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あの日の想い、どうか届きますように
あの日の想い、どうか届きますように
Author: 年々

第1話

Author: 年々
吉田彩花(よしだ あやか)が医師から末期がんだと告げられた日。夫の吉田健太(よしだ けんた)は、ベッドの前でひざまずき、気を失うほど泣きじゃくっていた。

彩花の両親は、震える手で治療同意書にサインした。ショックのあまり、一夜にして白髪が増えてしまったかのようだった。

彩花は恐怖と悲しみに耐えながら、亡き後の事を整理していた。しかしその時、夫と医師のひそひそ話が聞こえてきた――

「先生、角膜移植手術の件、準備はどうなっていますか?美羽が待っているんです」

健太の声は冷たくて、張りついていた。さっきまでベッドのそばで泣き崩れていた時の、かすれた声とはまるで別人だった。

藤堂美羽(とうどう みう)?自分の実家、黒崎家で亡くなった使用人の娘?

続いて、主治医の小林直樹(こばやし なおき)が媚びるような声で話すのが聞こえた。

「吉田社長、ご安心ください。すべて手はず通りです。奥さんのほうは……問題ないですよね?」

健太は声をひそめた。「彼女はサインします。診断書は完璧に偽造してありますからね。今は完全に信じています」

診断書?

完璧に、偽造?

その時、別の泣きじゃくるような声が割り込んできた。

「彩花は優しい子だから……美羽ちゃんを助けるためなら、きっと同意してくれるわ……」

それは、彩花の母親・黒崎千佳(くろさき ちか)の声だ。

彩花の父親・黒崎学(くろさき まなぶ)の声も続いた。「彩花は小さい頃から何不自由なく育った。これから目が見えなくなっても、健太が一生面倒を見てくれるんだ。生活に大きな影響はないだろう」

何不自由なく育った、だって?大きな影響はない?

つまり、あの人たちにとっては、自分が暗闇の中をもがきながら生きる未来になったとしても、「影響は大きくない」ということなのね。

彩花は壁に寄りかかった。足の裏から頭のてっぺんまで、冷たいものが突き抜けるような感覚に襲われた。

彼女は最後の力を振り絞って病室まで這って戻り、めちゃくちゃに涙を拭うと、ベッドに横になった。

健太が入ってきた。彼の顔は青白く、目は充血していて、目の周りは真っ赤に腫れていた。

その痛々しいほどの赤さを見て、彩花の心はぎゅっと締め付けられた。

抑えきれない記憶のかけらが、次々とよみがえってくる――

大学のキャンパス。並木道で、健太は土砂降りの中、燃えるような赤いバラを抱えて彼女を待っていた。

結婚式では、健太は片ひざをついて指輪を取り出し、声を詰まらせて言った。

「彩花、俺のこれからの人生は、すべてお前に捧げるよ」

結婚してからも、健太は彩花の細かい好みまで全部覚えていて、どんな小さなわがままも受け入れてくれた。

彩花が夜中に街の南側にある老舗の和菓子が食べたいと言えば、健太は車を飛ばして街を横切り、買いに行ってくれた。

彩花がぽろっと「仕事が疲れた」とこぼせば、次の日に、健太は退職届を彼女の前に差し出した。

「家にいていいんだ。俺が養うから」

健太は誰もが認める完璧な「愛妻家」で、彩花の人生を照らす光であり、ぬくもりだった。

いつからだったのだろう。その光は少しずつ向きを変え、最後には別の人を照らすようになってしまったのは。

黒崎家で20年以上も真面目に働いてきた使用人が亡くなる前、一人娘の美羽を彩花の両親に託した。

そのおどおどした目つきの女の子は、こうして彩花の生活に入り込み、健太との間に割り込んできた。

その子は「妹」として、頻繁に吉田家の屋敷に顔を出すようになった。

健太が何気なく口にしたバンドを覚えていては、次の日には廃盤になったサイン入りCDを探し出してくる。

彼が残業で遅く帰ってきた時には、「ちょうど」胃に優しい温かいうどんを作って、書斎まで運んできた。

健太が美羽を見る目つきは、だんだんと変わっていった。

かつては手の中の宝物のように彩花を可愛がっていた両親も、小さい頃に父親を亡くし、母親までいなくなってしまった美羽を不憫に思うようになった。

その同情心は少しずつふくらんでいき、しまいには実の娘である彩花への愛情を上回ってしまったのだ。

現実と思い出が、頭の中で入り乱れる。

彩花は、健太の顔に浮かぶ、胸が張り裂けそうなほどの悲しみを見つめていた……そして、何かにとりつかれたように尋ねた。

「健太、もし私が本当に死んだら……あなたは他の人を好きになったりするの?」

健太の目には、心を見透かされたような動揺が走った。しかし、それはすぐに「悲しみ」で覆い隠された。

「彩花!死ぬなんて、許さない!」

彼の目は熱っぽく、声は詰まらせていた。「もし本当にそんな日が来たとしても……俺はお前だけを想って、他の誰とも付き合ったりしない。俺の心には、お前一人しかいないんだ!」

一瞬、あの残酷な会話は幻聴だったのではないかと、信じそうになってしまった。

しかし――

「でも、彩花……」

健太の口調が、急に変わった。「人間はいつか死ぬ。大切なのは、生きている人のために、どれだけ貢献できるかなんだ」

彩花の心臓が、ずしりと重くなった。

健太はポケットから一枚の紙を取り出した――角膜提供の同意書だった。

さっきの愛の誓いは、彩花が喜んで、そして「存在意義」を感じながらこの同意書にサインさせるためのものだったのだ。

健太はペンを取り出すと、彼女の冷たくこわばった手のひらに押し付けた。「これにサインしてくれ。お前の目は、お前の代わりにこの美しい世界を見続けてくれるんだ。なんて意味のあることだろう。お前はきっと、意味のある死を迎えられる」

意味のある死だって?

心が、完全に死んだ。
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