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間章 『闇に蠢く者たち』

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-14 20:01:08

◆◇◆◇

 蒼月の薄明かりが照らすのは、人影のない裏通り――。

 王都アルジュリュンヌは、夜の化粧をほどこした|後《のち》に、まるで別の|表情《かお》を見せる。

 陰謀、快楽、堕落、暴力――。

 煌びやかな中心街の陰――その闇は、さまざまなものを覆い隠す。

 立派な顎ひげを生やし、仕立ての良いスーツに身を包んだ壮年の紳士が、周囲を警戒する様子を見せながら歩いていた。

「ボス、こちらへ――」

 声の方へと視線を向けると、黒スーツに身を包んだ怜悧な雰囲気を纏う女性の姿が見えた。

「外でその名を呼ぶな。まったく、ここは〝共和国〟ではないのだぞ」

「申し訳ありません。例の〝新薬〟ですが、既に旧市街のいくつかのグループへと売り込みをかけています。快楽に飢えた連中ですから、必ず乗ってくるでしょう」

「そうか。王国へと逃げてきて、はじめての|大仕事《ビジネス》だ。抜かるなよ?」

「はっ――。ところで、交渉の方は、上手くまとまりそうでしょうか?」

 二人は、肩を並べて裏通りを闇に潜るように歩いてゆく。

 その背には、いつの間にか大柄な黒スーツの男性が二人、付き従っていた。

 途中で何人かの物騒な人物とすれ違うも、ただならぬ男たちの雰囲気に多くの者が道の端へと避けてゆく。

 男は母国で麻薬や奴隷商売を行い、莫大な富を築いた。

 しかし、後ろ盾だった貴族が、権力闘争に敗れたことで、立場が危うくなり、一家ともども王国へと脱出してきたのだ。

「何人かの小物政治家の抱き込みには成功したが、とてもまだ安心できるような状態ではない。

それこそ、ヘーデンストローム家との繋がりでも持てれば良いのだが、あの男には意外と潔癖なところがある……」

 男の苛立ちを露わにするように、握り締められた杖が忙しなく揺れ動く。

「余所者同士、協力できることも多いだろうに……。私を侮るなよ、帝国人風情が!」

 そこで男は、今まで自分の周囲にあった足音が消えていることに気がついた――。

 振り返れば、そこには誰もおらず、自分の隣を歩いていた女性も消えている。

「おい! お前たち、どこに行った? ふざけているのか!?」

 怒声を張りあげても、それは虚空の先へと消えてゆくだけだ。

 背筋を冷たいものが駆け抜け、闇が急速に〝恐怖〟という怪物へと姿を変えて、胸を締めつけてくる。

 懐へと手を忍ばせ、愛用の拳銃を取り出そうとしたそのとき――。

――「よぉ、探してるのは、この女かい?」

 背後から響いた嗜虐的な声に、男の身体は、その場に縫いつけられたかのように硬直した。

 振り返れば、頭二つ分は自分よりも身長が高い、粗末な身なりの男が歩いてきた。

 その右手には、何かを引きずっているようだ。

 恐る恐ると、視線をそちらに移した瞬間――嘔吐感が急速に込み上げてきた。

 そこには割れた頭部から血を流し続ける、側近の女性の姿がある。

「この下郎があぁ!!」

 不気味なほどの静寂を纏う裏通りに、数発の銃声が響き渡った。

 ゆっくりと巨漢の身体が、仰向けに倒れてゆく。

「はぁ、はぁ、はぁ……はははっ――!!」

 緊張の糸が切れたのか、哄笑をあげた男は死体を確認しようと歩き出す。

「ふん! 襲う相手を間違えたな!!」

 動かなくなった暴漢へと、男の杖が振り下ろされた。

「おいおい、急に撃つとは乱暴じゃねぇか〜」

「っ――!?」

 振り下ろされた杖が、巨漢の手にグシャリと掴まれる。

「ぐっ! クソ!」

 杖を自ら離した男は、再び銃を構える。

 今まで何度も、この手で邪魔になる相手を葬り去ってきた。

 こんなところで自分は終わる人間ではないのだ。

 震える手を理性で押さえ込み、巨漢の額へと狙いを定める。

 ――「はぁ〜、おい! その死体あとで使うんだから、あんまり壊すなよ〜」

 軽薄な声が響き、次の瞬間に男の銃を握る手が捻りあげられた。

「があぁっ!?」

 粗野で陽気な声とは対照的に、そこに立っていたのは濡羽色のさらさらとした髪を胸に垂らし、曇り空のような灰色の双眸を持つ、妖艶な空気を纏う女性だった。

 女性の視線の先には、巨漢が引きずっていた側近の死体がある。

「あとで直せば良いだろ、堅いこと言うなよ」

 巨漢は立ち上がり、「いてぇ〜……」などと、ぼやきながら撃ち抜かれた胸部をさすった。

「さて、おっさん。あんたの〝身体〟もらうぜ――」

 岩肌のように鍛え込まれた巨漢の手が、拘束された男の顔へと迫ってゆく。

「ひっ! や、やめろおぉ!!」

◆◇◆◇

 裏通りには、年齢も性別もまとまりのない死体が積み上げられてゆく。

 これを運んでくるのも、統一性が感じられない集団だった。

「ご苦労、これだけ集まりゃクロヴィスの旦那も文句ねぇだろ」

 積まれた死体の上に巨漢が、どしりと腰を下ろす。

 男は胸元から取り出した葉巻にマッチで火をつけると、吸い込んだ煙を勢いよく空へと吐き出した。

「あんた、吸う人だったんだ?」

「あぁ、生前の癖でな。この身体になってからも、どうも吸ってないと、落ちつかねぇ」

 男に声をかけたのは、外見だけならば舞台女優のような美女だ。

 それもそうだろう。

 この身体の〝持ち主〟は、たしかそこそこ有名な歌手だったはずだ。

 だが、今その中に入っている相手を知っている身としては、笑いを堪えるので精一杯だった。

 わざわざ、こんな頑丈なわけでもない身体を欲しがるとは酔狂なものだ。

「へぇ〜、そういえば生前は吸ったことなかったな。一本もらっても良い?」

「あぁ、構わねぇよ」

「さんきゅ〜。あ、マッチも頼むわ」

 葉巻を一本、受け取った外見だけの美女は、新たにマッチを要求する。

――「〝火〟ならば、ここにあるわよ」

「えっ――」

 抑揚のない気怠げな印象を与える声が響き、女性が振り返ると、次の瞬間には黒炎が彼女の身体を飲み込んだ。

「なっ!?」

 瞬く間に灰となった相棒の姿に驚愕した巨漢は、葉巻を投げ捨てて、即座に戦闘態勢へと移行した。

 蒼月の淡い光が照らす、静謐な裏通りを喪服と見紛うような濡羽色の|燕尾服《テイルコート》を身に纏った女性が、ゆっくりと歩いてくる。

 その足取りは、どこか波間に浮かぶ小舟のように、ふらふらと頼りないものなのに、彼女から発せられる背筋がぞわぞわとするような威圧感は、紛れもなく本物だった。

「ひとつ、聞くわ。クロヴィスは、どこに居るの――?」

「その問いに答えたら、見逃してくれるのかよ?」

 女性は首を傾けて一瞬の間、迷うような様子を見せる。

「えぇ。いいわよ」

「はっ! 嘘だな。お前ら、やれ――!!」

 男の号令が響き渡ると、控えていた死体を調達してきた集団が、一斉に駆け出し、女性を取り囲んでゆく。

 彼らは女性の隙を探るように、ゆっくりと一歩一歩距離を詰める。

「はぁ……」

 女性は気怠げな嘆息をひとつ漏らすと、手元に|紫色《ししょく》の光を発生させた。

 次の瞬間――彼女の両手には、先端に蠱惑的な紫色の光を放つ宝石をあしらった禍々しい漆黒の杖が出現する。

 精気を感じさせぬ瞳が、男たちの顔を見渡してゆく。

「めんどうだわ、早くかかってきなさい……」

 女性の言葉を合図に男たちは、四方八方から一斉に襲いかかった。

 女性が杖の先で地面を打つと――掠れた|合唱《コーラス》のような異様な声が、大地より響き渡る。

 幻惑的な|紫色《ししょく》の光を纏う魔法陣が、無数に出現してゆき、巨大な老木のような腕が一本、また一本と生み出されてゆく。

「喰らい尽くしなさい――『オディウム』!!」

「なっ――!? お前たち、退け!!」

 巨漢の目が大きく見開かれ、野太い怒声が放たれた。

 だが、時すでに遅い。

 苦痛に満ちた断末魔と、骨が軋む音が響き渡り、それは最後には、おぞましい〝咀嚼音〟へと形を変えた。

 女性を襲った男たちを喰らい尽くした無数の腕から――掠れ、歪み、捻れ、狂ったような哄笑があがる。

【|狂皇の眷属《ルーナーティクス・セレウス》/|No.XI《ヌメルス・ウンデキム》オディウム】

「かわいいでしょ? ちょっと食欲が旺盛過ぎるのが、玉に瑕なのだけれどね」

 主人の周りをじゃれつく犬のように、近づいてきた一本の腕を女性は愛おしげに撫でる。

「貴方と遊ぶのも飽きたわ。もう|逝《ゆ》きなさい――」

 杖が振り下ろされると同時に、一斉に腕は歪に捻れながら、木の枝が成長するかのように伸び広がり、巨漢を囲い込むように襲いかかった。

 自身の最期を悟ったのか、男は抵抗することなく、瞳を閉じる。

 凄惨な咀嚼音が響き渡るなか、女性――ヴィオレタ・ウルバノヴァは、夜空を見上げ、艶やかな嘆息を漏らす。

■あとがき■

作者の皐月紫音です。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます!!

これからも毎日更新で皆様の日常の細やかな楽しみとなれればと思います。

この先、物語は更におもしろくなって行くことをお約束します。

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どうかよろしくお願い致します。

 

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