INICIAR SESIÓN会うたびに、まず俺の名を呼び、それから改まって自分の名前を名乗る。知っている。彼女の名前は、初めて会った時からなぜか脳裏に刻まれていた。彼女は俺の手を引いて、あちこち連れ回し、景色を見せて回った。俺が絵を描くのが好きだと知ると、その風景を全部描くようねだった。彼女は言った。もしこの世界が嫌になったら、自分が描いた風景を見て。それか、私のことを思い出して、と。彼女はこう続けた。「私があなたの、この世界を愛する理由になりたい」と。でも俺は、この世界を愛してはいなかった。むしろ深く嫌悪していた。けれど、雪乃のことは嫌いじゃなかった。人を好きになるとはどういう感覚なのか、分からなかった。ただあの日、彼女に連れられて山に登り、雪景色の中で舞う彼女の黒髪を目にした時、思考よりも先に言葉が口をついて出た。「結婚しよう、雪乃」この世界は好きじゃない。でも、彼女を通して見えるこの世界なら、悪くないと思った。結婚後、息子が生まれた。遊星が生まれた日、彼女は長い間泣いていた。子供に執着は持てなかった。むしろ、彼女の注意が突然小さな侵入者に向けられたことが、なんとなく気に入らなかった。俺は再び絵に全ての注意を注ぎ、心を閉ざし、雪乃への態度は、次第に冷淡さを極めていった。けれど彼女は決して怒らず、ますます献身的に俺を受け入れてくれた。愛という感情を初めて意識したのは、彼女からだった。その後、美亜と出会った。確かに彼女は、俺に多くのインスピレーションを与えてくれた。だから、一緒にいることを嫌だとは思わなかった。彼女が俺に近づくことも、遊星に近づくことも、止めなかった。彼女の目的などどうでもよかった。俺のそばに雪乃がいれば、それで十分だったから。けれど次第に、雪乃が沈黙していくことに気づいた。かつての俺のように。遊星と美亜を連れて再び出かけた後、その感覚はますます強くなった。でも彼女は俺を愛している。そう確信していた。雪乃は俺から離れるはずがないと、高を括っていた。美亜を先に助けた時も、そう思っていた。だから後に雪乃の遺体を見ても、信じられなかった。あの瞬間、ようやく理解したのだ。雪乃が抱えていた全ての悲しみ、孤独、苦しみを。そして、愛の意味を。悟ってしまった。雪乃を殺したのは、他ならぬこの俺だっ
「この泥棒猫!他人の家庭を壊して!」貴婦人が美亜の頬を激しく張り飛ばし、蔑むような視線を投げて傲然と立ち去った。美亜は地面に落ちたバッグを拾い上げ、ふと私と、ついてきている二人の姿に気づく。「……藤原雪乃、生きてたの!」彼女は憎しみに満ちた形相で私を睨みつけた。「全部あんたの罠だったのね。偽装死だったなんて……せいせいしてるんでしょ!もう私、何もかも失ったわ!」私は冷ややかに見返す。「すべてはあなたの自業自得よ。私には関係ない」その言葉に、美亜が冷笑を浮かべる。その瞳が氷のように冷たく濁り、バッグから小さなナイフを取り出すと、突如として私へ突進してきた。「私が何も手に入らないなら、あんたも幸せになんかさせない!」咄嗟のことで避けられない――システムを呼ぼうとした、その瞬間。裕人が私の前に立ちはだかった。鈍い音がして、彼は私を強く抱きしめる。まるで、二度と失いたくないとでも言うように。「……今度こそ、絶対に離さない」その声が次第に力を失い、大きな体が崩れ落ちる。悲鳴が上がり、通りすがりの人々が美亜を取り押さえ、警察に通報してくれた。複雑な気持ちで裕人を見つめ、それでも見捨てるわけにはいかず、彼を病院へ運んだ。不幸中の幸いか、ナイフは脇腹を掠めただけで、命に別状はなかった。数日で裕人は意識を取り戻し、回復へと向かった。目を覚ました彼は、ベッドサイドにいる私の姿を認め、勢いよく身を起こそうとする。「雪乃!」私は淡々と告げた。「助けてくれてありがとう。でも、私はもう行くわ」システムが脳内で告げる。ミッションは完了した、いつでも現実世界へ戻れると。遊星が泣きじゃくりながら私の手を掴む。「ママ、どうして行っちゃうの!僕、いい子にするから!お願い、行かないで!」私はそっと、けれど強く彼の手を振りほどく。「遊星。人の心はね、一朝一夕で凍りつくものじゃないの。長い時間をかけて壊れていくの。もう母親として、あなたを愛することはできない。これからは、パパと二人で強く生きなさい」裕人の瞳から、最後の希望が消えていく。彼は自嘲気味に笑った。「……つまり、もう俺を許せないんだな?」私はきっぱりと振り返り、最後の言葉を残した。「許さない。永遠に」ゲートが完全に開いた。裕人が
裕人は自らに罰を与えるかのように、自らに過酷なノルマを課し、過労で何度も倒れては助手に付き添われて病院へ運ばれた。仕事という逃げ場に没頭し、遊星の面倒すらほとんど見なくなった。放置された遊星は精神的に荒れ、学校で次々と問題を起こすようになった。何度も保護者が呼び出されたが、裕人は「時間がない」と一度も顔を出さなかった。やがて親子の関係は、赤の他人同然にまで冷え切った。【彼らの感情の波動が負の方向に増幅し、世界線に深刻な影響を及ぼしています。このままでは、物語の結末を迎える前に世界そのものが崩壊します】システムがすがるような声で告げた。【しばらくの間で構いません。戻って彼らの感情を安定させてください。その間に世界のバグを完全修復します。ご安心を、長くはかかりません。今回のミッションには豊富な報酬をご用意しています】【彼らの脳には、あなたが「転生者」であるという情報をインプットします。そうすれば、死んだはずのあなたが戻ってきた理由も、すぐに受け入れられるでしょう】しばらく考えた後、私は渋々承諾した。私の命日。彼らが墓前に静かに立っているのが見えた。少し離れた場所に立つ私。彼らが振り返った瞬間、私の姿を認め、時間が止まった。裕人が固まる。亡霊でも見るようにその場に立ち尽くし、長い間我に返らない。遊星は弾かれたように私の名を叫び、駆け寄って腰に抱きついてきた。「ママ!ママ、やっぱり僕を捨てないって信じてた!帰ってきてくれたんだね。攻略者だとか転生者だとか、そんなのどうでもいい。ママは絶対僕を見捨てないって分かってたよ!」私は遊星をそっと、しかし拒絶の意思を露わに、突き放した。「遊星、私はもうあなたの母親じゃないの」遊星が信じられないものを見る目で私を見つめる。「ママ……まだ怒ってる?ごめんなさい、僕が悪かったって分かってるよ」裕人がふらふらと夢遊病者のように歩み寄り、目に涙を溜めて私を見つめた。「雪乃……帰ってきたんだな。帰ろう、俺たちの家に。家はまだそこにある。前と同じだ。美亜はもういない。もう誰もいないんだ」「ママ、帰ってきたならもう行かないでよ。学校のみんな、ママがいないって笑うんだ。ママの作ったご飯が食べたいよ」この二人を冷ややかに見つめる。私自身を恋しがっているというより、ただ
気持ちを整理し、数日自宅でのんびりと過ごした後、私は新しい仕事を見つけた。藤原家での時間、家庭に縛られ仕事はしていなかったが、自己研鑽だけは欠かさなかったからだ。現実世界で忙しく過ごすうちに、次第に遊星や裕人のことは記憶の彼方へと追いやられていった。きっと今頃、美亜と三人で望み通りの幸せな生活を送っているのだろう。仕事は順調で、あっという間に一年が過ぎた。そんなある日突然、久しぶりにシステムの無機質な声が脳内に響いた。【宿主様、緊急事態が発生しました。あの世界が崩壊の危機に瀕しています】理解できない。私が死んだことで、裕人と遊星の願い通り、美亜と結ばれたはずだ。なぜ崩壊などするのか。システムは仕方なく、私の死後にあの家で何が起きたのかを映像で見せてくれた。画面の中で、遊星はかつて私が手縫いで作ったクマのぬいぐるみを抱きしめ、ベッドで小さく震えていた。その目は虚ろで、生気が感じられない。そこへ美亜がドアをノックし、遊星に話しかけようと近づく。「遊星くん、もう三日も何も食べてないわよ。ママを失って辛いのは分かるけど、ちゃんと食べなきゃ」美亜の顔には、隠そうともしない、勝ち誇ったような笑みが張り付いていた。私の死を心底満足そうに眺めている。遠からず私の後釜に座り、正式な藤原夫人になれると信じて疑わないのだろう。その時、遊星が勢いよく顔を上げ、ベッドサイドにあったランプを美亜へ投げつけた。「ママは死んでない!嘘つき魔女!誰が入っていいって言った!出てけ!ママに会いたい!」泣き叫ぶ遊星。錯乱した子供の力加減などあるはずもない。美亜は額が割れ、血が吹き出した。彼女は憎々しげに遊星を一瞥し、忌々しげに部屋を出て行った。一人になった遊星は机の前に座り、古い日記帳をめくる。五歳になる前、彼がまだ私に懐いていた頃。私と一緒に過ごした毎日の記録が、拙い文字で丁寧に綴られていた。その歪んだ文字を見つめ、遊星は声を上げて泣きじゃくる。「……ママ、どこにいるの?僕のこと、もういらないの?」その姿を見ても、私はただ冷ややかに黙っていた。遊星。先に私を見捨てたのは、あなたじゃないか。美亜が額を押さえながら階下へ降りると、帰宅したばかりの裕人の姿があった。彼女は慌てて媚びるような声を出す。「裕人、おか
猛火に呑まれていく二階を見上げ、裕人の心臓が早鐘を打ち鳴らした。抑えきれない胸騒ぎが、彼の理性が崩壊の淵に立たされていた。彼は制止を振り切り、再び火の海へと突入した。喉が裂けんばかりに、私の名を叫びながら。焼け落ちた柱が二階への道を無情にも塞いでいる。それでも裕人は、構わずに駆け上がろうとした。悲鳴のような声で、私の名を呼び続ける。炎の向こうから、よろめきながらも無事に現れる私の姿を、血走った目で必死に探し求めて。けれど、そこには煙と炎以外、何もなかった。駆けつけた消防隊員たちが、半狂乱の裕人を無理やり引きずり出した。大量の煙を吸い込んだ彼は、そのまま意識が途絶えた。目を覚ますと、ベッドの傍らには美亜が座っていた。「裕人!目が覚めたのね!」「……雪乃は?」裕人は手に刺さった点滴針を乱暴に引き抜き、起き上がろうともがく。「どこの病室だ。会いに行く」美亜は口をつぐんだ。唇を噛みしめ、悲痛な表情を作る。「裕人、お気の毒だけど……でも私がいるわ。私がずっとそばにいてあげる」その言葉に、裕人が凍りついた。次の瞬間、彼は美亜を突き飛ばし、よろめく足取りで廊下へと駆け出した。看護師を見つけるたび、雪乃はどこだ、妻はどこだと問い続ける。ようやく駆けつけた助手が、崩れ落ちそうになる裕人を支えた。助手は裕人を霊安室へと連れて行き、安置台の白い布を静かにめくった。そこには、火傷で顔の見分けもつかない遺体が横たわっていた。裕人は力が抜けたように、その場に膝をついた。「嘘だ……お前が俺を騙してるんだろ?雪乃と組んで、俺をお仕置きしようとしてるだけなんだろ?死ぬわけがない。俺の妻なんだぞ。死ぬはずがないんだ」助手の声も震えていた。「……お悔やみ申し上げます」裕人の震える指先が、遺体の頬に触れようとして――その時、ポケットから、お守りが滑り落ちたのに気づいた。かつて私が神社へ出向き、心を込めて祈願したあのお守り。彼の無事を、ただひたすらに願って贈ったもの。確かに彼の無事は守られた。けれど――私は、守られなかった。裕人がお守りを握りしめた瞬間、私との日々の記憶が怒涛のように溢れ出した。ぼんやりと、自分の目から涙が零れ落ちていることに気づく。幼い頃、心理カウンセラーは言ったものだ。この子は
器を置こうとしただけで、うっかり絵筆に触れてしまった私。裕人は煮えたぎるスープを私に浴びせた。腕に酷い水ぶくれができても、彼は一瞥すらくれず、冷たく言い放ったのだ。「出て行け。来るなと言っただろう」あの火傷の痕は、今も腕に醜く残っている。けれど美亜は自由にアトリエへ出入りし、あまつさえ絵筆を手に取って、彼の下書きに好き勝手落書きさえできる。その時ようやく理解したのだ。アトリエは裕人にとって不可侵の領域なんかじゃない。ただ、その例外に、私は含まれていなかっただけ。お腹を痛めて産んだ我が子は、家庭に縛られた家政婦のような母親を嫌悪し、美亜の懐へ飛び込んでいく。幼くて分別がつかないだけだと思っていた。でも、美亜にはあんなに優しくできるのだから、それは間違いだった。遊星が美亜を母親に望むなら、叶えてあげよう。翌日、三人は挨拶もなしにベルリンへと発った。美亜がSNSに投稿した写真には、はしゃぐ彼女の顔と、遊星と裕人の屈託のない笑顔が並んでいた。【行きたいって言ったら、二人がすぐ連れてきてくれた♡家族三人、揃って幸せ!】胸が、ちくりと疼いた。ベルリンは、かつて裕人と新婚旅行で行くはずだった場所だ。けれど重度の対人恐怖症だった彼は外出を嫌がり、珍しく優しい口調でこう言った。「症状が落ち着いたら、三人で行こう」あの言葉を、私はどれだけ心待ちにしていただろう。今になって分かった。裕人の言う「家族三人」に、私は最初から含まれていなかったのだ。システムを呼び出し、尋ねる。いつになったら帰れるのかと。【ストーリー設定により、二日後、藤原裕人の手によって死亡します】ほっと息をつき、がらんとした部屋を見回す。本当に自分のものなど、ほとんどない。大半は裕人と遊星のために揃えたものばかりだった。翌日、裕人が怒りを露わに家へ駆け込んできた。いつもの無表情とは違う、鬼気迫る形相で。「お前がマスコミに俺と美亜のベルリンでの写真を流したのか?今、メディアに不倫を嗅ぎつけられた。追い詰められた美亜が自殺を図ったんだ!今、病院で処置を受けているんだぞ!」何を言われているのか分からない。「私は何も――」彼らとは距離を置きたいくらいなのに、わざわざ写真を撮ってリークなどするはずがない。遊星が泣きながら私を突き飛ばす