LOGIN伯爵令嬢リゼットは、呪いを自分へ移して浄化する希少な「祈紡ぎ」。代償は、大切な記憶を失うことだった。家族と王家に利用され続けた彼女は、妹の命を救うため再び犠牲になるよう命じられ、初めて「嫌です」と告げて王都を去る。北方で出会った黒狼公爵ヴァルドは、彼女を道具ではなく一人の人間として扱い、契約結婚で王家から守ろうとする。やがて妹の呪いの裏に、祈紡ぎを何世代も犠牲にしてきた王家の秘密が浮上。妹を救った代償にヴァルドの記憶を失ったリゼットへ、彼は「なら、最初から口説き直す」と告げる。忘れても、選び直せる。これは、記憶と自由を奪われてきた令嬢が、自分の人生と恋を取り戻していく物語。
View More第25話 初めて抱きしめられる祖母の手紙を見つけた翌日、リゼットは朝から妙に落ち着かなかった。悲しいのかと聞かれれば、悲しい。嬉しいのかと聞かれれば、それも間違いではない。祖母が自分を大切に思っていたことを知れた。忘れてしまった顔や声について、ミレイユから新しく聞くこともできた。それなのに、胸の奥には昨日から重いものが沈んでいる。理由は分かっていた。祖母の手紙の中にあった一文だ。『娘にも全てを話せませんでした』娘。つまり、母マルグリット。母は何も知らなかったのか。それとも、何かだけは知っていたのか。どこまで。祖母は何を言えず。母は何を聞けず。そして自分へは、何も伝わらなかったのか。考え始めると、止まらなくなった。「リゼット様」声をかけられ、ようやく顔を上げる。資料室の向かいに座っていたノエルが、困ったような顔をしている。「同じ頁を、もう十分くらい見ています」「そんなに?」「少なくとも俺が三回インクを足すくらいは」「その基準は分かりません」「俺も今作りました」少し笑う。けれど、自分でも集中できていないのは分かっていた。今日調べているのは、祖母エレナが残した他の文書と、アーヴェル家へ送られた可能性のある書簡の記録だった。肝心の手紙そのものは見つかっていない。ただ。三十年前。エレナから娘マルグリットへ、私信が二度送られている記録が残っていた。内容は不明。そ
第24話 祖母も知っていた翌朝、古文書庫の中央には、一枚の巨大な紙が広げられていた。普通の系図ではない。いくつもの家名が線でつながり、婚姻によって姓を変えた女性たちの名前が、三百年以上にわたって書き加えられている。王都の侯爵家。地方の伯爵家。すでに断絶した子爵家。神殿へ入った女性。平民へ降嫁した者までいる。一見すれば、何の共通点もない。しかし。赤い印をつけられた名前だけを追えば。一本の線になる。「……これが全部」リゼットは系図から目を離せなかった。「祈紡ぎなのですか」白髪の老術師が頷く。「記録で確認できた者については」昨日見つけた三十七人。そのうち、家系を遡れた三十一人が。婚姻を重ねながら。ほぼ同じ血統へつながっていた。「そんなことが」ノエルも驚きを隠せない。「名字が全部違うから、今まで誰も気づかなかったんですか?」「それも一因でしょう」老術師が答える。「祈紡ぎの力そのものが、母から娘へ必ず受け継がれるわけではありませんからな」「では、飛ぶのですか」リゼットが尋ねる。「一代、二代と現れないこともあったようです。それでも、かなり高い割合で同じ母系に戻っております」ヴァルドは腕を組み、系図の端から端まで見ていた。「偶然で説明できるか」老術師は首を横に振る。「難しいでしょう」「婚姻を操作した可能性は」
第23話 消された祈紡ぎたち翌朝、リゼットが古文書庫へ降りると、昨日までとは明らかに様子が違っていた。中央の大机だけでは足りず、壁際に二つ追加の机が並べられ、その上には年代別に分けられた記録簿が山のように積まれている。ノエルとガレスだけではない。砦の文官がさらに四人。北方公爵家付きの術師が三人。そして、昨日から調査を指揮している白髪の老術師まで、すでに仕事を始めていた。「……本当に全部出したのですね」リゼットが呟くと、後ろからヴァルドの声がした。「全部出せと言ったからな」「少しは加減するのかと思っていました」「何のために」振り返る。ヴァルドも朝から普段より険しい顔をしていた。「祈紡ぎがどう扱われてきたか調べるんだろう」「はい」「なら都合のいい年代だけ拾っても意味がない」その通りだった。けれど。机の上の量を見ると、気が遠くなる。ノエルが遠くから手を挙げた。「リゼット様、今なら逃げても誰も責めませんよ」「逃げません」「ですよね」「ノエルは逃げたいのか」ヴァルドが言う。「いえ、全く」「今、かなり逃げたい顔をしていたぞ」「閣下ほど人の顔を読む能力はありませんので、自分の顔までは分かりません」「口は回るな」「仕事もしております」机の上にはすでに十数枚の要約が並んでいる。どうやら本当に働いているらしい。リゼットも外套を脱ぎ、自分の席へついた。
第22話 妹の呪いに王家の紋章がある北方公爵家の古文書庫は、砦の地下にあった。正確には、砦が建てられるよりさらに前から存在していた石造りの保管庫を、後の時代に砦の一部へ組み込んだものらしい。朝。ヴァルドに案内されて地下へ降りたリゼットは、重い鉄扉の前で思わず足を止めた。「ここですか?」「ああ」「随分、大げさですね」鉄扉には三つの鍵穴がある。しかも、その周囲には古い魔術式まで刻まれていた。ヴァルドは腰の鍵束から一つを取り出し、同行していた法務官がもう一つ、白髪の老術師が最後の一つを差し込む。「公爵様一人では開けられないのですか?」「開けられないようにしてある」「なぜです?」「当主が勝手に記録を消したり、書き換えたりしないためだ」その答えに、リゼットは少し驚いた。「公爵家自身を信用していない仕組みなのですね」「人間だからな」いつものように簡単に言う。三人が同時に鍵を回すと、低い音が響いた。老術師が魔力を流し、扉に刻まれた線が薄く光る。やがて。重い鉄扉がゆっくり開いた。中から冷たい空気が流れてくる。地下特有の湿った匂い。古い紙。革。木。そして。ほんの少しだけ。呪滓に似た匂い。リゼットは眉を寄せた。「何かあります」ヴァルドがすぐに反応する。「呪いか?」「いえ」リゼットは入口で立ち止まり、感覚を確かめる。