LOGIN占い師の老人は、にこにこと笑いながら言った。「そうそう、気軽に聞いてみなさいな。悩みを誰かに話すだけでも、少しは楽になるもんだ」玲奈は、拓海と老人の二人に言われるまま、結局、渋々腰を下ろした。老人は生年月日を尋ね、それを聞くと指を折って何やら数え始めた。数分後、目を開けて、低く言った。「お嬢さんは......医者だな?だが、今のところはまだ大成しておらん。けれども、命の星に成功の光がある。いずれ必ず、大物になる。ただ――今の結婚が、その道を阻む。心も精神も縛られておる。このままでは疲弊してしまう。だから、思い切って断ち切ったほうがいい。早いほうが、運は開けるぞ」老人はさらに続けた。「お嬢さんの命には、三人の子がある。一人目は娘。だが、二人目、三人目は今の夫とは別の人との子になる。しかも一人目の子が、お嬢さんの精気を少しずつ削っておる。そのまま抱え込めば、心も身体も消耗してしまう。だから、思い切って手放すのもよい。それから、生まれの家族はみな善い人たち。義姉とも仲良くやれば吉。もし不和があれば、それが心身の不調となって返ってくる」玲奈は老人の言葉を黙って聞いていた。どうして、こんなに詳しく言い当てられるのだろう――一瞬、本当に見えているのかと錯覚してしまうほどだった。拓海は横で腕を組み、満足げにうなずいていた。彼の目が玲奈の方を向く。――さて、どんな反応をするか。玲奈は戸惑いながらも、つい興味を覚えた。自分の未来のこと、特に「恋愛」の行方について。老人はそれを見抜いたように、笑みを深めた。「どうだい、お嬢さん。わしの言うこと、間違っておるかね?」玲奈は答えずに、逆に質問した。「......じゃあ、私の将来の子どもが二人増えるって言ってましたけど、それは本当なんですか?」「うむ、そう出ておる」玲奈はちらりと拓海の方を見た。彼に聞かれたくない話だった。「......悪いけど、少し席を外してくれない?」拓海が眉を寄せる。「俺に聞かれたらまずい話か?」「ちょっと......個人的なことだから」拓海は短く息を吐き、肩をすくめた。「わかったよ」彼は少し離れた場所まで歩いていった。――だが、彼
拓海はもう一度玲奈の方を振り返った。玲奈は人垣の中に立ち、すっかり大道芸の演目に見入っていた。その様子を確認すると、拓海はそっと占いの老人のもとへ歩み寄る。短い交渉のあと、彼は財布を取り出し、四万円を渡した。一方そのころ、大道芸の演目はちょうど幕を閉じていた。玲奈は振り返り、あたりを見回す。――だが、拓海の姿がどこにも見えない。不安が胸をかすめたそのとき、肩を軽く叩かれた。「......探してたか?」振り返ると、拓海が片手を広げて立っていた。その掌から、きらりと光るネックレスが滑り落ちる。彼は少し首を傾け、柔らかく微笑んだ。その笑みはどこまでも無邪気で、どこか危ういほど優しかった。玲奈の胸が一瞬、きゅっと鳴った。だが次の瞬間、彼女は顔をそらして言う。「もう遅いわ。帰りましょう」拓海は慌てて彼女の手首をつかむ。「もう少しだけ、見ていこうぜ」玲奈は掴まれた手を見下ろし、静かに言った。「......まず、手を離して」「じゃあ、もう少し付き合ってくれるなら」玲奈は淡々と頷いた。「わかったわ」その言葉を聞くと、拓海は素直に手を放した。だがすぐに、彼女の手の中へネックレスを押し込む。「さっき、屋台で見つけたんだ。安物だけど......似合うと思って」玲奈は手のひらの上のネックレスを見つめる。値札こそ付いていないが、金属の質感や細工の精巧さからして、安物ではないことがすぐにわかった。「......こんなの、受け取れないわ」玲奈は申し訳なさそうに微笑み、差し出した。「アクセサリーくらい、自分で買えるもの。気持ちだけ受け取っておくわ」拓海はそれを受け取り、しばし無言で見つめる。次の瞬間、目の奥の光がすっと暗くなった。「......いらないって言うなら、捨てる」そう言うや否や、彼は腕を振り上げ、思い切り放り投げた。玲奈は思わず声を上げた。「拓海、何してるの!」彼は表情一つ変えずに言う。「お前がいらないって言ったんだろ」「たとえそう言っても、買ったものを捨てるなんて......お金の無駄じゃない!」玲奈が眉を吊り上げて怒ると、拓海はようやく口元を緩めた。「じゃあ――欲しいのか?」玲奈は反射的に「いらない」と言い
拓海は店の中でしばらく立ち尽くしていた。玲奈が人混みの向こうへと歩き去るのを見届けてから、ようやく追いかける。その様子を見ていた沙羅の唇には、ますます濃い笑みが浮かんだ。――わかっている。拓海は本当は自分のことをもう少し見ていたくて、わざと出るのを遅らせたのだ。そう思うだけで、沙羅の頬に浮かぶ笑みは抑えきれなくなった。拓海が店を出ようとしたそのとき、背後で沙羅の声が響いた。「智也、私はもう書けたわ。あなたは?願い事、書かないの?」智也は小さく笑って答える。「俺は......特にないかな」嘘ではない。彼は、願い事や神頼みで物事が変わるとは信じていないのだ。二人の会話はそのあとも続いたが、拓海の耳にはもう届かなかった。玲奈に追いついたとき、拓海は少し拍子抜けした。彼女の表情はあまりに静かだった。普通なら――智也と沙羅が並んでいるのを見たら、泣くか怒るかしてもおかしくない。けれど、彼女は何事もなかったかのように歩いていた。拓海はその横顔をじっと見つめていた。まるで彼女の心の奥を切り裂こうとするかのように。しかし、どんなに見ても、玲奈の表情は穏やかだった。悲しみも怒りも、微塵も浮かんでいない。「......もう、吹っ切れたのか?」そう尋ねたい衝動に駆られたが、口には出さなかった。もし彼女が本当に忘れていないのなら、その名を出すだけで傷を抉ることになる。だから、拓海は何も聞かず、明るい声で言った。「この先にも夜市が続いてる。もう少し見ていこう」玲奈は軽くうなずいた。「ええ、行きましょう」旧市街の夜は、昼よりもなお賑やかだった。すでに夜更けを過ぎているというのに、人の波は絶えない。屋台の灯、香ばしい匂い、そして笑い声。通りの先では、芸人たちが大道芸を披露していた。玲奈は立ち止まり、夢中で見入った。その隣で、拓海はスマホを取り出し、こっそりメッセージを送る。【もう一つ回収しろ。これだ】添付された写真は、沙羅の灯籠の画像だった。彼は沙羅がどんな願いを書いたのか、どうしても見たくなったのだ。その間、玲奈は大道芸にすっかり心を奪われていた。炎が宙を舞い、歓声があがる。彼女の横顔は柔らかく照らされていた。ほどなくし
拓海の苦しそうな顔は、あまりにも自然だった。玲奈は一瞬、何が起きたのか理解できずに立ち尽くした。痛みに歪んだ彼の表情を見て、玲奈は慌てて駆け寄り、その身体を支えた。同時に、彼の胸に手を伸ばして触れる。彼女は医者だ。患者の前では、男女の区別などあってはならない。指先で拓海の胸を押さえながら、眉を寄せて尋ねた。「ここ?ここが痛いの?」拓海は苦しげな表情のまま、低く答えた。「ああ......痛い」玲奈は位置を少しずらし、もう一度圧をかける。「じゃあ、ここは?」拓海は彼女を見下ろし、真面目な顔でうなずいた。「......そこも、痛い」玲奈の眉間に皺が寄る。「おかしいわね......」彼女はさらに辛抱強く、今度は胃のあたりを押さえた。「ここは?痛む?」拓海は彼女の手の動きを感じながらも、視線の先で別のものを見ていた。――智也と沙羅。二人はすでに店の中に入ってきており、玲奈と拓海の姿を目にしていた。けれど、誰も声をかけようとはしなかった。店主が彼らに気づいて声をかけに行く。沙羅は入口脇の看板に書かれた「願いを叶える灯籠」の文字に目を向けながらも、心の奥では別のことを考えていた。――拓海が自分たちを見て、あえて苦しむ芝居をしているのではないか。心配させたいのだろうか。そう感じながらも、沙羅は何も言わず、灯籠を見に行った。智也もその隣にいたが、どこか上の空で、時折ちらりと玲奈と拓海の方を見やった。玲奈は真剣に拓海の身体を調べていたが、どこを押しても彼は「痛い」と答える。ついには胸を押した瞬間、拓海が色っぽい声を上げた。「......っあ!」公衆の面前だというのに、全くためらいのない声。玲奈の背筋にぞくりと寒気が走った。思わず彼を突き放し、鋭い声を上げる。「須賀君、あなた、何をしてるの!」拓海は悪びれもせず、にやりと笑った。「何って......お前が触ってくれたら、胸のつかえが消えたみたいなんだよ」玲奈は呆れ果て、言葉も出なかった。そのまま踵を返し、立ち去ろうとする。しかし――振り返った瞬間、視界に映ったのは智也と沙羅の姿だった。沙羅は灯籠を選び、智也はそんな彼女を穏やかに見つめていた。二人の距離は近く、まるで
店主はうれしそうに頷きながら、品物を取り出した。「はいはい、ありがとうございます。全部で二千九百円です」拓海は財布を取り出し、すぐに支払いを済ませた。代金の確認を終えると、店主は紙と筆、それから二つの灯籠を手渡した。玲奈は受け取った紙と筆を見つめながら尋ねた。「ここに......願い事を書くの?」拓海はうなずいた。「ああ。思うことは全部書けよ。きっと神様が叶えてくれる」玲奈は苦笑し、視線を落とした。「神様なんて、いるわけないわ。ただの幻想よ」その言葉に、拓海の手が止まった。彼は顔を上げ、じっと彼女を見つめる。伏し目がちな横顔――垂れた髪が頬にかかり、夜風に揺れていた。その静かな姿に、拓海は胸の奥が少し疼いた。彼は小さく笑い、低く呟く。「じゃあ、俺がその神様ってことにしとくか」その声は小さく、玲奈には届かなかった。だが――聞かれなくても構わなかった。彼の中ではすでに決めていた。彼女の願いは、自分が叶える。拓海の口元に、自然と微笑が浮かんだ。そしてペンを取り、紙の上に静かに書き始めた。玲奈も気づき、何を書いているのかと覗き込もうとしたが、拓海はすぐに手で紙を隠した。「願い事ってのはな、他人に見せたら叶わないんだ。見たら神様が逃げるんだよ」玲奈は思わず吹き出した。「子どもみたいね、そんなこと信じてるなんて」拓海は唇を尖らせて言い返した。「いいじゃないか、ほっとけよ」玲奈も負けじと、紙を彼から離すように体の向きを変える。「じゃあ、私のも見ないでね」拓海は彼女の手元をちらりと見たが、角度を変えられたので中身は見えなかった。――だが、構わない。大事なのは、彼女が願いを書こうとしていることだった。彼は再び視線を戻し、紙の上に心を込めて文字を綴った。「俺の大切な人が、どうか笑っていられますように。彼女が智也を忘れ、いつか俺の妻になりますように」書き終えると、拓海は紙を丁寧に折り、灯籠の中にそっと入れた。一方の玲奈も、静かに願いを書き終えていた。灯籠に紙を収め終えたころ、拓海が顔を上げる。「できたか?」玲奈は彼を見て、穏やかにうなずいた。「ええ、書けたわ」拓海は口元に笑みを浮かべる。「じゃあ
足が地面に着いた瞬間、玲奈はようやくほんの少し、現実の安心感を取り戻した。頬の涙を拭い取り、拓海に向かって首を振った。「大丈夫。ただ、少し怖かっただけよ......」拓海はまだ心配そうに、彼女の顔を覗き込む。「本当に?」「ええ、本当よ」玲奈の沈んだ表情を見て、拓海はためらいがちに尋ねた。「......また智也のこと、考えてたのか?」玲奈はすぐに眉をひそめ、彼を睨んだ。「どうして私が、彼のことなんか考えるの?」その反応の早さに、拓海は内心で苦笑する。――気にしていなければ、そんなに強く否定しない。だが、それ以上踏み込む気はなかった。二人が旧市街へ向かうころには、すでに夜明け前の時間だった。深夜にもかかわらず、旧市街の夜市はまだ人で賑わっていた。人の流れは絶えず、灯籠の光が石畳の道を照らしている。通りには伝統衣装姿の若い女性たちも多く、屋台には手作りの飾りやアクセサリー、ブレスレット、和傘、そして屋台料理が並んでいた。夜の旧市街は昼よりもずっと風情がある。熱気と人の温度が、夜気の中に溶け込んでいた。玲奈と拓海が並んで歩いていると、ある屋台の主人が声をかけた。「旦那さん、奥さんに何かを買っていかれませんか?」その「奥さん」という一言に、拓海の胸の中で何かが弾けた。顔に自然と笑みが浮かび、彼は屋台の前で立ち止まる。「玲奈、欲しいものあるか?何でもいい、好きなのを選べ」玲奈はちらりと見やり、並べられた小物を見比べた。木製の風車、紙細工の人形、小さな水車の模型。目が留まったのは、水で回る精巧な水車だった。それを見ていた屋台の主人が、すかさず声を弾ませた。「奥さん、見る目がありますね。これはうちで一番高い品ですよ」玲奈は思わずためらった。その様子を見た拓海は、即座に店主に言った。「包んでくれ。これをもらう」玲奈が珍しく興味を示したものだ。拓海は、それだけで十分だった。「待って、須賀君。いいの、いらないから。」玲奈は慌てて止めようとしたが、彼は耳を貸さない。店主が値段を言う前に、拓海は財布から二万円を差し出した。「......あ、ありがとうございます!」思いがけない大金に、店主の顔がぱっと明るくなった。水車の置物