノス》〟——。これはは、もうすっかりと普及してきたわね」

「だな」

「|種類《バリエーション》も増やして、最新モデルを来年には発表するらしいわよ。その時は一緒に選びに行きましょうね。レイフには何色が似合うかしら?

男らしい黒も良いけれど、クールな|濃紺色《ネイビーブルー》も捨て難いわよね。王道に白も素敵だし……赤系ならば|紅色《ボルドー》が、きっと似合って素敵だわ。

はっ!? でもでも、ピンク色もギャップがあって……」

「おい……。はぁ〜、来年の話をすると何たらだぞ?」

「こういうのは思い立ったら何たらよ。だから約束——来年二人で選びに行こうね」

皺ひとつない、純白の小指がレイフへと向けて差し出された。

「はぁっ……。それ使い方、微妙に違くないか。あとピンクはマジでやめてくれ」

レイフの小指はスカディのそれと、固く静かに結ばれた——。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.I 『蒼月と謎の女教師』III

    ◆◇◆◇「おい、ちょっと待て。これは一体なんだ?」 学院の職員室にて、レイフは自身の目の前に置かれた書類の山に困惑を隠せずにいた。 彼の前では、歴史担当教師として赴任してきたヴィオレタが、机に片肘を突いて座っている。「何って……。この前、課題で出した七年戦争に関する、貴方たちVII組のレポートよ。まぁ、貴方は提出すらしてなかったけどね。自分の成績を下げるのは勝手になさい。でも、私に無駄な手間をかけさせるんじゃないわよ」 堂々と教師として、失格なことを言ってのけると、彼女は机に突っ伏して眠り出した。「それはわかってんだよ! おい、起きろ! このニート教師!!」「何よ……。うっさいわね」 不快な気分を顔に隠そうともせず、起き上がった彼女は、あくびをひとつして目元をこする。 毎日、寝てばかりでよくも、そんなに眠くなるものだ。「なぜ、これを俺に渡す? そもそも二日後には、添削を終えて返さなきゃいけねぇもんなのに、まだ一枚も赤ペンが入ってないぞ……」 机に積まれた書類の山を、一枚一枚と確認するレイフの表情から急速に温度が失われてゆく。「当然よ。私だって、今さっき思い出したばかりなのにできるわけないでしょ? 秘書としての初仕事をあげるわ。これ、全部添削しておきなさい」「もうどこから突っ込めば良いのか、わかんねぇよ……」 退屈そうな表情を浮かべるヴィオレタは、ペンを一本取り、手で弄んだ後にレイフへと向けてみせる。  その仕草は、どことなく教師のようだった。 そして、残念ながら彼女は紛うことなき教師なのだった。  「いい? 歴史なんてものは、|教科書《テキスト》の太字さえ暗記しておけば、それだけで点数が取れるの。つまりは貴方でも教科書さえ、ちゃんと覚えれば、答え合わせくらいはできるということよ」「あんた、本当にとことん最低だな……」 かつて、ここまで自分の専門分野をナメている教師が、果たして居ただろうか。 親からのクレームで、|退職《クビ》になればいいのに、とレイフは心の底から思った。 「ふっ、褒め言葉として受け取っておくわ」「受け取るなよ」  レイフの言葉を受けて、彼女は口角をわずかに吊り上げる。 その仕草は、そこはかとなく色っぽく、不本意ながらもレイフは少しドキリとしてしまった。 「わかったら、さっさとやりなさい。

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.I 『蒼月と謎の女教師』II

    ◆◇◆◇【|暁の女王公園《パルク・ド・ラ・レーヌ=オロール》】  ここは巨大な噴水をシンボルとし、王都の人々憩いの場となっている公園だ。  陽も沈みかけてきたころ、公園の片隅に泥避けのシートを敷き、必死に姉に勉強を教わるレイフの姿があった。 「あぁ〜、わかんねぇ! この〝首飾り事件〟の首謀者が、寵姫だったルセッタ・ド・ラ・ヴォレーヌだったんだよな?」「惜しいわね、ルセッタ・ド・ラ・〝ヴァリエール〟よ」「くそっ……。あいつら、どいつもこいつも似たりよったりな、お菓子みてぇな名前しやがって」 ついにレイフは、ノートを空へと放り投げ、その場に仰向けに寝っ転がった。 途中で定期的に集中が切らしながらも、一時間以上も勉強をしたのは彼には十分な快挙だ。 「ふふ、〝|私たちの国《帝国》〟の名前も、こっちの人たちには、きっと同じように思われてるでしょうね」 ポスンと、良い音を立てて見事にレイフの顔に着地したノートを拾うと、スカディは微笑ましいものを見る目で、顔をわずかに朱に染めるレイフを見つめた。「それにしても、どうしたの? 急に歴史の勉強を教えてほしいなんて」「あぁ、実は〝歴史秘書〟をやらなきゃならなくなってな……。おそらく、あのクソ親父の差し金だろうが。そんで、新人の歴史教師のサポートをしなきゃならなくなっちまってわけだ」 ヴァルメール学院には、他の学校とは異なる特殊な仕組みがあった。  それが――各学年、各クラスの生徒の中から選別される〝秘書〟という役割だ。 秘書は国語、外国語、歴史などの各教科につき一人が選ばれ、授業の補助や調べもの、資料の整理といった担当教員のサポートすることになる。 また、クラスの抱えている課題や現在の懸念事項を伝えることで、クラスと教員の橋渡し役も担っていた。 十中八九、これは父親の差し金だろうと、レイフは推察している。  両親への反発から、レイフは学院に入学する以前から既に非行に走っていた。 遅くまで家に帰らず、酒も飲んだ。 危険な相手だろうとも構わず、喧嘩に明け暮れた。 今は自分から、そのような非行に走ることは無くなったが、当時の悪評が消えたわけではない。  ヘーデンストローム家のような裕福な家の御曹司であれば、余計にその行動は目立つ。 その悪評を払拭するという意味では、秘書のような学校

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.I 『蒼月と謎の女教師』I

    ◆◇◆◇  王都アルジュリュンヌを、左右に分断して貫くマリーヌ川。 左岸の東部にあたる13区に広大な敷地を与えられ、荘厳な白亜の学舎が建っていた。 ヴァルメール学院――エテルヴォワ王国でも屈指の伝統を誇る中等教育機関だ。  レイフが所属する二年VII組の教室には、南向きの大窓からやわらかな午後の陽光が差し込み、昼食後の睡魔に襲われている生徒たちの目を開かせる。 しかし、そんな彼らの視線はすべて今、教卓へと集中していた。  その視線の中には、普段の授業ならば窓の外をぼんやりと眺めているか、机に突っ伏して寝ているかのどちらかであるレイフのものもあった。 決して熱心に授業を受けているわけではない。 むしろ、今授業は強制的に止められていたのだ。 一人の女性によって――。 経年変化により、深みを増した|赤褐色《せきかっしょく》の机に突っ伏す形で一人の女性が眠っていた。 黒に近い青――紺青色の髪が、さらさらと落ちて、彼女の腰までを夜色のカーテンのように|覆《おお》い隠す。 その姿は、色素を排したかのように熱を感じさせない肌色とも相まって、彼女の存在を生者のみが存在する教室における、〝異物〟としていた。   仕立ての良い黒いスーツさえも、彼女が着ていると喪服にしか見えなかった。   ——変な女。 それが、レイフが彼女へと抱いた第一印象だった。  彼女は、定年間近の髪も寂しくなってきた担任が連れてきた新しい歴史教師だ。 その美貌は、本人の意思とは関係なしに人の目を惹きつけてやまない。  だが、彼女から|醸《かも》し出されるのは濃密なまでの〝死の気配〟だった。 近寄ろうと手を伸ばそうとも、そこにあるのは暗く、昏い、ただ|暗澹《あんたん》とした〝闇〟そのもの。  髪の隙間から覗く、夜空を閉じ込めた|灰簾石《タンザナイト》のような紫紺色の瞳は、精気を感じさせない。 |暗鬱《あんうつ》にして、|陰鬱《いんうつ》な重苦しい空気が生徒達の心へと|憂鬱《メランコリー》を波のように広げてゆく。 それは決して、他者を寄せつけようとしない。 普段であれば、若葉色の活気と希望に満ち|溢《あふ》れている教室。 その温度は|厳冬《げんとう》の荒野の如く下がり、|凍《い》てついた地面のように冷たくなった床に足を捕らわれたかのように、生徒達は身動

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   間章『ちょうどいいカモ』

    ◆◇◆◇ 「はぁ……綺麗な月ですね」 〝蒼い月〟が、のぼる空を見上げながら、一人の若い女性がゆっくりと歩いてゆく。 退廃的で虚ろで、どこか物悲しそうに鎮座する蒼い月――。 それでいて、吸い込まれてしまいそうな魔性の美しさがあった。 足取り重く、女性が街を歩いていると、視線の先に怪しげに光る看板の店が見えた。 店内からは、酒に機嫌を良くした男女の喧騒が聞こえてくる。 ここが今日の彼女の天国になりそうだ。 そもそも以前は、彼女は酒などとは無縁の人生だった。 仕事、家族関係、恋愛、人生全般が思うようにいかず、気がつけば酒が唯一の友達になっていたというわけだ。 ぼさぼさの赤銅色の髪は、垢抜けない印象を受ける。 黒縁のメガネの奥には、実年齢以上に幼く見える垂れ目がちな花萌葱色の瞳が覗く。 服装はオシャレに気を遣っているのは伝わってくるものの、五年以上前に流行を終えた時代に取り残されたスタイルだ。 白やピンクを基調にした言葉を選ばなければ、〝あざとい〟雰囲気のファッション。 年相応に大人に見られることは少ない彼女には、似合っていなくもないが、本人の気質に合っているかと言われれば否だろう。 一度でも関わったことのある人物であれば彼女が、そのような色恋の駆け引きを嗜む|性格《タイプ》でないことはすぐに察せられるはずだ。 服も自分の好みでというよりは、中古の服飾誌などを見て真似たのだろう。 とにもかくにも、女性――マノン・ルフェーヴルは典型的な、いわゆるところの|おのぼりさん《ユヌ・ブズーズ》だった。 彼女は、十月から歴史教師としてヴァルメール学院へと赴任することとなっていた。 しかし、彼女は正規の教員ではなく、有期契約として雇われる〝契約教師〟としての採用だった。 マノンは控えめに言って、勝負事にとことん弱い女性だ。 小さいころから勉強熱心で、何事もコツコツと小さく積み重ねてゆく性分だった。 派手さもなければ、容量が良い器用な方でもない。 それでも人よりも、時間をかけて丁寧に努力を重ねてゆく。 その結果、日曜学校でもその先の中等教育機関でも教師からはクラスで一番信頼されていた。 だが、テストのような時には、いまいちな結果となることが多かった。 もともとの学力が高いために、正解率は平

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.0 『帝国のはぐれ狼』III

    ◆◇◆◇ 姉弟を乗せた車が、夕日に照らされる石畳の道を走ってゆく――。 「学校はどうかしら、楽しめてる?」 「別にどうってこともねぇよ。普通に授業を受けて、シャソネをして帰るだけだ」 レイフは、スカディが買ってきたマドレーヌの残りを口にパクパクと運んでゆく。 そんな弟の顔をスカディは、少し困ったような微笑を口元に浮かべながら愛おしげに見つめる。 「こら、私は〝楽しめてるかどうか〝〟を質問してるのよ? 楽しかったのならば、どう楽しかったのか。悲しいことがあったのならば、どうしてそれが悲しかったのか――それをちゃんと言葉にしないと」 まるで、学校の教師のように人差し指を立てて、わざとらしく怒った表情を作るスカディ。 マドレーヌを食べる手を止めたレイフは、顔を露骨にしかめて嘆息した。 「……別に悲しいわけじゃねぇよ。退屈なだけだ。保身ばかり考えてる上に帝国人嫌いの教師、陰でコソコソ言ってばかりでまともに喧嘩もできねぇ同級生。こんなんで毎日、楽しいわけねぇだろ」 「そう、よくわかったわ」 「子供扱いすんな」 レイフはスカディの慈愛に満ちた視線から逃げるように目を背け、窓の外の流れゆく景色を見つめた。 スカディもそれ以上の追求はせず、気まずさとはどこか異なる、|緩慢《かんまん》な静寂が車内を包んでいた。 レイフ達の視線の先に、街の人々の憩いの場でもある巨大な噴水のある公園が見えてきた。 夕焼けが公園に咲く赤、白、ピンク、紫と様々な色の花々を照らしていた。 この景色をレイフ達は、この街で何度も見ながら年月を過ごしてきた。 不思議と胸を締め付けられ、言い表し難い感傷的な想いを、胸の内から湧き起こさせる景色だ。 「ねぇ、レイフ——。今の生活もあなたにとっては、つまらないものかしら?」 「そりゃ学校はこんなんだし、家に帰れば、あの親父や母親が居るからな」 レイフ達の父――ヴィーダル・ヘーデンストローム。 祖父シグヴァルド・ヘーデンストロームと二代に渡って、国際的銀行グループを作りあげた腕利きの実業家だ。 だが、そのあまりにも合理主義的な考え方は、家族を道具のように扱うことにさえも躊躇いがない。 それに反発するレイフと父の溝は年々深くなっていき、親子らしい会話などというものは、とっくの昔に無くなっていた。 「

  • Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜   Nox.0 『帝国のはぐれ狼』II

    ◆◇◆◇ 堅牢な作りの黒い|革鞄《トランク》を肩に雑に背負いながら、レイフは石畳の道を、ゆっくりと歩いてゆく。 革鞄に付いた金色の錠前と石畳が、夕陽を反射して輝いている。 これは〝白百合の都〟とも名高い、王都アルジュリュンヌの最も美しいとされる時間だ。 ——刹那、秋の心地良い風が、薄紫色のダリアの|花弁《かべん》を夕焼け空へと飛ばした。 清麗な鈴の|音《ね》が耳元で響く。 彼の耳に垂れ下がる鈴を象った|耳飾り《ピアス》が、わずかに揺れたのだ。 花々の甘い香りと秋の空気を、レイフは身体いっぱいに吸い込む。 |花弁《かべん》の|緞帳《どんちょう》が開き、その先に立っていたのは、雪の国から舞い降りた〝白銀の天使〟だった。 真紅の|双眸《そうぼう》が、風化の進んだ|石灰石《せっかいせき》で作られた古い噴水の前に、一人の若い女性を捉える。 「紫色のダリア、花言葉は——〝乙女の真心〟だっけか」 色とりどりの花々が、店先を飾る夕陽に照らされた赤煉瓦造りの花屋。 その前には、一台の黒い車が止まっていた。 そこから出てきた女性は、少しソワソワとした落ち着きのない雰囲気で、誰かを待っているようだった。 夕日に照らされて輝く白銀の長髪が、さらさらと優美に、風に|攫《さら》われて揺れる。 その肌は、レイフ同様に北国出身者特有の特徴が出ていた。 色素が抜け落ちたように白くて、体温を感じさせない。 さらに、レイフと瓜二つの|柘榴石《ガーネット》よりも深い真紅の瞳は、まるで何かに|焦《こ》がれるように、切なげに茜色の夕焼け空を映していた。 彼女の外見は、様々な人種が入り混じる王国においても目立つものだった。 そう――これはレイフの故郷であるイスダルール帝国、その人口の大半を構成しているネヴェリム民族の特徴だ。 彼女の背にある車もまた、この国のものではなかった。 黒い車体の先端には、銀製の蛇の頭部が象られたエンブレム。 これはイスダルール帝国のメーカー【サーペント】のものだ。 アルジュリュンヌの明るい街並みの中にあっても、氷に閉ざされた故郷の香りの消えない彼女の存在は、どこか〝|歪《いびつ》さ〟さえも、見るものに感じさせた。 |薄茶色《ベージュ》の腰下ほどの丈のニットと、それに包まれた白いシャツに同色の細

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status