ログイン◇ 「ほ、本部長なんて呼ばれている凄い人に対して、できっこないです……!」 「だけど、あなた報酬はしっかりもらったじゃない?どうしてやってくれなかったの?転んだ振りをして、ナイフでも、フォークでも、あの女に突き刺してやれば良かったの」 「そ、そんな事……!わっ、私はただちょっと嫌がらせをして欲しいって言われていたから……っ!」 「使えない女ね。……じゃあ、もう用済みだから消えてくんない?」 藤堂グループと、小鳥遊建設が協力し、作り上げた和風庭園カフェ。 その記念すべき1号店の店舗影で、2人の女性が会話をしていた。 先日、茉莉花と苓が1号店の視察にやって来た時。 女性スタッフが転倒しそうになって茉莉花にドリンクを浴びせてしまった。 その当人の女性スタッフが、まるで追い詰められるかのように壁際に居た。 そして、その女性を詰問するように壁に追い詰めていたのは、速水 涼子。 彼女は怒りを隠しきれない様子で、無理だと喚く女性スタッフを冷たい目で見つめていた。 「最っ悪。カードの利用も制限がかかっちゃったし……いよいよ後がないってのに……どうしてくれんのよ」 「そ、そんな事、私に言われても……」 「あんたがあの女に一生消えない傷でも付けてくれれば良かったのに」 フォークで腕や腹などを突き刺してやれば良かったのだ。 「……それとも、お綺麗な顔?あの顔で……直寛をたらし込んだんだから、あの顔を傷付けてやれば良かったのよ……っ」 「──っ?」 何を言っているのか、分からない。 そんな表情を浮かべる女性スタッフに、涼子は腕を振り上げた。 次の瞬間、周囲に肌を打つような乾いた音が響く。 「もう1度、オープン前に本社からあの女──藤堂本部長が視察にやってくるわ。次こそ成功させて。いいわね?体に傷を付けなくてもいいわ。精神的に傷付けるのでも良い」 「だっ、だけど──」 「報酬分はしっかり仕事をして。じゃないと警察に通報するから」 涼子は冷たくそう言い放つと、もう用は無いとばかりにその場から踵を返す。 その場にぽつりと残された女性スタッフは、恐怖に震え、真っ青になりながら「どうしよう、どうしよう」と呟き続けた。 ◇ 和風庭園カフェ、プレオープンの前日。 その日は、翌日のプレオープンに向けて私と苓さんが最終確認のために店舗に訪れていた。
「本当なら、あんな両親と茉莉花を合わせたく無い……。馨熾さんや、お母様に会って欲しくない……。だけど、そうはいかないから……」 「苓さん……」 私の腕の中から、苓さんは顔を上げるとぎゅっと背中に手を回し強く私を抱きしめ返した。 「……だから、両親の俺に対する……態度を見ても、幻滅しないでください。俺に、がっかりしないでください、茉莉花……」 心の底から懇願するような苓さんの声と、態度に。 私は抱きしめた腕を緩める事なんて出来なかった。 ◇ 翌日。 昨夜、私と苓さんは強く抱き合ったまま、眠りについた。 小鳥遊家に、私が幻滅してしまわないか。苓さんはそれがずっと不安だったんだろう。 確かに、苓さんの事故を知っても。 そうして、事故の後目が覚めても。苓さんのご両親は1度も姿を見せなかった。 緊急手術の時だって、駆け付けたのは苓さんのお兄様と、苓さんの友人谷島さん。 それに、私のお父様くらいで。 長時間の手術だったのに、終ぞ苓さんのご両親は姿を見せなかったのだ。 苓さんは、お父様やお祖父様とのお話を楽しんでいた。 お父様やお祖父様とのやり取りは、最初はぎこちなかったけど。 だけど、顔を合わせる事が増え、お酒を飲み交わした事からお互いに壁が無くなったのだろう。 (お父様が、人の心を掴む事に長けているとは言え……それだけじゃないわ……) 苓さんはきっと、自分の義父になる人と仲良くしたかったのだろう。 私の家族と、小鳥遊家では築く事が出来なかった家族の情を、築きたかったのかもしれない。 大人になった今も尚、苓さんの心に影を落としているのだ。 きっと、幼少期から辛い思いをしてきたのだろう。 だからこそ、高校生の頃に転機を得て海外に留学したのかもしれない。 「幼い頃に交流があったのが御影さんなんかじゃなくって、苓さんだったら……」 幼い頃、苓さんと出会えていれば。 そうしたら、少しは違っただろうか。 苓さんは長年孤独に苛まれなかっただろうか──。 「時間を巻き戻せたらいいのにな……」 どうしようもない事を、ついつい呟いてしまう。 すると、抱き合っていた苓さんの体がくつくつと震えた。 「──苓さん?」 「……茉莉花、おはようございます」 「おはようございます、苓さん」 まだ、眠そうな苓さんの目。 だけど、幸せそう
「──ええ。小鳥遊家……俺にとっては小鳥遊家は地獄のような場所でした」 「え……っ!?」 苓さんの口から出て来た言葉に、私は驚く。 どうして──。 だって、苓さんはご兄弟と仲が良さそうで。 苓さんが事故に遭った時だって、苓さんのお兄様である圭吾さんが駆け付けた。 それに、心配そうに毎日お見舞いに来られていたのに。 だけど──。 ふ、と思い出す。 そう言えば、苓さんがあんな大変な事故に遭った時も。 そして、警察の聴取にも。 いつもその場に駆け付けてくれていたのは、お兄様の圭吾さんだけ。 苓さんのご両親は、1度だって苓さんの病室に来ていなかった。 苓さんのご両親の姿を見た事は、無かったのだ。 私の表情を見て、苓さんも私の考えをある程度察したのだろう。 苓さんは苦笑いを浮かべつつ、私に説明してくれた。 「茉莉花も知っての通り、俺は小鳥遊家の三男です。茉莉花の知っている兄圭吾は長男で……小鳥遊建設を継ぎます。次男の太一は、今本社の常務取締役として、会社経営を。本来は、圭吾兄さんが本社を継ぐ予定だったけど、建設業に興味があり、現場に出るのが好きな圭吾兄さんは、小鳥遊建設を継ぐ事にしました」 「そう、だったんですね……。それで、本社は次男の太一さんが?」 「ええ、そうです。小鳥遊家の会社は、上の兄2人がいれば安泰です。……それで、三男の俺は上2人が駄目だった時のスペア……。だけど、兄2人は見事小鳥遊家を継いで行く事に問題ありません。……俺は、小鳥遊家の余り物なんですよ」 「余り物、なんて……、そんな……!」 そんな悲しい事があってはたまらない。 だけど、苓さんはゆるゆると首を横に振って小さく笑った。 「どの財閥の家も、うちのような温度感なんだと思っていたんです……。だから、茉莉花さんの藤堂のお家がこんなに温かくて……驚きました」 「そんな……、うちは、普通の……」 「いえ……人柄だと、そう思います。馨熾さんも、今は亡くなってしまったけど、お祖父様の帝熾さんも、そして茉莉花のお母様も茉莉花も……優しくて温かい人です。小鳥遊とは大違いなんです」 悲しげに歪められた苓さんの瞳。 小鳥遊家の──スペア?そんな風に、苓さんはお家で扱われていたの……? お兄様2人が、既に成功しているから。 会社を継ぐに相応しい能力も、才能もあるか
そんなある日の事だった。 「──えっ?苓さんのご両親との顔合わせ、ですか?」 既に、藤堂の家に泊まる事が日常になっている苓さんから、ある日の夕食後にそんな話を聞かされた。 今は、ゆったりとした食後の時間。 お母様が用意してくれた手作りのチーズケーキを楽しんでいる時、言いにくそうにしている苓さんが覚悟を決めたように切り出した。 手を止めたお父様が顔を上げ、答える。 「そうだ、そうだったな。確かに以前、苓くんが事故に遭ってしまう前に両家の顔合わせの日にちを確認していた。その最中に事故があり、顔合わせが無くなってしまっていた」 「その説は大変ご迷惑をおかけしました……」 「苓くんが謝る事ではない。それで、ご両親はいつ頃が良いと?」 お父様の言葉に、苓さんは申し訳なさそうにぐっと唇を噛んだ後、答える。 「両親は……いつでも大丈夫だ、と。馨熾さんとお母様、茉莉花さんの都合の良い日で大丈夫だ、と言っていました……」 「そ、そうか……?それなら、早い方がいいだろう。来月1週目の土曜日でどうだ?」 「分かりました、伝えておきますね」 力無く笑った苓さん。 そんな苓さんの様子に、お父様もお母様も。そして私も首を傾げたけど、頷いてその日は食堂を後にした。 ◇ 夜、私の部屋。 苓さんがうちに泊まりに来る事が増え、まず1番に私の部屋を移動した。 苓さんと一緒のベッドで眠るには、以前の私の部屋のベッドだと少し小さい。 寝室も、2人で使うには少し手狭だったから2人で広々と使える広い部屋に移動した。 だから、以前使っていた2階ではなく、今は1階の少し離れた場所にある部屋を使っている。 半離れ、とでも言えばいいのだろうか。 夜はあまり人の行き来がない場所。 だから、苓さんとのゆったりとした時間を過ごせるのだけど──。 お風呂に入り、お互い部屋でまったりとくつろいでいる時に、苓さんから「話があります」と伝えられた。 苓さんの真剣な表情に、私は何だか緊張してきてしまって──。 「どうしたんですか、苓さん……?」 「……少し、大事な話を、と思いまして……」 普段の苓さんらしくない、不安げな表情と、歯切れの悪い言葉。 苓さんが座っている隣に私も腰を下ろし、膝の上で硬く握られている苓さんの手に、自分の手をかさねた。 「何か、不安な事があるんです
私は、本社から仕事で来ているのだ。 女性スタッフに仕事の事で問いかけているのに、忙しいからと言って他の仕事を蔑ろにされてしまっては困る。 それに、今後お店がオープンしたらもっと忙しくなるのは目に見えているのだ。 それで、忙しいからと言って、他のお客様にも今のような対応をされてしまっては困る。 私は、穏やかな笑みを消してその女性スタッフに歩み寄り、言葉を続ける。 「……私は仕事で確認しなくてはならない事があり、足柄店長の居場所を聞きました。……忙しいのはこのお店で働いている人なら当然です。私の問いに答えられない程、手がいっぱいならば配置換えを検討した方がいいですね。後ほど、足柄店長に配置換えの希望を出してください」 「──えっ、なん……っ」 女性スタッフは、予想外だとばかりに目を見開き、戸惑っている。 だけど、自分の力量をしっかり把握してもらわねばこちらとしても困るのだ。 「ちがっ、私はここで……!」 「店舗スタッフとして働けると、そう仰るんですね?本当に?」 「と、当然です……!私が、どれだけこのカフェで働きたかったか……!雇って頂く時の面接にどれだけ一生懸命に……!」 女性スタッフは真っ青な顔で私にそう告げた。 本当に、彼女に任せて大丈夫なのだろうか──。 だが、私が彼女を面接した人間では無い。 それなら、足柄店長にあとの事は頼もうと私は頷いた。 「分かりました。後は足柄店長の判断に任せます」 「──そんなっ」 私は、その女性との会話を諦めスタッフルームに向かおうと、体の向きを変えた。 すると、ちょうどスタッフルームから出て来た足柄店長を見つけ、私は彼のもとに急いだ。 「足柄店長!」 「藤堂本部長!どうなさいましたか?」 「庭園のバリアフリーに関してですが、もう何ヶ所かスロープが必要そうです。それと、ベンチの追加設置をお願いしたくて……!数が多いので、今小鳥遊部長に大工の手配をお願いしています……!」 「ほ、本当ですか!?お手数をおかけしてすみません……!ありがとうございます!」 足柄店長は、私にぺこぺこと頭を下げた後、詳しい話を聞きたいから、と私をスタッフルームに促した。 ちょうどその時、電話を終えたのだろう。 苓さんが庭園から店内に戻ってきて、私たちは再びスタッフルームへ向かった。 ◇ 日本庭園カフェ
走って行く足柄店長の後ろ姿を見ながら、少し申し訳ない気持ちになってしまう。 「何だか……急かすような形になってしまって申し訳ないですね」 私が苓さんに向かってぽつりと呟くと、苓さんはゆるりと首を横に振った。 「いえ、大事な事ですよ。茉莉花が細やかな部分にまで気付いて下さって良かったです。今後、2号店、3号店とオープンする際に事前に用意出来ますからね」 「それなら、良かったです……!」 苓さんの優しい声と笑顔に、私はほっとする。 「じゃあ、茉莉花。他にもスロープが必要な所がないかどうか、庭園を見て回りましょうか」 「はい、そうしましょう」 段差を降りる際、苓さんが手を差し出してくれる。 有難くその手を取って、私と苓さんはゆっくりと庭園を歩き始めた。 「小さな橋と池は人気の散歩スポットになりそうですね」 「ええ。この近くに腰掛けるベンチなどがあれば少し腰を落ち着けてゆっくりできそうです」 「ああ、確かに。ベンチを用意すれば、ご年配の方が利用しやすくなりますね」 私と苓さんは庭園内を散策しながら、ここはこうした方がいいんじゃないか、と意見を出し合う。 「庭園内に、2、3箇所追加でスロープの設置をした方がいい場所がありますね。ベンチの件も合わせて足柄店長に伝えましょうか」 「その方がいいかと思います」 私の言葉に、苓さんも頷いてくれる。 そして、苓さんはポケットからスマホを取り出す。 「結構追加設置が多くなりそうですね。うちの会社にいる大工にスケジュールを確認しておきますね」 「ありがとうございます、苓さん。お願いします」 苓さんが小鳥遊建設の大工さんに連絡を取ってくれている間、私は店内に戻る事にした。 今苓さんと話していた事を、なるべく早く足柄店長に共有した方が良い。 そう思い私が店内に戻ると、先程の女性スタッフが私に気が付いた。 「──あ、あのすみません。足柄店長はスタッフルームにいますか?」 「……」 あれ? 私の声が届いていなかったのかな、と思い、私は更に足を進めてその女性スタッフに声をかける。 「あの──」 「なんですか?今、私たち店舗スタッフは忙しいんです」 私の言葉に、先程の女性スタッフは冷たい口調と態度で答える。 私に一切顔を向けず、吐き捨てるように告げた女性スタッフに、私は呆気に取られてしまう
藤堂の、歴史は古い──。 そのため、家に関する資料はとても多い。 だけど、重要な資料は書斎には保管されていない。 お父様か、お祖父様が厳重に管理しているから、許可を頂かないと、閲覧ができない。 私は書斎の扉を開き、入室する。 「ここは、昔から埃っぽい……変わらないわね」 多少咳き込みつつ、私は本棚を見上げる。 藤堂本家の家系図が並べられている、棚。 藤堂の歴史が記された本の、棚。 そして、歴代当主の個人的なプロフィールが書かれた本の、棚。 色々な資料が沢山ある中で、私は過去藤堂と取引を結んだ企業や、個人などが記録されている本を見つけてそれを取り出した。 「この中に、必
ただ、気の弱い子なんだ。と、そう思っていた。 長年、そう信じ込んでいたのだ。 それなのに、それが全部演技だったの……?嘘、だったの……? そう考えると、私は愕然としてしまった。 「ああ言う女性は、自分を弱者に見せるのがとても上手いです……。そして、異性の懐に潜り込む……」 「異性、の……」 「ええ。潜り込んだのは……茉莉花さんも、もうお分かりですよね?」 苓さんの言葉に、私はこくりと頷いた。 そんな事をしてまで涼子が近づきたかったのは、ただ1人しかいない。 「分かります……御影さん、ですよね?」 私がそう言うと、苓さんが真っ直ぐ私を見つめ深く頷いた。 そして、口を開く
「苓さんっ!」 私を揶揄うようにくすくすと笑う声がスマホ越しに聞こえる。 低くて、甘い苓さんの落ち着いた声に、私は素直に頷いた。 「そうなんです。早く苓さんの声が聞きたくって」 苓さんが息を飲んだのが分かる。 私が、苓さんに想いを伝える事を躊躇わなくなってから。 私が苓さんに素直に気持ちを伝えると、こうして苓さんが照れて黙ってしまう事が増えた。 その様子が、何だかとても可愛らしく思えてしまって。 大人の男性に可愛い、なんて言っ
私は、急いで自分の鞄からスマホを取り出し、苓さんの名前を呼び出す。 電話をかけようとして、そこでタップしようとしていた指が止まった。 まだ、私が家に戻ってからそんなに時間が経って無い。 苓さんは運転中かもしれない──。 電話がかかってきたから、と運転中の苓さんの邪魔をして、もし苓さんに何かあったら嫌。 「……今度、直接お会いした時に苓さんに話してみよう」 それに、お父様にお母様の病室や名前の変更についても聞かなくちゃ。 お母様のお見舞いにも不便だし、部屋番号と、変更した名前を聞かないと。 「ひとまず……速水家の記載がないかだけ、確認しよう……」 私はテーブルの上に自分のス