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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』II

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-15 19:01:07

◆◇◆◇

「それでは、この|会議《サミット》の際に起きて後に有名な|物語《フォークロア》にもなった、〝アルジュリュンヌの休日事件〟について解説できる者は居るかしら……?」

 ヴィオレタは生徒達を見渡した後、レイフの前の席に座る男子に視線を向けた。

「ブラン、貴方にお願いするわ」

「えっ? お、俺っすか?」

 しかし、あてられた金髪の面長の生徒ジャック・ブランは、完全に心ここに在らずだったのか、戸惑いを隠しきれずにいる。

「あっー……。えぇっと、そのあれの話ですよね……?」

 バシッ——!!

「いてぇっ!!」

 突如頭部を襲った衝撃に、ジャックが振り返るれば、そこには仏頂面で教科書を振り下ろしたレイフの姿があった。

「な、何するんだ、ヘーデンストローム!?」

「お前が教師に見惚れて、上の空だからだろ。とりあえず、教科書を開け」

「お、おう。……何ページだっけ?」

「56ページだ……」

 堪えきれないとばかりに、くすくすと教室内に生徒たちの笑い声が伝播してゆく。

 緩みきった教室内の雰囲気に、ヴィオレタは溜息をひとつ吐くと、今度はレイフへと視線を向けた。

「それじゃあレイフ、貴方が解説してくれるかしら……?」

「おう、これは王国がオクタウス連合との関係強化を目的に、首脳達をアルジュリュンヌへと招いて開いた|会議《サミット》の際、連合加盟国のひとつである【ゼピュロス王国】大統領に同行したアンリエッタ王女の|恋物語《リーベ》だな」

 ヴィオレタは、無言で彼へ続きを促した。

「酒に酔って夜の街に出た彼女は、そこで出逢った|著作家《ライター》の男と恋に落ち、一夜の過ちを犯してしまう。

 この典型的な|恋物語《リーベ》には後に様々な|尾鰭《おひれ》がついて、小説や|映画《フィルム》にも今はなっている」

 彼の|淀《よど》みない回答が意外だったのだろう。

 クラス中の視線が彼のもとへと集まり、中には感嘆の声を漏らすものまで居た。

「ちなみにこの話自体、事実かどうか疑わしく、誰かのでっちあげた噂話という説もある。

 まぁ、これは体面を気にしたゼピュロス王家や政府が、そういうことにしてるって説が濃厚だけどな」

「正解よ……。チッ!」

「おい、なぜ舌打ちをした?」

「不良が付け焼き刃の知識で、イキってるんじゃないわよ……」

「教師が生徒の心をエグろうとしてんじゃねぇよ」

 レイフが補足となる説明をすると、露骨にヴィオレタの表情が不機嫌なものへと変化してゆく。

 なぜか、彼女はこういうときだけは表情豊かになるようだ。

 彼女の態度はイラつくが、これくらいは今のレイフには正直朝飯前だ。

 この二週間と少し、勤労意欲皆無の教師の代わりにレポート添削などの仕事までこなさなくてはならなくなり、必死に二年生の範囲までの歴史を頭に詰め込んだのだ。

 今まで話すこともなかったクラスの優等生たちに声をかけて回り、頭を下げて教えてもらった。

 人生でこんなに真面目に勉強することは、後にも先にもないだろう。

「いいわ、それでは問題を変えましょう。

 この事件を|後《のち》に|映画《フィルム》にしたのが、かの有名な『アルジュリュンヌの休日』よ。

 この映画で主演を勤めた女優の名を答えなさい?」

「うっ……」

 予想外の角度から投げられた問いに、レイフは思わず言葉を詰まらせる。

「それ、でも歴史に関係なくねぇか……?」

「あら〜、答えられないのかしら? いいわよ、普段の態度も込みで成績に最低評価付けてあげる」

「この教師、マジで最低だ……」

 ふふんと、得意げな表情を見せるヴィオレタは、審問官のように教卓を人差し指で叩きながらレイフを追い詰めてゆく。

 確かに『アルジュリュンヌの休日』は有名な映画ではある。

 だが、公開されたのは、それこそレイフが王国へと来るよりも前だ。

 王国や連合国とはかつての経緯から不仲で、あまり交流もない帝国では見る機会もなかった。

 王国に来てからは主に女性向けの大人気映画ということもあり、家族でも姉のスカディや母親はハマっていたが、レイフは結局未だに見た事がなかった。

 正直に「わからない」と答えようとしたそのとき――レイフの右耳を擦り、なにかが落下していった。

 視線を下げると、そこには小さな〝紙飛行機〟があった。

 それが飛んできたのは、クラスメイトのエミリー・ローランの席の方からで――。

「あちゃ〜! 急に風が吹いてきて、休み時間に作った紙飛行機が飛んで行っちゃったよ〜。

 ごめんね、レイフくん。拾ってもらっても良いかなぁ?」

 ――いや、エミリー……。お前、いくらなんでも棒読み過ぎんだろ。

 ってか、お前の席は廊下側で窓もないだろ……。

 当のエミリーはというと、口元に左の人差し指を押し当てて、笑顔で「しっー」と合図を送っていた。

 あまりにもな大根役者っぷりを披露する彼女に呆れながらも、レイフは紙飛行機を拾いあげる。

 すると、端の方に細い文字が書かれているのが目に入った。

 そこには〝ナタリー・ヘップバーン〟と書かれているようだった。

 レイフは学校ではじめてできた友人のお節介に苦笑を漏らすと、ヴィオレタへと再び視線を戻す。

「さっきの答え、思い出したぜ。女優の名は〝ナタリー・ヘップバーン〟だな」

「正解よ……」

 不服そうな表情を浮かべたヴィオレタは、エミリーの方をキッと|一暼《いちべつ》した|後《のち》、レイフの方に向き直ると淡々と正解を言い渡した。

 あぁ、これはかなり悔しがってる時の表情だなと、レイフは呆れ交じりの嘆息を漏らす。

 ――ってか、お前はどこの悪役令嬢だよ……。

 生徒にガンを飛ばすんじゃねぇ。

 ――キーンコーンカーンコーン……

 終了時間を告げる|鐘の音《チャイム》が響き渡り、比較的大きな|問題《トラブル》を起こすこともなく、この日の講義は幕を閉じた。

「今日の講義は終わりよ。課題は先ほど伝えたとおり、以上……」

 教卓に散乱した資料を雑にまとめ上げると、ヴィオレタは堂々と、あくびをしながら教室を後にしてゆく。

 彼女が扉を閉める音を合図として、教室の緊張感は一気に緩んでゆき、各々が好き勝手に雑談を始めた。

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