LOGIN歌原レイラ、二十四歳。
死まで、あと四年。 その春、日本を揺るがした会見の余波は、妹・彩の未来にも確かに刻まれていった。 * ――アレッサンドロ・ノルディ、四十九歳。 イタリアの至宝。ファッション界の帝王にして、その沈黙さえ声明と同義になる男。 レイラは、策を巡らせていた。 二年連続でノルディ・コレクションのクロージングを務めた自分が、その舞台を辞退する。そうすれば、彼は何かしらの反応を示すはずだった。 たとえ沈黙であっても、それは自分を肯定する証になる。 そこまでは読んでいた。 しかし――。 まさか本人が来日し、首相の隣に立って、自分について語るとは思っていなかった。 その光景を画面越しに見た瞬間、レイラは息を呑んだ。 『歌原レイラがいないコレクションなど……開催する価値はない』 ノルディの、その一言で日本中が揺れた。 冷え切っていた空気は一夜にして逆流した。ファッション界の帝王が〝歌原レイラ〟の名を口にした。ただそれだけで、それまで積み重なっていたものが塗り替えられていく。 レイラの辞退は、取り消された。 そして、その夜。 レイラはノルディへ電話をかけた。 受話器の向こうから聞こえてきたのは、懐かしい低音だった。 「……アレッサンドロ。あなたが日本まで足を運んでくださるなんて、夢にも思いませんでした」 流暢なイタリア語で、レイラは続ける。 「心から、ありがとう。あなたがいてくれたから、私はまだ立っていられる」 返事は、すぐにはなかった。 ノルディはもともと、言葉の多い男ではない。 だが、そのわずかな間に、レイラは受話器の向こうで彼が少し笑ったような気がした。 『……レイラ。礼は要らない』 低く、確かな声だった。 『君は、守られる側ではない。描く側だ』 レイラの指が止まる。 『次のノルディ・コレクション。その舞台で、君と、君の選んだチームが――〝最高の美〟を示してくれ』 命令ではなかった。 託す声だった。 受話器を握る指に、わずかに力が入った。 「……わかりました」 レイラは答える。 「必ず、お約束します」 その声に迷いはなかった。 * 深夜。 彩は自分の部屋でベッドに腰かけ、スマートフォンを握っていた。 画面には、何度も同じ映像が流れている。壇上に立つノルディと、その言葉。 『歌原レイラがいない世界は色を失う』 彩は、もう一度再生した。 「……すごい」 姉のSNSに表示された数字は、目を離した隙にも増えていく。 Instagramは八百三十万から九百二十万へ。 T*****r(X)は六百二十万から七百万へ。 合計フォロワーは、一千六百二十万を超えていた。 たった一日だった。 三日間、必死に戦った自分の声も、姉へ向けられていた無数の言葉も、たった一人の、たった一言で流れを変えられてしまった。 彩は自分のアカウントへ戻る。 フォロワーは百七十人。 姉にスマートフォンを買ってもらったとき、一つだけ約束していた。 〝歌原レイラの妹〟だということは、絶対に明かさない。 だから、この百七十人だけは誰にも借りていない。 彩だけの数字だった。 「……百七十」 口にしてみると、余計に小さく思えた。 数日前、自分は震える指で小さな画面に言葉を打ち続けていた。 姉のことを悪く言う人間が許せなかった。 何かしたかった。 自分にもできることがあると思いたかった。 けれど、あのときのレイラは何も言わなかった。 彩が何を書いているのかさえ、ほとんど聞かなかった。 ――おねーちゃんは、最初からわかってたんだ。 ノルディという切り札を使えば、世界ごとひっくり返せる。 だから、あの嵐の中でも一歩も揺れなかった。 自分が必死に放っていた小さな矢など、届く前から計算の外だったのかもしれない。 画面の中では、また数字が増えた。 彩はスマートフォンを握る手に力を込めた。爪が掌へ食い込み、その痛みでようやく息を吐く。 悔しい。 それだけではなかった。 すごいと思う。 追いつきたいとも思う。 けれど、あまりに遠い。 いくつもの感情が混ざって、うまく一つの言葉にならなかった。 「……それでも」 彩は暗くなりかけた画面を指で戻した。 「この蟻ん子みたいな私でも、いつかきっと――」 そこまで言って、一度だけ口を閉じる。 それから、姉の名前が並ぶ画面を見た。 「おねーちゃんの隣に立てるくらい、強くなる」 そのとき、居間から母親の甲高い声が響いた。 「ちょっと見なさいよ! レイラのフォロワー、すごいじゃない! 広告打てばスポンサー山ほどつくわよ。株価みたいに上がってるんだから!」 続いて、父親の声がする。 「事務所に任せるより、俺たちで動いた方が稼げるぞ。フォロワーは現金より価値がある。株と同じだ。売り時を逃すな!」 彩は振り返らなかった。 いつものことだった。 姉の名前も、顔も、声も。 この家では、すぐ金の話になる。 彩はスマートフォンを膝の上へ置き、窓の外を見た。遠くに並ぶ街の灯りが、少しだけ滲んでいる。 名前を呼ばれる前に、値段がつく。 どれだけ大切にされるかも、いくらになるかで決まる。 ずっと、そうだった。 けれど。 ノルディは違った。 あの人は姉を、いくら稼げるかでは語らなかった。 役に立つからでもない。 利用できるからでもない。 ただ、 〝美〟だと言った。 彩はスマートフォンを持ち直した。 親じゃなくてもいい。 血がつながっていなくてもいい。 人を最初から値段で見ない場所が、この世界にはある。 だったら、自分もいつかそこへ行きたい。 憧れは、ただ眺めるだけの夢ではなくなっていた。 それは未来を選ぶための光になり、十五歳の彩の中に、初めて一つの決意として残った。衣装合わせの日。 1207号室の事務所スペースには、佐久間博之が持ち込んだ服が掛けられていた。 完成品ではない。 けれど、最初の仮縫いとはもう違う。 高い襟元。 肩から落ちる静かな線。 歩いた時だけ、少し遅れて動く裾。 彩が「残したい」と言ったものは残っている。 その一方で、首や肩、腰を締めつけていた箇所には修正が入っていた。 佐久間が最後の留め具を確認する。 「一度、着てもらえますか」 「はい」 彩は服を受け取り、別室へ向かった。 昨日のウォーキング練習では、自分で決めて歩いた。 今は、服を見る。 母親のことが消えたわけではない。 ニュースも続いている。 考えれば、胸はまだ重くなる。 それでも。 何を見る時間なのかは、自分で決めてもいい。 少しだけ。 そう思えるようになっていた。 * 彩が着替えている間。 良太はノートパソコンを開いていた。 RE:CODE MODE CONTEST運営から、出場チーム紹介ページの最終確認が届いている。 名前。 所属。 年齢。 これまでの仕事。 チームメンバー。 紹介文。 良太は上から順番に確認していた。 途中で、指が止まる。 「……あ」 七瀬が振り向く。 「何?」 「彩の紹介文」 良太が画面を少し傾ける。 七瀬と奏が近づいた。 少し離れた場所では、レイラも画面を覗き込んでいる。 そこには、こう書かれていた。 《世界的モデルとして活躍した故・歌原レイラさんの妹》 その下。 《姉と同じ世界の舞台を目指す、16歳のモデル》 良太は何度か読み返した。 間違ってはいない。 彩はレイラの妹だ。 そして今、世界へ続く大会へ出ようとしている。 運営が彩を紹介するなら、レイラの名前が出ること自体は不自然でもなかった。 むしろ。 それほど大きな名前だった。 「どうする?」 七瀬が聞く。 「どうするって?」 「このまま出すの?」 良太は画面を見る。 「俺が決める話じゃないかな」 レイラの視線が良太へ向いた。 《消さないの?》 「まだ分からない」 《彩の紹介よ》 「だから、彩に聞く」 レイラは少し黙った。 以前なら。 その言葉に反発したかもしれない。 彩を守るために、自分が先に決める。 使わせない。 比べさせない。
RE:CODE MODE CONTESTまで、あと一か月。 午後のウォーキングスタジオで、彩は佐久間が用意した調整用の衣装を着ていた。 本番用の服そのものではない。 丈や重さ、歩いた時の布の動きを確かめるために、本番に近い条件へ寄せたものだった。 良太はスタジオの端で資料を持っている。 七瀬は彩の顔を見ていた。 奏は裾の長さを確認し、佐久間は少し離れた椅子から全体を見る。 そして、良太の隣にはレイラがいる。 もちろん。 彩には見えない。 「今日は、一つだけ決めてきました」 彩が言った。 良太は資料から顔を上げる。 「何を?」 彩は自分の袖を見る。 「歩いている間は、服を見ます」 良太は少しだけ首を傾げた。 「服を見る?」 「はい」 彩は言葉を探す。 昨日までは、母親のことを考えないようにしていた。 ニュースを忘れようとした。 姉の死を考えないようにした。 そうすれば、練習に集中できると思っていた。 でも。 できなかった。 考えないようにするほど、頭の中に残った。 「考えないようにするんじゃなくて」 彩は続ける。 「今は、後にします」 良太には、その言葉の意味がすぐには分からなかった。 「後にする?」 「はい」 彩は少しだけ笑った。 「昨日、友達に教えてもらいました」 それ以上は言わなかった。 良太も聞かなかった。 レイラだけが、彩をじっと見ている。 《悪くないわ》 良太は顔を動かさず、心の中だけで返した。 《珍しいな》 《何が?》 《お前が、人のやり方をすぐ否定しないの》 《失礼ね》 良太は少しだけ口元を緩める。 七瀬がそれに気づいた。 「何?」 「いや、何でもないです」 七瀬は怪訝そうにしたが、それ以上追わなかった。 佐久間が立ち上がる。 「では、一度歩いてみてもらえますか」 「はい」 彩がスタート位置へ向かう。 床に引かれた一本のライン。 昨日も歩いた場所。 けれど今日は、自分の服を見る。 裾。 肩。 腰。 布がどこで身体から離れ、どこで戻ってくるのか。 彩は一度だけ目を閉じた。 それから歩き出す。 一歩。 二歩
朝の教室で、歌原彩は教科書を開いていた。 文字は読める。 意味も分かる。 それなのに、三行前から先へ進めない。 スマートフォンは鞄の中に入れてある。 見ないと決めた。 それでも、母親の顔が頭から離れなかった。 《歌原レイラさん死亡事件》 《実母・歌原陽子氏を重要参考人として捜査》 昨日から何度も見た文字。 警察は母親を追っている。 国外へ出た可能性がある。 姉の死に関与した可能性がある。 可能性。 まだ何も決まっていない。 だからこそ、終わらない。 「彩」 隣から声がした。 彩が顔を上げると、神谷章介が自分のノートを指で叩いていた。 「そこ、次のページ」 彩は教科書を見る。 授業はとっくに進んでいた。 「あ……ありがとう」 慌ててページをめくる。 章介はそれ以上何も言わなかった。 いつもと同じだった。 朝早くから新聞を配り、そのまま学校へ来る。 母親と二人暮らしで、家計を助けながら生活している。 それでも、授業中に居眠りしている姿を彩はほとんど見たことがない。 中学の頃から、そうだった。 彩は何度も思ったことがある。 自分よりずっと大変なのに。 どうして、この人は普通にしていられるんだろう。 * 昼休み。 章介は弁当を食べながら、数学の問題集を開いていた。 彩はいつものように、その隣の席にいる。 弁当箱は開いていたが、ほとんど減っていなかった。 「食わないの?」 「食べてるよ」 「全然減ってない」 彩は卵焼きを一つ取った。 章介はそれを確認すると、また問題集へ視線を戻した。 その距離が、今日はありがたかった。 心配されることが嫌なわけではない。 ただ、心配されるたびに、自分が壊れかけている人間のように思えてくる。 しばらくして。 彩は小さく呼んだ。 「章介くん」 「ん」 「聞いてもいい?」 章介のペンが止まる。 「内容による」 「そういうところ、変わらないね」 「何を聞くの」 彩は少し迷った。 母親が姉を殺したと思うか。 捕まると思うか。 そんなことを聞きたいわけではない。 答えがないことくらい、自分でも分かっている。 「章介くんって、朝、新聞配達してるでしょ」 章介の目が少しだけ動いた。 「してる」 「大変じゃない?」 「大変」 即答
翌朝。 良太は1207号室のリビングで、スマートフォンを握っていた。 画面には、まだ送っていないメッセージ。 《今日はウォーキング練習を中止にします》 昨夜の誕生日会の名残が、部屋には少し残っている。 空になったケーキの箱。 洗って伏せた皿。 そして、良太が贈った大きな水筒。 この部屋で昨夜。 歌原陽子の名前がニュースに出た。 レイラの死に関わった可能性がある重要参考人として。 「送ればいいじゃない」 隣でレイラが言った。 良太は画面を見たまま答える。 「そう思ってる」 《なら送って》 「でも、勝手に決めていいのかな」 レイラが黙った。 昨日までなら、迷わなかったかもしれない。 あんなニュースを見た翌日だ。 休ませる。 それが当然だと思う。 けれど最近の彩は、少しずつ自分で決めるようになっていた。 服が苦しいことも言った。 嫌なことも伝えた。 RE:CODE MODEへ出ることも、自分で選んだ。 だからこそ。 「彩のため」という理由で、また彩を置いたまま決めることに引っかかった。 「本人に聞いてからでもいいだろ」 レイラは腕を組む。 《聞いたら、行くって言うわよ》 「なんで分かるんだよ」 答えはなかった。 その時、廊下の向こうで扉が開いた。 彩が自室から出てくる。 練習用の黒いパンツ。 薄手のトップス。 肩にはバッグ。 そして片手には。 昨日渡したばかりの水筒。 準備は、すでに終わっていた。 レイラが言う。 《ほら》 「怖いな、お前」 「おはようございます」 「……おはよう」 良太は彩の顔を見る。 目元に、わずかな重さがある。 それでも髪は整えられ、服にも乱れはない。 いつもの自分に戻そうとしている。 そんなふうにも見えた。 「今日、練習行くつもり?」 「はい」 彩は少し不思議そうに答えた。 「それなんだけど」 良太はスマートフォンを見せる。 「今日は休みにしようかと思ってた」 彩の手が、水筒の持ち手で止まった。 「どうしてですか」 「昨日のことがあったから」 数秒。 彩は黙った。 「大丈夫です」 その言葉に。 レイラの表情が、ほんの少し変わった。 良太も思い出す。 昨夜。 レイラが言っていた。 明日になったら、大丈夫って言うかも
七月十五日。 夜の1207号室には、小さなケーキが置かれていた。 白いクリームに苺。 その上には、細いろうそくが十六本並んでいる。 「……多くない?」 良太が言うと、七瀬が冷たく返した。 「十六歳なんだから、十六本でしょ」 「いや、そうじゃなくて。燃えない?」 「あなたがいつまでも火をつけないからよ」 「最後、つきました」 奏が慌てて十六本目から手を離した。 佐久間博之が壁際へ向かう。 「では、電気を消しますね」 部屋が暗くなった。 十六本の火が、彩の顔だけを照らす。 歌原彩。 今日で十六歳。 テーブルを囲んでいるのは、良太、七瀬、奏、佐久間。 そして仕事を終えて遅れてやって来た南条圭介。 「間に合ってよかったです」 南条が息を整えながら言う。 良太は笑った。 「真壁ミラのチームが敵情視察ですか」 「誕生日くらい普通に祝わせてください」 「冗談ですよ」 「顔が本気でした」 小さく笑いが起きる。 その輪の外側に。 もう一人いる。 誰にも見えないレイラ。 十六本の火を、黙って見つめていた。 《彩》 良太にだけ聞こえる声。 《お誕生日、おめでとう》 届かない。 けれどレイラは、まっすぐ妹を見ていた。 十五歳だった彩が。 十六歳になる。 「願い事した?」 良太が聞く。 彩は両手を合わせたまま首を横に振る。 「まだです」 「火が消える前にしなさい」 七瀬に急かされ、彩は目を閉じた。 部屋が少しだけ静かになる。 レイラは、その横顔を見る。 何を願っているのかは聞けない。 聞かなくてもいいのかもしれない。 願える未来が、彩にはある。 それだけで。 今は十分だった。 彩が息を吹く。 十六本の火が揺れた。 ほとんど消えた。 けれど、端の一本だけ残る。 「あ」 奏が声を上げた。 良太が笑う。 「欲張ったんじゃない?」 「一つしか願ってません」 「大きい願いなんでしょう」 南条が言う。 彩はもう一度、小さく息を吹いた。 最後の火が消える。 拍手が起こった。 照明が戻る。 レイラも、音の出ない手を叩いている。 良太だけがそれ
午後。 高梨奏は、桐島誠司の事務所で資料棚の前に立っていた。 UTAHARA MODEL OFFICEへ二か月間貸し出されている今も、奏の所属先がここであることは変わらない。 桐島に指定された過去のコレクション資料、国内外のブランド資料、生地見本を一冊ずつ鞄へ入れていく。 机の向こうでは、桐島が別件の資料へ目を通していた。 奏は何度か、その横顔を見る。 聞きたいことはあった。 佐久間博之の服へ、自分がどこまで意見を出していいのか。 世界へ続く大会の衣装に、自分が好きで見てきたものを入れていいのか。 けれど。 ここで聞けば、また桐島の答えを待つことになる。 奏は何も言わず、鞄の口を閉じた。 その時、机に置いていたスマートフォンが震えた。 《RE:CODE MODE CONTEST 出場チーム主要スタッフ追加発表》 何気なく通知を開く。 最初に表示されたのは、御堂玲奈。 その下には、スタッフの名前が並んでいる。 ヘア。 メイク。 スタイリング。 トレーナー。 演出。 奏が雑誌やショーのクレジットで何度も見た名前ばかりだった。 指を滑らせる。 次。 真壁ミラ。 クロスリンク・エンタメ。 担当マネジメント、南条圭介。 さらに下へ進む。 スタイリスト――桐島誠司。 奏の指が止まった。 一度、画面を閉じる。 もう一度開く。 名前は変わらない。 奏はゆっくり顔を上げた。 「先生」 桐島は資料から目を離さない。 「何だ」 「RE:CODE MODE」 一拍置く。 「出るんですか」 桐島の手が止まった。 奏はスマートフォンを向ける。 「真壁ミラさんの、スタイリストとして」 桐島は画面を見た。 驚かなかった。 「そうだ」 短い返事だった。 奏は何も言えない。 自分を二か月だけチーム彩へ送り出した人。 大会の外側から、自分を見ている人。 どこかで、そう思っていた。 その先生が。 今度はランウェイの向こう側へ立つ。 「どうして……」 「依頼を受けたからだ」 「そうじゃなくて」 奏は言葉を探した。 「先生が、私たちと同じ大会に……」 「同じではない」 奏
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。 妹を守る戦いは、 もう後戻りできない領域へと踏み込んでいた。 1 マンション前・夕方 レイラの部屋で過ごした帰り、 彩はまだ温もりの残る廊下を抜けて、マンションのエントランスに姿を現した。 エントランス前。 建物の影に、数人の記者が静かに待ち構えている。 新人記者 「あ……! 歌原レイラさんの妹さん! 裁判について――」 その瞬間、 ベテラン記者が新人の腕を強く掴んだ。 ベテラン 「やめろ。映像もインタビューも禁止だ」 新人 「え? でも――」 ベテラン 「知らないのか。 レ
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。歌原彩(13歳・中学一年生)。妹を守るための戦いは、いよいよ――法の場へと踏み出そうとしていた。1 レイラのマンション・朝白い床の中央。彩は裸足で立っている。足は肩幅より、わずかに狭く。つま先は、ほんの数度だけ外側。レイラ「まず、立ち方」彩は息を整え、背筋を伸ばす。レイラ「踵に体重を置かない。 足の裏、三点。 親指の付け根、小指の付け根、踵」レイラ「そこに“均等に”乗せ
──守るべきものと、切り捨てるもの──歌原レイラ(24歳)――死まで、あと四年。その夜、彼女は初めて「家族」という言葉を、判断の外に置いた。1 歌原家・居間(夜)古びた照明が、テーブルの天板だけを白く照らしている。壁には色あせた家族写真。新聞、空き瓶、使われなくなった家電の箱。片づけられないままの生活の痕跡が、居間を占拠していた。テーブルを挟んで、父・和人と母・陽子。向かいに、歌原レイラ。彩は、廊下の影に身を寄せ、息を潜めて様子をうかがっている。壁掛けテレビには、消音のままランウェイを歩くレイラの姿。世界に向けて流れる映像と、この家の空気は、噛み合っていなかった。
歌原レイラ(24歳)――死まで、あと四年。その春、日本の空気は、一人の来日によって揺れ動いていた。1. メディアの熱狂民放のワイドショー。新聞の号外。ラジオのニュース。そして、SNS。すべてが、ただひとりの来日を報じていた。画面に、テロップが並ぶ。『ファッション界の帝王、 アレッサンドロ・ノルディ来日』『天皇陛下ご拝謁、 首相官邸で会談へ』キャスターの声が重なる。「パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン―― そして、《ノルディ・コレクション》。 五大コレクションの中で、 デザイナー自身の名を冠する、 唯一の存在です」羽田空港に到着する、黒塗りの車列。







