Masuk「黒澤さん、本当に全身の臓器を提供するおつもりですか?」 「はい、間違いありません」 そう言いながら、黒澤真希(くろさわ まき)はまるで解放されたかのように微笑んだ。 医師は一瞬言葉を失い、再び説得を試みた。 「確かにがんは末期に進行していますが、適切な治療を受ければ、少しでも命を延ばせる可能性があります」
Lihat lebih banyak車を走らせ、北へと向かった。花梨の結婚式まではまだ少し時間があるため、道中、観光を楽しみながらの旅となった。大学時代、真希は旅行を楽しむ同級生たちを羨ましく思っていた。しかし、両親を亡くした彼女にとって、日々の生活を維持するだけでも精一杯だった。どれほど江茉と仲が良くても、彼女に全額負担してもらい、何不自由なく旅行することには気が引けた。今、真希の体調はすっかり回復し、旅の途中で名山のある地方を通ると、三人は登山へと出かけた。山道は険しく、頂上にたどり着くまでの道のりは決して楽ではなかったが、山頂からの景色を目にした瞬間、すべての苦労が吹き飛ぶような気持ちになった。まるで、ここ半年の人生の変化そのもののようだった。帝都に到着すると、花梨は待ちきれない様子で家族を迎え、自分たちがローンで購入した小さな別荘へと案内した。晃樹は万尋の会社で営業職として働いていたが、意外にもかなり順調にキャリアを積んでいた。「彼って、ほんとに実力あるのよ」旦那のことを話す花梨は、誇らしげな表情を浮かべた。「もともと、噂話を集めるのが得意だったし、この仕事はまさに天職って感じ。もう、毎日絶好調って感じよ」「おいおい、褒めすぎだろ?」晃樹は笑いながら、彼女の腕を軽くつまんだ。二人のやり取りはまるで夫婦というよりも、仲の良い子ども同士がじゃれ合っているように見えた。真希は祐人の耳元で、そっと感想を囁いた。ところが、その瞬間、不意に彼の唇に触れてしまった。祐人の顔は一瞬で真っ赤になった。この半年、二人は自然と恋人同士の関係になったが、それ以上の関係には踏み込まずにいた。祐人は、過去の恋愛が真希の心に棘のように刺さっているのではないかと、ずっと気にしていた。しかし、真希は急ぐことなく、時には年下の祐人をからかうように、余裕のある態度を取っていた。三日後、結婚式が行われた。ウェディングドレスに身を包んだ花梨の姿を見て、真希の心は少し揺れた。三十歳になった彼女は、もう長く待ちたくはなかった。それなのに、祐人は相変わらず鈍感なままだった。前に、花梨の招待状は万尋にも送られていた。だが、彼は返事をせず、その代わりに彼女と晃樹、それぞれに結婚祝いとして二十万円を振り込んだ。やがて結婚式が始まる。
「まだそんなに早くはないよ。医者さんが言うには、もう半月は帝都にいたほうがいいって。半月後の再検査で問題なきゃ、本当に安定するだって」万尋は軽く頷いた。彼の視線は真希の顔の上を彷徨い続け、まるで飽きることなく、その顔を悲しげで憂鬱な眼差しで描き出していた。真希はそっと彼の腕時計をはめた手を引き寄せ、バックルを外した。そして、その腕に刻まれた傷跡を見つめた。まるで、自分の醜みを晒されたような気がして、万尋はふと恐れを感じた。反射的に手を引こうとするが、真希はしっかりとその手首を握りしめ、まるでその眼差しに熱がこもっているかのように、彼の骨の奥まで焼き尽くすようだった。「どうしてこんなことを?」「自分が許せなかったから……」万尋は低く呟いた。「もし俺がいなきゃ、真希はこんなにも苦しむことはなかった」真希は微笑み、彼の手をそっと放した。「実は、私、万尋を恨んでなんかいない」彼女は真剣な目で言った。「あの五年間、ただあなたの許しを乞うためにいたわけじゃない。江ちゃんのことが、ただただ悲しかった。確かに、古川家の人間の立場からすれば、私が生きていること自体が罪なのかもしれない。あの日、江ちゃんと一緒に死ぬべきだったのかもしれない。でもね……その日、手術台の上で私が死にかけた時、江ちゃんを見たの。彼女は私のそばにいて、私の手を引きながら、広い川を渡っていた。腰まで、胸まで水が迫ってきても、私は一度ももがかなかった。だって、江ちゃんは私を傷つけるはずがないし、恨むはずもないって、信じてたから。案の定、川を渡りきった時、彼女は呆れたように言ったの。『どうしてこんなに早く来ちゃったの?約束したでしょ、私の分までしっかり生きるって』って」それは、真希がこの八年間で見た中で最も美しい夢だった。死の境界線を漂う中、彼女の最愛の友が、まるで船のマストのように、舵のように、彼女を希望へと導いてくれた。江茉は、本当に優しくて、温かい人だった。もしあの日、凶刃に倒れたのが自分だったとしても、江茉を責めることは決してなかっただろう。そう、江茉の心もまた、同じように。そう言いながら、涙が止めどなくこぼれ落ちていた。真希は手の甲で涙を拭い、同じく涙を流しながら呆然とする万尋を見つめた。「だから、分かった?
あの時、祐人の姉は、せっかく苦労して手に入れた職を捨て、迷うことなく医者になるために警察病院へと向かった。たとえ家族との縁を切ることになろうとも、決して後悔しなかった。花梨は、そんな姉の生き方をずっと勇敢だと思っていた。それだけに、姉の訃報を聞いたときは、しばらくの間、悲しみに暮れていた。「実は、姉が医者になったのは、義兄が警察だったからだ。そして、しっちゃんは二人の娘なんだ。義兄が亡くなって間もなく、姉がしっちゃんのことを俺に託したんだ」祐人の言葉を聞き、ようやく真実を知った花梨は、胸の奥が痛むのを感じながら、病室で真希のそばに寄り添っている蒔月をじっと見つめた。「でも、真希がしっちゃんを大切に育ててくれてるよね」祐人は微笑みながら言った。「だから、姉のことを悲しむ必要はないさ。しっちゃんには素晴らしいママがいるし、これからは素晴らしいパパである俺もいる。まあ、すっかり『叔父ちゃん』呼びが定着しちゃったみたいだけど」花梨は、気まずさを拭いきれずにいた。自分は祐人の親族でありながら、彼と真希の関係をすぐに見抜けなかったばかりか、よりによって社長の手助けをしようとしていたのだから。自分の行動を思い返し、力なく首を振った。「お兄さん、それとね……」花梨は一瞬言葉を切り、ためらいがちに続けた。「古川社長がずっと……」「真希を愛してる、って?」「そう」祐人は、過去五年間のすべてを目の当たりにしてきた。万尋が真希にどれほど冷酷で、どれほど傷つけてきたかを知っている。それなのに、今さら万尋が真希を愛していると言われても、彼には到底理解できなかった。「あいつはクズだ」祐人は淡々と呟いた。「花梨、今の職場って……まさか、あいつの会社じゃないよな?」「うん」花梨は一瞬ためらったが、やがて観念したように答えた。「でも、社長の腕には、すごく長い傷跡があるの」祐人はそれを知らなかった。少し驚いたものの、ただ片眉を上げ、続きを促した。「変な意味じゃないんだけど……」花梨は、ふとした拍子に見てしまった傷跡を思い出した。社長室で机を拭いていたとき、万尋が腕時計のバンドを外した瞬間、その傷がちらりと見えたのだ。「もしかして、社長は本当に自分の過ちを悔いてるのかもしれない」
花梨は、万尋が見せた脆弱さに戸惑いながらも、彼がこんなにも落ち込んでいる姿を見たくないと思った。少しためらった後、おそるおそる口を開く。「こんなこと言うのは、私の立場では余計なお世話かもしれませんけど……社長、黒澤さんにきちんと説明しようとは思わなかったんですか? それに、しっちゃん、本当にお子さんじゃない可能性はありませんか?」「違うんだ」万尋は苦笑し、首を振った。「もしそうだったら、どれだけよかったか……」花梨には、その笑いに込められた苦しみや後悔の深さが理解できなかった。万尋自身、一生かけても過去の過ちを許せないのかもしれない。診察室にて。「骨折ですね」診察した医師はそう判断し、万尋の顔色を見て尋ねた。「熱もあるようですが?」手を伸ばして額に触れようとすると、万尋は丁寧にその手を制した。彼自身、高熱の原因が夜明け前の薬の乱用と、窓辺で冷たい風に当たっていたせいだとわかっていた。軽く頷きながら、淡々と言う。「ギプスをします。でも、それよりも先にやらなきゃいけないことがあるんです」万尋は手術室へ戻ろうとしたが、蒔月を気にかけていた花梨にまず整形外科で診てもらうよう強く勧められた。やはり、病状は彼の予想はほぼ的中していた。立ち上がり、軽く足首を動かしてみると、痛みは麻痺して少し鈍くなっている。そのまま診察室を後にして、手術室へ向こった。でも、手術室の前のランプはまだ消えていなかった。万尋は一瞬、動揺しながらも、すぐに看護師に尋ねた。「まだ終わっていないんですか?」看護師は彼を覚えていたようで、首を振った。「患者さんはすでにICUに移動しました。今は次の手術が行われています」その瞬間、万尋は大きく息を吐き、同時に眩暈を覚えた。ふらついた拍子に負傷した足を踏みしめ、鋭い痛みが走っていた。それでも、彼はこの数日で初めて、心からの笑みを浮かべた。花梨の言葉が脳裏に蘇った。彼女が、優しい慰めに過ぎないとわかっていた。それでも、真希が生きていてくれる。無事だった。そう思うだけで、もしかしたら彼女から「許す」という言葉を聞けるのではないかと、希望を抱いてしまう。実は、万尋の心の奥底には、自分でも認めたくない願いがあった。もう一度、真希とやり直したい。