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02

Author: 仲原
last update publish date: 2026-07-02 21:27:20

「あ! お姉ちゃん!」

 頭上から響く元気な声。反射的に声の方へ視線を向けると、嬉しそうに笑う女の子が大きく手を振りながら階段を駆け下りてきた。

「いつこっちに来たの?」

「…………」

 目の前に立つのは子猫のように愛嬌のある義理の妹。海亜のことを『姉』と呼ぶその子は随分と好意的な態度で海亜に話しかけてくる。どうやら彼女は、海亜とは異なり『姉妹』という関係を肯定的に捉えているらしく、随分と久しく会っていない姉に対し躊躇うこと無く白い手を取ると、徐に距離を詰めた後で甘えるように腕を絡めてきた。

「さっき着いたばっかりです」

 義妹のパーソナルスペースは思った以上に狭く、そんな彼女との距離感はいつまで経っても馴れないまま。海亜にとってこの子はどこまでもいっても他人という認識が強く、決して家族とはなり得ない存在なのだ。だからこそ、嫌そうに眉を寄せながら右腕に絡む彼女の手をやんわりと解くと、彼女は義妹を避けるようにして距離を取った。

「こっちに来るんだったら連絡してくれれば良いのに」

 海亜が示したのは明らかな拒絶のはずだった。彼女自身ははっきりと態度で示したつもりなのだが、どうやら義妹はそのことが全く気になっていないらしい。

「お姉ちゃん、全然帰ってきてくれないから寂しかったんだよ」

 心から再会を喜ぶような彼女の態度に決して悪気は無いのだろう。それでも、この無神経さは逆に海亜の神経を逆撫でてしまう。

「私はあなたに会いたくもありません」

 「……お姉ちゃん……」

 彼女を無視して歩き始めると、一瞬躊躇った後、義妹は躊躇いがちに海亜の後を追いかけてくる。

「……怒ってる?」

 先程までの態度から一変。彼女は海亜の顔色を伺う様に、かけられた弱々しい声。

「別に……」

 一瞬。否定の言葉を吐きかけて海亜は言葉を止めた。

「…………」

 確かに馴れ馴れしく絡んでくるこの子に対して不愉快さは感じている。しかし、怒りというよりはどちらかというと、戸惑いの方が強いのが正直なところ。実際、海亜は名義上の妹という存在にどのように接して良いのかが未だに分かっていない。

「用がないのならば放って置いてください」

 だからこそ相手に対しての反応はいつまでも中途半端なまま。漸く絞り出したその言葉で一方的に会話を終わらせると、その子の返事を待たず逃げるように足を動かして廊下を進む。

「お姉ちゃん!」

 彼女は手を伸ばし何か言い足そうに口を開いたが、結局それは言葉になること無く会話はそこで途切れてしまい気まずい空気だけが残される。

「…………」

 相変わらず背後には置き去りにした義妹の気配がある。お願いだからどこかに消えてと必死に願うのに、彼女が立ち去る様子は感じられない。それが余計に海亜を嫌な気分にさせ感じた頭痛。彼女の存在を受け入れられないからと言って、罪悪感が無いわけでは無いのだ。

 実際、この義妹の人柄は悪くなく、距離感が噛み合わないせいで苦手意識が邪魔をして、相手のことを受け入れるタイミングを掴み損ねているのが本当のところ。頭のどこかでは不満を抱くことに見切りを付け、諦めて受けれいた方が楽になると分かっては居るのだ。それでも、そうやって自分を納得させ笑えるほど海亜は器用な人間ではない。

「……ごめんね」

 もっと違う出会い方をしていたら、もしかしたら彼女のことを素直に可愛いと思うことが出来たのかも知れない。伝わらない謝罪の言葉はとても小さく、義妹に届くこと無く空気と混ざり消えた。

 無駄に広い建物では、随分と音が響くものだ。

 コツ、コツ、コツ、コツ……。

 確かに人が生活しているはずの建物。それなのに、この場所は異様なほど音が少ないと感じてしまうのは気のせいだろうか。

 そのせいか、足を進める度、床と触れあうヒールの音が廊下全体に響いてしまう。その後からついてくるのは濁ったような足音で。素材の違いで聞こえる二つの足音。それは一定の距離を保ちながら、同じ方向へと進み続けている。ただ、その追いかけっこもそれほど長くは続かない。何故なら、目的地である父親の書斎へと続く扉。その前に海亜が既に辿りついてしまったからだ。

 コン、コン。

 閉ざされたドアの前に立ち、軽く拳を握ると静かに甲で扉を叩く。ノックの音は二回だけ。それ以上は行動を起こさず静かにその場で待機していると、扉の向こう側から疲れた低い声が聞こえてきた。

「入れ」

「はい」

 部屋の主から立ち入ることを許可されると、海亜はくすんだ真鍮製の飾り玉に手を伸ばし、ゆっくりとノブを回す。昔よりも建て付けが悪くなってしまっているのだろうか。手に力を込めて手前に引くと、目の前の重厚な木製のドアが、小さな軋み音を立てながらゆっくりと動いた。

「久しぶりだな」

 開かれた扉から逃げ出してきたのは独特な古い本の匂いだ。懐かしいと感じる落ち着いた室内に思わず目を細め室内を見る。壁沿いに設置された高い本棚。その中には所狭しと大量の蔵書が収められている。それらは分類ごとに振り分けられ、タイトルと巻数がきちんと揃うように整理されているのだが、時々別の本が混ざってしまっているようで、所々背の高さと色が合っていない場所が存在していた。

 部屋の奥にはベランダへと続く大きな窓。二重カーテンのうち、厚手のものは左右にまとめられており、今は薄手のレースカーテンだけが窓の向こう側に広がる景色を遮断している。

 中央にあるのは随分と年期の入った書斎机で。この部屋の主が大切にしているものだということは一目見て分かる。重ねた時間を誇るように存在感を主張している机の上には、乱雑に拡げられている紙の山。それらの一部はファイリングされ、分類ごとにラベリングされているようだ。しかし、それ以外の紙は裸のまま。管理している人間にしか分からない状態で置かれているため、整理が追いついていないことは一目見て分かる。きっとこの書類は、父親が現在手がけている事業のものなのだろう。先程からこの紙の束を手に取り唸り声を上げているのがこの部屋の主。情報に目を通した後で苦い表情を浮かべ、重たくなった瞼を軽く指で押さえて眉間に皺を寄せている男の名は、久藤くどう貴久たかひさと言う。

「元気にしていたか?」

 海亜が入ってきたことは気配で気が付いている。海亜の方へ視線を向けることの無いまま、彼女にかけたのは当たり障りの無い言葉で。最も無難な質問に海亜の表情は暗くなってしまう。

「報告するようなことは何もありません」

 会話をすることを忘れてしまったかのような返答。親子としては不自然なやりとりから分かる事は、この二人の関係が如何に歪なものなのかということだ。言葉の交わし方すら忘れてしまうほどすれ違った時間。それを埋めることは決して容易な事では無いことくらい、海亜も貴久も気が付いている。それでも父親である彼は非常に淡泊な言葉しか海亜に与えない。だからこそ目の前の相手に対し強い嫌悪が生まれ、感じたストレスによって逆流した胃酸で吐き気を覚える。

「海亜?」

 軽く嘔吐いた音に気が付いたのだろう。漸く書類から顔を上げると、困ったような表情を浮かべた貴久と目が合った。

「大丈夫です。何でもありません」

 心配なんてして欲しくない。そんな思いから視線を避けるように顔を逸らすと、顔の前に掲げた掌の動きで父親の動きを阻止する。

「私をここに呼んだのは、一体どういう要件でしょうか?」

 長居なんてするつもりはない。だから早く本題に入って欲しい。バッグから取り出したハンカチで軽く口元を拭い改めて父親と向き合うと、海亜はしっかりした口調でそう尋ねた。

「……お前に、結婚の話が来ているんだ」

 暫しの沈黙。

「…………え?」

 嫌な予感というものは、どうしてこうも当たりやすいものなのだろうか。

「すみません。今、何と……?」

 言われた言葉の意味が直ぐに理解出来ず、壊れた玩具のように海亜は父親に問いかける。

「私に結婚の話が来ているというのは、冗談でしょうか?」

 嫌な汗が頬を伝う。

「見合いをしろと言うことですか?」

 緊張のせいで声が震え上手く言葉を吐き出せない。

「お見合い……というか……」

 質問に対しての答えは非常に歯切れが悪く、父親の反応はどこかしら違和感を感じさせるもので。

「何も直ぐに結婚しろという訳では無いぞ」

 小さな音を立てて動く椅子。持っていた書類を机の上へ置くと、貴久はゆっくりと海亜へ歩み寄り目の前に立った。

「どうせ、私に拒否権はないんですよね?」

  細身でも身長は高く、性別の差で襲われる圧迫感。自分の身を守るように両手で腕を摑み身を屈めると、海亜は恨みがましく父親のことを睨み付ける。

「どうせ、私の結婚は自分で決められるものじゃないって分かっていますから」

 それでも少しくらいは、こちらの意見に耳を傾けて欲しい。淡い期待を捨てきれない自分に無意識に涙が溢れ視界が滲む。

「嫌だと言ったところで、政略結婚を無かったことにすることは難しいと理解しています。でも、まずはお相手のことを教えてくれても良いんじゃなですか?」

 名も知らない相手に嫁ぎたくない。その精一杯の抵抗が、今の海亜に出来る全て。非力ではあるが、状況を少しでも自分にとって有利な方へと変えたいという願いからそう主張すると、貴久は驚いた顔を見せた後申し訳なさそうに口元を押さえた。

「確かにこれは、政略結婚と捉えられても仕方が無いな」

 しかし未だ、打診している段階で結婚が確定した訳では無い。貴久から返ってきた答えは予想とは全く異なる言葉で、海亜は訝しげに顔を歪めると、一言も話さないまま貴久のことを見る。

一條いちじょうすばるのことは知っているな?」

 一條昴。その名前を聞いた瞬間、海亜の表情が驚きに変わった。

「昴……兄様のこと、ですか?」

 何故、その名前が父親の口から出てきたのか分からない。戸惑いを浮かべたままそう返すと、貴久は「そうだ」と頷き顎を撫でる。

「昴兄様が何故」

 期待してはいけない。それを望んだらきっと後悔がついてくる。そう自分に言い聞かせるが、湧き上がる淡い期待が海亜の心を激しく揺らす。

「お前に結婚を申し込んできたの相手というのは、昴くんのことだよ。海亜」

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