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第2話

Author: ルーシー
玲奈が病院でもらった妊娠検査の紙を隠して、堂々とリビングに入って来ると、美由紀と智也は話すのを止めた。

玲奈は今までの彼女とは打って変わって、二人に挨拶の一つもしなかった。

以前の彼女は単純に、大人しく義父母の世話をし、物分かりの良い優しく思いやりのある妻を演じていれば、いつの日かきっと夫が自分をちゃんと見てくれるようになると思っていたのだった。

しかし、そんな彼女に過酷な現実が突き付けられた。

彼女は自分を犠牲にして、新垣家にその全てを捧げてきたというのに、彼らは彼女とはまともに取り合ってはくれなかった。

彼女のみが5年という歳月を彼らに捧げてきたが、それはそろそろおしまいにする時が来たのだ。

智也は今日用事があってここに来ていたので、山田に「山田さん、母さんを部屋の外へ」と言いつけた。

リビングに入ってからずっと玲奈は一言も発することなく立っていた。しかし、彼女のその瞳はなぜだかいつもにはない冷たさを帯びていた。

智也は新垣家の家業を、彼が中心となり担っている。会社の経営も順調で、性格も良い。年配者には敬意を払い、友達には誠実に付き合い、部下に対してはその能力に応じてきちんと評価をしてあげる。社員たちのこともきちんと気にかけてくれて……

彼と交流したことのある人間はみんな揃って彼を褒め称えていた。多くの友人が、玲奈がそんな智也と結婚することができたのは、きっと前世で良い行いをしたからだろうと言っていた。

しかし、そんな智也は玲奈にだけは、その思いやりを見せてくれなかった。

結婚して5年、智也の玲奈に対する態度は、みんなに向けられるそれとは全く違うのだと分かっていた。この5年という結婚生活は全くの意味のないものであり、玲奈はこれ以上続けるつもりはなかった。

玲奈の横を通り過ぎる時、美由紀は突然足を止め、彼女を責めるような口調でこう言った。「まだ男子を妊娠できないのであれば、先祖様にどう顔向けすればよいのかしらね?」

今までの玲奈であれば、このようなことを言われたら、ただ黙ってひたすら耐えるだけだった。

しかし今、我慢する必要もないと彼女は思った。

美由紀を見つめる玲奈のその瞳には、もう彼女に媚びへつらうような色は見られず、鋭い口調で問い返した。「お義母さん、あなたも私も同じ女性です。妊娠するのが男子であるか女子であるかは、私一人で決められるようなことではないでしょう?」

今までの玲奈はいつも従順な態度を取っていたため、美由紀はこの嫁はなんとも扱いやすい女だと思っていたのに、今日はいつもと様子が違う。

そんな玲奈の態度に全く容赦せず美由紀は手を上げて、直接玲奈を叩いた。「どの口で目上の人にそんな口の利き方をするわけ?土下座して私に謝りなさい」

この時の美由紀はまるで人を食ってしまいそうな鬼の形相で、玲奈をこれだけで震え上がらせることができるほど恐ろしい顔つきをしていた。

玲奈がどれほど智也を愛しているか、美由紀はよく知っていた。

その智也のためであれば、玲奈は自分の尊厳も、面子も捨てて、新垣家の従順な犬にでも喜んでなる女だ。

しかし、今の彼女は、そのように自分を苦しめる真似をするつもりはない。

新垣家が玲奈の犠牲も命ですらも気にかけてくれないというのであれば、彼らに従順であるのは、これでやめさせていただこう。

玲奈の美由紀を見つめるその瞳は暗くなり、彼女は何も言わず一歩前に出てビンタを返した。

しかし、そのビンタが美由紀に襲いかかる前に、大きな手が彼女の手を空中で掴んだ。

それと同時に、耳元には彼女を叱責する怒鳴り声が聞こえてきた。「玲奈、いい加減にしろよ!」

玲奈が顔を上げると、智也のあの端正な顔が目に映った。彼は凍り付くような冷たくトゲトゲしい目で玲奈を睨んでいた。

今までは、彼のその顔を一目見ただけで、玲奈は狂ってしまうほど惚れ惚れとしていたのだが、この時よく見てみると、その顔に対してただ嫌悪感しか湧いてこなかった。

人はどうしてここまで残酷になれるのであろうか?

彼女を嫌い、不倫し、冷たく暴力を振るう。それはまあ置いておいて、どうして彼女をまるで子供製造機のような道具として見ることができるのだ?

羊水栓塞症を患い危険を冒しながらも、まだ二人目を産めと言うのは、つまり彼女の命まで捧げろという意味か?

それを考えたとたん、玲奈は思わず吐き気に襲われた。

口を開こうとした瞬間、智也が突然掴んでいた彼女の手を力いっぱいに振り払い、重々しい声で言った。「本当に興醒めだ。二人目については来月また話し合おう」

そう言い終わると、彼は美由紀の手を引き外へと出ていった。

美由紀は喜色満面で後ろを振り返って玲奈を見ていた。自分が産んだ息子なんだから、母親の味方をして当然。おまえはただの赤の他人、それが分からないのか?と言っているようだった。

昔の彼女であれば、玲奈は智也から自分を庇ってもらえないと心が苦しくなり涙を流していた。しかし、今はすでにもう慣れてしまったらしく、失望すらもしなかった。

智也がリビングを出てこうとしたので、玲奈は急いで「智也」と彼を呼び止めた。

玲奈は一度決めたことを変えるようなタイプではない。すでに離婚すると決めたので、それに向かって突き進むのみである。

昔智也を好きになった時と同じように、たとえ家族に反対されたとしても、茨の道を越えてみせるのだ。

智也を8年もの長い間愛し続けてきたが、玲奈はもう心がボロボロだった。

彼は彼女の良いところを見ようとはしてくれなかった。彼女と共に結婚生活をきちんと歩もうともしてくれなかった。彼が彼女と結婚したのは、ただ結婚する前に玲奈が妊娠してしまい、その責任を取るためだけの行為だったのだ。

彼らの結婚はまさに巷で言われる「墓場」そのもの。そしてその墓の下でもがき苦しんでいたのは玲奈、ただ一人だけであった。

実は彼女もかなり前から気付いていたことなのだ。

智也は入り口のところで立ち止まった。玲奈は彼が自分の話を聞いてくれるものだと思い、軽くため息を吐き出した後、話し始めた。「もうあなたとは一緒にいられないわ。離婚しましょう」

この言葉が口を出た瞬間、玲奈は今までにないほど心が軽くなるのを感じた。

しかし、その玲奈の言葉に重なるタイミングで、智也は突然電話に出て、携帯を耳元に押し当て、電話の相手が何を言ったのか分からないが、それを聞いてすぐに慌てた様子で返事した。「分かったよ、今すぐそっちに行くからな」

視線を外のほうに戻し、智也は美由紀の肩に手を回して一緒に白鷺邸のリビングから姿を消した。

彼女がさっき自分を解放できると思って吐き出した言葉は、その時、誰にも届かなかった。

入り口から智也の姿が完全に消え去った時、玲奈は苦しみの笑い声を漏らした。

山田が二人を見送って戻って来ると、玲奈がまるで魂が抜けたようにぼうっとした様子でまだリビングにいたので、不思議に思い声をかけた。「若奥様?」

玲奈はその瞬間我に返り、ソファの前までやって来てそこに腰かけると、山田に「山田さん、夕飯をお願いできますか」と言いつけた。

以前、何をするのも彼女は全部自ら行っていた。彼から少しでも関心を寄せてもらいたいと思ってのことだったのだ。

一年のうち、会えるのは数回程度であったが、彼女はそれを心待ちにしていて全く嫌な思いなど持っていなかった。しかし実際、智也が彼女の思いに応えてくれたことは一度たりともない。

今、彼女は疲れ果てていた。それでこの時やっと、以前の自分は両親や兄から目に入れても痛くないほど可愛がられ、愛されていた人間だったことを思い出した。

夕食を済ませると、玲奈は上階にある書斎で離婚協議書を書くことにした。

春日部家もなかなか良い家柄であり、玲奈自身も小児科の外科医である。彼女は実はお金に困っているわけでもなく、娘の愛莉に輝かしい未来も保証できるのだ。

しかし、そんな彼女がこの5年間争うことも騒ぐこともしなかったのに、夫からは冷たく無情に扱われてきたのだ。

だから、彼女はその離婚協議書には、はっきりと書くことにした。智也と結婚した後に彼が稼いだお金の半分は彼女に分与すること。毎月愛莉には4千万の養育費をそれとは別で支払うこと。

しかし、愛莉が両親のどちらと一緒にいたいのか、玲奈も分からなかった。

離婚協議書を半分まで作成し終わり、玲奈はやはり愛莉の意見を聞いてみないことにはどうしようもないと思い、その離婚協議書を持って白鷺邸を後にした。

愛莉が生まれてから、智也は娘に一軒家を購入していた。玲奈は4年間は働かず、ずっと娘の世話をしていて、それからは再び病院で医者として働いていた。

仕事のせいで、玲奈は娘と一緒に過ごす時間がだんだんと減っていったのだ。

そしてここ半年は、彼女はずっと隣の県にある病院で研修医として勤めていた。

ここ最近智也に会った二回ほどは、まだ彼女も恋愛脳が働き、二人目を作ることで家には帰って来ない夫の心を掴もうとしていたのだった。

明らかに医者としての仕事が忙しく時間が取れないというのに、彼女は同僚に頼んでシフトを調整してもらったりして、三日続けて夜勤を続けることで一日、二日の休みと交換してもらっていたのだ。

しかし、二人目が欲しいと思ってもそれは一人だけで成し遂げられるようなことではない。彼女に隣の県から戻って来る時間が取れないというのなら、智也のほうから彼女の元に来てもらえばいいということを彼女は考えたこともなかった。

ただ皮肉なことに、智也は時間があればそれを全て深津沙羅のために使っていたのだ。

彼女はタクシーで小燕邸(しょうえんてい)へ向かった。その時ちょうど夜の9時過ぎだった。

車を降りてすぐ、あるアプリのお勧め投稿が携帯画面に表示された。それは――フォローしている「ララ」の新しくアップされた投稿だった。
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