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第4話

作者: 瘴気領域
last update 公開日: 2026-07-13 12:27:26

「は、速すぎる……」

 切光きりみつ桐子とうこは、知らず知らずに呟いていた。

 その視線は人工迷宮門イミテーションゲートの鏡面に映る映像に釘付けだ。

 映像は三つ。

 火ノ坂ほのさか朱莉あかり鬼嶋きじま虹心にこの背後からドローンカメラが追っているような視点の映像で二つ。残りひとつは二人とボスの位置を光点で示したミニマップだ。

「ったりめえだろ。鬼嶋さんナメんなよ。中学ン時は県体ベスト4なんだぜ。ほら、ボスまでもうちょっとじゃねえか」

 不良の一人がさも当然といった風に言う。

 ネイキッドバイクを駆る鬼嶋は、巧みに罠を避け、モンスターを翻弄し、熟練した技でなんなく探索を進めている。ルート選びにもロスはなく、ほとんど最短で、鬼嶋の現在位置を示す白い光点は、青い大きな光点で示されるボスの位置まで間近に迫っていた。

 道順を知っていたわけではない。この人工ダンジョンは入場のたびにランダムで生成されるよう設定されている。これは紛れもなく、ダンジョン者としての鬼嶋の高い実力を表していた。だが――

(違う。そっちじゃない)

 桐子きりこは口に出さず不良の言葉を否定した。

 桐子きりこの視線が注目していたのは、朱莉の位置を示す赤い光点だ。それは確かにボスの位置からまだまだ遠い。右手法などという子供じみた作戦を取っているのだから当然だ。効率は悪い。だが、進行速度そのものが異常に速いのだ。

 中継映像では、今もまた赤髪の少女が天井から降った瓦礫を跳ね飛ばしながら突き進んでいる。跳ね飛ばした瓦礫は、行く手のモンスターに直撃し次々に頭部を砕いていく。そうする間も一切その足が緩むことはない。

 視線をちらりと背後に向ける。

 オフィスチェアに委ねられた火ノ坂ほのさか朱莉あかりの肉体は、まるで熟睡しているかのように落ち着いている。対照的に、隣の鬼嶋はぴくぴくと身体を動かしていた。

 本当にダンジョンは初めてなのだろうか。ダンジョンに潜るのは精神体だが、肉体から完全に切り離されているわけではない。精神体が動揺すれば、その影響は少なからず――たとえばぴくぴくと震えるような動きで――現れるのだ。

 つまり、肉体の反応を信じれば、火ノ坂ほのさか朱莉あかりは初めてのダンジョンで罠やモンスターと戦っているにもかかわらず、一切動揺していないということを意味する。それがどれだけ異常なことかは、隣で身を横たえる鬼嶋を見れば瞭然だろう。

(これなら、今年こそはひょっとして……)

 背骨をのぼる淡い痺れに高揚を感じながら、桐子きりこは汗ばむ両手をぎゅっと握りしめて鏡面に見入った。

 * * *

 鬼嶋きじま虹心にこは、愛用のバイクとともにダンジョンの風を切っていた。愛車はホンダのモンキーをベースに、特注のチューンを重ねた自慢の逸品で、50ccとは思えない機動力を誇る。

「へっ、ひさびさだったけどよお、絶好調だぜ!」

 右手を絞り、小型バイクのエンジンを吹かす。床から槍の飛び出すトラップを急旋回でかわし、行き掛けの駄賃とばかりに左手の木刀でモンスターの顔面を打つ。瞬間、アクセルを全開にして急加速。怯んだモンスターを置き去りにして奥へと進む。

 今回の試合形式は「ボス先取」。ポイント制ではないのだから、道中の雑魚など放置でよいのだ。運が絡みやすいため公式の大会ではあまり採用されないルールだが、比較的短時間で決着がつくのでこうした野試合ではよく使われる。

 格下相手ならば、「全種討伐コンプリート」や「無傷踏破クリーンラン」といったレギュレーションがほうがより確実に勝てるのだが、鬼嶋はそれらを選ばなかった。

 時間がかかって面倒……というのもあるが、ただでさえ有利な状況で、さらに確実を求めるような真似はなんとなく気が向かなかったのだ。彼女自身は気づいていないが、これは矜持と呼んでよいものだ。無意識の矜持が、必勝の卑怯を許さなかったのである。

「さてと、そろそろゴールかね、っと!」

 行く手の扉をウイリーさせたバイクの前輪でぶち開け、それから急旋回で停車した。

 そこはスタート地点に似た空間だった。広々とした円形の広間の壁には、いくつかの扉が設けられている。

 ――そして、獣臭が満ちる広間の中心。

 巨大な人影がうずくまっている。

 青銅色の皮膚がてらてらと曖昧な照明を跳ね返している。

 その皮膚は全身に詰まった筋肉が盛り上げて、今にも張り裂けんばかりだ。

 牛に似た頭部の眼窩には、灼熱の炎を宿したような兇猛な双眸。

 家屋の柱に使えそうなほど太い柄の、両刃の戦斧を杖代わりにして、堂々と伸ばしたその上背は大人の男が肩車をしたほどで、高さを支えるに見合う分厚さを持つ。

「へっ、今日のボスはミノタウロス牛さんかよ」

 鼻息を鳴らす牛頭に、鬼嶋もまた兇猛な視線で返す。

 木刀の峰で己の肩を2回叩いて――

「牛のたたきにしてやらァ!」

 エンジン全開。急加速で突撃する。

 ミノタウロスが横薙ぎに振るう巨大な戦斧を身を屈めてかいくぐり、すれ違いざまに脇腹へ打撃を叩き込む。

「ッ!?」

 木刀を握る手に走った痺れに、声にならない苦鳴が漏れる。

 まるで鋼鉄の塊を殴ったような手応え。

 ミノタウロスは頑健なモンスターではあるが、武器が弾き返されるような硬度はない。

 悪寒。

 背中に氷板を押し当てられたような。

 咄嗟にバイクを飛び降りる。

 轟音。振動。

 ダンジョンが震え、天井からぱらぱらと砂埃が落ちる。

 地面を転がり、振り返る。

 すり鉢状に陥没した地面。

 ひび割れ、砕け、めくれ上がった石畳。

 原型を留めぬバイクに突き立つ、両刃の戦斧。

「嘘だろ……まさか、狂化か!?」

 狂化――それは長期間使われなかったダンジョンで稀に生じる現象だ。

 ダンジョンはその由縁を問わず、エーテルと呼ばれる特殊なエネルギーによって駆動する。人の立ち入らないダンジョンではそのエーテルが淀み、不調を起こすことがある。その現象の現れ方は様々だが、ひとつにはモンスターの狂化が挙げられ、その強さは――

 振り上げ、振り下ろされた戦斧が、迷宮の石畳を榴弾の如く穿った。

 ――このようになる。

「くそっ、こんなんどうすりゃ……」

 完全に想定外だ。

 この人工ダンジョンでは、最難関に設定してもこれほど強力なモンスターは現れない。装甲の如き外皮を貫く武器の用意はなく、戦車砲の如き攻撃を受け止める防御の備えもない。速度重視で選んだ木刀とバイクだったが、この怪物に対するには完全に無力だった。

(ちくしょう! 緊急脱出するしかねえのか!?)

 颶風ぐふうを伴う戦斧を必死に避けながら、鬼嶋は特攻服のポケットに手をそわせ、布の上からキーストーンを確かめる。キーストーンはダンジョンの入場にも、脱出にも使うものなのだ。

「ぐうっ!」

 石畳の破片が鬼嶋の左肩を直撃した。

 そこから無数のホタルが飛び立つように、ぱっと光の粒が散る。

 ダンジョンでの肉体――精神体は、文字通り精神力で構築されている。

 そして、いま散った光が、精神体に蓄えられていた精神力だ。

 これが限界を超えて失われると、精神体は消失ロストする。そうなっても死ぬわけではないが、精神的にひどく消耗した状態になり、軽い症状で頭痛や目眩、ひどくすると数日寝込むことになる。そして、もっとひどくすると――

(最悪、死ぬ・・かもな……)

 限界を大幅に超えるダメージを負った場合、精神が壊れ、廃人となってしまうケースがある。人工ダンジョンには安全装置が組み込まれており、発生するのは数年に一人いるかどうかという稀さだが、これをダンジョン者たちは「死ぬ」と表現していた。

 そして、狂化ダンジョンボスの安全装置が正常に働いている保証はない。

 バランスを崩した鬼嶋の頭上から、刃物と言うより鉄板と呼んだ方がふさわしい分厚い戦斧の刃が落ちる。緊急脱出にはキーストーンに直に触れなければならない。ポケットの布に、汗にまみれた手指が絡み――

「間に合わ」

 刃が視界を埋め尽くして――

「だっしゃぁぁぁああああああああ!!」

 視界を覆った刃が消えていた。

 代わりに視界に映っていたのは、拳を握って雄叫びを上げる赤髪の少女。

 そして広間の壁まで吹き飛ばされて、光の粒に分解されていくミノタウロスの姿だった。

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