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第7話:焦燥する炎の騎士

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-19 20:12:37

**────エレンの視点────**

 灼けた砂の匂いと、耳をつんざくような大歓声が、円形闘技場を揺らしていた。

 先程までの激しい攻防で抉れた地面に、グレンがゆっくりと、しかし確かな意志を込めて立ち上がる。大きく上下する肩、滝のように流れ落ちる額の汗が、彼の焦りを示していた。

「アンタ……人間離れした動き、しやがって……!」

 掠れた声でグレンが絞り出す。その瞳には、驚愕と、それ以上に純粋な闘志が宿っていた。

(恐怖ではない。強者と相対したことによる昂揚……武者震いか。いい目だ)

 私は剣の切っ先をわずかに下げ、静かに応じる。

「あいにく魔法は使えなくてね。その代わり、この身一つ、誰よりも研ぎ澄ませてきた」

「へっ……なにが“魔法が使えない”だ。あんたの動きは、どう見ても魔法による肉体強化の領域だぜ。じゃなきゃ、俺の剣をあんな紙一重で避け続けられるもんか」

 彼の声の震えは、興奮に変わっていた。強者との戦いを渇望する騎士としての本能が、彼の全身を高揚させているのだ。

(次が来る――!)

 彼の指先が微かに動いたのを見て、私は即座に思考を切り替える。

「さっきは不覚を取っちまったが! 今度こそ俺の番だァ!!」

 グレンが吠えると同時、両の手に揺らめく炎が宿り、灼熱の火球となって放たれた。

(牽制、あるいは足止めか。だが、狙いが浅いな)

 ゴウッ、と空気を焦がす音を立てて迫る火球。私はその軌道を冷静に見極め、最短距離で右へと疾走する。

「オラァァァァァ!!!」

 私の移動先を塞ぐように、時間差で放たれた第二の火球が的確に正面へと飛んでくる。

 だが、その程度で私の歩みは止まらない。迫る灼熱の塊に対し、私は一歩も引かない。半身に構え、剣の腹をしならせるように使い、柳に風と受け流す。轟音と共に闘技場の壁に叩きつけられた火球が、爆ぜて消えた。

「はぁ!? 火球を剣で弾く!?」

 グレンの口があんぐりと開く。その驚愕が、ほんの一瞬、致命的な隙を生んだ。

 私はその好機を逃さない。迷わず懐へ飛び込み、彼が慌てて振り下ろす剣を紙一重で回避――がら空きになった顎へ、体重を乗せた右膝を突き上げる。

 ゴシャッ、と骨が軋む鈍い音が響き渡り、観客席から悲鳴に近いどよめきが上がる。

「ぐっ…………!」

 短い呻き声と共に、グレンは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

『こ、これがS級の実力! 騎士団期待の星グレンを圧倒! エレン選手の強さは底が知れないぞ!』

 実況者の興奮しきった声が、私の名を呼ぶ歓声と共に闘技場を包み込んだ。

「くそっ……!」

 鼻から流れる血を乱暴に拭い、グレンはふらつきながらも立ち上がる。だが、その瞳の光は死んでいない。

「もう一度だッ!!」

 闘志を再燃させたグレンが、先程よりも鋭い踏み込みで駆けてくる。その剣閃は速く、重い。

(……だが、冷静さが欠けている。怒りで動きが単調になっているぞ、グレン)

 私はその猛攻を、まるで踊るように避け続ける。

彼の軸足が浮いた、その瞬間を見逃さず、的確に足払いをかけた。不意を突かれて体勢が大きく崩れる。一瞬、宙に浮いた彼の腹部――がら空きのそこへ、私は再び容赦なく膝を叩き込んだ。

「がはっ!!」

 蛙が潰れたような悲鳴が漏れ、グレンが砂塵を上げて地面へと叩きつけられる。

「げほっ……げほっ……はぁ……はぁ……」

 激しく咳き込みながらも、彼はまだ諦めていなかった。ゆっくりと、しかし確実に立ち上がろうとしている。

「……マジで……ヤベェな、あんた……。これが……S級か……!」

 ぜえぜえと荒い息を吐きながらも、グレンは私を真っ直ぐに見据える。その目には、もはや焦りはない。ただ、純粋なまでの強者への畏敬と、己の未熟さへの悔しさが滲んでいた。

「お褒めに預かり光栄だ。だが……君も、優秀な騎士だと思うぞ」

 静かに、しかしはっきりと届くように言葉を投げる。

「焦りを捨てろ、グレン。」

「お前の敵は観客の声援でも、お前自身の焦燥でもない。目の前にいる、この私だけだ。私の剣、私の動き、私の呼吸、その全てを感じ取れ」

 私の言葉に、グレンの瞳が微かに揺れ、そして──澄み切った輝きを取り戻す。

「…………!なるほどな。あんたの言う通りだ……」

「俺は周りが見えすぎていた……。あんたを……一人の剣士としてリスペクトする。だから見せるぜ、俺の全力を!」

 グレンは残った魔力を全て剣へと注ぎ込んだ。剣身に宿った炎が竜巻のように渦を巻き、刀身そのものが灼熱の塊へと変貌していく。今までとは桁が違う魔力量。

(ほう……! グレンは、魔力量に自信があるのか)

「喰らいやがれ、俺の奥義……“紅蓮剣ぐれんけん”だ! 受けてみろォォォ!!」

(……自らの名を冠する大技か。威力は高いが、その分、構えと溜めに隙が生まれる。悪手だな)

(ふむ、力の差を見せつけるなら……身体ではなく、武器の“一点”を狙うべきだな)

 烈火の如き炎の斬撃が迸る、その直前。振りかぶった、一瞬の静止。

 私は雷光の如き速さで踏み込み、彼の剣の柄頭ただ一点を正確に打ち抜いた。

 キィンッ! と甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。

「っ!?」

 グレンの目が見開かれる。必殺の一撃を放つ寸前、その衝撃に、彼の剣が宙を舞った。行き場を失った炎は、虚空に霧散する。

「ま、マジかよ……こんな……こんな破り方が……!」

 その驚きと絶望が入り混じった表情に、私は間髪入れずに最後の一撃を放つ。

 短い呼気と共に、私の剣が袈裟に斬り下ろされ、彼が身に纏う祝福の鎧だけを狙った。

「グレン……楽しかったぞ」

 パリン、と澄んだ音が響く。まるで薄い氷が砕けるように、彼を包んでいた祝福の鎧が光の粒子となって霧散した。

 一瞬の静寂。そして、嵐のような大歓声が、闘技場全体を揺るがすほどに巻き起こった。

「エレン選手の勝利だァァァァァァァ!!!両者に盛大な拍手を送ってくれぇぇぇぇ!!!!」

実況の声がそう告げると、凄まじい拍手が鳴り響く。

 私はゆっくりと剣を鞘に納め、まだ地に膝をついたまま呆然としているグレンに歩み寄る。

 彼は、砕け散った鎧の破片を見つめていたが、やがて顔を上げ、私を見て──ふっと、憑き物が落ちたように笑った。

「ハハ……ハハハ! 完敗だ。なんつー強さだよ……手も足も出なかったぜ!」

 その笑顔は、悔しさよりも清々しさに満ちていた。

「いい剣だったぞ、グレン。最後の紅蓮剣、見事な気迫だった」

「……だが、隙が大きい。そこを工夫すれば、更に強力な武器となるだろう」

 私は彼に手を差し出す。彼は、少し驚いたように私の手と顔を交互に見たが、すぐにその意図を理解し、力強く握り返してきた。

「あんたに勝つために、また剣を磨いてくるぜ。次はもっと、あんたをヒヤッとさせてみせる」

「今受けたアドバイスも、きっちり糧にしてみせるぜ!!」

 彼の瞳は、新たな目標を見つけた狩人のように輝いている。

「……ああ。楽しみにしているよ」

 万雷の拍手と歓声が降り注ぐ観客席を一瞥する。

(“ちょうどいい”試合だった。私の実力は十分に示せただろう)

 私は観客に向かって静かに一礼し、闘技場を後にした。

 まだ、戦いの幕は開いたばかりだ。私の本当の目的を果たすための戦いは、ここから始まるのだから。

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