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#7:焦燥する炎の騎士

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-19 20:12:37

 あの鐘の残響が、大気に溶けきるよりも速く。

 エレンは、石造りの大地を爆ぜさせた。

 ドォッ!!

 爆発的な踏み込み。

 十メートルの間合いが、瞬き一つの間に消失する。突き出された切っ先は、すでに物理法則を置き去りにする雷光と化していた。

「っ……うぉっ!? は、速ぇ……ッ!?」

 驚愕は言葉になる前に、生存本能が肉体を突き動かす。

 彼の手首が跳ね上がり、辛うじてエレンの刺突をガードした。

 鼓膜を裂く甲高い金属音が闘技場に響き渡り、視界を灼く火花が散る。

 観客席から、どよめきがさざ波のように走った。

(防がれたか……。反射神経は悪くない。だが、受け止めるのが精一杯。──次は遅れるぞ)

「やるじゃねぇか……! なら、こっちの番だ!!」

 咆哮と共に、彼が反撃へ転じる。

 右手の剣に紅蓮の炎がボォッ!と灯り、陽炎が空気を歪ませた。

「燃えろォッ!!」

 鋼の刃にして灼熱の塊。

 陽炎すら焼き切るような熱気が、皮膚をチリチリと焦がす。

 だが――その斬撃は、あまりにも直線的だった。

 エレンは一歩、前へ踏み込む。

 突撃。その動きのまま、上半身だけをわずかに捻る。

 灼熱の横薙ぎが、背中すれすれをかすめて空を裂いた。

 かわした、その瞬間。

 捻った体を元に戻す反動を、そのまま剣に乗せる。

 回転、加速、遠心力――すべてを束ねた一撃。

 硬質な破砕音。

 刃がグレンの纏う「祝福の鎧」の肩口を裂き、展開されていた障壁を粉砕した。

 衝撃で体勢を崩した無防備な胴。

 そこへ、全体重を乗せた鋭角の前蹴りを叩き込む。

「……ガッ! ぐはっ……!?」

 重い衝撃音。

 肺の空気を強制的に吐き出させられ、グレンの身体がボールのように弾き飛ばされた。

 硬い床へ背中から落ち、ザザザッと数メートル滑ってようやく止まる。

「ま、まじかよ……本当に属性も、使わずに……っ」

 苦痛に顔を歪めながらも、その瞳には混乱の色が浮かんでいた。

 ほんの数合。わずか数秒の攻防。

 その一瞬で最強たる所以の片鱗を見せつけ、接続者から主導権を奪い取った現実。

 静寂は、爆発的な熱狂へと変わる。

「エレン!! エレン!! エレン!!」

「すげぇぞ! 本当に属性なしで接続者を圧倒してる!!」

「見ろよあの動き! 目で追えねぇ!!」

 子供も大人も名前を連呼し、闘技場全体が興奮のるつぼと化す。

 エレンは静かに剣を構え直し、切っ先をグレンの眉間へと向けた。

 背中に浴びる熱狂は心地よい。だが、それは私の魂を燃やす燃料ではない。

(……立ってくれよ、グレン。まだだ。これでは準備運動にもならん)

(私を、もっと熱くさせてみろ)

 燃え上がるのは歓声ではない。

 剣を通じて命と魂を削り合う、このヒリつくような刹那の感覚だけが、エレンという存在を定義するのだから。

 グレンがゆっくりと、しかし確かな意志を込めて立ち上がった。

「やるな…!」

 掠れた声でグレンが絞り出す。

 そこにあるのは恐怖ではない。未知の強者と相対したことによる昂揚……武者震いだ。

(……いい目だ。折れていない)

 エレンは剣の切っ先をわずかに下げ、口元だけで静かに笑って応じる。

「あいにく属性は使えなくてね。その代わり、この身一つ。誰よりも研ぎ澄ませてきたつもりだ」

「へっ……なにが“属性が使えない”だ。アンタの動きは、どう見ても雷属性による肉体強化の領域だぜ。じゃなきゃ、俺の剣をあんな紙一重で避けられるもんかよ!」

 彼の指先がピクリと痙攣した、その刹那。

 エレンの脳内では、すでに回避行動へのカウントダウンが始まっていた。

「さっきは不覚を取っちまったが! 今度こそ俺の番だァ!!」

 グレンが吠える。

 同時、両の手のひらで圧縮された魔力マギアが臨界点を超え、揺らめく紅蓮の炎となって顕現した。

 彼が突き出した掌から、灼熱の火球が二発──あえてタイミングをずらした時間差攻撃として放たれる。

(牽制、あるいは着地狩りの足止めか。……だが、相変わらず狙いが素直すぎるな)

 エレンは眉一つ動かさず、迫りくる熱量を冷ややかに評価した。

 魔力マギアの総量は多い。火力も申し分ない。

 だが、その軌道には「必中」の殺意というよりは、力任せの願望が透けて見える。これでは、どんなに強力な炎もお粗末な花火に過ぎないのである。

 ゴウッ!

 大気を焦がす轟音を立て、第一射が迫る。

 エレンはその軌道を秒で見極め、最短距離で右へとステップを踏んだ。

 熱波が前髪を焦がすほどの至近距離。だが、その一歩は計算され尽くした安全圏。

 一発目の火球が虚しく横を通り過ぎ、背後の石壁に着弾して爆ぜる。

「もう一発だ! 受けてみやがれ!!!」

 しかし、それは布石。

 エレンの回避先へ計算された二発目の火球が、今度は正面へと飛来する。

 観客が息を呑む。逃げ場はない。

 だが──逃げる必要など、最初からなかった。

 迫る灼熱の塊に対し、エレンは一歩も引かない。

 むしろ、半身に構えて重心を沈めた。

(属性とて、形ある力。ならば構造がある。……“芯”さえ逸らせば)

 深紅の瞳が、火球の中心にある「魔力マギアの凝縮点」を捉える。

 剣を振るうのではない。

 刀身の腹をしならせるように使い、柳が風を受け流すように、炎のベクトルを書き換える。

 パァンッ!

 乾いた破裂音。

 剣が火球を「弾いた」音だ。

 軌道を強制的に逸らされた灼熱の塊は、エレンの身体を避けて闘技場の側壁へと叩きつけられ、盛大に爆ぜて消滅した。

「はぁ!? 火球を剣で弾いただと!?」

 グレンの口があんぐりと開く。

 常識外の現象への驚愕。思考の空白。

 それが、戦場においてどれほど致命的な隙となるか──彼が知るのは、痛みの後だ。

 もちろん、エレンはその好機を見逃すほど甘くはない。

 地を蹴る。

 強烈な踏み込みで懐へ侵入。

 彼が慌てて振り下ろした剣を、首の皮一枚の距離で見切り、懐深くへと潜り込む。

 そして──ガラ空きになった顎へ。

 全体重と踏み込みの運動エネルギーを乗せた、右膝を突き上げた。

 ゴシャッ!!

 骨が軋み、脳を揺らす鈍く重い音が響き渡る。

 観客席から、歓声とも悲鳴ともつかぬどよめきが上がった。

「ぐっ…………ぁ!」

 短い呻き声。

 グレンの身体が宙に浮き、次は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

『こ、これが最強の実力かァーッ!! 騎士団期待の星グレンを、属性なしで圧倒! エレン選手の強さは底が知れないぞォォ!!』

 一瞬の静寂を破り、実況者の興奮しきった絶叫が炸裂する。

 エレンの名を呼ぶ熱狂の渦が、再び闘技場を包み込んでいった。

 だが、まだだ。

「くそっ……!」

 鼻から流れる鉄錆の味を乱暴に手甲で拭い、グレンはふらつきながらも膝を伸ばした。

 肉体は悲鳴を上げている。だが、そのオレンジ色の瞳に宿る熾火は、まだ消えていない。

「もう一度だッ!!」

 闘志を再燃させたグレンが、痛みを燃料に変えて地面を蹴る。

 先程よりも鋭い踏み込み。炎を纏った剣閃は速く、そして重い。

 だが、エレンには見えている。

 直線的な激情。

 エレンはその猛攻を、まるで優雅な円舞曲ワルツのパートナーを務めるかのように、最小限のステップで躱し続けた。

 大ぶりの一撃。

 必殺を期したその勢いで、彼の軸足が浮いた──その刹那。

 エレンは流れる水のような動作で彼の足元を払い、体勢を崩させる。

 重力が彼を捉え、身体が宙に浮く。

 その無防備な腹部──がら空きの正中線へ、再び容赦のない膝を叩き込んだ。

「がはっ!!」

 肺の中の空気が強制的に絞り出される苦悶の声。

 グレンが砂塵を巻き上げ、受け身を取る暇もなく地面へと叩きつけられる。

「げほっ……げほっ……はぁ……はぁ……」

 激しく咳き込み、地面に這いつくばる。

 それでも、彼はまだ剣を離さない。

 震える膝に鞭を打ち、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がろうとあがく。

「……マジで……ヤベェな、あんた……。ここまで歯が立たないなんて……!」

 ぜえぜえと荒い息を吐きながらも、グレンはエレンを真っ直ぐに見据えていた。

 そこにあるのは恐怖ではない。純粋なまでの強者への畏敬と、己の未熟さを噛み締める悔しさ。

「お褒めに預かり光栄だ。だが……君も、優秀な騎士だと思うぞ」

(技術はまだまだだが、その折れない心の強さと熱意……。嫌いではない)

 エレンは剣を下げ、静かに、しかし彼にだけはっきりと届く声量で言葉を投げた。

「焦りを捨てろ、グレン」

「え……?」

「お前の敵は観客の声援でも、お前自身の焦燥でもない。目の前にいる、この私だけだ。私の剣、私の動き、私の呼吸……その全てを感じ取れ」

 戦いの最中の助言。

 エレンの言葉に、グレンの瞳が微かに揺れ──やがて、迷いの霧が晴れるように澄み切った輝きを取り戻していく。

「…………! なるほどな。あんたの言う通りだ……」

 呼吸が整う。炎の揺らめきが変わる。

「俺は周りが見えすぎていたみたいだな……。あんたを……一人の戦士としてリスペクトする。だから見せるぜ、俺の全力を!」

 グレンは残るありったけの魔力マギアを、剣へと注ぎ込んだ。

 剣身に宿った炎が暴れ狂う竜巻のように渦を巻き、刀身そのものが巨大な灼熱の塊へと変貌していく。

 今までとは桁が違う魔力マギアの出力。

(ほう……! あのダメージでまだこれだけの出力を絞り出すか。見事だ)

「喰らいやがれ、俺の奥義……**“紅蓮剣”**だ! 受けてみろォォォ!!」

 咆哮。炎の奔流と共に、彼が一直線に突っ込んでくる。

(……自らの名を冠する大技か。威力は絶大。だが、その分、構えと溜めに数秒の隙が生まれる。──悪手だな)

(それに……ふむ、力の差を見せつけるなら身体ではなく、武器の“一点”を狙うべきか)

 烈火の如き炎の斬撃が、頭上から振り下ろされる。

 その頂点。振りかぶった一瞬の静止点。

 エレンは雷光の如き速さで踏み込み、彼の剣の「柄頭」、その一点のみを正確に打ち抜いた。

 キィンッ!!

 甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。

「なっ……!?」

 グレンの目が見開かれる。

 必殺の一撃を放つ寸前、テコの原理で加えられた衝撃により、彼の剣が意思を持ったように手から弾き飛ばされたのだ。

 くるくると宙を舞う剣。行き場を失った炎の渦は、供給源を断たれ、虚空に霧散していく。

「ま、マジかよ……こんな……こんな破り方が……!」

 その顔に張り付いた驚きと、絶望。

 だがエレンは止まらない。間髪入れずに踏み込み、最後の一撃を放つ。

 短い呼気と共に、エレンの剣が袈裟に閃いた。

 狙うは肉体ではない。彼が身に纏う「祝福の鎧」、その核のみ。

「グレン……楽しかったぞ」

 パリンッ……!

 硬質な、しかしどこか涼やかな音が闘技場に響く。

 まるで薄氷が砕けるように、彼を包んでいた防護結界が光の粒子となって弾け飛んだ。

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