74 そして次に就いた大手ハウスメーカーでも魚谷は過去の経験を何ら生かす ことなく、同じようなことをやらかして辞めざるを得なくなり追われるよう にして辞職した。 こちら大手ハウスメーカーの事務兼務付きの受付嬢の面接を受けた時から 魚谷はこんどこそこの会社で将来の夫となるべき男性《ひと》をGet するのだとの強い意志を持って臨んでいたこともあり、社内のイベントごと は欠かさず参加し続けた。 そしてそれが功を奏したのか、入社して1年経つ頃には社内のエリート を恋人に持つことに成功した。 大手ハウスメーカーでは雇用時にキャリア籍とノンキャリア籍という 具合にどちらかに選別され雇用される。 これは退職するまで能力がいかに高かろうと変わらないのであった。 抜け目のない魚谷が選んだ相手は住宅総合研究所という部署に所属する 東大卒のエリートだった。 ノンキャリア籍組とは給与が300万以上も違うと言われ 『専業主婦になれる』と魚谷は至極ご満悦であった。 ただ、研究室に閉じこもり建材成分などの分析研究をする仕事柄も 相まって、地味な性格が少し気になるところではあった。……とはいうものの、その恋人雨宮洋平とは順調に交際が続き、付き合って 3年が過ぎた頃両家で顔合わせもし正式な婚約を交わした。 周囲にふたりの交際は公認だったが、婚約した話は結婚をいつ頃にするか 決めてからにしようということで周囲にはまだ発表していないような 状況だった。
75 婚約も終え半年先を見据えた結婚の話も決まりほっと一息ついた魚谷は、仕事も勤めて丸4年になり、たまに緊張する場面もあるものの、普段はこなれた動作で仕事を片付けていて精神的にも物理的にも暇の1文字が頭を掠めるようになるのだった。 婚約者の雨宮も仕事に追われ忙しそうである。 ただの恋人同士だった時には会わないでいると不安でしようがなかったものだが、双六《すごろく》でいうと、まだ盤上にはいるものの、ゴールに到達したも同然。 それゆえ、魚谷はほどよく余裕でいられた。 ……とそんな折に、婚活している学生時代の友人から『お願いがあるのぉ~』と電話が掛かってきた。 東京でセレブリティ《celebrity 》たちが集う豪華パーティーがあるので一緒に付き合ってほしいというものだった。 その週は雨宮との約束がなかったため、保護者の気分と著名人などが集うパーティーというものに今まで縁のなかった魚谷はそういう人たちに会えることにも少し興味があり、二つ返事でOKした。 新大阪駅からなら東京まで新幹線で2時間30分と少し……といったところだろうか。一泊すれば楽勝だ。 誘われた後で、本当に一般人の自分たちが名士や著名人が参加するパーティーという名の集いにそんなに簡単に参加できるものなんだろうかと気になり、ちょっと調べてみた。 真の富裕層などが集うところへは、簡単に参加できないらしいということが わかった。 ……ということは、友人が行くところはどんな人たちの集まりだというのだろう? 小金持ちくらいの集いかもしれないなと魚谷は思った。
76 友人の星野から電話で聞いた話では今回のパーティーは商社に勤める 柿谷さんからの紹介らしかった。 柿谷さんも私たちと同じ大学だったけれどグループが違っていた人だ。 在学中に少し親しくしていたみたいで、たまたま最近繁華街で出会って 立ち話もなんだからとお茶して近況を話し合ってるうちに……ということ らしい。 学生時代からの友人星野は自分とは違い堅実にずっと同じ職場で 頑張っている。 医科大で正社員として勤務している。 昨今大学の事務員というのもほとんどが時給の契約社員とか 日給の派遣社員がほとんどらしいから流石新卒で入社して頑張ってるだけ あるよね、星野は。 私も当初は正規雇用の銀行員だったのにさ、なんでこうなっちゃったん だろうなんて思う日もあったわ。 でも伴侶を見付けるなら大手企業への派遣入社も悪くはないよね。 実際、私は研究員のエリート捕まえたもん。 ここはひとつ星野が良い男性《ひと》と出会えるよう協力を惜しまない つもり。星野ぉ~、あんたいい友だち持ったね~。 ◇ ◇ ◇ ◇ 金曜日の夜に彼女から再度連絡があり、私たちが参加するのは レセプションパーティーで開催時間は17:00からと聞く。 ホテルのチェックインの時間に合わせて行くことに決めた。 夜は少し肌寒くなるかもしれないからとふたりともスプリングコートを 羽織って行くことにしたのでフォーマルなドレスの見せあいっこは ホテルにチェックインしてからになった。 星野はほどよいマキシ丈でウエストにゴムが入っているネイビー色の シンプルだけど華やかさも併せ持つドレス。 ハイネックマキシドレスで襟元のビジューがパールでドレスと相まって 彼女の印象に華やかさをプラスしている。 「星野、いいじゃない、そのドレスと襟元のパールのネックレス、 むちゃくちゃいいわ。きっといい男性《ひと》見つかるね」 「ふふっ、サンキュー。そう言ってもらうと心丈夫だわ」 私はというと、今回クローゼットを覗いて黒のにするか今着ている ペールブルーにするか迷ったけれど、透明感があって袖がシースルーの透け たレース生地になっている清楚系デザインの丈短めドレスにした。 私もネックレスはパールだ。 ふたりでしばし、互いのドレスを褒め合いパーティーに向
77 場所は赤坂にある結婚式場。 駅からハイヤーで10分少々。 私たちは10分前には受付にいた。 はぁ~、素敵な場所で圧倒される。 「独りで来るのはヤバイね」「ほんと、魚谷に付いてきてもらってよかったよ~」 私と星野は窓際に佇み、次々とゲストが入室するのを雑談しながら 眺めていた。 「結構年配の人が多いねー」思ったことを口に出してみた。「今は50代から上でも独身者多いんじゃないかな」「20代とは言わないけど30代、来てくれぇ~」と言いつつ 年寄りしか集まらなかったらやばいよね、と他人事ながら心配になる。……という私の心配をよそに多くはないけれど、20代30代と思しき 男性たちもボツボツ入室してきているようだった。「私のように恋人がいるのに参加してる人っているのかしらね?」「今回この話自体、急に決まっちゃったからさ、私はたまたま独身で 誘える友だちがいなくて魚谷誘っちゃったんだけど、まぁ普通は独身同士で 参加するでしょうね」「だよね」「ねね、顔動かさないで聞いて。 向こうからさ2人組がこっちに向かって来てる……ドキドキしてきた」 「早くも捕獲に来てくれてラッキーじゃん。 星野、頑張ろぉ~。ファィトっ、ゲホホツ」 情けない、力入り過ぎちゃった。「ぎゃははっ、魚谷、力入れ過ぎっ」 緊張感もなく、ふたりで『ぎゃはは』やっているところへ、男性陣が 参戦してきましたよ……っと。「やっ、何やら楽しそうですね。 お仲間に入れてもらえませんか」 私は瞬時に声を掛けてきた男性《ひと》と隣にいる男性《ひと》を ちら見した。 どちらも合格ラインに乗っててラッキー。
78 「あっ、つまんないことで騒いじゃってて恥ずかしいです。 こちらこそよろしくデス」 「じゃぁその辺のテーブル席へ移動しませんか」 今度は隣にいた男性《ひと》が声を掛けてきた。 2人ともなかなかなイケボで、なんだか楽しそうな時間を過ごせそうで よかった。 星野はどっちの人が好みかな。 私は……関係ないけど、隣にいた人がいいと思う。 話を聞くところによると彼らは同じ職場の同期だということらしい。 もちろん恋人なし。 私は星野に合わせて恋人なしということにしておいた。 どうも彼らも未来の花嫁候補をGetする気満々なようで、 食事もそこそこに人懐っこくかつ積極的に私たちに絡んでくれた。 最初に声を掛けてきたのが宮内隆《みやうちたかし》さん、そして もうひとりが柳井寛《やないひろし》さんという。 4人での話は盛り上がり、あっという間にパーティーのお開きの時間に なった。 お開きの後、隣接しているバーへと河岸を変え、私たちはお酒で 喉を潤しつつ、フランクに各々が自分たちのことを互いによく知り合いたい という情熱を傾けて楽しい時間を過ごした。 そして私たちはグループLINEを作り別れた。 彼らは大手不動産(株)勤務で柳井さんは総合職の都市事業ユニット 推進部のグループリーダーをしており、宮内さんは同じ総合職の都市事業 ユニット事業本部の係長ということだった。 宮内さんは眼鏡をかけていてにこやかでおっとり系、一緒にいると 癒される感じ。 柳井さんは近くで見ても遠目に見てもシュっとした鼻筋と綺麗で広めの 額から下がりそこそこ彫を深く見せる目元と盛り上がった頬骨からの顎に かけてのシャープなラインがちょいエキゾチックな雰囲気を醸し出してい る。 星野はどちらが好みなんだろう。 私は宿泊したその夜のホテルでも帰りの新幹線の中でも彼らの話で 盛り上がったものの肝心の星野の意中の相手のことは敢えて聞かなかった。
79 翌日グループLINEで早速男性陣から次のお誘いがあった。私は星野の協力隊ということで後1回は付き合うけれど、三度目はないということを星野に伝えた。「だけど、ニ度会ってどちらからも明確なアプローチがなかった場合グループで会えないのは痛いなぁ~」「分かった、じゃあ三度目までギリ付き合いましょう!」「わぁお、ありがと、サンキュー」 しかし、三度目までという私たちの思惑は杞憂に終わり、ニ度目のデートのあと、星野は宮内さんと付き合うことになった。 そして、いけないことだけど私も柳井さんと付き合うようになった。 ニ度目に会ってから分かったことなんだけど彼は代議士の息子で御曹司だったのだ。 顔よし、声よし、性格良し、仕事も家柄もいい。 私の中で気持ちが大きく揺れ動いた。 柳井さんには自分に婚約者がいることを話し、その上で受け入れてくれるならお付き合いしたいということを話さなければならない。 そして雨宮さんには他に意中の男性《ひと》ができたので申し訳ないけれども婚約を取りやめにしたいと申し出ること。 私は柳井さんと付き合っていることを星野には黙っていた。 けど、絶対バレるよねー、宮内さんと柳井さんは同期で職場が同じなんだもん。 ◇ ◇ ◇ ◇ 星野と宮内さんはしばらくの間自分たちの意志の確認《愛を語る》に忙しかったらしく、星野から忠告の電話が掛かってきたのは月が変わってからだった。「ね、今日宮内さんから聞いてびっくりしたんだけど柳井さんと付き合ってるってほんとなの?」「うん、言い出しにくくて黙っててごめん」「えっと、婚約者はどうするの? 魚谷の中ではどっちが本命なのかなぁ~?」「それは……」「婚約者も柳井さんも、二股されてること知らないよね?」「ふ、二股だなんて人聞きの悪いこと言わないでっ」「人聞きが悪いって言われたってね~、じゃぁ魚谷のやってることって何なの?」「雨宮さんには悪いけど、柳井さんと付き合いたいって思ってるの」「ごめん、言い過ぎた。 もとはといえば私のせいでもあるんだものね。 何だか婚約者の人、雨宮さんだっけ? なんか責任かんじちゃうなぁ~。 まさか、こんなことになるなんてね」「わたしも……こんなことになるなんて思ってなくて、動揺してる」「ね、雨
80 そして、この会話のあった次の週末は久しぶりに4人で会うことになる。 4人が出会ったのはたまたま東京でのパーティーでだったのだが、居住地は皆関西ということで大阪梅田に近いホテルで落ち合うことになる。 ディナーとお酒を時間を掛けて楽しもうと一泊の予定が組まれた。 星野と魚谷は念入りに化粧を施し、目いっぱいドレスアップした。 少し早めに着いたので部屋に入る前に4人揃ってラウンジで飲み物を頼み当たり障りのない会話をしていた時である。「えっと、俺の親友がたまたま近くの書店まで来ててさ、ちょっと挨拶だけしてもらっていいだろうか。 星野さんと魚谷さんのことを可愛いっていう話をしたらぜひっ、拝ませて……じゃなかった、お会いしてみたいだと」「「え――っ、可愛いだなんてそんなぁ~、ほんとのこと言ってどうするんですかぁ~」」「ブッ、そこハモる~?」 宮内が女性軍を弄る。 ほのぼのとした幸せな光景があった。 そして4人はテンション高く浮かれていた。 4人は互いのパートナーと向かい合って座っており、女性たちは入り口に背を向けて座っていた。「あっ、噂をすれば……だ。来た来たっ。こっち、こっち」 柳井が入り口付近に向かって声を掛けた。「あいつ、婚約者がいるんたけどさ、今日は誘って先約があるからと断られて可哀そうな奴なんで、皆でヨシヨシしてやろう」 柳井は3人に向けて告げた。 柳井の親友とやらがテーブルに近づいたのを見計らって星野と魚谷は席を立ち挨拶の体勢に入った。「彼が俺の親友で雨宮。 で、こちらが同期の宮内とその彼女の星野さん、それと俺の彼女の魚谷さん」と柳井が親友に紹介をした。 宮内と星野はふたりの様子から雨宮と魚谷の挙動を視線で追いかける。 紹介していたため、柳井は気がつかないでいる。 雨宮はずっと魚谷を見ていて、魚谷はオロオロしたあと俯いてしまった。
81「魚谷さん、いつから柳井の彼女になったのかな? あなた確か、俺の婚約者ではなかったかな? 俺の誘いを断って柳井たちと会ってたってわけだ。 柳井には話してるの? 婚約者がいること……って話してないよね、たぶん」「洋平さん、黙っててごめんなさい。 いつか話さなきゃって……」 「柳井、その人俺の婚約者……だった人かな。 悪いけど帰るわ。また連絡する。 皆さん楽しいところに水差すような形になってすみません。 失礼します」 「雨宮、婚約したのいつだ?」「先月の頭」「魚谷さん、出会った時付き合ってる人いないって言っ……いたんだ、 参ったな」 柳井の呟きを聞くや否や雨宮は踵を返していた。 星野が宮内のほうを見ると首を横に振り小声で 「部屋に行こう」 と囁き、その場から星野を連れ出した。 「星野さん、知ってた?」 「つい最近までっていうか、えっとそうじゃなくてぇ、まず婚約者が いるって話はレセプションに行く少し前に知ったって感じかな。 魚谷とは久しく会ってなかったから。 だいたい柳井さんとのことを知ったのが最近、宮内さんから聞いて 知ったの。 知ってから私も焦っちゃって……。 それで柳井さんにはまだ話せてないっていうの聞いて、せめて雨宮さん には心変わりしたことを伝えた方がいいよって話してたところっていうか……。 話す前にこんなことになったっていう感じかなぁ~。 どうしたらいいんだろう、私がレセプションに誘ったばっかりに。 雨宮さんに申し訳なくて」「星野さん……」「はい?」「星野さんまで他に誰か恋人がいるなんてこと……」「ありません。いません、いませんよ。信じて下さい」 「分かった、ほっとしたよ。 あとは柳井の気持ちひとつだな。 多分もう結論は出てると思うけど」 「えっ、柳井さんの気持ちがそんなに簡単に分かるの?」「時々聞かされてたからね、雨宮さんのこと。 彼とは大親友らしい。 柳井なら親友の婚約者とどうこうはないと思うね。 例え、魚谷さんが柳井推しでもね。 今回の場合なら間違いなく男同士の友情を取ると思う。 すごく魚谷さんのことを気にいってたから辛いだろうけど。 そこはまだ付き合いも始まったばかりだし、なんとか踏ん張って 気持ちを立て直すんじゃないか
117 遠野さんの分かってます発言はほんとに分かっていての発言なのか、 非常に怪しい。 最後の含み笑いは私を困惑させるのに十分な威力を備えていた。 周囲には隠して付き合っている、というストーリーが彼女の頭の中で 展開されている節がある。 何故なら相原さんと付き合っているのか、という問いかけはなかったからだ。 まぁあれだ、彼女は小説を書く人だから、一般人よりは妄想たくましい 可能性はあるよね。 相原さんとデートしたことなんて絶対知られないようにしなきゃ、だわ。 何気にこういうの疲れるぅ~。「掛居さん、私、夜間保育をして少しずつ相原さんとお近づきに なりたいんです。 それで芦田さんに夜間保育をやりたいってお願いしてみようかと 思ってるんですけど、立候補したら迷惑でしょうか……迷惑になります? ご迷惑ならこの方法は止めなきゃ駄目ですよね」 私は先ほどから遠野さんの言動に驚かされてばかりなんだけど、 今の話を聞いて更に『目玉ドコー』な感覚に陥った。 なんて言うんだろう、彼女のお伺いって控えめさを装った強引な お願いにしか聞こえなくて、少し嫌な感じがする。 元々こういうキャラの女性《ひと》だったのか、はたまた片思いが 高じた所以のものなのか。 よく考えてみたら私が持っていた遠野さんのイメージなんてたまに 社食で昼食を一緒に摂るだけの間柄で何を知っているというのだ。 恋する乙女は貪欲で猪突猛進で私は恋する乙女? の力強さにある意味 感服するところもあるけれど、自分に置き換えてみるに、とてもそんなふう な形での力強さは一生掛かっても持てそうにないや。
116「皆《みんな》モチモチしていて可愛かったぁ~、大満足ぅ~。 掛居さんが抱っこしてた子って凛ちゃんですよね」「あぁ、うん。でもどうして……」 遠野さん、どうして凛ちゃんのこと知ってるのだろう。 「実は2回ほどひとりで昼休みに子供たち、見に行ったことがあって 芦田さんから聞いてたんです。 夜間保育のことか休日のサポート保育のこととか。 私、ちょっと後悔してるんですよー」「えっ?」「その理由が姑息過ぎて余り大きな声では言えないんですけど……」「なになに?」 「小説書くのに忙しいのは本当で、昼休憩の時間も惜しいくらい小説に時間 を割きたいというのも本当ですけど、あのカッコいい相原さんの娘さんが あの保育所にいるということなら話は別です。 こんな大事を知らなかったとは、迂闊でしたぁ~。 今までの時間が悔やまれます。 私なんて掛居さんより先に入社していたというのに。 掛居さん、私の言わんとするところ、分かります?」 「ええ、まぁなんとなくは。 相原さん本人に興味があるってことかな?」「え~いっ、掛居さんだから思い切って話しちゃいますね」 いやっ、話さなくてもいいかな。 だって話を聞いてしまうとなんとなぁ~くだけど後々ややこしいことに 巻き込まれそうな気がするのは取り越し苦労というものかしらん。 「相馬さんも素敵だけど今までの経緯を見ていると、とても並みの人間には 太刀打ちできない感じがして、遠い星っていう感じだから恋のターゲットに ならないでしょ? それに今や掛居さんといい感じみたいだし。 私略奪系は駄目なんですよね」 はぁ~、遠野さんの話を聞いていて私は頭が痛くなってきた。大体、今まで誰それに好意があるなんていう話を出してきたことなんて なかったというのに、いきなりの想い人発言。 しかも相原さんてぇ~、どんな反応すればいいのか困る。「あの、相原さんのことは何も反応できないけども、相馬さんとのことに 関しては、私たち付き合ってないから……」 「分かってますってぇ。むふふ」
115 「じゃあここで。 すみません、送っていただいて。 今日はいろいろとありがとうございました」「いや、これしきのこと。 しかし……ひゃあ~、まじまじとこんな間近で見るのは初めてだけどすごいね、35階建てのマンション。 今度さ、凛も連れて行くからお部屋見学してみたいなぁ~」「いいですよ。片付けないといけないので少し先になりますけどご招待しますね」「ありがたや。一生住めない物件だから楽しみにしてるよ。じゃあ」「はい、また明日」 いやぁ~、なんか相原さんのペースに乗せられて自宅の公開まで……。 私たちの距離が一遍に縮まりそ。 自分でも吃驚。 こういうのもありなの? ありでいいの? 答えはいくら考えても出ないけど、いたずらに拒絶するのもどうなのとも思うし。 それにちゃんと相原さん私の思ったこと分かってくれてるみたいだったし 取り敢えずこの夜、私は自分の胸に訊いてみた。 私は相原さんに恋してる? 恋に落ちた? NOだと思……う。 私は匠吾に向けていた……向かっていた強い恋心を元に考え、答えを導き出した。 素敵な男性《ひと》だな、とは思うけど、知らないことが多すぎる。 恋に落ちてないと昨夜、自分に向けて確認したけれど昨夜に引き続き、翌日になっても自分の気持ちが何気にルンルンしていることに気付いて、やっぱり異性とのデートは知らず知らず心が弾むものなのだなと悟った。 ただこれ以上深く考えようとするのは止めておくことにした。 そして今の自分の気持ちを大事にしようと思うのだった。 それから仕事終わりの金曜日……遠野さん、小暮さんと一緒にランチをしたあとのこと。 小暮さんはいつものようにいそいそと浮かんだアイディアを図にするべくデスクへと戻って行った。 いつもなら2人してデスクに戻るはずの遠野さんから『久しぶりにチビっ子たちを見に行きませんか』と誘われ、私たちは社内保育所へと足を運んだ。 遠野さんはいろいろな子たちと触れ合い、子供たちとの時間を楽しんでいるようだった。 私はというと、私を見付けた凛ちゃんが真っ先に飛んで来たので私はずっと凛ちゃんを抱いたまま他の子たちと触れ合い、昼休み終了の時間まで保育所で過ごした。 そんな私たちの様子をにこやかに見守っている芦田さんの姿が見えた。 子供たちと
114「えーと、私と一緒に食事して怒ってくる恋人的存在の女性がいたりってことはないですね? あとでトラブルに巻き込まれるのは困るのでここは厳しくチェックさせていただきます」「掛居さん、子持ちなんて俺がどんだけ素敵オーラを纏《まと》っていても誰も本気で相手になんてしないから。そういう心配はないよ」「えーっ、そういうものなのかなぁ~。 私は凛ちゃんみたいな可愛い子、いても気にしませんけど……。 あっ、私ったら余計な一言でした。 恋人になりたいとかっていう意味じゃなくてですねその……」 私はやってしまったかも。 微妙にこの辺のことは発言を控えた方がいいレベルだったと気付いたが時すでに遅し。 本心から別に今、相原さんLoveで恋人になれたらいいのに、なんていう恋心から言ったのではなく、常々凛ちゃん好き好き病でつい、口から零れ落ちてしまったというか、零れ落としてしまったのだけれど、なんか変な誤解を招く一言だったよね。 嫌な冷や汗が流れそうになった。 きゃあ~、絶対勘違いさせちゃったよね。『お願い~相原さん、変に受け取らないでぇ~』「いやぁ~、恋愛抜きでも凛のことそんなふうに思ってもらえるなんてうれしいよ。じゃあ子持ち30代、希望あるかな」 「はい、相原さんならばっちり」「そんなふうに言ってもらってうれしいけど……」「けど?」「なかなか出会いの場がないからねー」「ほんとに。仕事ばかりで出会いないですよねー。 世の男女はどうやって結婚するのかしら? そうだ、一度結婚したことのある先輩、どうやって出会ったんですか?」「あー、うー、その話はまた今度ってことで」「楽しみぃー!」 なんだかんだ2人で話しているうちに私たちはいつの間にかマンションの前に着いていた。
113 相原さんとの初デートは音楽と美味しい食事、そして語らえる相手もいて思っていた以上に楽しい時間を過ごすことができた。 こんなに近距離で長時間、洒落た時間を共有したことがなかったので、朗らかに活き活きと話をする相原さんを見ていて不思議な感覚にとらわれた。 私はこれまで交際していない男性と一緒に食事をするという経験がなく、世の中には恋人ではない異性の同僚と一緒に食事をするという経験のある人ってどのくらいいるのだろう? なんて考えたりした。 もちろん相手のことが好きでデートするっていうのは分かるんだけどね。 まだまだ相原さんのことは知らないことだらけだけど、彼と話すのは楽しい。 彼を恋愛対象として見た場合、凛ちゃんのことはさして気にならない……かな。 だけど凛ちゃんママの関係はかなり気にしちゃうかなぁ~などと、少し後からオーダーしたワインをチビチビ飲みながらほろ酔い気分でそんなことを考えたりして、一生懸命話しかけてくれている相原さんの話を途中からスルーしていた。笑って相槌打ってごまかした。『ごめんなさぁ~い』「明日も仕事だから名残惜しいけどお開きとしますか!」「そうですね。今日は心地よい音楽に触れながら美味しいものをいただいて、ふふっ……相原さんのお話も聞けて楽しかったです」「そりゃあ良かった」 支払いを終え、私たちは店の外へ出た。「今日はご馳走さまでした。 でも休日のサポートは仕事なので次があるかは分かりませんけど、もう今日みたいな気遣いはなしでお願いします」「分かった。 休日サポートのお礼は今回だけにするよ。 さてと、家まで送って行くよ」「えっ、でもすぐなので」「一応、夜道で心配だから送らせてよ」「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」「俺たちってさ、お互いの家が近いみたいだし、月に1~2回、週末に食事しようよ。 俺、子持ちで普段飲みに行ったりできないからさ、可愛そうな奴だと思って誘われてやってくれない?」
112 お礼に、たぶんだが……何かご馳走してくれるらしいけどそれを彼は 『デート』と表現した。 シングルなのか既婚なのかは知らないけれど今でこそ子持ちパパだから デートする特定の相手がいるのかもどうかも分からないけど、独身だった頃 はあの見た目と積極的な性格を見るからになかなかな浮名を流していたので はなかろうか。 初めて社外でプライベートに会うのに『デート』という言葉をサラッと 使ったところを見ての私の感想だ。 私たちの初デート? は相原さんお勧めの駅前のカフェだった。 そこはジャズの生演奏が流れていてむちゃくちゃムーディーで恋人たちに もってこいの雰囲気があり、私には腰を下ろすのが躊躇われるほどだ。 お相手が素敵な男性《ひと》ではあるものの、残念ながら 恋人ではないから。 匠吾と付き合ってた時に巡り合いたかった……こんな素敵な夜を過ごせる お店。 昼間はどんな顔《店の様子》をしているのだろう。 駅前に立地していて自宅からも近いので次は平日の昼に来てみようかしら。 「俺たちラッキーだな」「えっ?」「何度か来たことあるけどジャズがスピーカーから流れていることはあって も生演奏は今日が初めてだからさ。うひょぉ~、やっぱ生はいいねー」「へぇ~、そうなんだ」 そっか、じゃあ平日来てもきっと生演奏はないだろうなー。 私たちはオーナー特製のピザと各々チーズのシンプルパスタと ツナときのこのパスタでボスカイオーラーというのを頼み、ジャズの演奏 を楽しんだ。 「掛居さんって家《うち》どの辺だっけ?」「言うタイミング逃してましたけど実は最寄り駅が相原さんと同じで ここから4~5分のところなの」 「まさか駅近のあの35階建てとか?」 ずばりそうなんだけど、相原さんの言い方を聞いていると『まさかね』 と思いながら訊いているのが分かる。 だって分譲で結構なお値段《価格》なのだ。 とてもその辺のサラリーマンやOLが買えるような物件じゃない。 本当のことを言うか適当な話でお茶を濁すか……どうしよう。「お金持ちの親戚が持っていて借りてるんです」「いいな、お金もちの親戚がいるなんて」 「まぁ……そうですね」
111 メールアドレスを残して帰ったものの、相原からは次の日の日曜Help要請が入らなかったので体調は上手く快復したのだろう。 今日は出社かな、週明け、そんなふうに相原のことを考えながらエレベーターに乗った。 自分のあとから2~3人乗って、ドアが閉まった。 振り返ると気に掛けていた人《相原》も乗り込んでいた。「あ……」「やぁ、おはよう」「おはようございます」 挨拶を返しつつ私は彼の顔色をチェックした。 うん、スーツマジックもあるのだろうけれど元気そうだよね。 土曜はジャージ姿で服装も本人もヨレヨレだったことを思えば嘘のように元の爽やか系ナイスガイになっている。『凛ちゃんのためにも元気でいてくださいね』 心の中でよけいな世話を焼きながら先に降りた彼の背中を見ながら同じフロアー目指して歩いた。 歩調を緩めた彼が少しだけ首を斜め後ろにして私に聞こえるように言った。「土曜はありがと。この通りなんとか復活できたよ」「……みたいですね。安心しました」 私たちの間にそれ以上の会話はなく、各々のデスクへと向かった。 昼休みにスマホを覗くと相原さんからメールが届いていた。「土曜のお礼がしたい。 残業のない日がいいので明日か明後日、いい日を教えて」「ありがとうございます。気にしなくていいのに……。 凛ちゃんのことはどうするんですか?」「デートの予定が決まれば姉に預けるよ」 お姉さんがいるんだ、相原さん。 じゃあこの間はお姉さんの方の都合が付かなかったのね、たぶん。「私はどちらでもいいのでお姉さんの都合のいい日に決めてもらって下さい」「じゃあ明日、俺の家の最寄り駅で19:30の待ち合わせでどう?」「分かりました。OKです」 すごい、私は明日相原さんとデートするらしい。 そんな他人事のような言い方が今の私には相応しいように思えた。
110 気が付くと、凛ちゃんの『あーぁー、うーぅー』まだ単語になってない 言葉で目覚めた。 ヤバイっ、つい凜ちゃんの側で眠りこけていたみたい。 私はそっと襖一枚隔てた隣室で寝ているはずの相原さんの様子を窺った。『良かったぁ~、ドンマイ。まだ寝てるよー』 私の失態は知られずに終わった。 私はなるべく音を立てないよう気をつけて凛ちゃんの子守をし、 彼が目覚めるのを待った。 しばらくして起きた気配があったので凛ちゃんを抱っこして近くに行く と、笑えるほど驚いた顔をするので困った。「えっえっ、掛居さんどーして……あっそっか、来てもらってたんだっけ。 寝ぼけてて失礼」 それから彼は外を見て言った。「もう真っ暗になっちゃったな。遅くまで引っ張ってごめん」「まだレトルト粥が2パック残ってるけど明日のこともありますし、 土鍋にお粥を炊いてから帰ろうかと思うので土鍋とお米お借りしていいですか?」「いやまぁ助かるけど、君帰るの遅くなるよ」「ある程度仕掛けて帰るので後は相原さんに火加減とか見といて いただけたらと……どうでしょ?」「わかった、そうする」 私は何だか病気の男親とまだ小さな凛ちゃんが心配でつい相原さんに 『困ったことがあれば連絡下さい』 とメルアドを残して帰った。 帰り際病み上がりの彼は凛ちゃんを抱きかかえ、笑顔で 『ありがと、助かったよ』と見送ってくれた。 私は病人と小さな子供にはめっぽう弱く、帰り道涙が零れた。 こんなお涙頂戴、相原さん本人からしても笑われるのがオチだろう。 たまたま今病気で弱っているだけなのだ。 普段は健康でモーレツに働いている成人男性なのだから泣くほど 可哀想がられていると知ったらドン引きされるだろうな。 そう思うと今度は笑いが零れた。 悲しかったり可笑しかったり、少し疲れはあるものの私の胸の中は 何故か幸せで満ち足りていた。
109「知りませんよー。 適当に話を合わせただけなので」「酷いなー。 俺との付き合いを適当にするなんて。 雑過ぎて泣けてくるぅ」 ゲッ、付き合ってないし、これからも付き合う予定なんてないんだから適当で充分なんですぅ。「別に雑に接しているわけではなく、分別を持って接しているだけですから。 そう悲観しないで下さい」「掛居さん、俺とは分別持たなくていいから」「相原さん、私、今の仕事失いたくないので誰ともトラブル起こしたくないんです。 特に異性関係は。 ……なのでご理解下さい」「わかった。 理解はしたくないけど、取り敢えずマジしんどくなってきたから寝るわ」 私と父親が話をしていたのにいつの間にか私の隣で凛ちゃんが寝ていた。 私はそっと台所に戻ると流しに溢れている食器を片付けることにした。 それが終わると夕食用に具だくさんのコンソメスープを作り、具材は凛ちゃんが食べやすいように細かく切っておいた。 それから林檎ももう一つ剥いてカットし、タッパウェアーに入れた。 スーパーで買って食べる林檎は皮を剥いて切ってそのまま置いておくと色が変色するけれど、家から持参した無農薬・無肥料・無堆肥の自然栽培された林檎は変色せず味もフレッシュなままで美味しい。 凛ちゃんが喜んでくれるかな。 そしてそこのおじさんも……じゃなかった、相原さんも。 苦手だと思ってたけどクールな見た目とのギャップが激しく、子供っぽいキャラについ噴き出しそうになる。 芦田さんに教えてあげたいけど、変に誤解されてもあれだよねー、止めとこ~っと。 ふたりが寝た後、私は自分用に買っておいた菓子パン《クリームパン》と林檎を少し食べてから持参していた缶コーヒーでコーヒーTime. ふっと時間を調べたら15時を回っていた。 さてと、重くなった腰を上げて再度のシンク周りの片づけをしてと……。 洗い物をしながらこの後どうしようか、ということを考えた。 もうここまででいいような気もするけど相原さんから何時頃までいてほしいという点を聞き損ねてしまった。 あ~あ、私としたことが。 しようがないので彼が起きるまでいて、他に何かしてほしいことがあるかどうか聞いてから帰ることにしようと決めた。