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第5話

작가: 葉月しおり
澄花は分かっていた。お腹の子はもういない。

けれど周囲の目には、彼女はいまだ妊婦のままだった。

今の彼女は体つきもふっくらしており、見た目だけなら妊娠六、七か月と言われてもおかしくない。

お腹の子に何かあってはまずいと皆が気にしていたうえ、何より柊吾本人がその場にいる。

柊吾本人に敬意を抱いていなくても、その立場を無視するわけにはいかず、警備員たちも強引に止めることはできなかった。

澄花は一生分の勇気を振り絞り、柊吾の前まで歩いていった。

だが、男の口から返ってきたのは、情け容赦のない一言だった。「異議があるなら、グループの顧問弁護士団と話せ」

澄花はその場に凍りついた。

御堂グループは毎年六百億円もの巨費を投じ、柊吾が自ら集めた精鋭弁護士団を抱えている。

彼が御堂グループを引き継いで以来、その弁護士団は国内外で数万件もの訴訟を手がけ、一度も敗訴したことがない。名実ともに業界トップのチームだった。

そして今、柊吾はその弁護士団を、彼女一人に差し向けようとしている。

それはつまり、たとえ澄花が誰かに陥れられ、濡れ衣を着せられていたとしても、自分は一切関与しないと明言しているのと同じだった。

彼は澄花のことなど気にしていない。だから当然、彼女が濡れ衣を着せられているかどうかにも関心はない。

ましてや彼女が妊娠中かどうか、そのことでお腹の子に何かあろうと、どうでもいいのだ。

澄花の目元が無意識に赤くなり、握りしめた手は、指の関節が白くなるほど力が入っていた。

そこまで言うのなら――

柊吾がエレベーターに乗り込もうとした、そのとき。

澄花は顔を上げ、震える声で、残っていた勇気をすべて振り絞るように告げた。「流産しました。私たちの子供は、もういません」

だからもう、離婚できる。

その瞬間、エレベーターの到着を告げる音が鳴った。

だが、誰一人としてすぐには中へ入らなかった。

広いロビーもしんと静まり返った。

しかし柊吾は眉一つ動かさなかった。澄花を一瞥することすらなく、そのままエレベーターへ乗り込んだ。

すると、どこからか「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。

それをきっかけに周囲の人々も次々と笑い始め、笑い声はどんどん大きくなっていった。

澄花が振り向くと、皆の顔には嘲笑と軽蔑が浮かんでいた。

分かっている。誰もが、身の程知らずな女だと笑っているのだ。そんな嘘までついて柊吾の気を引こうとするなんて、と呆れている。

ところが肝心の御堂社長は、まるで興味を示さなかった。彼女を道化のようにその場に取り残し、振り返りもしなかった。

けれど――子供がいなくなったのは、本当なのに。

「……ふっ」澄花は腹部を庇うように手を添え、自嘲するように小さく笑った。

そのまま顔を上げると、ちょうど清掃員が階下へ降りてくるところだった。

清掃員が押しているゴミ箱には、澄花が見覚えのある品々が山ほど入っている。

澄花は近づき、その中から鍵のかかった日記帳を一冊拾い上げた。

清掃員は止めようとしたが、すぐに澄花だと気づいた。「あなた、この数日どこにいたの?ずっと荷物を取りに来ないから、総務のほうから『社長の意向で、本人が片づけに来ないなら全部ゴミとして処分して構わない』って言われてたのよ」

「私……」

莉央に車をぶつけられた事故の後遺症で突然脳出血を起こし、この数日間ずっと入院していたのだ。取りに来られるはずがない。

澄花の口元に苦い笑みが浮かんだ。

清掃員に手伝ってもらいながら自分の荷物を拾い集め、それを抱えて御堂グループのビルを出ようとした、そのときだった。

本家から電話がかかってきた。

宗一郎からだった。

電話に出るなり、いきなり問い詰められる。「澄花、美玲から聞いたぞ。辞めると騒いだだけじゃなく、柊吾に『子供を流した』と言ったそうじゃないか。本当なのか?柊吾に腹を立てて、もっと自分を見てもらいたくて、そんなことを言っただけなんだろう?」

澄花も宗一郎には恩を感じていた。

水城家が破産したあと、残っていた借金を肩代わりしてくれたのは彼だった。

それだけでなく、父と兄の裁判のために最高の弁護士まで手配してくれた。

裁判はすでに控訴審まで進んでおり、そこで勝つことができれば、父も兄も刑務所へ行かずに済む。

宗一郎はもう高齢だ。もし今ここで本当のことを話したら、万が一彼がショックで倒れでもしたら、御堂家はきっとその責任をすべて自分に押しつけるだろう。

そして、その怒りは父と兄にまで向けられる。

澄花はそっと下腹部に手を添えた。

そこにはもう、何もいない。

「……はい。私が、柊吾に腹を立てて、意地を張っただけです。ごめんなさい、おじい様。心配をかけてしまって」

これほど大きな嘘をついたのは初めてだった。

胸の奥に、不安と後ろめたさが重く沈んでいく。

電話の向こうから、宗一郎の荒い息遣いが聞こえた。

相当腹を立てているのだろう。

「澄花、お前は昔から一番聞き分けのいい子だったじゃないか。それがどうして、生まれてもいない子供まで持ち出して騒ぐんだ?

ばあちゃんは今も寺でお前の安産を祈っているんだぞ。そんなことを言ったと知ったら、どれほど悲しむと思う!

それから、仕事のミスで出た損害のことも聞いた。賠償についてはお前が気にする必要はない。

今はとにかく無事に子供を産め。もう馬鹿な真似はするんじゃない!」

私に産ませて、そのあと莉央を母親にするつもりなの?

思わずそう聞き返したくなったが、その言葉はすべて喉の奥でつかえた。

今の自分には、問いただす資格も、逆らう力もなかった。

もう心配をかけないと何度か約束してから、澄花は電話を切った。

荷物を抱えたまま外に出ると、日差しがやけに熱く、眩しく感じられた。

そのとき携帯電話が震えた。

智也からのメッセージだった。

明日は航空宇宙技術展だが、本当に来るのか――そう確認する内容だった。

澄花は思い出した。

以前の彼女は、どうすればいい妻になれるかばかり考えていた。

柊吾の服をどうアイロンがけすればいいか、彼の好物をどう作ればいいか、そんなことばかりに時間を費やし、そのせいで智也との予定を直前になって何度も断った。

佳代子から突然家事を言いつけられることもあった。掃除、窓拭き、洗濯、料理――

御堂家の人間に少しでもよく思われたくて、それらを優先し、約束をすっぽかしたことも一度や二度ではない。

けれど、もうそんなことはしない。

父は重い病気を患い、高額な治療費が必要だ。兄はまだ拘置されており、裁判のための弁護士費用もかかる。

自分が以前いた場所へ戻ることができれば、それくらいの問題は簡単に解決できる。そして御堂家に借りているものも、すべて返せる。

「先輩、心配しないで。明日は必ず行きますから」

ついでに、信頼できる弁護士を紹介してもらえないかと聞こうとも思った。

柊吾の周囲にいるあの凄腕揃いの弁護士たちが無敗なのは分かっている。

それでも試してみたかった。

何もせず、一億もの借金を背負わされるほど馬鹿ではない。

だが、その話を切り出す前に、智也はただ一言、「そう願ってるよ」と言い残し、通話を終えた。

澄花は乾いた唇を軽く噛んだ。

スマートフォンで入院費をすべて精算すると、とりあえず暮らせる程度の小さな部屋を借り、会社から持ち出した私物をそこへ運び込んだ。

そのあと、翌日の航空宇宙技術展に必要な資料も整理した。

すべてを終え、水明苑へ戻って残りの荷物をまとめ、完全に引っ越そうとしたころには、もう外は暗くなっていた。

玄関を入った瞬間、澄花は冷たい顔でこちらを見る佳代子と目が合った。

以前なら、自分から近づいて挨拶をしていただろう。

けれど今は佳代子をろくに見ることさえせず、そのまま二階へ上がろうとした。

「聞いたわよ。今日はお腹の子をいいことに辞めるだの何だの騒いだうえ、美玲まで叩いたそうじゃない!あなた、自分を何様だと思ってるの?

しかも今日は柊吾に腹を立てて、子供まで持ち出して脅したんですって?御堂家の面目が、あなたみたいな女のせいで丸潰れよ!」

話しているうちに、佳代子の怒りはますます膨らんでいった。

澄花の前まで歩み寄ると、俯いたままの彼女を睨みつけ、今にも頬を張り飛ばしそうな勢いで言葉を浴びせた。

「顔立ちは平凡、家柄も平凡、何一つ人に誇れるものがないくせに、御堂家が莫大な時間と金をかけて育て上げた後継者である柊吾の子を身ごもり、結婚までした。

誰からも見下されて、相手にもされていないと分かっているのに、それでも平然と戻ってきて御堂家に居座ろうとするなんて、本当に身の程知らずね。

恥というものを知らないの?親のしつけまで疑うわ!」

その言葉を聞いた瞬間、澄花はふいに顔を上げた。

一切目を逸らさず、まっすぐ佳代子を見る。

「佳代子さん、私を罵るのは構いません。私のことなら、いくら悪く言っても構いません。でも、私の家族まで侮辱しないでください!

私が御堂家に釣り合わないと思うなら、柊吾に今すぐ私と離婚するよう言ってください。それから子供も堕ろ――」

「何ですって!」

何の前触れもなく、佳代子が澄花の耳を力任せに引っ張った。

「この恩知らず!御堂家の子供を呪うなんて、よくもそんなことが言えたわね!子供を産んだら柊吾はすぐあなたと離婚するの。そうしたらあなたは追い出されるのよ!

まさか子供を産めば御堂家で偉くなれるとでも思ってるの?あなたなんて、ただ子供を産むための道具にすぎないのよ!その耳でよく聞きなさい!」

澄花は咄嗟に佳代子を突き放した。

その反動で自分も数歩よろめき、そのまま床に倒れ込む。

途端に下腹部へ鋭い痛みが走った。

佳代子は怒鳴った。「まだ芝居するつもり?さっさと立ちなさい!」

澄花は腹を押さえながら、どうにか立ち上がった。

だが佳代子には、それすら演技にしか見えなかった。

「あなたの親がまともにしつけられなかったなら、私が教えてあげる。妊娠したからって何をしても許されるとでも思ってるの?自分の間違いが分かるまで、そこで跪いていなさい!」

澄花は、一歩も引かずに責め立ててくる佳代子を見つめた。

美玲に濡れ衣を着せられ、一億もの借金まで背負わされた。

柊吾はそんな自分をまるで気にも留めない。

何より、子供はもういない。

二人は近いうちに離婚するのだ。

ならば、もうこんなふうに自分を虐げ、理不尽な扱いやいじめに耐える必要などない。

積もり積もった屈辱と怒りが一気に胸の奥から噴き上がった。

澄花はついに勇気を振り絞り、手を上げた。

今度こそ、やり返してやる――

「やってみろ」

その手が佳代子の頬へ届くより先に、低く冷え切った声が響いた。

澄花が顔を上げると、二階の廊下に男が立っていた。

柊吾だった。

いたのだ。

最初からずっと、そこにいた。

まるで他人事を眺める傍観者のように、その端正な顔には何の感情も浮かんでいない。

指先で手すりを軽く叩きながら、冷えた眼差しで澄花を見下ろしていた。

「お前の父親はまだ病院にいて、兄は今も拘置されている。二人とも控訴審を控えている身だ。

これ以上無礼な真似をするなら、御堂グループの弁護士団に、一度くらい負けてもらっても構わない。そうすれば、お前の父親も刑務所で兄と一緒に暮らせるだろう」

澄花の顔から、一瞬にして血の気が引いた。

宙に上げていた手を、少しずつ下ろしていく。

もし控訴審で負ければ、父も兄も残りの人生を刑務所で過ごすことになる。

柊吾なら、本当にそれができる。

そこまでできるほど――彼は自分を嫌っている。

骨の髄まで嫌悪しているのだ。

佳代子は怒りで目を真っ赤にしながら、澄花を睨みつけた。

「いい?これからは大人しく、お腹の子を無事に産むことだけ考えなさい!

もう一度でも子供を盾にして皆を脅してみたら……そのときは覚悟しておくことね!私がここでしっかり見張っているから!」

子供――

このお腹のどこに、まだ子供がいるというのだろう。

二人とも、もう寝室の枕元に置かれた黒い箱の中にいるというのに。

けれど、柊吾と佳代子の口ぶりを聞く限り、もし子供がいなくなったと知られれば、父と兄の控訴審にも影響が出る。

「必要ありません。私がここを出て、別のところで暮らします」澄花はそう言った。

佳代子に向けてだけではない。

柊吾にも、はっきり聞かせるためだった。

佳代子は眉をひそめ、柊吾へ視線を向けた。

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