LOGIN「大丈夫?」
「重ね重ね申し訳ありません」 再び目を覚ました時には夜が明け、外は明るくなっており、既に陽は真上に差し掛かっている。 紗千香は寝起き早々にベッドの上で土下座で頭を下げながら謝罪した。 初めましてのお宅でベッドを占領した挙句、昼近くまで呑気に寝てるなんて無神経にも程がある。自分が自分で信じられない。 仲佐さんは私が起きるまで仕事をしていたらしく、テーブルの上には台本と資料が置いてある。 人気声優ともなれば台本は一つじゃない。それに、声優以外の仕事も受け持っていて、目が回るように忙しいはず。 「すみません。貴重な時間を潰してしまって……」 「全然。俺としては、紗千香ちゃんの寝顔を横目で見ながら仕事ができたから役得だと思ってるよ」 申し訳なさそうに口にするが、返ってきたのはこちらが恥ずかしくなるような言葉。 落ち着いた所で、気を失う前に聞いた言葉の真意を聞くことにした。 「あの……初めての男って……その、そういう……?」 「ん?」 顔を赤らめ恐る恐る聞くと、仲佐さんの口角が吊り上がるのが見えた。 「そうだね。まずはキスから始めようか?」 唇に指を当て、ゆっくりとなぞられた。その瞬間、全身に電流が走ったように体が跳ねる。 完全に言葉を失い口をパクパクさせていると、仲佐さんが「ふはっ」と吹き出した。 「あははは!本当に君はいい反応してくれるね」 また揶揄われたと思ったのと同時に、この人は案外意地が悪い人なのだと知った。 「何か誤解している様だけど、君に手を出すつもりはないから安心していいよ」 「え?」 「ん?出して欲しいの?」 「いや、だって……」 『初めての男』なんてフレーズに思い浮かぶのは一つしかない。他に何があるのか逆に教えて欲しい。 「紗千香ちゃんはさ、俺の色気がどうのとか言ってるけど、単に男を知らなすぎるんだよ。男に免疫がないとも言えるね。だから、俺を使って免疫力を上げればいい」 あ、そういう意味の初めて……なんて紛らわしいと思いつつ、少し残念がる自分がいることに驚く。 「紗千香ちゃんが迫って来てくれたら、喜んで相手するけど?」 私の顔を覗き込み、ほくそ笑みながら言ってくる。そんな事が出来るはずない。例え出来たとしても、この人なら上手くはぐらかしそう。 「さて、そろそろ送ってくよ。ついでだからどこかで飯でも食って行こうか?」 「い、いえ!電車で帰るんで大丈夫です!」 「いいからいいから」 これ以上迷惑かけれないと断るが、仲佐さんは車の鍵を手にすると私の肩を抱いたまま外へ出た。 問答無用で車に詰め込まれ、私を乗せたまま車は発進してしまった。流れる景色を眺めながら、時折運転席に目をやる。窓に肘を置き、片手で運転する姿は眼福以外のなにものでもない。 「そんなに見つめられると恥ずかしいな」 「す、すみません!」 困ったように苦笑いを浮かべたので、慌てて目を逸らした。運転中にじろじろ見られたら、そりゃ気が散って当然だ。 また失敗したと、小さくなって助手席に座る紗千香を見た仲佐は「ふっ」と微笑んだ。 「そう言えば、紗千香ちゃんは俺に憧れてこの世界に入ったって言ってたけど、何かきっかけがあったの?」 「あ、それは」 そこで紗千香は人生に疲れていた時に仲佐の言葉に救われたことを話して聞かせた。 当時の私がどれだけ精神的に苦しかったか、仲佐さんの言葉がどれだけ胸に響いたのかを熱く語ってやった。 「今の私がいるのは仲佐さんのお陰なんです」 そう締めくくると、キーと道の端に寄せて車が停まった。辺りには何もない。あれ?おかしいと思い運転席を見ると、顔を埋めるようにハンドルにもたれる仲佐さんがいた。 「仲佐さん!?大丈夫ですか!?」 肩をゆすって問いかけるが返事はなく、顔も見せてくれない。 「大変……」 これは只事じゃない。具合が悪いのかと思い、誰か助けを呼ぶために車を降りようと、シートベルトを外した。助手席のドアに手を掛けたところで、その手が掴まれた。 「ごめん。大丈夫」 「でも……」 そうは言っているが、顔は俯いたまま。心なしか掴まれた手が熱い気がする。 「やっぱり、人を呼んできます!」 「大丈夫だから!」 大声を出され、手が止まった。 「大きな声出してごめん。本当、大丈夫だから……少しだけ待って」 そう言われたら待つしかない。ドアから手を離し、深く座り直すと仲佐さんから小さな溜息が聞こえた。よく見ると、耳が真っ赤に染まってる。なんなら首まで真っ赤だ。 (あれ?) 「……あの、間違ってたらごめんなさい」 ちゃんと前振りしたところで確信を突く言葉を放つ。 「もしかして、照れてます?」 「……」 黙ったままだと言うのは、肯定しているのと同義。 「え、仲佐さんでも照れる事あるんですか!?」 口をついて出てきた言葉。 「……君さぁ、俺を何だと思ってるの?」 のっそり顔を上げて言い返す仲佐の顔はほんのり赤く染まっている。 「だって、いつも飄々としてるから」 「俺だって人間だよ?恥ずかしくなることだってあるさ」 髪を掻き上げ、恥ずかしそうに顔を歪める姿はかっこいいと言うより可愛いくて、そのギャップにキュンが止まらない。 (これがギャップ萌え!) なんか自分の開けてはいけない扉を開けてしまいそうになる。流石にそこは自重するが、もう少し見ていたい気もする。 「そうか。紗千香ちゃんの原動力になったのか」 「はい。その節は大変お世話になりました」 頭を下げて伝えると「あははは!」と仲佐さんの笑い声が車内に響く。 「参ったな……思った以上に嬉しい」 柔らかな笑みを浮かべながら呟いた。紗千香はまだ夢を見ているような心地で、仕事場であるスタジオへとやってきた。 昨夜、お互いの存在を確かめるように体を重ねた。何度も何度も名前を呼び、キスを交わし、身体を求めた。 今も仲佐さんの温もりが体に残っていて、全身が包まれているような感じがする。 「紗千香ちゃん、おはよう」 「あ、那奈さんおはようございます!」 「あら?あらあらあら?何かあった?」 察しの良い那奈はすぐに紗千香の変化に気が付き顔を緩ませて近付いて来た。 「もしかして、彼氏でも出来た?」 ニヤつく口元を手で隠しながら耳打ちされ、思わず肩が跳ねた。 「え!ウソ、本当に!?」 「いや、彼し……」 言葉を続けようとしたが、声が詰まって出てこない。 (あれ?私と仲佐さんの関係って何だろ) 身体を重ねている間は「好きだよ」なんて甘い言葉をかけられていたが、目が覚めてからは普段と変わらない態度だったし、一言も付き合うとは明言していない。 (……あ、れ?) 先程まで舞い上がっていた気持ちがスーと引いていくのが分かる。 「え、ちょっと、どうしたの?」 那奈さんの声が遠く聞こえた…… *** 「浩也!」 「ん?」 スタジオを出た俺を引き留めたのは、同じスタジオで収録をしていた香里だった。 「今終わり?」 「ああ、お前も終わりか?」 「もう少しで終わるから待ってってくれる?」 「なんで俺が」 「いいじゃない。暇でしょ?」 香里は俺の言う事を聞かず、強引
「俺は諦めないから」 別れ際、優弥に言われた言葉。 電車に揺られている間も優弥の顔がチラついて離れない。まさか、何年も会っていない幼馴染みに告白されるとは思いもしなかった。 優弥ならば、私なんかよりもっとずっと素敵な女性がいたはず。何故、私?と率直に疑問が浮かぶ。昔を思い出しても、そんな素振りは一切なかった。なんなら雑に扱われた方だと思う。 「ごめんなさい」その一言で片付くと思っていたが、違った。そんな執着される意味が分からない。 プライドが傷付けられて意地になっている節も無くはないが…… (なんなんだ……) 悶々としながら考えこんでいたら、いつの間にか降りる駅に着いていた。 着いたら電話をしろと言われていたが、只今の時刻は深夜を回っている。流石に待ちくたびれて寝ているかもしれない。迎えに来てもらうほどの子供でもないし、来てもらう義理もない。……とまあ、それらしい事を並べてはいるが、要は会いにくいってだけ。 香里さんに嫉妬してマンションを飛び出し、同窓会へ来たら勇也に告白され、仲佐さんに変な疑惑まで持たれた。この上で、どの面下げて会えばいいんだよ。 紗千香はそのままスマホを手に改札口を出た。 そのまま駅の外へ歩いていると「紗千香ちゃん」と呼び止められた。 まさか?と思いつつ声のした方を振り返ると、そこには仲佐が腕を組みながら立っていた。 「なんで?」 「なんで?は酷いなぁ。……家で待ってようかと思ったんだけどね。幼馴染み君に煽られちゃ、どうしてもジッとしていられなくて」 困ったように目を細めて微笑んだ。 「それに、ここで待っていな
振り返ると、そこには息を切らした優弥が膝を抱えて苦しそうに息を整えていた。 「何でいるの?みんなと行ったんじゃないの?」 「行かねぇよ。お前こそ、送っていくって言っておいただろ」 「いや、どう考えても三次会行く雰囲気だったじゃん」 むしろ、あの状態でよく抜け出せたなとすら思う。 「俺はお前に会いたくて来たんだよ」 「え?」 「また、挨拶もなしに姿を消すつもりか?」 そんなつもりはなかったが、そう言われると辛い。 「それに、まだ答えを聞いてねぇ」 「なんの?」 「付き合ってるヤツいんのか?」 「はあ?」 三次会を蹴って、息を切らしてまで追いかけて来た理由がそれ? 「なに?そんなくだらない事を聞く為にここまで来たの?」 「くだらなくねぇよ!」 呆れながら聞き返す紗千香に、優弥は苛立ったように声を荒らげた。 すぐにハッと我に返ったようで「すまん」と謝ってきたが、驚きで胸が張り詰めたようにドキドキと脈打っている。 「えっと……付き合ってる人はいない」 「本当か!?」 「でも、好きな人……は、いる……」 顔を赤らめ、小さな声で呟いた。
同窓会の会場はホテルのお手頃なホールを貸し切って行われた。 久しぶりに会う級友は、大人びて雰囲気が様変わりしていたり、結婚して子連れで参加していたり、それぞれが今を楽しく過ごしているのがよく分かった。 会話も弾み、あっという間に時間が過ぎて行った。 「紗千香はこの後どうする?二次会行くでしょ?」 二次会組と帰宅組と分かれているようで、紗千香も二次会に誘われていた。 「ん~」 まだ話し足りない気もするが、優弥との約束もあって行くのを躊躇っている。 まあ、優弥が勝手に決めた事であって、私が気にする必要はないんだけど……と、考えていると手にしていたスマホが鳴った。画面には『優弥』の名前。随分と早い連絡に驚きつつ、通話ボタンを押した。 『あ、オレオレ!今どこ?』 開口一番、新た手の詐欺のような早口で捲し立てられた。 「今ちょうど二次会行こうか話してた所」 『ふ~ん。何処でやる?俺も行くわ』 「え!?」 『場所、送っといて』 言うだけ言って電話を切られた。 あまりの強引さに「は?」と理解が追いつかない。昔から強引な所はあったが、ここまで酷かった訳じゃない。 流石にフツフツと苛立ちが湧いてくる。 *** 二次会はクラスメイトの実家である居酒屋。既に出来上がっている者もいて、他の客に迷惑がかからないかと心配になったが、大将が気を使って貸切にしてくれていた。 「久しぶり」 「お!来
「久々に帰って来たなぁ」 紗千香は仲佐のマンションではなく、久しぶりに自分のアパートへ戻っていた。 「はぁ~、やっぱり自宅が一番落ち着く」 着替えもしないでベッドに寝転がっても罪悪感ないし、大声で文句を言ったって平気だ。私以外いないから気を遣わないでいいし、キッチンなんて3歩で行ける。 単なる強がりにしか聞こえないが、そう言って誤魔化してないと泣いてしまいそうだから…… 枕を抱きしめ顔を埋めると、仲佐さんの匂いのしない枕に、ジワッと目頭が熱くなってくる。 (あぁ~、駄目だ) いくら誤魔化そうとしても、あの人の匂いや温もりは私の記憶から消えてくれない。 涙の溢れる目を覆うように腕を押し当てていると、トゥルル……スマホの着信音が部屋に響いた。 画面には『仲佐』の文字。 出ないと言う選択肢もあるが、万が一にも仕事関連だと困る。「ふぅ」と気持ちを落ち着かせるように息を吐くと、通話ボタンを押した。 「……はい」 『あ、紗千香ちゃん?今どこ?』 受話口から聞こえる仲佐さんの声にホッと喜ぶ自分がいる。 「えっと──」 話を進めようとした時『皓也?』遠くから仲佐さんを呼ぶ声が聞こえた。 あの現場で仲佐さんを名前で呼ぶ女性は一人しかいない。 『誰と話してるの?早く行きましょう?』 『お前ッ!人が話している時に入って来るな!』 『ええ?何よ。私より大事なの?』 痴話喧嘩のような会話が聞こえてくる
紗千香ちゃんの様子がおかしい。 「あ、お、おはようございます!」 朝、顔を合わせたら分かり易く目を逸らされた。 「……おはよう。あのさ、昨日って」 「すみません!今日早出なので先に行きますね!」 挨拶もそこそこに俺から逃げるように飛び出して行った。 「……何かやったな……」 起きた時、ソファーに寝ていたから嫌な予感はしていた。 「はぁぁ~」と壁に背中を預け、溜息を吐きながらその場にしゃがみこんだ。 あの感じは少なくともキスぐらいはしている反応だった。何がイラつくって、その場面を覚えていない自分に腹が立つ。 あの子はどんな顔でキスをした?顔を蕩けさせて俺を欲しがった? 「一番大事なところを覚えていないなんて……」 この歳で一回りも違う子に本気になるとは思わなかった。 第一印象は小さくて可愛らしくて子ウサギの様だと思った。俺の事を慕ってくれるのは目に見えて分かっていたが、特別な想いは沸かなかった。 いざ声を当ててみると、あの子の声は華やかではないが人を惹きつける声色をしていた。全身の毛が逆立つような感覚なんて初めてで、あの子の声に聴き惚れた。 もっと聴きたい。そう思ってしまった。 まあ、そこからは、自分に憧れていると言う彼女の気持ちを最大限に利用させてもらった。少し卑怯な手だとは思ったが、彼女を傍に置けるなら構わない。 毎日違う表情を見せてくれる彼女を見ているのが楽しくて、気付けば年甲斐もなく恋をしている事に気が付いた。 相手は一回りも離れているのだから諦めるように自分自身に言い聞かせたが無理だった。 俺にすら見せた事のないような可愛らしい服に身を包み、合コンに行くと聞いた時