「そうね、まあ関係ないわね。 ごめんなさいね、余計なこと聞いて」「いえ。では失礼します」 自分のデスクに戻りため息を付くと、課長にチラッと視線を向ける。 課長は真剣な顔で会議資料に目を通している。 アメリカか……。もしアメリカに行くとしたら、課長とは離れ離れになるってことだよね。 行けるのだから、ぜひ行きたい。 でも課長と離れ離れになるのはイヤ。「……先輩?どうかしました?」「え? あ、ううん。何でもない」 しかし仕事に集中出来る訳もなく、その日一日を終えた。「先輩、お疲れ様でした」「うん、お疲れ様」 私も仕事を終えて休憩所でお茶を飲みながら、ずっと考えていた。「……どうしたらいいの、私」 やっぱりアメリカ、行くべきだよね……。じゃないと、せっかくもらった話が台無しになる。「アメリカ……か」 せっかく自分の学べる場所が出来たのに、迷いばかりが生まれる。 私はお茶をテーブルに置くと、スマホを開く。「あ、もしもし沙織……?」 申し訳ないと思いながらも、沙織に電話した。「瑞紀?どうしたのよ」「体調はどう?」「そうねえ。相変わらずレモン食べてるわよ」 悪阻に悩む沙織であったが、その声は少しばかり明るいように感じた。「そっか。レモン足りてる?」「足りすぎなくらいよ。航太も買ってきてくれたし」「そっか。足りなくなったらまた持ってくね」「ありがとう」 沙織にアメリカ行きのこと、相談したいな。……でもな。 電話越しで躊躇っていると、沙織はすかさず「で?私に何か相談したいことがあるんでしょ?」と言ってくれた。「え?なんでわかったの?」「やっぱりね。なんか暗い声してると思ったら、やっぱりそうだ」 沙織はやっぱり、私のことがよくわかっている。「実はね、ちょっと聞いてほしいことがあって」「じゃあ今から家に来なよ」「え、でも。いいの?体調がまだ良くなってないのに」 と言ったけど、沙織は「今日は比較的安定してるから大丈夫よ。 待ってるから、来なよ」と言ってくれたので「うん、ありがとう。今から行くね」と電話を切った。 カバンを手にして退勤した後、沙織の家へと向かった。* * * 「沙織、時間作ってくれてありがとう」「いいのよ、そんなの気にしなくて」 沙織の家のリビングには、妊娠に関する本がたくさん置かれていた
「そうだ。 行き先はアメリカなんだが、どうかね?」 え、アメリカ……? それって、海外研修ってこと……だよね? ウソでしょ……。本当に? でも、なんで私?「……ちょっと待ってください。 どうして私、なんでしょうか」 常務にそう問いかけると、常務は真剣な目をして「もちろん、それは君が優秀な社員だからに決まっているだろう」と答えてくれた。 もちろん、今回の話がいきなりのことでビックリしている。「……それは、光栄です」 でも頭の中はいっぱいいっぱいで、混乱している。「どうかね? 行く気はないかい?」「……あの、その、研修期間はどれくらいなんでしょうか」 研修期間によって変わってくるけど、どのくらいなのだろうか。「詳しくはまだ未定だが、恐らく一年から二年くらいになるだろう」「……一年から、二年ですか」 思ったより長いんだな……。「こんなチャンスは、めったにないことなんだ。佐倉くんにとっても、プラスになることだと思うんだが。……どうだい?行ってみる気はあるかい?」 一年から二年という月日が、長く感じて躊躇ってしまう。「……すいません。 少し考える時間をいただけませんでしょうか」 常務は「ああ、もちろんだよ。返事はいつでも構わないよ」と優しく返してくれた。「ありがとうございます。 いきなりなので、ちょっとビックリしてしまいまして」「当たり前だよ。私も突然だったね。いきなり申し訳ない」「……いえ、そんな」 私がまさか、こんな話をもらえるなんて。どうして常務は私なんて……。 私は別に普通の平凡な社員だ。 いいのかな、私なんかで。 でももし行くとしたら、一年から二年は向こうに行かなきゃいけないし……。 そうすると、課長とも会えなくなるけど。……でももしそれが私でと言うのなら、私はアメリカに行きたい。 でも、それは課長と離れることになる。……私は一体どうしたらいいのだろう。 でもこんな話、一生に一度あるかないかの大チャンスだ。 きっとここで行くって言わなければ、私にはもうこんな話が二度と来なくなる。「まあまだ時間はたっぷりとある。ゆっくり考えてから、結論を出すといい」「……はい。ありがとうございます」「答えが出たら私の所に来なさい。……でもこのチャンスは、もう二度とないと思いなさい。こんなチャンスをムダにするなとは言わない
こうして美味しいものを食べられる喜びはありがたい。 最後にピリ辛で身体が熱くなったので、食べ終わってからデザートのストロベリーとバニラのジェラート頼んでそれも平らげた。「恭平さん、ごちそうさまでした」「気にするな」「この後って……もう帰りますか?」 課長ともう少し一緒にいたいと思っている私は、課長の袖を掴んでそう問いかける。「帰りたくないのは、瑞紀の方だろ?」「……バレましたか」 課長と手を繋ぐと、歩いて十分ちょっとの場所にあるホテルへと入った。 ホテルの部屋に入ると、課長に着ていた服を脱がされる。「すぐしたいと思ったが……まずはシャワーを浴びようか」「はい」 二人でシャワーを浴びながらキスを交わしていくと、課長の手が私の身体のいたる所に触れていく。「かちょ……ダメです」「また課長って言った。やっぱりお仕置きが必要だな」「え? あっ……!」 課長に触れられたところが、段々と熱を帯びていくのがわかる。「ん……恭平、さんっ」 バスルームに響く厭らしい声が、お互いの理性を掻き乱していく。「瑞紀のここ、かわいい」「や、ダメッ……ですっ」 課長ってこんなに情熱な人だっただろうか……と思いしらされる。 課長の唇が、課長のその身体が、私が欲しいと訴えているのかわかる。 触れられたところが熱くて、そして気持ちよくて、さぐに快感に渦に巻き込まれていく。「恭平さん……もう、欲しいです……」「もう俺が欲しいのか? 瑞紀の身体は正直だな」「もう……恥ずかしいっ」 課長は私をお姫様抱っこして持ち上げると、私の身体をバスタオルで少し拭く。 濡れた髪のまま私をベッドへと押し倒して、激しく啄むようなキスをする。「瑞紀、好きだよ」「私も……好きです」 少し愛撫をしてから、避妊具を纏った課長は、私の中にゆっくりと入ってきた。「っ……あっ」 課長の身体の重みが奥深くに留まってきて、甘い声が自然と漏れてしまう。「瑞紀、動くぞ」「うん……っ」 ゆっくりと私の身体を上下に動かしながら、課長は私への熱情をぶつけてくる。 「んっ、あっ……」 そこに乗った愛おしさの熱情を感じて、私は課長の背中に腕を回して、課長を身体の中の深くまで感じていく。「あっ……はぁっ」 気持ちよくて意識が飛びそうになる。 段々と激しく揺れる身体の圧で、
店員さんがいなくなった後、課長と乾杯をしてワインを一口口の中に流し込む。「うん、美味しいな」「はい。美味しいです」 久しぶりに飲んだワインは格別に美味しかった。「恭平さん、ワインが好きなんですか?」「ああ、一番好きだな」「そうなんですか」 確かに課長はワインをよく飲んでいるイメージがある。「瑞紀はワインよりビールとかが好きだろ?」「はい。ワインは特別な時にしか飲みません」「特別な時?」「恭平さんといる時です」 ワインを普段飲むことはしないけど、課長といる時だけ飲む。 最近の私のお気に入りは、ジントニックとシャンディガフだ。一杯目は生ビール、二杯目はジントニックかシャンディガフだ。「嬉しいことを言ってくれるな」「恭平さんといる時の私は、特別ですよ」「俺も瑞紀との時間は特別だ。 愛おしい人といる時間は、特別以外の何者でもないからな」 課長に言われたことがわかる気がした。 確かに、課長といる時の私は特別だ。 愛おしいと思える人がそばいるだけで、心が安らぐし、ホッとする。「はい」 その後メインのミネストローネパスタが運ばれてきた。「うわー美味しそう」「美味そうだな」 ピリ辛ミネストローネのスープパスタは彩りもいいし、香りも良くて食欲をそそられる。「お好みで粉チーズをかけてお召し上がりください」「ありがとうございます」 二人で「いただきます」と手を合わせてから生ハムのサラダを口にする。「うん、やっぱり美味しい」 「美味いな。このドレッシングが美味いな」「うん、このドレッシングが美味しい」 ピリ辛ミネストローネのスープパスタを頂くと、ちょっとピリ辛なのにコクがあって美味しかった。「んー、これ美味しい!」「美味いか?」「美味しいです。確かに結構ピリ辛なんですけど、コクがあって、ミネストローネの酸味もちょうどいいですね」 でもこのピリ辛が、結構食欲を増進させてくれる気がする。 パスタにもスープがよく絡んでいて、食べやすい。「確かにこのピリ辛がいいな」「ですよね。……あれ、でも結構辛いかも」「粉チーズ掛けたらいいんじゃないか」「そうします」 粉チーズを振り掛けて食べると、辛味が少しマイルドになって食べやすくなる。「粉チーズ掛けたらすごく美味しいですよ」「そうか」「辛味がマイルドに
それからは、何事もなく平和な日々が過ぎていった。 課長とも仲良く出来ている。藤堂さんのこともあり不安なこともあったけど、藤堂さんも課長には近付かなくなった。 というより、藤堂さんとも仕事の付き合いはあるが、それ以外では付き合わないようにしているみたいだけど。 時間が合えば課長の家に泊まって、一緒に夕食を食べたり、映画を観たりして過ごしている。 たまにデートもする。 この前は一緒に水族館に行って、イルカショーを観たり、ペンギンを見たりしてデートを楽しんだ。 ここ最近、沙織は悪阻がひどいみたいで、今仕事を休んでいるけど、代わりに私が沙織の仕事を引き継いでいる。 悪阻が治まればまた出勤したいと言っているようだけど、あまり無理をしないようにと伝えている。 航太くんも沙織のことを想っているのか、とても心配をしているみたいで、沙織には「心配しすぎ」だと言われているようだけど。「課長、今日何時に終わりますか?」 休憩室でコーヒーを飲んでいる課長に、私は隙を見てそう問いかける。「今日は少しだけ遅くなりそうだ。……どうした?」「あ、いえ。 課長とまたあのイタリアンのお店に行きたいなと思って」 課長と何回かイタリアンのお店に行ってるけど、イタリアンのお店が本当にすごく美味しくて、特に生ハムのサラダとカルボナーラが美味しくて、行くといつもそればかりを頼んでいる。「十九時には終わると思うけど、その後でもいいなら行くか?」「いいんですか?」「ああ、行こう」 課長が笑顔を見せてくれるから、私も自然と笑顔になり「嬉しいです。実は新作のパスタが出来たみたいで、それを食べたかったんです」と伝える。「へえ、新作が出たのか」「そうなんです。新作はピリ辛ミネストローネのスープパスタです」 スマホの画面を課長に見せると、課長は画面を見ながら「おお、美味そうだな」と微笑む。「ですよね。期間限定メニューみたいで、すっごく食べたいんです」「よし、じゃあこれを食べに行こう」「はい!」 課長と期間限定メニューを食べるために、今日一日仕事を頑張ることにした私は、定時で帰るために頑張って仕事をこなした。* * * 「課長!」「瑞紀、いつも待たせて悪いな」 課長と待ち合わせしていたカフェに課長が来たのは、十九時二十分だった。 待ち合わせした場所
「はい。 もし先輩が俺のものになれば、課長だって文句は……言えないですよね?」「……え?」「俺はずっと先輩が好きなんです。 ずっと先輩が、俺の恋人になればいいなって思ってました」 英二……どうしてそんな顔をするの? どうして……。「先輩が課長が好きだって知ってるから、何回も諦めようとしました。……でも、ムリですよ」「……ごめん」 やっぱり、無理だよ……。「やっぱり俺には、諦めることなんてムリです。 先輩が本当に好きなんです。……自分でも思ったより、愛してるんです」「……英二の気持ちは、わかってる。でも私にはやっぱり、それは出来ない。 私が好きなのは、課長だけなの。本当に……ごめん」 申し訳なさから、思わず英二から目を逸らす。「……じゃあどうしたら、俺の気持ちに応えてくれますか?」「……え?」「教えてください。 どうしたら、俺の気持ちに応えてくれますか?」 そんな悲しそうな顔で見つめられても、私は英二の気持ちには応えることは出来ない……。出来ないの……。「……英二がどうやっても、私の気持ちは絶対に変わらない。それだけは……言える」「っ……なんで。なんで俺じゃダメなんですか? どうして……俺じゃダメなんですか?」 英二はそっと、掴んでいる腕を緩める。「英二は……私にとって、大切な部下だから。 英二は私にとって、弟みたいな人なの」「……弟?」「確かに英二のことは好きだよ。……でもそれは異性としてじゃない。人としてなの」「人として……ですか」 英二はかわいい部下。私にとっては、それ以上になることはないんだ。「そう。英二は私にとって……部下以上にはなれない」「……じゃあ俺はこれからもずっと、"弟"のままですか?」「うん……本当に、ごめんね」「そうですか。……わかりました」 そう言われてゆっくりと離された両腕には、掴まれた赤い跡が付いている。「……英二?」 ジッと見つめていた英二の瞳(め)からは、涙が浮かんでいた。 それは今にも泣き出しそうなくらいで、英二の涙を初めて見る瞬間でもあった。「俺は……俺はやっぱり、課長には勝てないんですね」「英二……泣いてるの……?」 英二の涙が、本気度を表しているように見える。「っ……すいません」 英二の瞳(め)からは、見たことのないくらいの大粒の涙が溢れだしている。「英二、